魔術学校キルバイアに通い始めてから、そこそこ経過した。その通学に沿って、僕のライフスタイルは確定した。
ディジェルさんと立香が、二人とも床に就く時間になれば、僕もまた貸し与えられた部屋に戻る。人間のサイクルは、夜の睡眠、朝の覚醒、昼の活動、この三つがセットであるが、生憎僕は人間ではない。彼らのサイクルは、僕に適用されない。
僕の躯体は、霊基で構成されており、睡眠は必要ない。そのため、あの二人が寝ている間、僕はずっと手持ち無沙汰なのである。
暇なのであれば、外に出掛ければよいのではないか。夜といっても、マギスフェアには太陽による昼夜は無い。天井の光量がある程度は調整されているだけで、この街には、厳格な夜と朝の境界線は存在しない。地底が闇の世界であるのならば、この場所も闇の国とも呼べるだろう。
しかし、仮初の明かりであったとしても、人間の生態は、それに縛られてしまうのだろうか。
夜の時間帯になれば、通り魔的な犯罪、暴力事件、ピンク色なお店などが盛んになり、ただでさえ通常でもアングラの極みみたいな地下都市が、さらにアングラに寄ってしまうのである。
ディジェルさんの言ってた、
怖っ。
僕が、この都市ではおそらく敵無しのつよつよドラゴン人間であるのは、間違いようのない事実である。それでも、アングラな治安の悪い場所は、ちょっと怖い。
僕自身、暴力には無敵だが、暴力が振るわれ続けるような場所、空間に対する耐性はない。
スプラッター映画が苦手な格闘技世界チャンピオンみたいなものだ。正直、その手の場所には近づきたくないというのが率直な感想である。
治安が少し悪くなるこの時間。
その時間帯では、僕は外に出るのではなく、自室の中で授業の復習をするという選択肢を選んだ。
しかしこのキルバイアの授業、中々難しい。
時計塔のカリキュラムに比べ、簡素なものであるものの、それでも学ぶ事柄は多い。
何より、学習範囲が広いのだ。
マナ学、類感魔術、魔術史などの、魔術知識。
マギスフェア史、そして迷宮の地理学、迷宮に生息する幻想種の分類とその特徴など、探索者における必須事項など。
これらを、短い時間の講義にパンパンに詰めて行くのだから、たまらない。
そもそも、時計塔の魔術師はまず、魔術全体の共通科目たる全体基礎を五年ほどかけて学ぶのだという。それに対し、この魔術学校は、この全体基礎の重要な一部分を更に希釈し、一般教養としてさらっと教える。
授業で扱うのは、ほんの一部分。
しかし、それでも参照元のカリキュラムは、五年間の学習を必要とするのだ。重要点を学ぶとしても、ある程度の時間を必要とするのは明らかだろう。
さらに、そこからマギスフェア特有の知識についても学ばなくてはならない。
残念なことに配分としては、一般教養よりもこちらの方が、学習量は多い。
座学のメインは、こちらの方がメインだ。
この時点で、二ヶ月の学習でこの量を覚えなければいけない、と考えるとそれだけで絶望的だ。しかし、この学習要件は座学だけではない。
ここは、発掘者のための学校だ。故に、この学校で最も重要な授業とは、探索活動のための訓練なのである。
その訓練では、探索道具の使用や野外活動、迷宮の立ち回りなどを、実践形式で学ぶ。
この実践型訓練は、カリキュラムにおいて、座学の時間よりも多くの授業時間が降り当てられている。一般教養、霊墓学を足した時間よりも、野外でピッケルの類を振り回す時間の方がむしろ長い。
制限され、十分な時間を確保出来ない座学。
となると、不足した授業時間では、必要な知識を全て解説することは、不可能なのは自明だ。
その結果、授業時間ではカバー出来ない範囲、つまり生徒たちはテキストのほぼ全てを自主的に進めなくてはならないのである。
やることが……!
やることが結構多い……!
体質が特殊だから、夜中全てを勉強時間に置き換えても、少しの休憩と魔力さえあれば、僕は十分に昼間も活動が出来る。しかし、夜中全てを勉強できる環境を持たない者たちは、どうやってコレを学んでいるのだろうか。
夜の時間までも使って、ようやくテキスト全てに目を通せる僕の要領が悪いだけなのか、一般知識の部分は、地上での知識だけで割と賄えるのか。どちらが正しいのかは、分からない。
ただ、この事をマリア・ヘリオドールさんに相談してみたところ、
「この程度なら、魔術回路で補助しながら暗記すれば良いのではなくて?」
と真顔で言われてしまった。
魔術回路……?!
魔術回路で暗記……?
そうか。魔術師の魔術回路は単なる魔力生成擬似神経というだけではなく、演算機能などを持つ。2015年のスマホの機能程度なら、自身の魔術回路で賄える……と、作中にて、冠位の魔術師は言っていた。計算、通信なども自身の肉体で実現できるのだから、機械のメモリじみた記録も、魔術回路で再現出来ない道理はない。
理屈を聞けばなんとなくわかる気がする……が正直信じられん。
魔術師は、凡人と一線を画した記憶力を持つのか。
……しかし、暗記を魔術回路に任せていたら、魔術回路を別の用途に使えなくなる恐れがあるのでは?
いや、違う。
……おそらく、「補助」と言うからには、回路自身に記憶を刻み込むのではく、暗記などの脳機能を助ける機能が、魔術回路にもあるのだろう。
魔術師の肉体性能、知性というのは、一般人のそれらを超越している、というのを否が応でも理解させられる。
ただ、魔力を身体に流すだけで。
それだけで、オリンピック選手もかくやの身体能力を発揮し、脳内でスマホを操作出来るのだ。
なんて、理不尽なスペックだ。
これを超人と呼ばずして、何と呼ぶ。
運動や学問などの分野では、凡人は魔術師には逆立ちしても、上回れないだろう。
これらの分野にて、魔術師を上回るのであれば、その超人すらも上回る
もしかして、魔術師が社会の上流階級に位置しているのは、これが理由なのではないか?
魔術師は、魔道の研鑽をするに当たって、莫大な研究費を必要とする。その研究費を賄うために、彼らは術師以外の社会的地位を保持している……とされている。確かに、彼らが高い社会的地位を持つに至った動機は、それで合ってるだろう。
しかし、そもそも、その高い社会的地位を得られたのは、魔術回路でブーストされた肉体スペックの恩恵もあるのではないか。
魔術は隠匿されるもの、という戒めが魔術師には存在する。ただ、それを裏返せば、隠匿を十全に果たしていればよいのだ。魔術回路故の肉体性能程度であれば、裏で用いてもよい……という暗黙の了解が魔術世界にはあるのではないだろうか。つまり、魔術師らは、魔力でブーストした知性を上手く利用することで、表社会に君臨しているのである。
これが本当であれは、ずるいな魔術師。
肉体スペックが一般人と違いすぎる。
同じ土俵で勝負したら、勝てるわけがない。
せこいよ!こんなん勝てるわけないじゃん!
……と好き勝手言っているが。
……そうだ。
魔術師がインチキとするのであれば。
一番のインチキは僕であった。
魔術世界最高峰の
そう。
一番のズルをしているのは、僕であった。魔術師のことを一方的に非難できる立場ではないのである。壮大な「お前がそれ言う?」案件であった。
人間社会において、魔術師が万能であるように。魔術社会において僕は、超常の存在であったのだ。
人間社会に、紛れる魔術師。
魔術社会に、紛れる竜。
ある意味、僕の今の在り方は、魔術師と似通ったものなのかもしれない。
そんな感慨に耽ってしまう。
だが。
今はそんなことを考えてる場合じゃない。
「……勉強の方に集中しなきゃ」
今日の分の復習は、まだ終わっていない。
まだ、たっぷりと残っている。
今夜はきっと、長くなる。
そんな予感を感じながら、僕は新たな頁を捲った。
頁と睨めっこして、早数時間。窓から差す光が強くなってきた。そうか。もう朝か。精神的な疲労感……というよりか、達成感を感じながら、両手を上へと伸ばし、身体をピンと張る。……やはり、徹夜直後の、まるでこの世の終わりのような疲労感は感じない。
身体を通して感じるのはやり遂げたぜ、という達成感だけだ。やはり、肉体スペックがイカれてるためだろうか。
「徹夜をした」という疲労感を改めるためのストレッチという動作を、達成感による歓びのルーティンとして新生させ、覆い被せる。
「疲労感を感じない」という非人間性を、何かを「やり遂げたぜ」という人間的な多幸感で、誤魔化そうとする。自身の非人間性から目を、作為的に逸らして、それについて考えるのをやめる。
………。
さて。顔でも洗いに行きますか。
そして、洗面所へと移動する最中。
「……おや?」
廊下で、立香と鉢合わせした。
「おはよう、ランスロット」
「おはよう、立香。いつもより早い目覚めだね。どうしたんだい?何かあった?」
この時間に起きているのは、ディジェルさん一人だけなはず。立香が起きてくるまで、まだ時間があった筈だが……
「実はね、近日中にアルビオンに潜る、ってことになって。その準備のために、色々やってるんだ」
「えっアルビオンに?」
「そうそう。アルビオンに潜らないオフ期間なら、こんな早くに起きなくてもいいんだけどねぇ……まぁ、
わぁ……15くらいな筈の少女が、社会人みたいな事を言ってる。こんなに女の子が頑張って仕事してるのに、僕はまだ職業訓練中の無職である。その事実に思いを馳せると、心が割れそうになる。血潮は鉄だが、心はガラスなのだ。相手にそのつもりがなくとも、僕の心はすぐに砕けてしまう。
「あらま……」
「そういえば、ランスロットは、午前は学校だよね?」
「そうだね。午前から午後はキルバイアで授業だ。それがどうかしたのかい?」
「いや、私もね。2年前はキルバイアに通ってたから。……そうやって、忙しなく授業と復習を反復横跳びする日々が懐かしくなったんだ」
魔術学校キルバイア。
霊墓発掘者の養成所であるここは、霊墓アルビオンの発掘ライセンスが発行される場所でもある。発掘ライセンスは、授業カリキュラムを修了した生徒にのみ、渡される。
アルビオンの採掘の際、もしそのライセンスが無ければ、霊墓盗掘者として、管理局の治安維持部隊に、拘束される。その規定は、迷宮内で、いきなり目覚めた「妖精域帰り」に対しても適用される。
もし、僕と立香の迷宮進行中に、僕が勝手に迷宮の物品を隠し持っていたら、マギスフェアに入った時点で、アウトだった。立香が、迷宮探索中にそれを教えてくれなかったら、僕は今頃お縄についていただろう。
しかし、キルバイアか。彼女がライセンスを持ち迷宮に潜っている、という事実から、彼女はキルバイアのOGであることがわかる。
「ランスロット。授業には付いて来れてる?」
「まぁ、なんとかね。教官の高速神言じみた授業は苦手だけど。なんとかなってるよ」
マナ学のあのオッさん。せめて、人に聞こえるような声と発音で喋ってくれ。何言ってるかわからん。せめて英語で話せ。英語で。
「あはっ。あのマナ学の癖強教官、相変わらず変わってないんだね〜。ん、そうだね。何か授業で困ったら、私に聞いてくれてもいいんだよ?まぁ、今はちょっと厳しいけど。何しろ私、ランスロットの"先輩"、ですので!」
「─────そうだね。じゃあ、分からない所があったら、遠慮なく頼らせて貰います、先輩」
「ふっふ。任せなさい、後輩。君の頼みだからね。一度頼られたら、絶対に最後まで付き合うとも」
彼女は、不敵に微笑んだ。
「………さて、そろそろ、私は今からチームの集まりに行かなきゃ」
「あ……引き留めて悪かったね、立香」
「いえいえ!こっちこそ、私、行く前に、ランスロットの顔が見れて嬉しかったよ」
不敵な笑みから一転。
陽の光のような、眩しい笑顔が、こちらに向けられる。
「───。こっちこそ君の顔が見れて、嬉しかった。では、いってらっしゃい、立香」
「はーい!いってきまーす」
そう言って彼女は手を振って、家を出て行った。