こつん、こつん、と硬い地面を歩いていく。
此処は、マギスフェア。
霊墓アルビオン唯一つの、人間の領域である。
この街を歩く僕達二人は、共にフードを被っていた。このフードを被っているのは、理由がある。アルビオンにおける頻繁な天候の変化で、砂を吸わないようにするためだ。
場合によっては、砂に混じった胞子を吸い込んで、肺に寄生生物が生えることもあるらしい。
地獄か?
なんとも恐ろしい環境の都市である。
それ故に、住民の多くは、フードを被って生活しているのだ。
全てが地下に収まるという、世界で唯一の地下都市マギスフェア。ロンドンの地底深くに聳え立つ人間の街は、地上の首都とは、似ても似つかない都市であった。
そういえば。
現代都市といえば、皆様は、何を思い浮かべるだろうか?
まず多くの人が浮かべるのは、ビルディングではないだろうか。
鉄筋コンクリート造によって骨組みが成され、ガラス張りの窓が、特有の透明感を見せる高層ビル。それが、コンクリート・ジャングルと揶揄されるほどに乱立し、集中する。
高層ビルによって造り出された、人間の手による、人工の巨塔の集合体。
それこそが、汎人類史における現代都市であった。
しかし、どうだ。
周囲を見回してみろ。
見渡す限りに並んだ建物は、現代都市の高層ビル、そして蜂の巣が融合したみたいだ。
その建物の材質は、地上におけるビルのものとは全く異なっていた。近代的なコンクリートではなく、自ら盛り上がったような地面の壁によって、建物は構成されている。
それらは、原始的な土壁で出来ているとは思えないほど、立体的な街を形成していた。
そんな街を歩きながら、道を流し見ていると、ふと気づくことがある。
この大通りの道には、自動車の類が、一台も走っていないのである。しかし、その代わりに往来しているのが、不思議な生物たちであった。
犀のような有角生物、大きな甲羅を背負った亀さん。それらを、自動車代わりとして、人々は運用しているらしい。
地上にいる生物とは、違う生き物。
あれも幻想種だろうか?
神獣、幻獣は論外ではあるが、魔獣であれば、使役できる魔術師が居なくもない、みたいな話を、昔どっかで聞いたことがある気がする。
しかし、公式情報だったか、ソースの無い掲示板のやり取りであったのか。
正直、思い出せない。
ごめん。
本当に申し訳ない。
しかし、魔獣を使役出来る、というのは凄いことではないだろうか?分類的に考えると、ライダーさんのペガサスだって一応は魔獣なのだから。
サーヴァントの騎乗スキルは、Aランクでようやく、「幻獣・神獣ランクを除くすべての獣、乗り物を乗りこなせる」という。つまり、魔獣への騎乗が出来るのだ。
騎乗と使役は別物の問題であるとは言え、魔獣であっても、使役するのは、かなりの偉業と言えるのではないか。
霊墓アルビオンの大気中の魔力は、地上の現代テクスチャのモノとは異なり、神代に非常に近いモノであるという。
故に、そこで暮らす人々は神代の魔術師……には及ばないものの、地上よりも強力な行使が可能なのではないだろうか。
それならば、魔術師が魔獣を使役出来るという事象にも、説明が付く。
地下世界の魔術師、侮るべからず、といったところだろうか。
しかし、此処は、特異な場所だ。
蜂の巣じみた土の立体的なビルディングに、交通路を通る獣たち。ここが、汎人類史の都市だなんて、正直信じられないくらいだ。
異聞帯か何かと言われた方が、まだ理解できる。
しかし、地上とは異なる点がもう一つあった。
目線を通路から、さらに上へと伸ばし、顔を上げる。そこには、空が無かった。空も無く。雲も無く。また、太陽も無かった。その代わりに、淡く光る岩の天蓋が、都市を淡く照らしていた。
そうだ、此処は地下世界だ。此処では、地上に当たり前に存在する「空」が存在しない。
この世界において、私たちが当たり前のように享受している太陽の恵みすら、この地では届かない。
小さく輝く、星の輝きすらも、この地には存在しない。星の輝きに、希望も、ユメを見出すことすら出来やしない。空を見上げても、あるのは天井だ。
霊墓アルビオンは、現代の世界の常識では想像することも能わないような、文字通りの異世界であった。
そして、それは迷宮だけの話ではない。
地上から降りた人々が造り出した都市マギスフェアですら、現代世界の常識で計り知り得ない魔の都であったのである。
つまり、何が言いたいのかというと。僕は、この都市の空気感に圧倒されていたということだ。
立香の隣に立って、立香の歩む方向へと、僕も歩みを合わせる。奇しくも、それは迷宮探索の時と同じであった。
違うのは、目指す場所の細かさだけだ。
あの冒険で目指していたのは、マギスフェアであり、今目指す場所は、マギスフェアの中の、立香のお家である。
「……そういえば、立香のお家ってどっちの方にあるの?」
「区画は、学術区画。マギスフェアの方だね」
「?」
どういうことだ?此処は既にマギスフェアではないか。
「狭義の方のマギスフェアってコト。あー。
ランスロットは、広義のマギスフェアと狭義のマギスフェアの違いって分かる?」
「……すまない。正直言うと、わかんない」
わ、わかんないっピ……
狭義と広義で別の意味があるんだ……
「発掘都市マギスフェアの中の
発掘区画。資材区画。そして、学術区画。
それぞれの区画には名前が付いてるんだけど、学術区画の名前は、ややこしいコトに、発掘都市の名前と被ってるの。だから、学術区画マギスフェアと、発掘都市マギスフェアは、一応別のモノを指すということになるね」
つまり、
管理区画???
+
発掘区画???
+
資材区画???
+
学術区画マギスフェア
+
都市部以外の地域
=発掘都市マギスフェア
ということか。
「つまり、地上で言う所の大ロンドンとロンドンの違い……みたいな感じだね?」
要は、日本で言えば、千葉県の中に、県庁所在地の千葉市がある、みたいなモノだろう。
立香には、おそらく日本のことが通用しないので、せめてアルビオンの地上、ロンドンを用いて例えを提示する。
「ん……まぁ、大体そう」
含みのある言い方だが、大体はあってるなら良いだろう。含みのニュアンスがある言い方よりも、僕はテキストを優先する。
「ちなみに、学術区画ってのはどういう所なんだい?」
「魔術組織・時計塔における、もう一つの学術都市とも呼ばれる場所だよ。ほら、霊墓アルビオンって一度入ってしまえば、ほぼ出られないじゃん。それは、絶望的なコトだけど、霊墓アルビオンは、資源の入手が地上より容易だったり、有利な点もあるワケ。そういうわけで、地上への脱出を諦めた人たちとか、この霊墓を終生の地と定めた者たちが集まって生まれた学術街なの。研究施設が、集中してる場所だね」
「なるほど。学者の街ってワケだ」
「そうそう。でも純粋な研究者達が自然と集まる場所だから、迷宮の探索者たちは、他の区画よりも寄り付かないんだよね〜。
……あ、ねぇねぇ。ランスロット。あっち見てみて」
「うん?」
立香が指を指した方向に視線を向けると、そこには、白くて巨大な、蜂の巣のようなモノが見えてきた。さっきまで、ビルディングを蜂の巣みたいだ、と心の中で言っていたが。
この建物は、ビルディング以上。
正真正銘の蜂の巣であった。
「うぉ……!でっか!アレはなんなんだい?」
UDK。
「あれは、ハイブ・バビリオン。マギスフェアにおいて、死蔵した魔術の研究成果が収められる大図書館ね。学術区画マギスフェアは、あの大図書館の周囲を、研究施設が集中するカタチで形成されているの」
「はぇ〜、蜂の巣図書館かぁ。なるほどねぇ」
見た目通りで、分かりやすい。
シンプルで、良い名前だ。
まぁ、ちょっと絵本にありそうなタイトルである。
『今日は、祝日。色々な場所から働き蜂たちが、蜂の巣図書館に来訪してくる日だ。その休日を、働き者な蜂たちは、優雅に本を読んで、憩いの時間を過ごす……けど、ちょっとトラブルがあったみたいで……?』みたいな、あらすじの絵本みたいだな。ありそう。
そんな妄想は置いておいて。
「そういえば、図書館で思い出したけど。立香は本とかって読むの?」
「まぁ、多少は。魔術使いだからね。迷宮の情報とか、自身の魔術の研鑽の参考とかを求めて、文献とか、魔導書は読むこともあるね。
でも、魔導書以外となると……そうね。地上のことについての本とかかな?」
「へぇ。地上についての本、か」
「そうそう。ほら、霊墓生まれのアルビオンにとって、地上は隔絶した世界だから。霊墓へ潜った人の殆どは、外の景色をこれから一生見られないんだけど。初めから霊墓に生まれた人にとっては、そもそも一生見ることは出来ない。でも………霊墓に潜った人って、霊墓の光景に、すごく驚くんだよね。『すごい!こんな世界があるなんて!!』『なんて、幻想的な世界なんだ!』って具合で。羨ましいくらい、興奮して言ってくるの。でも私に言わせてもらえば、その人達が居た、地上の方がファンタジーだと思う。なんせ、あの『空』があるんだから」
空、か。
「アルビオンにはね、地上には存在しない希少金属、動物資源、植物資源、その他様々な呪体とか、地上では中々お目に掛からないモノが沢山出てくるの。それに、地上からは、
けれど、それは逆に言えば。
「そう。地上特有のモノも、地下特有のモノも存在するし、地上では見られない景色を見られる。けれど、"地上でしか見られない"光景を、私たちは、絶対に見られない。だから、迷宮生まれの私たちは、『一生に一回でもいい。地上の光景を、死ぬまでに見てみたい』みたいに思っているんだ。ふふっ。皮肉だよね。『地上では、死ぬのであれば、終生の地は神秘郷アルビオンがいい』って、降りて来る地上の老魔術師が、後が絶たないっていうのに。確かに、アルビオンに入るのは、楽。けれど、アルビオンから出るのは不可能に近い。故に、私たちは、いつでも地下の光景を見に行ける彼らと違って、一生を懸けても、地上の光景を見ることができない。彼らと違って、その望みは、叶うことがないんだ」
ならば、それは。
「だから、地上から降りてきた老魔術師は、正直言うと、苦手。私が行きたいと
異常な世界に生まれ落ちて、そこで育った者。
しかし、彼らは、異常な世界で育って来たからこそ、その異常な世界とは違う、「普通」な世界に憧れてしまう。
「特別」に溢れた地の住人は、「特別」が乱立する世界に生きるからこそ、「特別」は、チープであるように感じてしまう。だからこそ、「特別」に溢れた世界に生きるものにとって、「普通」こそが、輝ける星、ある意味で特別に思えてしまうのだ。
凡夫が、「普通」を嫌悪し、「特別」なものを羨望するように。
「特別」の住人は、「普通」を羨望するのだ。
喋り切った後、に立香がはっ、と気づいたみたい。結構長く語ってたからね。
熱が入ってしまうのも無理はない。
「……ごめん、ランスロット。見苦しかったね。いつの間にか愚痴になっちゃった」
謝罪する立香。
しかし、謝罪か。
それは、違うと思う。
「立香。これが愚痴の内になるなら、世界の会話の殆どが、聞くに耐えない罵詈雑言になってしまうよ」
というか。
「君の見苦しさへのハードルが低過ぎる。低すぎだよ。もうちょっと修正しても良いんじゃないかと思う。いや、修正するべきだと僕は思うね。なんせ、僕は初めて会った女の子相手に、初対面で全裸をかましたんだ。この見苦しさハードルの低さの具合から見ると、僕の見苦しさを見せたら、確実に死刑になるんだけど」
「あー。確かに。ふふっ。思い返すと、ランスロットって、最初は全裸だったよねー。
じゃ、死刑、いっとく?」
「嫌だよ!」
え?せっかくマギスフェアに来れたのに、僕って此処で死ぬんです?
嘘でしょ?
僕の受けこたえがツボに入ったらしく、立香は笑っていた。
笑ってる顔は、やっぱいいね。
笑う立香は、素敵だった。
やはり、藤丸立香はこうでなきゃ。
しかし、「普通」に憧れる「特別」、か。
因果なものだ。
「特別」ではない、平均的で、素朴な善性を持った少女だったからこそ、あの舞台で主役足り得た君が、ここでは「特別」だなんて。
なぁ、立香。
信じられるかい?
僕の知っている「キミ」は、「普通」だったんだぜ?
空の境界(概念)