オルクセン陸軍省の名簿係   作:タリアテッレ

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中編

 仮称ダークエルフ旅団の名簿のチェックにはとんでもない手間がかかる、ということにホフマンたちが気づいた頃、似たような問題は陸軍省人事部のいろいろな部署で同時多発的に発生していた。そうして、ダークエルフの氏名問題はあっという間に人事部内に広がっていった。当然ながら、名簿や書類の確認作業は部署を跨いで発生した。

 「おい、見てくれ。ここなんだが、”Farochrien(ファロホリーン)” じゃなくて ”Farothrien(ファロトリーン)” じゃないか? ”th(テーハー)”と”ch(ツェーハー)”を間違えてるぞ」

 「ちょっと待て、”Dineruth(ディネルート)”のu(ウー)にはアクセントがつくんじゃなかったか? 原本を確認してみろ。……ほらな、言った通りだろう」

 「すみません少佐、確認させてください、この”Echuírdis(エフィルディス)”なんですが、i(イー)にアクセントがつくのは最初の方で合ってますか? ……え、二番目の方ですか? では、これは間違ってるということですね?」

 このような会話は、人事部のあちこちから聞こえてきた。

 

 混乱を招いたこれらの問題を、あえて原因ごとに分類するのであれば、三つの問題に大別することができた。すなわち、①スペルの問題、②文字の問題、そして③いわゆる『姓名問題』である。

 

 一つ目の「スペルの問題」とは、要は見慣れない氏名に起因するスペルミスである。要因が単純なだけに、最も頻度が高かったのがこのスペルによる問題であった。

 例えば、最初期にホフマンが見つけた、語頭の“Ia-”と“Ja-”を見間違えたものや、“th”と“ch”を間違えたものなど、低地オルク語では珍しいスペルを「見慣れた」スペルと間違える、というパターンが多かった。

 または、担当者がダークエルフの書き癖に慣れていなかったり、名簿の書き方が曖昧だったりして、単純に読み間違えてしまう場合もあった。たいていは原本と付き合わせた時に判明するのだが、原本が不明瞭だと判別がつかない場合もあり、ホフマンのような「慣れた」者に判断を仰ぎにくる担当者は後を絶たなかった。

 「ホフマン少佐、ちょっとよろしいですか?」

 「また君か。どうしたんだ、早く見せてみろ。……うん、うん、この辺は大丈夫だな。……ここは“m”じゃなくて“nn”じゃないか? あと、ここは”g”じゃなくて”y”だな。……そんなところだ。大丈夫だろう」

 「ありがとうございます、少佐」

 「少佐、すみません。お手すきの時でよいので、こちらの方も……」

 「『お手すき』の時を待ってたら日が沈んでしまうぞ? いいから、今見るから、寄こしなさい。……うん、うん、……うん? ちょっと待ってくれ。これは……、直し甲斐がありそうだな。すまんがちょっと時間がかかる。昼休憩が終わったころに取りに来なさい」

 「はっ、感謝します! 少佐」

 ホフマンのデスクの周りには確認に訪れる各部署の担当者の姿が絶えず、連日このような調子であった。

 

 混乱の種になったのはスペルだけではない。二番目に挙げた「文字の問題」のように、ダークエルフの言語で使われる文字そのものが騒ぎを生んだ例もあった。

 古代アールヴ語と低地オルク語との差異でわかりやすいものの一つに、母音に付くアクセントがある。ダークエルフ族の名前では、しばしば i、u、o の文字にアクセントが付いて í、ú、ó となる場合があった。代表的な例を挙げるとすれば、旅団長アンダリエル少将の名、Dinerúth(ディネルース)がそうだ。

 また、さらに頻度は少ないが、語尾の e にトレマが付いて ë となる例もあった。山岳猟兵連隊長のリンディール中佐の名、Elenwë(エレンウェ)がそれにあたる。このようなアクセントやトレマの記号は、低地オルク語にはないものだった。

 これらの記号つき文字に慣れていない陸軍省の担当者たちは、しばしばアクセントやトレマをつけ忘れる、または不必要なところにつけてしまうというミスをやらかしていた。特に頻度が高かったのが í(アクセント付きの i )の文字だった。

 「また í のアクセントが抜けてる! これで何度目だ?」

 別部署の担当者から受け取った名簿をチェックしながらホフマンがぼやいていると、隣を通りかかったコボルド族の大尉が困り顔で話しかけてきた。

 「少佐、そうは言っても、手書きだと上の点がアクセントか普通の点かわからない時があるんですよ」

 確かに、手書き原本のクオリティはそれを作成したダークエルフの書き癖に左右されることがあった。普通の点とアクセントを明確に書き分けてくれているものもあれば、極端な場合だと i の上の点が全部アクセントに見えてしまうようなものもあったのだ。

 「そういう時はスペルを見るんだ。いいか、例えば、名前の終わりが ”〜dís” とか “〜gíl” の時は基本的にアクセントがつくんだ。そうやって見分けていけばアクセントを落とさなくなるぞ」

 「そんなことができるのはダークエルフかホフマン少佐くらいしかいないですって……」

 ホフマンがいくつかの名前を指差しながらそう言うと、コボルドの大尉はその大きな耳を垂らして苦笑した。

 「そうか? そんなことはないだろう。 ……いや、ひょっとしたら、あるかもしれんな」

 最初は一笑に付したホフマンだったが、ふと何かに気づいた表情になり、考え込んだ。それを見て、傍らの大尉がぴょこりと大きな耳を跳ねさせる。

 「というと?」

 「いや、彼女(ダークエルフ)たちは、多少雑に書いたとしてもスペルである程度判別できるんだろうと思ったのさ。ほら、こういう名簿が届いているのが、その証拠なんじゃないか?」

 ホフマンはそう言うと、何枚かの手書きの原本を掲げて見せた。最近届いた手書き名簿の中にはほとんど殴り書きのようになっているものも含まれており、編成作業に追われる旅団幕僚陣の多忙さを伺わせていた。

 ホフマンの言葉を聞いて、コボルド族の大尉が目を丸くする。

 「……なるほど。じゃあ、彼女たちにとってはこれでも問題ないと」

 「その可能性はある、としか言えないがな。うーん、ちょっと申し訳ないが、彼女たちにも書き方を気にしてもらった方がいいかもしれんな。こっちの作業効率に関わる」

 ホフマン達がこんな会話をした数日後、陸軍省人事部から公式に相談を受けた仮称ダークエルフ旅団の司令部は、編成に関わる人員に対して『陸軍省に提出する名簿は()()()記入すること。特にアクセントは()()()()()()()()()()()記入すること』という通達を出した。その通達があってからというもの、スペルや文字に起因する問題は目に見えて数が減った。

 

 前述した二つと比べれば頻度は落ちるが、間違えたときの訂正が大変だったのが三番目の『姓名問題』だ。これは、端的に言えば『どちらが名前でどちらが名字かわからない』というものだ。

 ダークエルフの氏名の順番は、低地オルク語圏の氏名と同様、名が先で姓が後という順だった。しかし、ホフマンが聞いたところによると、『家』の文化を持たないダークエルフ族は、低地オルク語圏と同じような『姓』を持っていなかった。いわば二つの名を重ねたような名づけ方をしていたのだ。

 そのため、低地オルク語話者からしたら名前にしか見えない名字があったり、誰かの名前と誰かの名字がよく似ていることがあったり、そもそも見慣れないスペルゆえに姓と名の見分けがつかなかったりして、混乱の種となっていた。

 ただし、この『姓名問題』は、ダークエルフの氏名だけではなく、オルクセン陸軍のシステムに起因する部分もあった。たいていの名簿や書類は「名→姓」の順で書けばよかったのだが、いくつかの部署では「姓→名」の順で書く必要があったのだ。それが混乱に拍車をかけた部分も、少なからずあった。

 ある日、ホフマンが人事部と同じフロアにある陸軍管理局の前を通りかかった時のことだ。経理部のあたりから、こんな会話が聞こえてきたことがあった。

 「大尉、悪いがちょっと教えてくれないか。この “Iavasril(イアファスリル) Ainalind(アイナリント)“ は、どっちが名前でどっちが名字なんだ? ……Ainalind の方が名前? そうか、ありがとう。 ……なに、違う? どっちなんだ、はっきりしてくれよ。 ……Ainalind の方が名字なんだな? こっちが名字でいいんだな? わかった。助かったよ」

 ホフマンのように慣れた者は、「短い方が名で、長い方が姓」という大雑把な括りで判別できるようになっていた。ただし、この “Iavasril(イアヴァスリル) Ainalind(アイナリンド)“ のように姓と名が同じ長さだったり、名が姓より長かったりする場合には、やはりこの問題に直面することになった。

 また、これに付随する問題としては、見慣れないスペルゆえに名と姓の取り違えが発生した時、すぐに気づけないというものもあった。他部署からの応援要員など、名簿作りに慣れていない者は特にこのミスをしがちな傾向にあった。

 別のある日、ホフマンが隣の課を訪ねにいった時のことだ。同期の少佐が、新たに入ってきた部下とこんな会話をしていた。

 「調子はどうだ、中尉。うちの課の雰囲気にはもう慣れたかな? ……そうか、それは良かった。ところで、最初に頼んだ名簿はどうなってる? ……そうそう、第三中隊のやつだ。見せてもらっていいか? ありがとう。……んん? ちょっと待ってくれ……。なんてこった! 名字と名前が全部逆だ! 中尉、転属早々で悪いんだが、これでは駄目だ。名字と名前を入れ替えて、全部書き直してくれ」

 この話は極端な例だが、この手のエピソードは名簿作成作業の初期にちらほら聞かれたものだ。今となっては、ホフマンと同期の定番の笑い話の一つになっている。

 

 

   * * *

 

 

 旅団司令部が『名簿を丁寧に書くように』との通達を出した後、スペル等に関するホフマンへの問い合わせは減少するかと思われた。しかし、彼の予想に反して、他部署からの問い合わせは数が増え続けていた。

 「失礼します! フェリックス・ホフマン少佐はご在室でしょうか?」

 「ホフマンは私ですが。どちら様ですか」

 「ああ、どうも。初めまして、私は陸軍管理局被服部のレーガー少佐です」

 「被服部!? それはまたご苦労様です。要件はなんでしょう」

 「では手短に。仮称ダークエルフ旅団騎兵連隊の軍服に入れる氏名の刺繍についてなのですが、その一部のスペルチェックをお願いしたく」

 「ええと、その、なぜ私に? 陸軍管理局なら、宿舎部とか、経理部も旅団の名簿を扱っているでしょう」

 「はい、宿舎部のランゲ少佐にも一度確認したのですが、『人事部のホフマン少佐なら間違いないからそちらへ問い合わせるように』と言われまして」

 それを聞いたホフマンは、苦虫を噛み潰したような表情になった。

 このような調子で、人事部内からの問い合わせが落ち着いた代わりに、陸軍管理局など、人事部の外の部局から問い合わせが入ってくるようになったのだ。被服部の他にも、経理部の担当者が『ダークエルフの給与支払いに使う賃金台帳に間違いがないか確認して欲しい』という話を持ってきたこともあったし、変わったところでは、ヴァルダーベルクを管轄する行政機関が陸軍省に対して送ってきた質問状が、なぜかホフマンのところまで回ってきたことまであった。

 陸軍省外からも問い合わせが飛んでくるような状況では、とても自分の仕事に手が回るわけがなかった。気づけば、陸軍省庁舎の裏手に店を出している屋台の焼き(ブラート)ヴルストを夜食にして作業を続けるという日々が常態化するようになっていた。

 「……これはまずいな」

 このままでは、いつ限界が来てもおかしくない。すっかり冷めてしまったヴルストをパンと一緒に頬張りながら、ホフマンはそんなことを考えていた。一計を案じたホフマンは、引き出しからまっさらな羊皮紙を一枚取り出すと、それに何かを書き始めた。

 

 「課長。お話があります」

 数日後、課長が出勤すると同時にデスクの前にホフマンが現れ、彼の上司であるオーク族の大佐はぎょっとした。

 「おはようホフマン君。どうしたんだい急に」

 「単刀直入に申し上げます。ダークエルフ氏名の確認作業についてなのですが、現状のやり方だとあまりにも非効率です。なので、氏名の一覧表を印刷して、それを各部署で回覧することを提案します」

 ホフマンが考えたのは、「活字なら見間違えようがないだろう」ということだった。謄写版(いわゆるガリ版)を使ってダークエルフが書いた原本を複製することも考えたのだが、手書き原本からの読み取りの時点で読み間違いが多発していることを考えると、この方法は使えなかった。その点、活字なら読みやすさは比べものにならない。読み間違いを防止するためには、まさにうってつけだといえた。

 それに、活版印刷は書類の複製に強大な力を発揮した。手書きの複製では至る所にミスが入り込む余地があるが、活版印刷なら版に間違いがない限り完璧な書類をいくらでも複製できる。手書きに比べれば当然コストはかさむが、活版印刷こそがこの事態を打破するための最善策だと考えたのだ。

 ちなみに、遠く海を隔てた新大陸では、センチュリースターの実業家が発明した『タイプライター』なるものが普及し始め、個々人の書類作成や清書等に使われるようになっていた。しかし、オルクセン陸軍では参謀本部の限られた部署で導入が検討され始めたばかりで、陸軍省の職員たちがこの種の機械の恩恵にあずかるようになったのは、もうしばらく後のことだった。

 「今後は印刷した名簿を『原本』として扱い、他部署にもそれに倣ってもらいます。それと、今しばらくはこの作業に集中したいので、印刷が済むまでは他部署からの問い合わせの回答はペースを落としたいと考えてますが、構いませんね?」

 一気にまくしたてたホフマンに対して、課長は両の手のひらを前に向ける仕草を見せた。

 「わかった、わかった。ちょっと落ち着きなさい。なるほど、印刷ねえ。確かにそれができれば便利だけど、その経費はどこから引っ張ってくるの? うちの課の予算はそんなに余裕ないよ?」

 「仮称ダークエルフ旅団編成のための臨時予算があります。割合は大きくないですが、予備費の項目があったはずです。なんとかそこにねじ込めませんかね」

 課長は唸ってしまった。旅団編成のための予算は、臨時軍事会計から捻出されていた。陸軍省主導の計画であるがゆえに、一定額を超える予算の使用には陸軍大臣の認可が必要であった。

 「臨時予算かぁ。うーん、悪くないと思うけど、僕には何とも言えないなあ。とりあえず稟議書を書いてみてよ。それを見てから……」

 「稟議書なら作成してあります。こちらに」

 課長の言葉を聞き終わる前に、ホフマンは課長の前に一枚の羊皮紙を突き出していた。

 「それと、印刷会社から見積りも取ってあります。旅団の編制が進むごとに印刷が必要になると思いますので、今回は十回に分割する想定で見積書を作成してもらいました。もちろん概算ですので、実際に印刷するときには見積りを取り直すことになりますが」

 矢継ぎ早に、ホフマンは印刷会社の見積書も課長のデスクの上に置いた。二枚の書類を見て、課長はあんぐりと口を開ける。

 「……。まったく、ホフマン君には叶わないねえ」

 しばらくの沈黙ののち、課長はため息とともにそんな言葉を吐き出した。

 「お願いします。他部署からの問い合わせが増えすぎて、今のままでは課の業務が回らなくなります。なんとしてもこの予算は通す必要があるんです」

 この課長は普段は首を斜めに振りがちだったのだが、ホフマンの嘆願には首肯せざるを得なかった。

 「わかった。この稟議書と見積書は部長に提出しておくよ。それはそうとホフマン君、始業時間まではまだあるから、少し寝てきたらどうだい? 君、ひどい顔をしているよ」

  

 陸軍大臣ボーニン大将の認可が下りるのを待つ間、ホフマンと彼の部下は印刷用原稿の作成を進めていた。これまでに培った経験のおかげか、一週間と少しが経つ頃には、現時点で編成が終わっている分の名簿の原稿が出来上がってきていた。

 「ホフマン少佐。山砲大隊の名簿原稿が完成しました」

 コボルド族の大尉から原稿を受け取ると、ホフマンは満足げに頷いた。

 「ありがとう。こちらも騎兵第三連隊の原稿がもうすぐ終わるところだ」

 ホフマンが部下とそんな会話をしていると、離席していた課長が戻ってきた。

 「ホフマン君、良いニュースだ。例の稟議が下りたよ」

 課長はそう言いながら一枚の羊皮紙をホフマンに手渡した。それに素早く目を通したホフマンは、ぱっと顔が明るくなった。

 「ありがとうございます! よし、これで取りかかれるな」

 原稿の作成を終えたホフマン達は、早速それを首都ヴィルトシュヴァインに本社を置く老舗の印刷会社に持ち込んだ。この印刷会社は、オルクセン陸軍が毎年発行している全軍の士官名簿の印刷を担当しているところで、いわば馴染みの取引先だった。印刷の依頼を済ませたホフマンは、これで名簿作成と確認の作業がだいぶ楽になるぞ、と胸を撫で下ろした。

 しかし、これで一件落着、というわけにはいかなかった。なぜなら、印刷会社もダークエルフの氏名に頻出するアクセントやトレマに悩まされることになったからである。

 

 ホフマン達が印刷を依頼した印刷会社には、通常の活字のほかに、特殊文字の活字も一定数の用意があった。しかし、ダークエルフの名簿にアクセント付き母音やトレマ付き母音が出現する頻度は、通常の低地オルク語の文章に外国語由来の特殊文字が混じる頻度を上回っていたのだ。その結果、ダークエルフ氏名一覧を印刷する際に、これらの活字が足りなくなる事態が発生した。

 「ホフマン少佐、一点お伝えしたいことがございます。実は組版の途中で一部の活字が不足してしまいまして、校正刷りでは一部の活字を代替して刷っております」

 校正刷りの確認のために印刷工場に出向いた際、印刷会社の工場長からそのような説明を受けて、ホフマンは眉をひそめた。手渡された校正刷りを見ると、確かに途中のページからアクセント付き活字のフォントが変わっていた。それどころか、最後の数ページはすべてがアクセントなしの活字に置き換わっており、印刷した上からペンでアクセントを書き込んであった。

 「なんと。しかし、やむを得ないですな。今の段階では問題ありません。この原稿で校正を行いますので。ただ、足りない分の活字はどうするのですか? 印刷開始までに間に合いますか?」

 ホフマンがそう聞くと、工場長は重々しく頷いた。

 「最善を尽くします。いま、近隣の印刷会社に活字の融通を依頼しているところです。また、今後を見越して新たな活字の発注もかけています。同業者がどの程度貸し出しに応じてくれるか次第なのですが、現状では納期に間に合う想定でおります」

 工場長の言葉を聞き、ホフマンは頷き返した。

 「わかりました。よいでしょう。では、校正の締め切りを決めましょうか。いつがよろしいですか?」

 「二週間後ではいかがでしょう。それまでには活字の数もそろうと思いますので」

 「大丈夫です。では二週間後に」

 

 校正刷りを受け取った帰り道、馬車に揺られていると、ホフマンの向かいに座ったコボルド族の大尉が不意に話しかけてきた。

 「庁舎に戻ったら、校正刷りの確認作業ですね。ここを乗り切ったら、少しは楽になるといいんですが……」

 それを聞いたホフマンはかぶりを振った。

 「いや、こいつの確認は我々ではやらんぞ?」

 「はっ? ではどうするのですか?」

 目を見開いた部下につられて、ホフマンの方も目をぱちくりさせた。

 「言ってなかったか? これの確認は仮称ダークエルフ旅団にお願いするのさ。事前に連絡は済ませてある。『靴屋は靴型にこだわれ』だ、彼女たち自身にやってもらった方が間違いがないだろう?」

 陸軍省の庁舎に到着するや否や、ホフマンは校正刷りを梱包して、ヴァルダーベルクの旅団司令部向けに発送した。郵便馬車によって旅団衛戍地に届けられたこの校正刷りは、すぐさま各連隊や大隊の指揮官に振り分けられ、編成が済んでいる中隊、小隊へと配布された。

 名簿の確認を行ったのは、主に小隊長レベルの士官達だった。部隊によっては兵員一人一人が自分の名前をチェックした場合もあった。確認済みの校正刷りは中隊、大隊というレベルで集約され、最終的に旅団司令部が取りまとめて陸軍省へと返送された。

 赤が入った校正刷りを受け取ったホフマンは、人事部内でも軽く確認作業を行った後、それを印刷会社に持ち込んだ。校正刷りを最初に受け取ってから、ぴったり二週間後のことであった。そこからさらに追加の修正が発生したものの、この『ダークエルフ氏名一覧 第一号』は、おおむね予定通りに印刷されることになった。

 

 

   * * *

 

 

 「みんな! 届いたぞ!」

 満面の笑みで印刷会社から届いた茶色の小包を持ってきたホフマンは、自分のデスクにそれをおくと、課員が自席の周りに集まってくる中で包みを縛っていた紐を解き、包装紙を広げた。

 包みの中から出てきたのは、五◯冊ほどの『氏名一覧』の冊子だった。紙に穴を開けて紐で綴じただけの簡素な装丁で、一ページに二列二〇行、計四〇人分の氏名が、およそ四〇ページに渡って印刷されている。『氏名一覧』の第一号には、騎兵連隊や山岳猟兵連隊、山砲大隊のような、旅団の中核を担う部隊の兵士たちや、先に指揮官だけが決まっている部隊の士官たちなど、現時点で配属済みである約一五〇〇名分の将校、士官、兵士の氏名が載っていた。

 「おお、これはわかりやすいですね!」

 ページを捲っていたコボルド族の大尉が、大きく尻尾を振り回しながら言う。隣に立っていたオーク族の大尉も、満足そうな笑みを浮かべていた。

 「本当ですね。なんで最初からこれをやらなかったんでしょう」

 部下達の言葉を聞いて、ホフマンは苦笑した。

 「まあ、確かに私も、もっと早くにこれをやっていれば、とは思ったがな。まあ、『何事も実際にやってみないとわからない』ということなんじゃないか?」

 確かに、と部下達が頷く。ホフマンは手に持っていた名簿を閉じると、課員を見渡して声をかけた。

 「よし、とっとと検収をあげてしまおう。そしたら、みんなで手分けして各部署に配るぞ。いいな?」

 

 この『印刷した原本』とでも言うべきダークエルフの氏名一覧が陸軍省の各部署に行き渡るに従って、部署間の調整や確認作業は急速に数を減らしていった。旅団の編成から名簿の印刷までにタイムラグが開いてしまうという問題はあったものの、確認の負担が減り、後々の手戻りも少なくなるということで、各部署からは歓迎する声が聞こえてきた。

 ホフマン達の仕事内容も若干変化した。仮称ダークエルフ旅団から新たに配属された人員の手書き名簿が送られてくると、まず印刷用の原稿を作成し、それが一定数溜まったら印刷会社に依頼して冊子にしてもらう、という流れが出来上がったのだ。

 一度流れが出来てしまえば、あとはもう順調だった。こうしてホフマン達も、余計な確認作業から解放されて、各々の本業に腰を据えて取り組むことができるようになった。

 

 この頃、名簿作成作業の裏で、彼らの『もう一つの本業』とでも言うべき作業が佳境を迎えようとしていた。

 任官のための書類、『士官任命状』の作成である。

 

 (続く)

 




※注:陸軍省職員のセリフの中で、ダークエルフ人名のルビが微妙に違っているものがありますが、これはミスではなく低地オルク語読み(ドイツ語読み)です。ダークエルフとの付き合いが薄い彼らは、ダークエルフの氏名を見たときに低地オルク語の発音で読むだろうという想定で、このようなルビにしています。
※「靴屋は靴型にこだわれ (Schuster, bleib bei deinem Leisten.)」:低地オルク語のことわざで、日本語で言う「餅は餅屋」の意。
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