オルクセン陸軍省の名簿係   作:タリアテッレ

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後編(その1)

 オルクセン陸軍においては、少尉以上の任官は『士官任命状(オフィツィーアスパテント)』という書状によって行われていた。仮称ダークエルフ旅団の編成にあたって、ホフマン達も士官任命状の作成を行うことになったのだが、その作業の初めは、実は三月初頭までさかのぼる。

 

 旅団の編成作業が始まり、ダークエルフ族の名簿のチェックにはとんでもない手間がかかる、と陸軍省の面々が気づき始めた頃。仮称ダークエルフ旅団の幹部を務める予定の人員に対し、士官任命状を交付することが急遽決まった。旅団の編成にあたり、編成作業の中核を担う連隊長や大隊長クラスの士官については、先んじて任官しておく必要がある、との判断からだ。

 部隊の編成というのは、人員の名簿を作成して陸軍省に提出すれば終わり、というものではない。なぜなら、旅団の大多数を占める兵士たちの人事権は、陸軍省や国王ではなく、各連隊の指揮官や旅団長が持っていたからだ。

 なので、兵士たちの入隊をスムーズに行うためにも、旅団長や連隊長の任官が最優先とされ、次いで、旅団長を補佐する役割の旅団司令部つき参謀士官も優先して任官されることになった。

 

 名簿の作業の合間を縫って約十名分の士官任命状を作成しながら、ホフマンは課長にこんな相談を持ちかけていた。

 「任命状の交付の前に、彼女たち自身にも書面のチェックをしてもらいましょう」

 いくらホフマンといえど、三月初めの時点では、彼女たちの名前のスペルが合っているのか確たる自信を持てていなかった。そして、士官任命状は国王の名の下に発行される書状だ。そのような書状に間違いが残ったまま発行してしまう事態は、ホフマンとしては避けておきたかったのだ。

 旅団の任官作業も初めて尽くしの中だったため、これに関しては課長も素直に首を縦に振ってくれた。果たして、士官任命状の交付前に事前確認の会が設けられることになった。

 三月初頭は、ちょうど亡命してきたダークエルフ族が、北から首都近郊のヴァルダーベルクの地へとやってきた頃である。首都へ到着したばかりのダークエルフたちに対して、被服部が制服を支給する機会があるというので、人事部による書状の事前確認と交付式も同じ日程に設定されることになった。

 

 「よし、行こうか」

 「はい、少佐」

 その日の昼過ぎ。作成した士官任命状を革製の書類鞄に入れたホフマンは、鞄の留め金を閉めるとコボルト族の部下に声をかけた。万が一名前に間違いがあった場合にはこの達筆な部下がその場で書き直せるように、部下には訂正用のナイフとペン、インク壷、さらに予備として白紙の任命状を入れた鞄を持たせていた。士官任命状は上質な羊皮紙で作られていたため、万が一書き損じてもナイフで削れば訂正が可能だった。

 事前確認会の会場に設定された会議室の前へやってくると、会議室にはすでにダークエルフたちが集まっていたようで、室内からは談笑する賑やかな声が聞こえてくる。

 男所帯の陸軍省で、こんなに多くのご婦人の声が響くのは珍しいな。そんなことを考えながら、ホフマンは会議室のドアをノックした。

 ドアを開けると、途端におしゃべりはぴたりと止む。ホフマンたちが入室すると、会議室にはホフマンと部下の足音だけが響いた。

 会議室の前の方の机に鞄を置いて室内を見渡すと、各々の席に座ったダークエルフたちが、こちらをじっと見つめているのが見えた。

 ーーーなるほど、これがダークエルフ族か。

 ホフマンが間近でダークエルフ族を見るのは、この時が初めてであった。

 闇エルフの名前に相応しい茶褐色の肌に、顔の両側に突き出た尖耳が目を引く。姿形は人間族にもよく似ているが、背丈は人間族の平均よりも高く、オーク族よりは少し低いくらい。全体的にすらりとした細身の体躯は、浅黒い肌の色と相まって、細長い木の枝のような印象をホフマンに与えた。

 今日集まったダークエルフたちの何人かは、午前中に支給されたばかりと思しき、ぴかぴかの黒い軍服を身にまとっていた。しかし、残りの数人は私服姿だった。どうやら被服部の方も、軍服の調達には苦労しているようだ。

 書類鞄の蓋を開き、人数分の書状を取り出す。任命状を机の上に置いてから前を向くと、異種族数名分の視線が自身に向けられている今の状況を意識して、ホフマンは少々居心地の悪い気分になった。

 しかし、すぐに考えを改める。異種族(がいこくじん)に囲まれながら一人で話さなければいけない状況など、過去に何度も経験してきたことだ。それに、今回はキャメロット語など(人間族の言葉)ではなく、母国語の低地オルク語で話せばよいのだから、なにも難しいことはないはずだ。

 口には出さずにダークエルフの人数を数え、予定の人数と一致していることを確認してから、ホフマンは口を開いた。

 「皆さんお揃いですね。初めまして。私は、オルクセン陸軍省人事部補任課のホフマン少佐といいます」

 ホフマンが言葉を切ると、再び静寂が会議室を支配する。ホフマンは言葉をつづけた。

 「既に連絡は受けていると思いますが、このあと一四〇〇(ヒトヨンマルマル)より、我が王(マイン・ケーニヒ)による士官任命式が執り行われます。皆さんに集まっていただいたのは、式典でお渡しする士官任命状に、名前などの間違いがないかを前もって確認していただくためです」

 ここまで喋ってから、やや早口になりすぎたことに気づいて、ホフマンは口をつぐんだ。いかんいかん、思ったよりも緊張しているらしい。非ネイティブの方々を相手にしているのだから、もう少し落ち着いたペースで話さなければ。

 「……ここまで、よろしいですか?」

 ゆったりとした口調でそうホフマンが尋ねると、ダークエルフたちは僅かに頷く仕草を見せた。よかった、なんとか自分の言葉は通じているらしい。少し安心したホフマンは、一語一語はっきりと発音する喋り方で、後をつづけた。

 「私が、一人ずつ名前を呼びますので、呼ばれた方から前に来て、任命状を確認してください。ただ、私は、皆さんの名前の、正しい発音を知りません。なので、読み方を間違えるかもしれません。その点はご容赦ください」

 そこでホフマンは一旦言葉を区切り、咳ばらいを一つして、机に置かれた士官任命状の一枚目を手に取った。

 「階級順にお呼びします。まずは、フロイライン・アンダリール(アンダリールさん)

 ホフマンは任命状に書かれた氏名を読み上げる。すると、一番前の椅子に座っていた、栗色の髪をしたダークエルフが立ち上がった。

 ホフマンが呼び出しを行う際、階級名で呼ばなかったのには理由がある。士官任命状を受け取る前、つまり軍に入隊する前の彼女たちは、書類上ではまだ正規の軍人ではなく、ただの民間人に過ぎなかった。そして、入隊前や民間のダークエルフ族に対しては、一般的な未婚女性に対する敬称 “Fräulein(フロイライン)“ を用いることになっていたのだ。

 

 ダークエルフ族に対する敬称については、実は小規模な議論が発生したことがある。

 低地オルク語の女性に対する敬称には、既婚女性に対して用いる ”Frau(フラウ)” と、未婚女性/若年女性に対して用いる “Fräulein(フロイライン)“ の二種類がある。(注:これは第九紀半ばまでの話である。現在では既婚/未婚問わず女性には ”Frau(フラウ)” を用いるのが一般的で、 “Fräulein(フロイライン)“ はほとんど使われなくなっている)

 ダークエルフ族には女性しか存在しないという種族特有の事情があったため、オルクセンの文化に照らし合わせれば、ダークエルフ族は基本的に「未婚女性」だった(ダークエルフ族同士の同性カップルを作る例もあるにはあったが、それは少数派だった)。そのため、低地オルク語のルールに則れば、彼女たちに対しては “Fräulein(フロイライン)“ を用いるべき、というのが自然な流れであった。

 しかし、生涯未婚で過ごすのがエルフィンド社会のスタンダードであったこと、また、いわゆる「ロザリンド世代」のような、オルクセン内でも十分長寿と言えるような年齢のダークエルフも多数存在したことから、「彼女たちに対しては “Fräulein(フロイライン)“ ではなく ”Frau(フラウ)” を使うべきなのではないか」という意見も存在したのだ。

(注: “Fräulein(フロイライン)“ は ”Frau(フラウ)” に指小辞(ししょうじ) “-lein(ライン)“ がつくことでできた単語であり、「半人前の女性」というニュアンスを含むことがあったため。 ”Frau(フラウ)” 呼び派の主張は、未婚が一般的であったダークエルフ族を半人前扱いするのは失礼ではないか、という意見が下敷きとなっている)

 この議論を収めたのは他ならぬダークエルフ族(彼女たち)自身だった。というのも、彼女たちは “Fräulein(フロイライン)“ という呼び方をすんなりと受け入れたのだ。

 ここには、彼女たちの異文化受容の様子が垣間見える。オルクセン社会での「女性に対する敬称の使い分け」というものに初めて接したダークエルフ達は、未婚女性に対する “Fräulein(フロイライン)“ 呼びを、最初から「そういうもの」として捉えていたと考えられる。むしろ、年上のダークエルフほど、「フロイライン(お嬢さん)」と呼ばれるのを面白がっていた節もあったようだ。

 「私たち、もう『お嬢さん』なんて呼ばれる(とし)じゃないのにねぇ」

 そう言いつつも、彼女たちはまんざらでもない様子だったと聞く。

 

 ―――しかし、これはどう見ても『お嬢さん』としか思えないな。

 目の前に立ったダークエルフの氏族長と対峙しながら、ホフマンの頭の中にはそんな言葉が浮かんでいた。

 確かに、種族特有の茶褐色の肌や、大きな耳は目立つ。しかし、こうして間近で見た時に何よりも注意を引かれたのは、その滑らかな肌だ。

 旅団の名簿には年齢の欄もあるから、ホフマンはこの氏族長がロザリンド会戦よりもずっと前の生まれであることを知っていた。しかし、顔や手には小じわやしみが一つもない。背丈を除けば、かつてホフマンが人間族の国(キャメロット)で見かけた、二十〜三十歳くらいの若い人間族の女性と遜色ない外見をしているのだ。

 いくら異種族といえど、目の前の女性が自分よりも遥かに年上であるということは、ホフマンは俄に信じられなかった。

 そんなことを考えていると、下を向いていたダークエルフが視線を上げ、ホフマンの両目を見据えてきた。目があったホフマンは、はっとして雑念を意識の外へ追い出す。そして、手に持った士官任命状を胸の高さまで持ち上げた。

 「お名前をお願いします」

 「ディネルース・アンダリエルだ」

 ダークエルフが名乗りを上げる。それを聞いたホフマンは、おや、と思った。端々の発音が低地オルク語とは微妙に異なっている。低地オルク語では彼女の名前 “Dinerúth Andariel” は「ディネルート・アンダリール」と読むのだが、古代アールヴ語では “th” は ”t” と同じ音ではなく、舌先を両の前歯で挟む発音になるらしい。

 「ありがとうございます。任命状の確認をお願いします」

 ホフマンがそう言って任命状を手渡すと、そのダークエルフは鋭い眼差しのまま、任命状の上に素早く視線を走らせた。

 ―――この方が、あの手書き名簿を書いたのか。

 任命状のチェックが終わるのを待つ間、ふとホフマンの脳裏にそんな考えが浮かんだ。名簿の作業の一番初めに見た、仮称ダークエルフ旅団の幕僚陣のリストがありありと目に浮かぶ。その作者と対峙しているという事実に、ホフマンは妙な感慨を覚えていた。

 「確認した。問題ない」

 そう言って、少将に任命されたダークエルフの氏族長―――アンダリエル少将は、自らの士官任命状をホフマンに手渡した。

 「この度は、任官おめでとうございます、フロイライン」

 「ありがとう、少佐(マヨール)。これから世話になるな」

 書状を受け取りながらホフマンがそう言うと、アンダリエル少将は流暢な低地オルク語で答えた。しかし、やはり長年染みついた現代アールヴ語の発音の癖というのは簡単には抜けないらしい。例えば、 Major(マヨーア)(少佐)の “r(エル)” の発音が、低地オルク語のように口蓋垂を震わせる音ではなく、ちょうどイザベリア語の “r(エレ)” のような巻き舌だったことにホフマンは気づいていた。

 「こちらこそです、少将(ゲネラールマヨーア)

 ホフマンがそう言って敬礼すると、アンダリエル少将は満足げな笑みを口の端に浮かべ、指を二本だけ揃えた形の独特な敬礼で応えた。ホフマンは少々驚いたのだが、後から聞いたところによると、これが彼女たちの伝統的な敬礼の仕方であるようだった。

 自席へと戻るアンダリエル少将の後ろ姿を見ながら、ホフマンは密かに感嘆していた。確かに姿形こそ若い女性だが、あの堂々たる立ち振る舞いや身のこなしは、間違いなく百戦錬磨の武人のそれだった。

 ああいう方を『お嬢さん』扱いするのは忍びない。尊敬の念と共に、ホフマンは心の中でこっそりと前言を撤回した。

 

 アンダリエル少将の任命状を部下に手渡し、ホフマンは二枚目の任命状を手に取る。

 「次の方。フロイライン・アイナリント」

 二人目のダークエルフが立ち上がる。こちらのダークエルフは、三つ編みにした亜麻色の髪を頭の後ろでまとめた髪型をしていた。

 「お名前をどうぞ」

 「イアヴァスリル・アイナリンドです」

 ふむ。やはり、彼女たちの発音は低地オルク語とは少しずつ違うようだ。低地オルク語なら ”v(ファウ)” は濁らずに発音するため、彼女の名前 “Iavasril” は「イアファスリル」と読むし、語尾についた ”d(デー)” は無声化するので “Ainalind” は「アイナリント」になる。

 「確認しました。こちら、間違いありません」

 二人目のダークエルフ―――アイナリンド中佐の任命状のチェックが終わり、ホフマンは彼女の任命状を受け取る。

 「中佐への任官、おめでとうございます」

 「あら。ありがとうございます」

 穏やかな物腰のアイナリンド中佐は、丁寧な仕草で敬礼をして、自席へ戻っていった。

 「次です。フロイライン・カレナリーン」

 呼びかけに応じて席を立ったのは、ウェーブがかかった黒髪が特徴的なダークエルフだった。

 「お名前をお願いします」

 「はい。アーウェン・カレナリエンです」

 こちらも、想定とは違う発音だった。ホフマンなら “Arwen” は「アーヴェン」と読むところだが、“w(ヴェー)” は古代アールヴ語では “u(ウー)” に近い発音になるようだ。そう、ちょうどキャメロット語の “w(ダブリュー)” のように。

 また、”Andariel(アンダリエル)” や “Calenarien(カレナリエン)” の発音から考えると、“ie” の発音も低地オルク語とは異なるようだ。低地オルク語ではこの二重母音は「イー」と伸ばした音になるのだが、彼女たちの発音を聞く限り、古代アールヴ語の ”ie” はスペル通りに “i” と “e” を分けて発音するらしい。

 「大丈夫です。問題ありません」

 黒髪のダークエルフ―――カレナリエン中佐が、チェックを終えた任命状を返してきた。

 「中佐への任官おめでとうございます。フロイライン」

 「ええ。どうもありがとう」

 カレナリエン中佐は、大人びた目を細めると、落ち着いた様子で敬礼をした。

 

 ここまで彼女たちとやり取りをしていて、ホフマンが驚いたことがひとつある。皆、低地オルク語を予想以上に使いこなしているのだ。

 確かに、低地オルク語と現代アールヴ語は言語学的に同じ系統に属しており、文法にも共通点が多い、比較的「近しい」言語ではある。しかし、亡命から二か月程度しか経っていないにも関わらず、これまで全く国交のなかった国にやってきた彼女たちと、ここまで意思疎通がスムーズに行くとはホフマンは思っていなかった。

 決して彼女たちを侮っていたわけではないのだが、彼女たちはまだ低地オルク語を勉強中だろうから、こちらへの返答は簡単な単語や文がメインになるだろうな、と考えていたのだ。

 それこそ、四人目のファロスリエン中佐などは、自分の名前と「問題ない」の一言以外は何も喋らなかったのだが、ホフマンが事前に想定していた会話はこんなものだったのだ。ファロスリエン中佐が元来寡黙な性格をしていることをホフマンが知ったのは、ずっと後になってからのことだった。

 ―――やはり、氏族長という立場にいただけのことはある、ということか。

 ホフマンは内心でそんなことを考えていた。

 ホフマンには、ダークエルフ族の『氏族』が具体的にどのようなものかはわからなかったが、おそらく地方行政の単位みたいなものだろう、と想像することはできた。ということは、オルクセンで言うところの市長や知事に近い存在であるはずだ。そういう地位や役職は、一定以上の高い能力を持った人物にしか務まらない。

 聞けば、仮称ダークエルフ旅団の幕僚陣に指名された彼女たちは皆、かつて氏族長や副氏族長の立場にいた者たちだという話だ。それを考えると、これほどの短期間で低地オルク語を習得したのも、あながち不思議ではないのかもしれない。そうホフマンは思った。

 

 その後、フィンドル中佐、リンディール中佐、メレスギル中佐と、順調に士官任命状のチェックは進み、ホフマンが手にした任命状は八枚目になっていた。その八枚目の任命状に書いてある氏名を、ホフマンは慣れた調子で読み上げた。

 「えー、それでは、フロイライン・ツェレプリン!」

 ホフマンの呼びかけに対し、今度は反応するものは誰もいなかった。皆、首を傾げたり、お互いに顔を見合わせたりしている。

 「いませんか、Fräulein(フロイライン) Celebrin(ツェレプリン)。……読み方を確認させて下さい。一文字ずつ読み上げますね。C(ツェー)e(エー)l(エル)e(エー)b(ベー)……」

 ホフマンがそこまで読み上げたとき、元気な声と共に勢いよく手が上がった。

 「はい、はい! 私です! Celebrin(ケレブリン)です!」

 「ああ、フロイライン・ケレブリン! どうぞこちらへ」

 ホフマンの目の前まで歩いてきたのは、肩口くらいまでありそうな栗色の髪を二つ結びにした、比較的小柄なダークエルフだった。手元の任命状によれば、階級は大尉(リットマイスター)となっている。制服の支給が間に合わなかったのであろう、丈夫そうなニットに革製のコルセット、そしてハイウエストパンツという、ダークエルフ族によく見られる私服姿であった。

 「失礼しました。士官任命状の確認をお願いします」

 ケレブリン大尉は、ホフマンが手渡した任命状に目を通すと、にっこりと微笑んだ。

 「ありがとうございます。大丈夫です」

 愛嬌たっぷりの表情を見て、ホフマンも自然と笑みを返す。大尉から任命状を受け取りながら、ホフマンは口を開いた。

 「フロイライン、差し支えなければ、あなたのお名前をなんと読めばいいか、教えて下さいませんか? Laernor(レアノーア)……?」

 「ラエルノア。Laernor(ラエルノア) Celebrin(ケレブリン) です」

 「ラエルノア・ケレブリンですね、ありがとうございます。改めて、大尉への任官おめでとうございます」

 ホフマンの言葉に、ケレブリン大尉は笑みを浮かべたまま指二本の敬礼を行った。ホフマンも敬礼を返す。

 くるりと身を翻して歩み去っていった大尉の背を見ながら、ホフマンはあることを考えていた。任命状に書かれた氏名のスペルと彼女たちの発音を照らし合わせると、アールヴ語の発音のルールがある程度わかってきたのだ。

 二重母音の扱いを除けば、母音の読み方は低地オルク語やアルビニー語と似ている。しかし、子音の発音はむしろキャメロット語に近いところがある。例えば、”Arwen(アーウェン)” や ”Elenwë(エレンウェ)” のように “w(ヴェー)” を “u(ウー)” のような発音をするところ、”Farothrien(ファロスリエン)” や ”Melethgíl(メレスギル)” のように “th” が前歯で舌先を挟む音になるところ、また、”Calenarien(カレナリエン)” や ”Celebrin(ケレブリン)” のように ”c(ツェー)” が ”k(カー)” の音になるところが挙げられる。(注:厳密には、キャメロット語では ”ca” や “co” 、”cu” は一般的に ”k” の音になるが、”ci” や ”ce” は ”k” ではなく “s” の音になるので、全く同じというわけではない)

 となると。ホフマンは次の任命状を持ち上げた。名前の欄には、“Lia Echuirdís“ とあった。このスペルはなんと発音するのが正しいだろうか?

 ポイントは “ch(ツェーハー)” の発音だ。低地オルク語だと ”E” の後ろの “ch” はいわゆるIch(イッヒ)音(注:日本語の“ヒ”に近い音)になる。しかし、キャメロット語風の発音をするとなると……。

 そう考えたホフマンは、咳払いを一つすると目の前の名前を読み上げた。

 「次です。フロイライン・エ()()ィルディス」

 今度はすぐに一人のダークエルフが立ち上がり、ホフマンは安堵した。胸のあたりまであるロングヘアの金髪を靡かせながら、そのダークエルフは歩いてくる。彼女も、先ほどのケレブリン大尉と同じように私服姿だった。

 「お名前をお願いします」

 眼前に立ったダークエルフに向かって、ホフマンはそう声をかける。大尉に任命されることになった長髪のダークエルフは、にこやかに自分の名前を名乗った。

 「リア・エ()ィルディスです」

 おっと、“ch” は低地オルク語(われわれ)と同じだったか。ホフマンは心の中でそう独りごちた。

 

   * * *

 

 そのような様子で、事前確認はつつがなく終了した。幸いなことに間違いのあった任命状は一枚もなく、任命式典は予定通り一四〇〇時から、陸軍省内の講堂で開かれることになった。

 式典に参列したのは、直接の担当者であるホフマンとその部下、上司の課長、その上司である人事部長の少将、陸軍省のトップであるボーニン大将、そしてグスタフ国王である。

 オルクセン国軍の士官任命状は、その全てに国王の御名御璽がなされる。先王アルブレヒト二世の時代より、オルクセン国軍の士官はその一人一人を国王が直々に任命する、という仕組みをとっていた。

 全員の敬礼によって迎え入れられたグスタフ国王は、講堂の演壇に立つと、士官任命状の内容を一枚一枚確認した。そして、任官されるダークエルフが演壇の前までやってくると、彼女の目の前で士官任命状に “Gustav(グスタフ) Falkenhayn(ファルケンハイン)“ の署名を入れ、型押し(エンボス)の御璽を押した。

 「私、オルクセン国王グスタフ・ファルケンハインは、ディネルース・アンダリエルを少将に任命し、また、仮称ダークエルフ旅団旅団長の職に任ずる……」

 厳かな声色で国王が士官任命状の文面を読み上げると、それをアンダリエル少将に手渡す。そして少将に向けて―――彼女の後ろに続くダークエルフ族全員にも届けようとしているかのように―――国王は高らかに呼びかけた。

 「ようこそオルクセン陸軍(我が軍)へ、アンダリエル少将。心から歓迎しよう!」

 決して多いとは言えない参列者たちの、力強い拍手が講堂に響き渡る。演壇の端にいたホフマンからは、任命状を受け取ったアンダリエル少将の横顔に、不敵な笑みが刻まれていたのが見えた。

 仮称ダークエルフ旅団の編成に向けて、彼女たちが確かな一歩を踏み出した瞬間であった。

 

 

 

 

(続く)




※モデルにしたプロイセン王国陸軍には、日本語の『大尉』に相当する階級として、Hauptmann(ハウプトマン)Rittmeister(リットマイスター)がありました。Hauptmannは歩兵や砲兵における士官の階級で、日本語訳はそのまま「大尉」ですが、Rittmeisterは騎兵における士官の階級で、日本語に訳すとしたら「騎兵大尉」となると思われます。コミカライズ版でリアやラエルノアは騎兵の肋骨服を着ており、騎乗している描写もあるので、低地オルク語での彼女たちの階級はRittmeisterになると考えました。ただし、原作での表記に合わせて日本語表記は「大尉」のままとしています。
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