オルクセン国王グスタフ・ファルケンハインの一代前の王、アルブレヒト二世についてのお話。
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同胞より、敬愛を込めて――
『アルブレヒト、マインケーニヒ』
余は……
俺は……
僕は……
思うがまま、皆が思うような……野蛮なオークの国の王であれただろうか?
★☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
うつけは激怒した。必ず、かの地の大穀倉の麦を奪わねばならぬと決意した。
うつけには政治がわからぬ。うつけは、領主のせがれである。詩歌観劇を愛し、悪友どもと遊んで暮らしてきた。
けれども空腹に対しては、ひと一倍に敏感であった。
きょう未明うつけは地元を出発し、野を越え山越え、国境を越え、隣国の人間族の村にやって来た。
悪友どもと郎党合わせてオーク族三十名ばかり、それに幌なしの空の荷馬車三台と馭者のコボルト族――犬の容姿を持つ魔種族――三名を連れ立っての
郎党らを
ある者は腰を抜かしてその場にへたり込み、ある者は悲鳴を上げながらも懸命に足を動かして近くの建屋に逃げ込んだ。
無理もない。
人間族の頭二つ分は大きい身の丈に、三倍の目方はあろう丸々とした巨躯を誇る、豚の頭をした魔種族――オークが武器を持って平和な村を襲ってきたのだ。
オークたちが手にしているのは白刃の穂先が光る槍や太い棍棒で、着ているシャツやズボンはどれも薄汚れている。
しかしその粗末な服の上には、太い胴を覆う茶褐色に煮締めた革鎧を身に付けていた。
突然の襲撃に対し、勇気ある男衆などは手近な農具を握り締め、悲壮な気合と共に槍持ちのオークへ打ちかかった。
が、「その意気や良し!」と応じた一頭のオーク――数十いる襲撃者の中でも更に巨躯である!――に容易く鍬やフォークを打ち払われ、逆に槍の石突で突っ転ばされたり、柄の部分で強かに打ち据えられ、痛みに呻くこととなった男たちは瞬く間に戦意喪失してしまう。
無論、手加減を加えられてのことだ。
魔種族の中でも巨躯と剛力を誇るオークに全力で打撃されれば、たとえ鎧兜を纏っていようと人間族の肉体ではひとたまりもない。いわんや布の服の村人をや。
村内に乱入していったオークらの後に続いて闊歩する、見事な葦毛のペルシュロン種――オークの巨体の騎乗にも耐える重量種――の軍馬。
「あんまりいじめたるな。
その鞍上に跨る一頭のオークの牡が、村中に響き渡る太い声を放った。
声の主たるオークは、近年星欧各地の戦場に跋扈する傭兵団ランツクネヒトが如き赤と青――左右色違いの派手なシャツに、縞入りの黒の半袴を纏い、野趣に溢れる熊の毛皮を腰に巻き、サンダル履きであった。
一言で言えば、品がないとされる奇抜な恰好。
髭も生えぬ年若い牡で、地元では「
父親から付けられた家庭教師から大人しく講義を受けたかと思ったら不意に抜け出し、同じ年の頃の悪友どもと領内であれこれ遊び惚ける評判の……そう、評判のうつけである。
悪友たちの構成者は若殿の実家と近しい騎士や郎党の子息もいれば、商家の倅や百姓の次男坊、三男坊など様々。
それぞれの身分の違いから発する区別の意識こそあれど、悪友たちは若殿を戴くという一点で互いに繋がっている。
領外、それも隣国への騎行――略奪に来たオーク一党は、うつけと呼ばれている己の主の命令をきちりと守っていた。
――できれば殺すな。建屋にあまり火付けもしてやるな。住民を攫うな。つまり――ひどい恨みを買うような真似はするな。
我らの目的は、食糧と役立ちそうな物品の略奪であるからして。
略奪が恨みを買わないということなど、決してありはしないのだけれど。
かつて――星暦500年代後半、星欧大陸では人間族の手によって、多くの魔種族を標的とした大殺戮とも呼べる迫害の嵐が長らく吹き荒れた。
星欧の人間社会に陰に陽に絶大な影響力を誇った当時の聖星教の教皇に曰く、
「魔種族とは、神の似姿たる完全な人間の肉体を持たぬ穢れた生き物」
と。
「宗教上、文化上、生物上の異端なれば、狩り尽くすべし」と人間族は諸国を挙げて熱狂的に魔種族を襲撃し、虐殺し、駆逐した。
自らの蛮性に正義のお墨付きを権威から与えられた時、人はどこまでも残虐になることができ、とめどない流血に酔い痴れることができる。
結果として、今日では多数の魔種族が絶滅の憂き目に遭い、生き残った数種のみが星欧大陸北部、後にオルクセンと呼ばれることとなる地方に寄り集まるようにして種の生存を何とか保っている。
ただし、魔種族の中でも最も人間族に近い容姿を持ち、清楚にして美しい存在だと人間が見なしたエルフィンドのエルフ系種族だけは例外として迫害を免れている。
過去の歴史から、人間からの報復は確かに恐ろしい。
だが、オーク族が耕す土地から収穫できる実りが生存に足りない年は、意を決して奪いに行くしかない。
季節は、畑の作物が実りを蓄える夏を越えて訪れた秋の収穫期が終わり、星欧のどの村も冬備えに入る前。
秋晴れた空の下、村の周囲に広がる畑には無数の刈り
となれば、既に畑で収穫された麦や豆が叺かますや麻袋に詰められ、村内の食糧庫に保管されているはずである。
オークらはツーマンセル、スリーマンセルを組んで分かれ、素早く村内を探索。明らかな家屋は後回しとする。
居住用の家々から少し外れた場所に建てられた、隙間なく丁寧に組まれた石造りの大きな建屋などが怪しい。
高床式の木造の小屋などあれば、まず穀倉と見て間違いない。
そうして大量の食糧の保存に適した建屋に目星をつけると、オークたちは扉に棍棒を思い切り打ち付け、木製の頑丈な戸を錠前ごと打ち壊して押し入った。
石積みの蔵の中、室内にたっぷりと積まれた麻袋の端をオークの太い手指で摘まんで小さく破り取ると、中から乾いた麦粒が零れ落ちる。
その光景を目の当たりにし、オークらしい甲高い歓声が上がった。
「当たりだァ!」「麦じゃ麦じゃ! 大麦に小麦じゃ! 豆もあらぁ!」「麦粥にパンに、こんだけありゃあ……へへっ、ビールも醸せらぁ!」
気の早い者たちは略奪品で作る食物に想像を巡らせて口中に湧いてきた唾を呑み込んだり、手の甲で涎を拭う仕草をしている。
「ほれ、おめえらボサっとしてねぇでさっさと運ぶべ。まーた若にどやされっど!」
年長らしい牡が発破をかけるが、
「へぇ、わかってら。でもよう、へへっ」
注意された者も目の前にあるご馳走の材料には笑みを抑えられない。
そんな同郷の悪友の姿に、年長の牡の厚い唇から致し方なしというように溜息が一つ。
「わかったわかった。早う運べ」
「合点合点」
喜色満面、欣喜雀躍ならぬ豚躍の様相でオークたちはずっしりとした麻袋を軽々と担ぎ、次々に蔵の外へと運び出していった。
「えいさ! ほいさ!」
「えいさ! ほいさ!」
テンポ良く運び出される、麦に豆、熟成中の丸いチーズに、塩漬け豚肉の塊。この村の冬越しのための食糧である。
村民の抵抗を叩き潰したという合図を受け、馭者台に座るコボルトが馬の手綱を繰って荷馬車を村の入り口から押し込み強盗の現場へと寄せた。
「えいさ! ほいさ!」
「えいさ! ほいさ!」
蔵の外に積んでおいた穀類の袋からオークが手早く空の荷台へ載せていくが、雑な載せ方をするとたちまち馭者のコボルトが厳しく吠え叱って修正させた。
「荷は奥から詰めて積む! 重いもんは後ろに積む! 左右同じ重量になるよう積む! いつも言っとるじゃろ!」
オークの図体と比べれば小柄に過ぎるコボルトが、積み下ろし作業をするオークを叱り飛ばすという光景は、人間族などからすれば不思議なものに映っただろう。
しかし、荷役を担うオークは文句を言うこともなく修正指示に従って作業を黙々と続行した。
荷を積んだ馬車に不手際があれば、厳しい叱責を若殿から賜るのは馬車の責任者に任じられているコボルトたちだと知っているからだ。
コボルトというのは、星欧大陸の北海沿岸部に商業組合を祖とするフンザ同盟という自治都市群を築いた、犬の容姿を持つ魔種族である。
彼らは古来より商業・金融活動に優れ、北海沿岸部を拠点として、魔種族でありながら人間族諸国の商人とも交易を行っている。
その実績に目を付けた現在のオーク族の王の政策により、コボルト族のオルクセン領内の定住や投資への誘致が行われ、このようにオークと交流する、あるいはつるむコボルトもいた。
蔵の中身も随分乏しくなったが、全ては運び出さない。
種籾を――僅かな希望を残しておけば、人間たちは村を捨てて逃散するよりも、それに縋って再び同じ土地で耕作を続ける割合が多いと知っているからだ。
土地に人間と種籾があれば、いずれまた「収穫」できる。
目ぼしい食糧を積み終えると、オークたちは次なる目標へと邁進した。
柵で囲われた豚小屋や鶏小屋である。
「おっとっと、逃げるな逃げるな……よし捕まえたぁ!」
「コケコココ!」「プギプギプギ!」と見知らぬ巨大な豚の登場に驚いて逃げ回る鶏や仔豚を捕まえ、荷台後方に空けておいたスペースに載せていった。
飛んで逃げ出さないよう、鶏には民家からついでのように略奪した籐編みの籠や鍋釜なんかを被せて重石を載せておく。
被せるものが足りない分は、鶏を小脇に抱えていく。
「若様ァ! 大方分捕りやしたぁ!」
荷馬車一杯に略奪品を積み込み、集結を終えた手勢からの威勢の良い報告に、
「よぉし! 総員撤収!」
うつけの若殿は満足げに吠え、馬首を村の外、元来た道へと返した。
騎乗でずんずん進む主の背に、他のオークや荷馬車も粛々と続く。
突然の嵐が吹き荒れるが如く村中を荒らし回り、一陣の風の如く去っていく略奪者の集団を、野蛮なるオークの振るう暴力に散々痛めつけられた村民たちは恨めしそうに睨むしかなかった。
ものの30分にも満たぬ、素早い襲撃と略奪行為であった。
村民は村を統治する領主の元へ通報へ走る間もなく、また仮に通報できても領主の兵隊が到着する頃にはとっくのとうにオークたちの姿は影も形もなかっただろう。
★☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
略奪を成功裏に終わらせた帰り道。
「全体、止まれェ!」
中央に荷馬車、その前後を二列縦隊で挟む隊形で進むオークの一団で、先頭を務めていた槍持ちの牡が隊の後ろまで聞こえるよう声を張り上げた。
森を切り拓き、往来する者の足で踏み固められただけの草と土の道の行く手に、向かい来る集団の姿を認めたからだ。
一団の足が俄かに止まる。
オークたちは即座に得物を握り直し、荷馬車と馬上の主を薄く囲んで守る態勢となった。
目の良い者が、誰に聞かせるでもなく小さく誰何の言葉を呟いた。
「……近くの村のもんか」
向かってくる集団は、果たして同族のオークであった。
お互い気付いたのはほぼ同時だったが、その対応には随分と差があった。
近隣の村から棍棒やピッチフォークなどの農具を武器として携えてきたらしい二十頭ばかりの集団の方は、道の向こうで構える完全武装の一団に対してどうすべきか咄嗟の判断ができなかった。
足を止め、どうするどうすると相談する内に、距離を詰められていた。
「ぬしらぁ、略奪に行くとこか!?」
隊の先頭に就いていた、オークの中でも更に巨躯の若い牡が、手にした槍の石突を地面に突き刺す格好で叫んだ。
唇の端から突き立つ二本の大牙も見事な、剽悍な顔立ちの牡からの問いかけに、
「お、おう! そうだァ、こン先に人間の村があるで、襲いに行くとこだ!」
おっかなびっくりそう応じたのは棍棒を握る年かさの牡で、どうやら村衆の纏め役らしい。
「そんならやめといた方がええぞ。そこは今わしらが襲ってきたとこだわ。人間の領主も今頃兵を村に
「なっ、なんじゃと!?」
見知らぬオークから襲撃計画が破綻したことを忠告めいて教えられ、村衆に動揺が走った。
「襲った後ってことはロクに食いもんも……」「兵隊とやり合うんか……」
彼らは随分と長く空腹に苦しんでいるようで、オークらしい体躯も些かならず痩せている。
そして魔種族は長命にして少子であるが故、命を失うということへの忌避感が種族全体に強く備わっている。
人間族と比べれば屈強極まりないオーク族といえど、鋭い刃や矢玉で内臓や首、太い血管などの急所をひどく傷つけられれば死に至る。
そんな村衆の中で、誰かがぼそりと言った。
「……わしらが、先に狙っとったんじゃ。わしらのもんじゃ……」
そして、荷馬車に積まれた略奪品へ飢餓と欲望に満ちた目を向けた。
一頭、二頭、三頭と、村衆の暗い視線がどんどんと荷に集まっていき、嫉妬と羨望の唸り声が腹から這い出て来る。
――奪う。奪う。奪う!!
血走った目が。強く握り締めた武器が。前のめりになった姿勢が。全てがそう言っていた。
一瞬の内に膨れ上がった開戦の気配に巨躯の牡が槍を構え――
「……ふわぁ~あ、ねむ」
鞍に跨って事の推移を見下ろしていたうつけが、心底眠そうに大きな大きな欠伸をした。
今日は朝早くに出発したものだから、眠くて仕方がないというように。
荒事が勃発せんとする張り詰めた空気に似つかわしくない仕草に、村衆は一瞬呆気にとられ――
「面倒じゃの」
――睥睨と共に無造作に放たれた声に、恐怖した。
許容もなく、慈悲もなく。
ただ殺す。
皆殺す。
そんなことは容易いが、面倒だ――――そう理解させる静かな声音に、射竦められたように足が動かなくなった。
「じゃが、このまま押し通るのもつまらん」
そう言うと一転、うつけは少年らしい悪戯っけのある笑みを浮かべた。
「糧を得る機会をくれてやろう」目の前で槍を構えたままの巨躯の背を指差しながら告げる。「このバルクホルンと一騎打ちして勝つことができたなら、一つ馬車ごと荷をやろうぞ」
突然ぶら下げられた巨大な飴に、村衆は顔を見合わせてざわつく。
「……若様」
バルクホルンと呼ばれた牡は振り返ることなく村衆を見据えながら、呆れたように、窘める響きでもって主に抗議の意を表明した。
「そう怒るな。お前に匹敵する強い奴がおるかもしれん。そいつを見つけると思やぁ、安くつく」
全く、と溜息を一つ吐くとバルクホルンは槍を構え直し、大気をびりびりと震わせる大音声の名乗りを上げた。
「我こそはハインリヒ・フォン・バルクホルン!! 主命により一騎打ち所望いたす!! 我が槍と、誰ぞ
バルクホルンの大喝に村衆一同は気圧され、しかし、荷馬車一杯の食糧という賞品は命懸けで挑まずに済ませるには惜し過ぎる代物だった。
「おれっちがやってやらぁあ!」
ところどころ金属部が赤錆びたピッチフォークを天に向かって突き上げた体格の良い若い牡が応じ、オーク同士の一騎打ちが成立した。
互いの長物が振り回せる距離を開けて二頭の戦士を皆が円陣に囲い、戦いが始まった。
「おれぁ村一番の力持ちじゃ! どつかれて痛い目見ねぇ内に降参しやあ!」
「ほぉ、そりゃあ面白そうだわ。やってみやぁ!」
フォークと槍をお互いに突き付け合って間合いを測りながら、威嚇めいた舌戦を交える。
先に動いたのは、村の力自慢だった。
「ぜゃあぁッ!」
右肩に担ぐようにしたフォーク――その先割れた穂先部分を、槍使いのオークの脳天目掛けて思い切り振り下ろし、振り抜く。
大振りの一撃は機敏なバックステップであっさりと躱されて地面を強く叩いただけだったが、そこで止まらない。
鋭いフォークの切っ先を、後退した槍使いの太い腹を狙ってすくい上げるように素早く突き込んだ。
バルクホルンの着込んだ革鎧も、簡単な刃物の攻撃を防ぐ程度の防御力しかなく、鋭いフォークをオークの剛力で突っ込まれればたちまち突き破られてしまう物でしかない。
先ほどのバックステップで下がったところまでで、円陣の皆が武器を突き出して構えているからバルクホルンはもう後ろには下がれない。
「あんたにゃ恨みはねぇ!」
いっそ悲痛な喊声を伴う高速の刺突を、
「ええ突きだ!」
バルクホルンは両手で浅く立てるように構えた槍の柄をフォークの突起の間、根本までに押し込み、避けることなく受け止めた。
そして、どっしりと腰を落として太い両足でしっかりと大地を踏み締め、バルクホルンはなおも真っ直ぐに突進を続けようとする力自慢の足が地面を掻いて止まるまで一歩たりとも下がらず押し留めた。
フォークを突き込む牡の足が完全に止まった瞬間――
「だが甘ぇわ!」
気合と共に槍を縦に回し、瞬き一つの間にフォークを絡め取る。
必死に握り締めていたはずのフォークを魔法のように奪われ、込めていた力の行き先が空回った力自慢の牡は、顔面から勢いよく地面に突っ込むこととなった。
「痛! いたた……」
豚っ鼻を中心に走る顔面と上半身の痛みに呻きながら牡は身体を起こそうとしたが、その背目掛け、上から強かに槍の石突が打ち付けられ、地面に縫い留められるように再び突っ伏す。
「動くな」
バルクホルンの短い命令が牡に降ってくる。
――動けばどうなるかわかるな?
金属で覆われた石突の冷たさが、打ち据えられたばかりの牡の背中に重く突き刺さってくる。まるで突くべき心臓を探すかのように。
「……参った。参ったよ! おれの負けだ! 許してくれ、殺さないで!」
倒された牡の口から上がった降伏の宣言を以て決着した一騎打ちに、皆が歓声を以て勝者を祝した。
不思議なもので、代表者が敗北したことで食糧を得る機会をものにできなかった村衆でさえも興奮気味に声を上げていた。
強さとは、ひとを惹きつける。
そこには善悪の区別も、敵味方も何もない。
不意に、円陣の後ろからがたごとと地面に轍を作りながら荷馬車が一台近づいてくる。
「おうし、バルクホルン! ようやったようやった!」
破顔したうつけが、部下を賞賛する。その姿は馬車の荷台、略奪品の山の上に立っていた。
そして、
「ほれ、持ってけ」
そんな気安い言葉と共に、一騎打ちに敗れて上半身をやっとこさ起こしたばかりの牡へ麦袋を放り投げた。
いきなり放られた袋をおっかなびっくり受け止め、麦の袋とうつけを交互に見ながら村の力自慢は問うた。
「……え、ええんか?」
――敗北した以上、何も勝ち得ないはずなのに。
「ま、参加賞っちゅうとこだの」
しし、と歯を剥いて笑って答えたうつけは足元、荷台に積んである麦の袋、豆の袋を円陣を作っていた村衆へとひょいひょいと投げ渡していく。
「ほれ、ほれ、ほれっ。落とすんじゃなゃーぞ」
「これで……これで、カカァと倅にようけぇ食わせてやれる」「あっ、ありがてぇありがてぇ……!」
略奪品が分配される度、言葉にならない歓喜が場に溢れた。
この時、食糧を何らかの手段で得ることができなければ、遠からず彼らは異種族を、そして禁忌たる同種族をも悲嘆の果てに喰らうこととなっただろう。
自らを苛み衝き動かす飢餓に心まで支配されて。
自分たちが頑張って分捕ってきた品々が目の前でほいほいと分配され、見知らぬ連中の胃袋に収まるだろうことについては、うつけの悪友や郎党たちは最早慣れっこだというようにそれぞれ肩をすくめたり、呆れるように溜息を漏らしたりしていたが。
――故にこそ、我らが主は戴くべきうつけの若殿なのだ。
一しきり村衆の手に食糧が行き渡ったところで、うつけは胸を張って太い声で宣言する。
「手付けじゃ。まぁっとでっかいヤマやる時ゃあ声かけたるに、そん時ゃお前らも一緒に来い!」
何とも強引極まる略奪行の誘い文句に、しかし、村衆は一頭、また一頭と我知らず膝をつき、陽光を背に受けて荷台に立つ若い牡を眩しそうに見上げた。
堪らぬといった風に、村衆の年かさの牡がおずおずと訊ねた。
「あ、あのぅ……あんた、じゃのうて! あなたさまのお名前はァ、なんと仰るんで……?」
問われ、その牡は楽しそうに笑って応えた。
「アルブレヒト! ヴィルトシュヴァインのアルブレヒトよ!」
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随分と荷を減らした荷台の中で、残った麦袋を枕に仰向けに寝転び、馬車の前進に揺られながらアルブレヒトはまだ日も高く青い空を、遥かな天を睨んでいた。
己の乗ってきた馬はバルクホルンが手綱を取って前方で警戒の任に就いている。
うつけは――――アルブレヒトは再び激怒した。
彼の名が歴史の壁に刻まれ始まる時期、彼を衝き動かしていたのは尽きせぬ怒りだった。
世界は――なぜこんなにも貧しいのか、と。
己を生まれてから死ぬまで取り巻く世界というものには、オークに、人間に、他の誰にも食い尽くせぬほどに豊穣であってほしかった。
――まずは食を。次いで職を。
食と職、この二つがなければ誰も貧困から脱け出すことなどできやしない。
アルブレヒトはオーク族の有力貴族に生まれ、衣、食、住、どれをとっても不自由したことはなかった。
各地で飢饉が起きた時も、彼の一家はなんとか飢えたことはなかった。
それは、自分が貴族の家系に偶然生まれ落ちたからである。
自身に何の努力も犠牲も課すことなく生活を満たされてきた。
大昔にご先祖の何某さまが当時の王に従い、戦場で他の戦士より多く敵を平らげた。ただそのことを発端として所領を賜り、貴族に成り上がった。
無論、アルブレヒトの父も祖父も曾祖父も、戦士、あるいは騎士としてある時は戦い、ある時は奪い、ある時は死に――領民から食を享くための義務を果たしてきた。
自分もいずれ戦場に立ち、領地を侵す異種族や同族との殺し合いの巷に飛び込んでいくのだろうと思う。
たとえ。
しかし。
それでも。
――己は大多数の他者よりも恵まれるに値するのか。
その自問が解消される瞬間は、どれほど考え、苦悩しようとも訪れなかった。
多くのオーク族は粗末で僅かな食べ物を家族で分け合い、なんとか必死に生きている。
それでも、ひとたび天候不順や戦禍で食糧生産が壊滅すれば、同じ村の中で、同じ家の中で、見知った相手と喰らい合わねばならない。
そして、極限の葛藤と共にした選択を、魔種族のいつ果てるともわからぬ長い長い一生の間、自らの腹に抱え続けて、苦しみ続けるのだ。
仕方がない?
どうしようもない?
それが我らオークの宿業?
糞喰らえ。
糞喰らえ。
――そんなもの糞喰らえ、だ。
アルブレヒトは激怒した。
必ず、野蛮なオークの国の貧困と飢餓を滅ぼさねばならぬと決意した。
アルブレヒトには政治がわからぬ。
アルブレヒトは、領主のせがれである。
詩歌観劇を愛し、悪友どもと遊んで暮らしてきた。
けれども空腹に対しては、ひと一倍に敏感であった。
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「オルクセンを最も豊かにした者は誰か?」
この問いかけには、「グスタフ・ファルケンハイン王だ」という声がオルクセン国内外から数多く挙がる。
全国的な農業改革を行って食糧生産を増大させ、製鉄業を始めとした国内重工業を興し、諸国との外交を確立して貿易を活発にし――
――かように、オルクセン国王、グスタフ・ファルケンハインの指導者として成した功績は枚挙に暇がない。
「ではオルクセンを最も強くした者は誰か?」
この問いかけにも、「グスタフ王だろう」という声は多い。
かつて西の隣国グロワールに攻め込まれるも、果敢に軍を率いて押し返して逆侵攻、当時の星欧大陸中を巻き込んだデュートネ戦争での勝利を決定づけた。
今また、エルフィンド――120年の昔、ロザリンド会戦でオークの軍勢を完膚なきまでに破ったエルフたちの国――へ、富国強兵を経て再び軍を進めて遂にはこれを打ち倒し、復仇を果たさんとしているのだ。
だが、グスタフ以外のオークの名が、確かに唱えられる。
『アルブレヒト二世』、と。
そう唱える声の多くは、老い、病み、衰え、しわがれている。
声の主は、120年前のロザリンド会戦よりも前に成獣し、魔種族の長命を生き抜いてきた、古い古いオークとコボルトたちである。
グスタフが導いたオルクセンの比類なき繁栄を見届けてなお、彼ら、彼女らは年寄りらしく頑固に、また過ぎ去りし思い出を懐かしむように先王の御名を口にする。
群雄割拠するオルクセンの諸邦諸侯を
同胞より、敬愛を込めて――
『アルブレヒト、マインケーニヒ』
★☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
グスタフ・ファルケンハインより遡ること一代、先のオルクセン国王、アルブレヒト二世の最期には諸説ある。
ロザリンド会戦の最中、エルフの築いた胸壁を乗り越えんと、
あるいは、乱戦の中に消えたのは影武者であり、ロザリンド渓谷を脱して敗走する中、追撃してきたエルフの近衛重騎兵軍団と切り結んで斃れたとも。
他にも説はあるが、ロザリンド会戦での先王の姿を目撃し、生き延びたオークというのはごく僅かであり、戦中、戦後の混乱を経て彼らの記憶と口から語られた情報で何がどこまで真実であったか……これを判断するのは、今となっては非常に難しい。
けれど。
いずれの説でも、先王アルブレヒト二世はロザリンド会戦において敗れ、死に――出征した数多くの将兵たちと同じく故国に生きて還らなかったことは共通している。
《終》