「見つけた」
ホールの裏口に入る直前。そんな声が聞こえると同時に、手を引かれて危うく転びそうになった。
振り向いて真っ先に目に映ったのは、光を反射する薄紫の髪と、髪と同じ色をした、鋭さのある三白眼。威圧感こそなかったものの、相手が何を考えているのかを伺い知ることができない。一見すると無表情のようだったからだ。
ただ、観察されている、という感覚があった。
隣にいたあかりが口を開く。
「……私のマスターに何か御用ですか」
「やっぱり。あなたが、話にあったマスターさん」
望んでいた答えを得たといった様子で、掴んでいた手をようやく離してくれた。
口調は落ち着いていたものの、あかりは明らかに敵意を滲ませている。これまで見たことのない姿だった。
彼女が発した警戒信号を受け取って、紫髪の女性は苦笑いしながらぱたぱたと両手を振った。
「あ、いえ。申し訳ありません。お話で聞いた方が目の前にいたので、つい」
何のことやらさっぱり分からない。あかりは相変わらず緊張をその表情に貼り付けていた。
微妙な空気が流れ始めているのを知ってか知らずか、女性はそのまま続ける。
「むしろ、あかりさん、奥様からお聞きしたのはあなたの話です。私はそれを聞いて――」
「こぉら! ゆかりちゃん!」
慌てて駆け寄ってきた男性が、紫髪の女性を叱りつける。よく見知った、楽団のメンバーだった。
「相手さんが困ってもうてるやろ。うちの、いや本当の意味ではうちのやないけど、ゆかりがすんまへん」
彼女は、男性の実家で所有している家庭用アンドロイドとのことだった。
彼の両親からあかりについての話を聞き、そこからマスターである自分がどんな人間かが気になって、今日の練習に連れて来てもらったらしい。
「改めまして、結月ゆかりです。あかりさんと同じ、AHSロボティクス社のアンドロイドですよ」
「ほんとにすまんの。どうしてもと言って聞かんくて」
結月ゆかりから「つまらないものですが、お土産です」と和菓子の紙袋を手渡される。結局、ホールの裏口前で立ち話になってしまっていた。
「うちのアンドロイドがこんなこと言うなんて初めてでな、母さんに押し付けられてしもたんよ」
「えぇ、おかげで我が儘を通してもらっちゃいました。お母様にはあとでお返ししないと」
結月ゆかりが、あかりの方を向いて言う。
「あかりさん、よくして頂いているとお聞きしました。噂にたがわぬ素敵なマスターさんですね」
話の対象になっている自分としては、はぁ、という反応を返すほかない。
その一方であかりはさほど嬉しそうでも、楽しそうでもなかった。かと言って無関心というよりは、結月ゆかりとの間に壁のようなものを作っているようだった。
これまで初対面の相手だろうと、あかりはあくまで丁寧だった。しかし彼女に対しての態度には、初めからどこか棘があるように思える。
「マスター、練習場に行きませんと」
あかりが裾をくいくいと引っ張って知らせる。ここで立ち止まって30分は過ぎていた。
「あぁすまんの。せっかく早めに来たんだし、練習始めんと」
連れ立ってホールに入館する。結月ゆかりも当然のようにそれに着いてくるのだった。
――――――
『あかりさん、お話しませんか』
『ご用件は何でしょうか』
『あなたのマスターさんについて』
『お断りします』
『ちょっとぐらい聞かせてくれませんか。だめ?』
『駄目です』
『そんな……残念です。ぐすん』
『……どうして私のマスターについて知りたいんですか』
『うちの奥様と、お話されましたよね? ほら。去年の定期演奏会のときに』
『そうですね。間違いありません』
『その時、あなたがマスターのことをとてもよく見ていたと。愛おしそうに』
『……』
『あれは恋する乙女の眼だわ、と奥様はおっしゃられました。それを聞いて私、すごく気になってしまったんです。私と同じアンドロイドが、自分の主人に対して恋焦がれることもあるんだと思って。あかりさんのマスターはどんな方なんだろう、って』
『……それで、私のマスターの個人情報を探ろうと?』
『個人情報だなんてそんな。私はただ、マスターさんの人となりとかをお聞きしたいだけです』
『お断りします』
『つれませんねぇ』
『私のマスターに近づくのが目的ですか』
『マスターさんのファンだというのは否定しませんが。あかりさんから奪おうだなんて思っていませんよ』
『信用できません』
『本当にマスターさんのこと、お好きなんですね』
『私たちがマスターとそのご家族を、尊敬して愛するのは当然のことでは』
『家族愛としてならその通りです。でもあかりさんのそれは違う。あなたはマスターさんを、一人の男性として愛しているんでしょう?』
『……何がおっしゃりたいんですか』
『あかりさん。あなたも私の興味の対象です。アンドロイドが主人を愛して一体どうするんだって、考えたことはありませんか?』
『私がマスターを愛するのは当然のことです。私のマスターだからこそです』
『でも、私たちは人間ではないんです。法的には所有物でしかありません。マスターさんと婚姻関係になることも、子供をつくることもできないじゃないですか』
『……マスターは私を愛してくれています』
『本当に? 家族や、ペットに向けるそれではなく?』
『私のマスターは、私を愛してくれています。間違いありません』
『……そうですか。いえ、わかりました。あかりさん。あなたは本当に面白い”ひと”ですね』
『それは侮辱ですか』
『いいえ。心からの興味と、羨望ですよ。あなたと同じ私が言うのもなんですが』
『……』
『あなたがそこまで頑なになるほど、マスターさんのことを大切に想っているというのがよくわかりました。私にとって奥様や旦那様は大切な存在ですが、あくまで主人と家政婦という関係でしかありません。それが、私たちにも恋ができるとしたら面白いじゃないですか。そんなお相手がいらっしゃるのが、私には羨ましいです』
『そう、ですか』
『あなたみたいなアンドロイドのお話、少なくとも私は初めて聞きます。だから今日こうして、無理を言って連れてきてもらったんです。どうしても生で観たくて――って、いけない、いけない。さっきから私ばっかり喋っちゃってますね。普段は奥様とばかりお話してるのですっかりお喋り癖がうつってしまって。ついついお話しすぎちゃうんです。ごめんなさいね』
『はぁ』
『そうだ。前々から考えていたのですけど、私と同じお友達が欲しくて。お家にヒトはよくいらっしゃいますけど、普段はあまり外も出歩かないし、こうして他のアンドロイドと会う機会なんてなかなかありませんから。いいですよね?』
――――――
「マスター」
帰り道。夜の街を走る車内で、あかりが呟くように呼ぶ。
練習前はひりついた雰囲気を滲ませていたが、今は流石に落ち着いた様子に見えた。
「……いえ、すみません。呼んでみただけです」
どうしたんだ、と訊いてみたものの、何でもないの一点張りだった。明らかに何か考え込んでいるようだが、自分には聞かれたくないことなのかもしれない。
結月ゆかりとの出会いは、あかりにとって良くない事だったのだろうか。アンドロイド同士であれば共感することも多そうなものだが。むしろ自分と同じ存在だから――
ごめん、という言葉が口をついて出た。自分があかりを庇ってやれてないような気がした。自分のマスターとしての頼りなさを、すべてが終わって、いまさら思い知った。
「そんなことありません」
あかりは驚きつつも、自分の言葉をすぐに否定した。
「私には、マスター以上に大切なひとはいません。それは貴方が私のマスターだからというだけじゃなくって、かけがえのないたった一人の貴方だから」
しばらくの間、車内を静けさが包んだ。自分の心臓の音が聞こえそうなぐらいだったが、努力して運転に集中した。
あかりに返すべき言葉を、うまく見つけられなかった。自分が何を言ってもあかりは肯定してくれるだろうが、上っ面だけの言葉で誤魔化したようにはしたくなかった。
そうして一人で勝手に悩んでいる間に、あかりが自分に止めを刺した。こういう事に関しては彼女の方がいつも上手だった。
「マスター。明日はお仕事ですけど、いっしょの布団で寝てもいいですか」
それに対して自分は残念ながら、うんという一言しか返せなかった。