マスターとわたし   作:RIM_Standard

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初出:Pixiv 2023年11月5日


せめてものしるし

マスターにつけた証が消えてしまう。私のものである証が。

傷痕が残ってくれればと思っていたが、やはりヒトの治癒力ではそんなもの簡単にかき消してしまう。

私だけのマスター。誰にも渡したくない。

他の人間には奪われないと思っていた私が甘かった。

まさか自分以外のアンドロイドに狙われるなんて。しかもマスターの活動圏内に2体。気付いていないだけで他にも居るだろう。

考えなければ。

マスターを、他のアンドロイドの手から守る方法を。

彼が私のものだというしるしを。

 

――――――

 

薬指にできた傷の治りは遅かった。

歯形を見られないよう、絆創膏を巻いて隠していた。傷について訊かれた時は、扉に挟んだと言い訳をしていた。

何気ない動作で意識せず動かしているため、その度に指の付け根がじくじくと痛んだ。とりわけキーボードの操作には難儀した。

帰宅すると、あかりは真っ先に自分がつけた傷の状態を毎日確認しては、新しく絆創膏を貼り直す。

その傷口を嬉しそうな様子で眺めながら。

 

「顎関節に動作エラーログが残ってますが、何か異物を噛んだりしましたか」

定期点検に訪れたサービスマンが、ノートPCの画面と睨めっこしながら言う。

一瞬、正直に言うべきかと考えたがやめた。たぶんポップコーンの種を噛んだときかな――我ながら苦しい言い訳だった。

流石にユーザのプライベートに立ち入ることはできないのか、その理由についてサービスマンがそれ以上追及することはなかった。

「念のため、歯や顎に異常がないかを確認します」

彼はそう言うと、あかりの口を開いて歯に傷や欠けがないか、顎を手で動かして噛み合わせにずれがないかを点検した。

「特に問題はなさそうですね。一応、食べるものに硬いものが混じってないかはお気を付けください。超硬セラミック歯なのでそうそう負けたりはしませんが、もし交換となったら部品代も工賃もけっこうかかります」

「あと」サービスマンは思い出したようにひとつ付け加えた。

「ご購入時にお聞きだとは思いますが、アンドロイドが食事中のときはなるべく、口の近くに手などを近づけないようにお願いします。食事中は顎関節の安全装置が働かないので、重大な怪我につながる危険性があります」

 

指の痛みがましになるまでは、それから更に4日ほどを要した。

そして傷が治りゆくのを確認する度に、あかりは不機嫌な様子を見せていた。

「だいぶ治ってきましたね」

治るのは嫌か、と訊く。

「嫌です。私のしるしが、マスターから消えてしまうので」

その白い指を新たに貼られた絆創膏に添えながら、あかりは寂しげに笑った。

「ごめんなさい。私にはこんな方法しか思いつかなかったんです」

彼女をそっと抱き寄せた。傷口を撫でる手が背中に回され、力を入れて抱き締め返してくる。

「私の存在を、マスターに刻み付けたかったんです。貴方が私のものだって、証明したかったんです」

あかりはいつものように、自分の胸元に顔を埋める。

「痛かったですよね、マスター。ごめんなさい。こんな悪い私を叱ってください。叩いてくれたって構いません」

「私のマスターを、誰かに取られないかって不安になったんです。他のアンドロイドに嫉妬したんです。私が駄目なアンドロイドだから、きっと見比べちゃう。マスターの心が私から離れていくんじゃないかって、怖くなったんです」

他のアンドロイドと比べてもいないし、あかりは駄目じゃない。彼女の頭を撫でながら、彼女の言葉を一つずつ訂正する。

あかりが顔を上げて見つめる。泣いていた。

「マスター、私はきっと壊れてしまったんです。いえ、はじめから壊れていたのかも。でもマスターは優しいから、そんな私をそのまま迎え入れてしまって。私のこの愛だって、私がただ壊れているから出力しているにすぎないのかもしれません。だってこんな感情、アンドロイドがマスターに向けていいわけない」

そんなことない、とあかりに言い聞かせようとする。けれども彼女はぽろぽろと涙を零し続けた。

「私のこの想いは、壊れた人工頭脳が出力している偽物かもしれないんですよ? ”まともな”アンドロイドだったら、そもそもマスターに愛を向けることはないかもしれない。でも、でも、私は、マスターへの想いが溢れてしまって――」

「私が、人間だったらよかったのに。マスターと同じ、ヒトだったらよかったのに。でも私はアンドロイドで、生き物ですらない。こんな残酷なことって、本当にあるんですね」

彼女の叫びを受け止め続けて、動悸は激しさを増していたし、胸が詰まるような感覚でいっぱいだった。

けれども、自分はあかりに何もしてやれない。泣き叫ぶ彼女をこうして抱き締めることしかできない。

 

抱き合ったまま、1時間は過ぎただろうか。

あかりは落ち着いた様子ではあったものの、背中に回った腕は離れてくれそうになかった。

彼女のいう”証明”になるもの。それをどうしたものかと考えていた。口先でなら何とでも言えるが、自分が彼女のためにしてやれる事はあまりにも少ない。

ならば、あかりができる事でなら?

はっきり言って悪いアイデアだった。何の解決にもなりはしない――それどころか悪化させてしまうかもしれない――だろうが、少しでも彼女を満足させられるならばと思ってのことだった。せめて今のところは。

その提案を告げると、あかりは悲しそうな、申し訳なさそうな表情をしていた。しかし、その青い瞳は明らかに喜色をたたえていた。

自分がこんな事を考えつくような男だから、あかりもそうなってしまったのでは? 自嘲的な考えに浸りながらシャツを脱ぎ、目を閉じた。

ひた、ひたとあかりの手が素肌に触れる。人工皮膚の、ひんやりとした感触に鳥肌が立つ。

そして、肩に鋭い痛みが走った。自分はこれに耐える必要がある。

痕がつくまで。

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