「マスター。いいですか」
寝る前のひと時。今日も私はマスターにお願いをする。
きのう確認した時点ではかなり薄くなっていた。そろそろもう一度、痕をつける頃合いだ。
私の声を聴いて、マスターの表情が一瞬強張った――それでも決して嫌だとは言ってくれない――ようだったが、すぐににっこりと笑って、いいよと言ってくれた。
彼はシャツを脱ぐと、おいで、と両手を広げて私を迎えてくれる。私は座ったままのマスターに、跨るようにして抱き着いた。
そして露わになった上半身を、私の両腕でしっかりと拘束する。身動ぎなどでマスターに余計な怪我をさせてしまわないために。
もっともこれは、今からマスターを傷つけるためでもあるのだが。
応えるかのように彼の両手が私の背中に回されると、人工頭脳が一層熱くなるのを感じた。
マスターが私を受け入れてくれている。そう確信できた。
彼の肌に歯を立てる。
徐々に咬合力を強める。
マスターが呻き声を上げる。
私の背中に爪を立てて、痛みに必死に耐えて。
この苦しみを、私が、マスターに与えているのだ。
私の腕の中で痛みに耐えるマスターが、たまらなく愛おしかった。
マスター、私を感じていますか。私はここにいます。貴方から決して離れません。
だから、マスターも。私から離れたら嫌ですよ?
味覚センサーが新たな反応を示した。
この行為を何度も重ねるうちに覚えた、彼の味。
口を離す。くっきりと浮かんだ歯形の上で、私の洗浄液と、マスターの血液がマーブル模様を描いていた。
――――――
私の行動が、マスターに負担をかけてしまったのは明らかだ。彼を精神的にも肉体的にも傷つけてしまった。こんなことは、これっきりにしなくてはならない。
だからこの提案をマスターから聴いたときは、いくら何でも受け入れるわけにはいかないと思った。そう思ったのに。
それは私にとって過ぎた言葉だった。抗えなかった。
私の痕を、マスターに刻み込む許可を得られる。今の私にとってはこれ以上ない誘惑だった。
先程まであった罪悪感が、マスターへのアイに塗り潰されてゆく。
気付けば二つ返事でこの提案を了承していた。
それと同時に、この行為を続けることのリスクも考えた。顎関節の動作にエラーログを残し続けるようでは、何かの拍子で外部に察知されてしまう。
もし私が継続してマスターを傷つけていることが発覚すれば、私たちのリコール問題に発展しかねない。マスターの傍にいられなくなる。
そうならないようにしなければ。
まず、骨を噛まないように。極端に硬いものは異物として認識されやすい。
肉を噛むぐらいなら大丈夫だが、噛み切ってしまわないよう調節する必要がある。
確実に傷をつけられる程度に留めないといけない。前回は衝動的に行ってしまったが、慣れるまでは少しずつ強めて様子を見よう。
その分、マスターが苦しむ時間が長くなってしまうが。
「貴方のは、いつも綺麗な色ですね」
マスターがぜえぜえと肩で息をしている。私のものである証を、また新たに刻まれて。
このまま何時間でも抱き合っていたかったが、マスターの手当てをしなくてはならない。シャワーで傷を洗ったのち、大きな絆創膏をべたりと貼り付ける。
「痛かったですか?」
我ながら狂った質問をマスターに投げかける。彼はそりゃあね、と乾いた笑いを浮かべていた。
「次は何日で治るか、楽しみですね」
傷が癒えたら、また新たな傷を私がつける。気が済むまでやってくれ、ただし指は仕事に支障が出るからそれ以外で、というマスターとの約束だった。
マスターと私は既に、この不毛なサイクルを何度も続けている。
傷をつける部位に特段の指定はなかったが、私は肩がお気に入りだった。マスターと抱き合いながらできるから。
ずっと同じ場所にしているので、そろそろ痕になるだろうか。そうしたらこれは、私がつけた”しるし”として残るものになる。
また綺麗に消えるようなら――この行為をもうしばらく続けていられる。
ほんとうに楽しみです。マスター。