美しさの基準とは何だろうか。人類は、時代、地域によって全く異な美しさをヒト型に見出して来た。
古代ローマでは、色白の肌こそが美しさの基準であった。
中国の唐王朝では、色白で背が高く、大きくて黒目がちの目、白く綺麗な歯こそが美人の基準であった。
ニホンの平安時代では、大きな顔に、小太りな身体。切れ長の細い目を持つことに美しさを見出していたという。
何が「美しい」かという基準は千差万別だ。かつては「美しい」と呼ばれた容姿が現代では通じない、ということもあるだろう。逆に、現代の美人がタイムスリップしたら、現地人には醜女として扱われる、なんてこともありえるかもしれない。
「美しさ」に絶対の基準は存在しない。「美しさ」とは、純粋で素朴な、絶対の感性によって断ずることは出来ない。「美しい」という感性は、自身の所有物ではなく、あくまで文化的背景によって構成されたものなのだ。
そして、その感性から見出される「美しさ」とは、あくまで流動的なものなのだ。「美しさ」とは、あくまでも一過性のモノ。そう考えて、私は生きてきた。
だが、それがどうした。
そんな私の考えは、眼前の存在に吹き飛ばされていた。
眼前の存在は、ただ「美しい」。時代、土地、文化背景、感性?笑わせる。そんなモノは、この存在には何の関係もない。
異なる時代、異なる土地、異なる文化背景、異なる感性。それらをそれぞれ備えたもの達。つまり「美しさ」の定義が全く異なる全員がその光景の前にすれば、きっと平等に傅くだろう。
ルールも、法則性も、再現性もない。そんな暴力的な美の化身こそが、眼前のヒト型の正体であった。
無垢な霊峰、流麗に流れる山河の化身。その御身が、口を開いた。
「……あっ」
目の前の彼が、ふと思い出したと言わんばかりに片手で股間を隠す。全身の白い肌のうち、顔だけが赤く染まる。
彼は全裸であった。
羞恥心が爆発したのであろうか。彼の目があちらこちらへと泳ぎ始めた。「あわあわ」という声が聴こえて来そうな程の、戸惑いっぷりである。
空いた片手で頬をぽりぽりと掻く。
少々の混乱から一旦、落ち着くためだろうか。
目を少し臥した後、こちらにその双眸を向ける。頬の赤みが残ったまま、何か意を決したような様子で、その口を開いた。
「……すまない、見苦しいものを見せた……というか、今も見苦しいね、ごめん。……でも、一つだけ問いてもいいかな。怪我、してないかい?大丈夫だった?」
「怪我はしてないよ。外傷なしの、健康体です」
「おぉ、それはよかった」
赤みの抜けない頬を少し緩ませ、彼は安堵した。そうして彼は緩んだ頬を見せながら、空いた片手を私の前に差し伸べた。
差し伸べられた手を握る。
目の前のこのヒトは、人間とは隔絶した"神秘性"を帯びている。化け物と呼ぶべき、暴力的な"美"を宿している。そして、先ほどの水の怪を倒した、という言葉を信じるならば、このヒト型は人類の単体戦闘能力を遥かに超越している。人間世界の常識を真っ向から打ち破る、その存在感。眼前のヒト型は人間ではないのかもしれない。
けれども。彼の表情には邪念が見えなかった。初対面の私の安否を単純に喜ぶ純粋さ。そして、自身の裸体を恥じ、戸惑う人間性。妖精のような純粋過ぎた存在では無い、ある意味の不純らしさ。
美しいのに少し下手なはにかみ方を見て、目の前の彼のことを私は少し信じてみたくなった。彼と同じ目線まで立ち上がる。
「助けてくれて、本当にありがとう。助かりました」
「ふふ。どういたしまして」
感謝の言葉を、素直に受け止め嬉しそうな様子を見せる。
「私の名前は藤丸立香。貴方の名前、聞いてもいいかな?」
「───僕の、名前?」
「そう、君の名前。……ダメかな?」
おや。名前は、秘密だったかな。
「……いや、違うんだ。えっとそのね。
実は僕──────記憶が、無いんだ」
彼は、彼自身の状況について話してくれた。
まず、「虚無の穴」に続くいていたある洞窟で、ある日目を覚ましたということ。目覚めた瞬間から、エピソード記憶、知識に関する記憶が、ふわふわとして思い出せないのだという。一般常識や、ある程度の知識、魔術の存在などについては覚えている。しかし、自分が何者であったのか、何処から来たのか、どうしてこんな所に居るのか。それについては一切分からない。
自身が、探索者だったのか、一般人だったのか、魔術師であったのかも定かではない。そうして状況が掴めない中、取り敢えず人間の生活圏へと帰還するため、虚無の穴を登って来て(!?)、ここまで至ったのだそうだ。また、自身の身体に違和感があるという。記憶が欠落しているため断言は出来ないものの、今の自分の肉体はかつてはこんな姿では無かった筈だと彼は述べていた。
そして、彼の今の身体は常識から外れた身体能力を持っているのだ。「虚無の穴」から、ここまで登ってこられたのは、その恐るべき身体性能のお陰だ、と彼は言っていた。
嘘つけ、と内心思ってしまった。彼の話を信じられない事を許して欲しい。だって実際、何百キロ彼方の地底から、ここまで単独で浮上してくるなんて、何の冗談だろうか。しかし、実際に彼は人間の身体能力を遥かに超越していた。
「本当かな?」と思ったのが、バレてしまったのだろうか。彼は実演として、強化魔術を施した様子もなく、片足で軽く垂直10mを超えた跳躍を見せつけてきたり、森に生えていた木を一撃で真っ二つにし始めた。
ケルピーを倒したのは、魔術でも、超能力でもなく、単純な身体能力であったのだ。流石にそれを見せられると、彼の異常な身体能力、そしてここまでの話は信じる他なかった。彼の話を聞き、彼の現状について把握する。
「……うん、わかった。君の話をここまで聞いて、君自身のことについて推測出来ることが一つありました」
「おぉ、それはなんだい?」
「君が、なぜ虚無の穴なんて場所に居たのか。なぜ記憶に欠落が見られるのか。なぜ君の身体はそんなにも美しく、強靭なのか。それについてだね」
「え、本当に?」
「うん。多分、というか私はコレだとほぼ確信してるんだけど……君の今の状況は、君が妖精の『神隠し』に遭ったことが原因だと思う」
「『神隠し』……?それって、チェンジリングみたいな、妖精が自身の領域に子供を攫うっていうあの『神隠し』のことかい?」
そうだ。「虚無の穴」は霊墓アルビオンにある底なしの穴蔵。底が何処まで続いているのか、未だに観測することすら出来ない暗黒の地。何処まで続くか分からない、ということは「古き心臓」の更に下、人類の未到達階層「妖精域」に繋がっているという可能性すらあるらしい。
それはつまり、彼は「妖精域」に居た可能性があるということだ。
人智を越えた妖精は、拐かした人間を自身の領域まで連れて行く。彼が「虚無の穴」にて目覚めたのは「妖精域」まで攫われたからではないだろうか。そうすれば、彼のその異常な肉体と記憶のあやふやさにも、綺麗に説明が付く。彼のその身体は妖精の祝福によるものだろう。そして、彼の記憶の欠落、それは祝福の後遺症または、奇跡の代償なのだと思う。
妖精の祝福について、少し話させて貰おう。
妖精に攫われた子供が戻って来た時、子供はこれまでは持っていなかった祝福、そして、障害を患う。
祝福とその障害は表裏一体。それは、授けられた異能であったり、特別な才能であったりする。ただ、それは人智を超えた代物。人間社会の枠組みで生きる上では、その枠組みから外れてしまう要因ともなり得てしまう。
たとえば、草木と会話することが出来る異能を、子供が得たとしよう。本人は、今まで話す事が出来なかった花や木に話し掛ける。お喋りが出来たお陰で、彼らと友達になる事も出来るかもしれない。きっと、嬉しくてたまらない筈だ。今まで出来なかった不思議な事が自分に出来るようになる。そうして、子供は、両親にその事を自慢しようとする。草木に話し掛けるように、両親に話しかけるだろう。しかし。草木に話し掛ける為の言語で両親に話し掛けた時、そこでコミュニケーションは通じるのだろうか?
草木の言語は、人に通じるためのものではない。そして、無理やり言語チャンネルを変更された子供は、人間と話す為の言語を、忘れてしまい、話すことは出来ない。
故に、その子供の言葉は、両親には伝わらない。言葉とも言えないような音、そして呂律で語り掛けて来た子供を見て、両親は、どう思う?
彼らは崩れ落ち、嘆く筈だ。自分たちの子供が白痴になってしまった、と。妖精による神隠しは、元々持っていた何かを奪い去る結果となるのだ。
人間社会で生きるには、不必要な異能を授ける代わりに、人間社会で生きる為に必要なものを奪われる。それが、妖精の祝福だ。
………と言っても妖精の神秘は、人間にとって未解明のブラックボックス。例外は、幾らでもあるだろうし、これが魔術社会では、常識とされているだけで、実際は違うのかもしれないし。
おそらく、彼の肉体こそが、祝福によって得たものであり、記憶の欠落こそが、祝福によって失ったものとなるのだろう。ここまでのことを、彼に話した。
「そうだったのか……」
「現代でも霊墓アルビオンで魔術師が神隠しに遭ったというケース、私も聞いた事があるよ」
「え。子供だけじゃなくて、魔術師も遭うのかい?神隠しって」
「そう。遭った人は、子供じゃなくて青年だったらしいけど。神隠しに遭って、その魔術師はこれまで生きていた自分が、どうやら今の自分と同じ存在として感じる事が出来なくなってんだって」
「なるほど……でも、その人の話が伝わっているってことは、その人は、ちゃんとマギスフィアまで帰って来られたんだね」
「風聞が立ってた以上、そうなるね。でも、ごめん。その話は、人から少し聞いただけでね。詳しくは知らないの。……ここまでの私の話、役に立ったかな?」
「大いに役に立ったとも。すごく助かった。………うーん、でもなぁ」
腕を組み、むむむ、と唸る彼。
「立香が名前を教えてくれたってのに、自分の名前を明かさないってのはフェアじゃない気がする」
「記憶喪失だからね。それはしょうがないよ」
「うーん、でも、やっぱ、名前を教えてた以上、名前を返すのが筋だと思うんだ。君に申し訳ないよ。それに………僕は、マギスフィアまで戻りたい。マギスフィア、人間社会で生きる以上、僕には名前が必要になると思うんだ」
彼は、続ける。
「僕の肉体は、原型が無いほど変貌してるっぽい。今の僕はかつての僕とは、魔術的にも違う存在として判断されるかしれない。記憶も無い以上、帰るべき場所も分からない」
「人が一人も居ない世界で生きていた時間では、名前なんて必要無かった。世界は自分だけのモノで、自分を定義する必要もなかった。けど、人の居る場所で生きていくとしたら、他者と自分を分けて考えなきゃいけない。そんな時、自分が自分を定義するための手段が必要だと思うんだ。その手段こそが名前だと、僕は思う。………名前を忘れ、人無き世界で生き延びて来た今、漸くそのことに、気付けたんだけどね」
名前の分からない、喪失感。私が味わったことの無いもの。思い出があやふやとなり、ある種、人生を喪失していると言っても過言では無い彼の苦悶を、私は共感出来た、なんて軽々しく口にしてはいけない。
「ナナシ……ってのも、芸が無いかな。それじゃあ、名前が無いのと同義だ。でも、自分の新しい名前なんてモノ思い付かないや。どうしようか」
再び腕を組み、むむむと唸る彼。
そんな彼に私は、
「────ランスロット」
咄嗟に、声が口から漏れる。
「───」
「ランスロットとか、どう?ほら。君は湖という場所で怪物という敵を徒手で倒して、私を助けてくれた」
騎士は、徒手では死なず。
「君の姿は、まるで伝説の湖の騎士みたいで。お爺ちゃんが、語ってくれた通りの躍動だった。ほんとうに伝説から飛び出してきたのでは、って思っちゃったぐらいで」
「───」
「だから、かの伝説に肖った名前のランスロット。ダメかな?」
「─────。ランスロット。そうか、ランスロット。」
「でも、コレは私が君を見てそう妄想しただけで、あくまで一つの案として聞きながして欲しいなって───」
「うん。決めた」
「えっ」
これしかない、と確信した顔であった。
「ランスロット。僕の名前は、ランスロットだ」
まさか、私の提案した仮案が、そのまま採用されてしまったのである。
「えぇぇ?!い、いいの?」
「うん。すごくいい。すごく気に入った。ランスロット、すごくカッコいい名前じゃない?」
「……気に入ってくれて嬉しいな。でも、本当にそれで大丈夫なの?」
「いいとも。嬉しいのは、こちらの方だ。重ね重ね、ありがとう立香。
……誰かに名前を考えて貰えて、名付けて貰えるなんて。嬉しくてしょうがないよ」
「───う、うん。じゃあ、そうだね……こほん。私はね、ポータルを踏んじゃって、このエリアに転移して来た。探索チームから逸れてしまったの。でも逸れてしまった上礼装が音信不通になったから、私を救助することは不可能。だから、迷宮を脱出するには、単独で動かないといけない。でも、私の能力を鑑みると……正直、それは不可能に近い。そしてランスロット。君はマギスフィアへの浮上を目指している。つまり君の目的は迷宮の脱出であり、私と一緒。それは合ってるよね?」
「あぁ。合ってるとも」
「私はケルピーみたいな怪物に遭遇したら成す術が無い。けれど、アルビオンの環境については探索者をやってるからよく知っている。予備の地図も頭に入ってるから、帰還への道筋もわかる。ランスロットは、マギスフィアへの行き方、わかる?」
「……実は全然知らない。アルビオンについては、これまで見た事が全てだ」
「そうだね。ランスロットは、アルビオンについては、殆ど何も知らない。けれど君には、アルビオンの原住生物達に対抗出来るほどの力がある。私には力が無い。そして君には、知識が無い。私たちは互いにとって足りないモノを持っている。そこでなんだけど……マギスフィアへの帰還のため協力し合う、というのはどうかな?」
アルビオン脱出のための共同戦線。
共同戦線、協力、或いは同盟。
私はそのための提案をした。
その提案を受けて、彼は。
「────勿論だ。逆に、自分から君に頼む込む腹積りだったよ。その提案には大賛成だ。では、よろしくね。藤丸立香」
その提案を、了承したのであった。
「うん。よろしく、ランスロット。───じゃあ、マギスフィアまで行く間、これを君に預けるね」
私は羽織っていた外套を外し、彼の肩に掛ける。
「はい、どうぞ。狂えるオルランドではあるまいし。ほら、湖の騎士様が裸じゃ、格好が付かないでしょう?」
私は片目を瞑って呟く。
白くなりつつあった、彼の顔は再び赤みを帯びていく。
そう。ここまでの会話の中でずっと。
彼は、全裸であった。