ハロー,ハッピーワールド――瀬田薫の場合
文化祭まで残り2週間弱,今日も今日とてCiRCLEでアルバイトだ。
流石に休日だからか,ひっきりなしに人々がやって来てはスタジオに入って行く。
もはやそこまで来たら足音だけでどれくらいの人数がいるのかは正確に測る事が出来ない。流石にそれ出来たら自分でも人間を辞めていると自白しよう。
まあ,そもそも今日はカウンターでの接客ではなくPAスタッフとして来ているのでどれくらいのお客さんが受付に来ているのかとかは今は気にしなくても良い。
というか,気にする余裕がない。
バンドの人達の音に対する要望を正確に捉え,それに応える作業をし続ける。
このライブハウスでライブをするバンドの殆どが俺の眼について知っているけれど,土地柄なのか邪険にされる事は無い。
それに有難い事に,俺のPAとしての腕を買ってくれている人もいる。
まだこの仕事を初めて1カ月と少ししか経っていないのに,俺にお任せするってバンドもいたからな。…いやそれはそれで良いのかと思うが,彼女達の笑い声が楽しそうだから今はツッコまない事にした。
「疲れたー」
そうして何バンドかのPA作業及び,ライブを見届けて俺は休憩を貰っていた。
まりなさんはライブに来た人達の受付でてんやわんやしていてまだ来ないようだ。外のカフェテリアで,俺は台本を片手にイメージトレーニングを積んでいた。
もとより,イメージする事が重要なヴァンガードをやっている身。想像する事だけは得意だった。
それが真実であるかどうかは別としてだが。
そうやって俺は点字で場面を負いながら,白鷺先輩に教わったように感情が灯った演技を表すにはどうするべきかを考え続けた。
そうしていた俺に届いたやけに印象に残る人の声
「おや,導志君じゃないか」
台本から手を離し,そのどこかディフォルトで演技をしているのではないかと思うほど底が読めない声の持ち主の方へ顔を向ける。
「瀬田先輩,こんにちは」
「やあ,こんにちは。舞台の練習かい?」
瀬田薫先輩,世界を笑顔にするというコンセプトで結成したバンド,ハロー,ハッピーワールドのギタリストにして羽丘女子学園演劇部屈指の王子。
シェイクスピアに心頭しているけれど,多分本人は言葉の意味は余り分かってない。多分。
「はい,この前白鷺先輩に色々教えてもらったのでそれを踏まえてどう演じるかイメージしてました」
「なるほど,千聖から教えを受けたのだね。さぞかし儚い指導だっただろう?」
因みに,この先輩の口癖は儚いだ。
何でそうなったのかは知らんけど,この人堂に入って言っているからこの場面において正しい言葉なのではないかと錯覚すらも覚える。全くそんな事は無いけれど。
あ,そう言えば白鷺先輩とは幼馴染とも言ってたな。
少し儚いのトーンが戦慄したようなものに聴こえたのは,彼女の中で白鷺先輩の演技指導に思う事があったのかもしれない。
その指導を受けたのは素人の俺なんだから当たり前ではあるが。
「それはもう,ただ…必要なことを教えてくれました。」
演技指導だけじゃない,俺がこれまで生きるためにやって来たことをは他者を焚きつけ引っ張る力があると言ってくれた。
俺自身はまだその力を信じ切れていないけれど,知らないままでは考えようともしなかった事も確かにあった。
深川君もそうだし,枳殻さん神田さん…そして園田が俺の為に色々やってくれること。
俺は白鷺先輩に言われるまで,それは彼らが優しいからそうしているのだとばかり思っていた。
優しいのは間違いない。こんな色んな意味で半人前の俺を案じてくれているのだから。
…けど,白鷺先輩はそれが俺がこれまで生きる為にしてきた成果に周りが応えたいからだと教えてくれた。
それが本当の事なのか,俺にはやっぱりわからない。
だけど…本当にそうなのなら,俺が周りの人に助けられているのは俺がそう言う人間になれているからだと…今は信じてみたかった。
「そうか,それは儚いね。」
「はい…そう言えば瀬田先輩はなんでここに?今日ハロハピは予約ありませんでしたよね?」
そこまで話して,そう言えば彼がどうしてこの場にいるのかを聞いていなかった。
もちろんライブハウスなのだから,バンドしている彼女がいる事は何ら不思議ではないのだが足音や周囲の声的に彼女のメンバーであるハロハピはいない。
つまり瀬田先輩が1人で来ていると思うんだが…
「ああ,私はいつものように運命のそよ風に従って歩いていたらここに辿り着いていた。そこに君の姿を見てつい声をかけたという訳さ」
…まあ,要するに外を散歩していたら休憩中の俺を見て声をかけてきたという事か。
ただ,それならそれで丁度良かった。
俺はショルダーバッグから王冠のシールが付いた封筒を出して彼女の方に手渡した。
「おや,これはなにかな?」
「俺の高校でやる文化祭の招待状です。鶴巻先輩から5枚分って注文されたんですが…」
俺が一瞬言葉に詰まってしまったのは,ハロハピのリーダーである鶴巻先輩から「文化祭?とっても素敵ね!もちろんハロハピ皆で行くわ!」って勢いで言われて頼んだものだが…よく考えなくてもあの時鶴巻先輩他のメンバーの意見を聞いていなかったなと今更ながらに思ったのだ。
しかし,俺の心配も他所に瀬田先輩はさらりとその招待状を受け取った。
「ああなるほど。確かに受け取ったよ」
俺が考えたことが分かったのか,それとも分かっていないのかは知らないが彼女のは颯爽とその招待状を多分しまった。
俺の不安とか白鷺先輩曰く分かりやすいらしいから,瀬田先輩もきっと手に取るように分かっただろうに,そんな俺の不安を消し去るように彼女は王子様としてふるまった。
普通にかっけえなこの先輩。
「風の噂では聞いていたが,導志君が舞台に…主役として立つらしいね。」
「…もしかして姉ちゃんから何か聞かれました?」
「ああ,弟を思う有咲ちゃんの表情。実に儚かったよ」
「あ,はい。なんとなく何を聞かれたのか悟りました」
多分,白鷺先輩に聞いたのと同じように演技のコツについて聞かれたのだろう。
その聞いたコツっていうのを俺は教えられていないし,昨日練習中にも白鷺先輩に聞いたのだが基本となる事を教えただけという。
まあ,姉ちゃんからはそれを教えられていないからタイミングを逃してしまっているのかもしれない。
…最近,姉ちゃんも俺も忙しくてあまりゆっくり話せていないしな。
今日あたり,何か話してみようかな。
まあ,この後ライブで来るんだが。
「そうだ,瀬田先輩は舞台に立つときどんな事考えてますか?」
そこまで話して俺は思い出したかのように経験者が何を考えているのかを聞いた。
俺は眼が視えないって性質上,教室だろうが公園だろうが舞台上だろうが”ここに立っている”という意識が強くてあまり差別化が出来ていない。
もちろん何となく足場の雰囲気や周りの声で今舞台に立っているとかは分かるんだが,なんかこう…オンとオフの切り替えの仕方が分からない。知らない間に舞台に立っていたって事も普通にあるからな。
「そうだね,私は常に役と向き合う事を考えているよ」
「役…?この主人公はこんな時に何を考えるだろう?とかですか?」
「そう,私達役者は”誰か”を演じているがけしてそれは”自分”ではない。故に誰かを演じる時はその思考を止めてはいけないよ」
…俺もその位なら常には無理だが,それなりに考えてやるようにしている。
その時に感じた事が,白鷺先輩の言う感情に則った演技に必要なことだと思うから。
いや勝手に期待していただけなんだが,そんな事で良いのだろうかと俺が思った時…瀬田先輩の思考の奥深さを理解していなかった。
「例えば,何かを考える時,人は自分の経験に基づいて考える。」
「まさか,そのこの時に何を考えるだろうって言うのは…」
「ああ,そうともさ。その役の人物の産まれ,人生,生き方…そう言ったものを感じ,解釈する事こそが大事だと私は思う。」
俺がやっていたのは,あくまでも主人公がこの場面に陥った時何を感じるであろう?っていうその場面の,主人公の過去の経験を考えない感じ方をしていた。
けど,瀬田先輩はそれだけじゃなく演じる役がどんなに生きたのかを頭に叩き込み,そこから解釈しているという。
つまり,それは…
「シェイクスピア演じてる時も,彼の人生を把握してどう演じるかを決めてるんですか?」
「もちろんだとも。シェイクスピア曰く過去はただの序章だよ」
「…ん?それあってます?」
なんとなく,その言葉の意味はこの場合に相応しくないような気がしたが瀬田先輩は要領掴めない,でも調子が良いのだけは分かる声色でいつものように
「つまり,そういうことさ」
「???」
でも…彼女が演じるうえで何をしているのかは分かった。
彼女自身がどう纏めたいのかはさっぱりだが。
「さて,私はそろそろ行くよ。導志君の儚い舞台,楽しみにしているよ」
「あ,はい。お話ありがとうございました。」
「後輩の頼みだからね,問題ないさ」
瀬田先輩が同年代,或いは後輩の女子を呼ぶときに比喩としてよく”子猫ちゃん”って言うんだが,俺の場合は普通に後輩って言われている。
学校に関しては別だから本来先輩後輩とかないんだが,俺が上の年齢の人に先輩って付けるし普通に男だしで後輩って呼び方になったのかもしれないとどうでも良い事をおもいながら,瀬田先輩は軽やかなステップでもするかのようにどこかに行くのだった。
お疲れさまでした!
薫の謎ワード,導志も困惑する。
でもその演技に対する熱量をリスペクトしているのであった。
次はモニカ編,ましろとつくしです!
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