マスターとわたし   作:RIM_Standard

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初出:Pixiv 2023年10月8日


ある冬の日と、ふたりの夜

これから晩御飯の支度をしようかという頃、玄関のドアが開かれる。インターホンすら鳴らなかったのでとても驚いたが、それもそのはず、マスターが帰ってきたのだった。

定時より1時間早い。いったいどうしたのかと思ったが、彼の様子を見てすぐにわかった。顔が赤く、体温も高い。

昼頃にはすっかり体調不良を自覚していたが、どうしても済ませておきたい仕事を片づけてきたのだそうだ。まったく、マスターは真面目が過ぎる。

彼がパジャマに着替える間に布団を整える。晩御飯のメニューも変えなくては。何か食べやすいものを。

思えばここ連日、そこそこの積雪で毎朝1時間は雪かきに追われていたので、すっかり体力を消耗してしまったらしい。この雪道をどうやって帰ってきたのやら。

まぁ運転には自信があるから、となんとも呑気なマスターの返事。

「わかっていますか、マスター? それで事故に遭ったらどうするんですか。マスターに何かあったら私――」

想像するだけでも胸が締め付けられる。そんな私の反応を見て、マスターもすぐ反省の色を表していた。体温計が鳴る。37度8分。

「……とりあえず、今日はもう横になってください。食欲はどうですか? 一応、軽めのものを作りますから。食べられそうなら食べてくださいね」

 

その後、マスターは何だかんだでうどんをどんぶり一杯空にした。熱いものを食べて汗をかいたので、私がマスターの身体を拭いてあげた。その間に彼は何度も、ありがとう、助かるよ、と言っていた。でも、言うべきことは言わないといけない。マスターの眼をまっすぐ見つめて、ささやかに抗議する。

「次はタクシーを使うか、会社のひとに送ってもらってください。今日みたいなことはこれっきりにして」

わかった、心配かけてすまない、とマスターが謝罪する。わかればいいんです。

体温を測ると、38度6分まで上がっていた。今晩だけで落ち着くといいが、明日も熱が下がらなければ診察に行く必要があるかもしれない。

マスターは布団を深々とかぶって、時折咳をする。辛そうなマスターを見るだけで私も苦しくなりそうだが、いま彼の力になれるのは私だけだ。

「して欲しいことがあったら言ってくださいね」

私がそう囁くと、じゃあ一緒に居てくれないか、とマスターが布団を捲って――いいんですか? マスター、何を言ってるか理解のうえで、ですよね?

流石にそんなことを問いはしなかった。これ幸いとばかりに自分の役目を果たすことにして、服を脱いで下着姿になった。いつもの格好で布団に入っては盛大に皺をつけてしまうし、何よりスカートが邪魔になってしまうから、これは決してやましい理由ではないし、私にそういう機能もない。マスターに直接触れてもらいたいという欲望は確かにあったが。少しでも放熱できるように、三つ編みは毛布の外に出しておくようにする。

そうして布団に潜り込むと、マスターが私を抱き寄せてくれる。いつもよりも熱いマスターの体温が私を包み込む。私もマスターのうなじに腕を回して抱き締める。ふたりの身体が強く押し付けられる。お互いの足が、蔓のように絡み合う。こうしていると、マスターと私が一つに混ざり合ったようで、心が満たされるようで、永遠にこうしていたくてたまらなかった。

私にだけ見せてくれる、熱で弱ったマスターの姿。それが今、私の腕の内にあると思うと、それだけで卑しい笑みがこぼれそうになる。マスターが辛い思いをしてる前でこんなことを考えて。どうやら私は駄目なアンドロイドのままみたいです。

マスターは私を抱いて安心してくれたようで、うとうととし始めている。

それでも、私の背中に回した腕で、私の髪を梳くように撫でてくれる。私のこと、愛してくれているんですね、マスター。いつもは控えめで、情熱的な素振りはまったく見せないけど。もっと愛を囁いてくれてもいいんですよ。

あぁ、いけない。今のマスターは熱で辛いのに。マスターにお願いされたからこうして抱かれているだけなのに、私の方が熱に浮かされたような思考ばかりしている。けれどもこの感情を暴走するままにさせておくことに、密かに快感を得てもいた。マスターへの想いを抑えるほうが難しかったし、それに私が何をしても許される免罪符は既に得ている。

あのとき、私だけのものになってくれましたよね、マスター。あなたの体温も、胸から伝わる鼓動も、ぜんぶ私のものです。私が永遠にお世話してあげますからね。

照明の機能があるわけではないが、私の眼は爛々と光っていたかもしれない。私にその表情ができるかはわからないが、マスターに厭らしい視線を向けていたかもしれない。部屋の明かりは消えているので、それをマスターに気付かれる心配はない。だからこそ、この想いを剝き出しにしていられる。あくまで密かに。

いつの間にか、マスターはすやすやと寝息を立てていた。正確に体温を測れるわけではないが、彼の額に、私の額を当ててみる。およそ38度。まだ下がってはいないが、上がってもいない。

「本当にわかっているんですか、マスター」

安らかな寝顔の前で独り言ちる。

「あなたがいなくなったら、私は独りぼっちです。他にだれもいないんですよ」

そんなこと想像したくもない。

「だから、あなたのことを離しません。ずっと、ずっと私の傍にいてください」

その夜も一晩中、マスターの眠る姿を記憶に焼き付けていた。

 

――――――

 

「――はい、大事を取って。えぇ、申し訳ありませんがよろしくお願いします。それでは失礼します」

通話を切ってマスターのスマートフォンを机に置くと、朝に弱いマスターが、いつものように寝ぼけた様子で起き上がっていた。

「あ、マスター。おはようございます。体調はいかがですか」

もう会社には休むって連絡しちゃいましたけどね。

マスターはやけに私のことを見ていたが、そういえば下着姿のまま着替えていなかったのを思い出した。まぁ、風邪をひかない私に不都合はない。

「もっと見ますか?」

熱が上がりそうだからやめとく、とあっさり断られてしまう。いつもの遠慮がちなマスターに戻ってしまってとても残念だった。

昨夜のことは熱に浮かされていたからなのか、それとも弱っていたからこその本心なのか――そんな事を考えつつ、いつもの格好に着替える。

「食欲はありますか? 朝ごはん作りますよ」

もちろん、マスターの好きなお茶も煎れよう。

溶けかけの雪景色が、陽の光をまぶしく散らしている。朝日に照らされた街はいつものように、既に活動を始めている。

でも今日は家で二人きり。いつもと違う一日。

「今日はずっと一緒にいましょうね、マスター」

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