星の鼓動に闇は閃く   作:レオ2

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てなわけで,23話目にしてようやく(連続投稿していたからあまり自覚ないけど!)デート回です。
本作品オリジナルの原作改変はありますが,原作の流れは変わりないです。
では!



香澄と導志の初デート

 戸山香澄にとって,市ヶ谷導志はバンドメンバーである市ヶ谷有咲の弟…いわゆる友達の弟という奴だが香澄にとって導志はそれだけじゃない存在だ。

 バンドを始めてからの初めての挫折,それを乗り越えたのはメンバー達の言葉の1つ1つがあったから。

 

 けれど,香澄にはその前の導志の言葉も…救われた一端を担って,初めての男の子の身近な存在なのもあって意識する存在だった。

 

 そんな彼女にとって勇気を振り絞って誘ったデート,導志は少し様子が可笑しかったが受けてくれた。

 学校では放課後が楽しみ過ぎてバンドメンバー達から何かあったのか聞かれたが,なんとなく友達の弟と2人で出かける事を報告するのが恥ずかしくてらしくもなくはぐらかした。

 

 いつものようにギターを背負って,放課後になると友達達に挨拶しながら急いで待ち合わせのCiRCLEに向かった。

 都電に乗っている間,彼に対してはそれほど意味がないと分かっているけれど髪の毛を弄り,母親から貸してもらった香水なんてつけて制服のままで出来るお洒落を最低限決めた。

 窓から見える景色,いつものCiRCLEに行く道と一緒の筈なのに…小さくガクンと揺れる度に胸が緊張に震える。

 

 ポピパのメンバーと一緒にステージに立つものとは違うドキドキ,昨夜悶えに悶えまくって寝ずに考えた彼と一緒に行きたい場所。

 普段自分が感じているこの街のキラキラドキドキを,導志にも感じて欲しいが為に立てた今日のプラン。

 彼は普段自分達の街に愛着を持つようなタイプじゃない。

 こんな事があったよって伝えても,彼の反応は楽しそうにも余り楽しくなさそうにも見えて…この街の良い所を余り知らないからだと思ったからだ。

 彼は喜んでくれるかなって,少しの不安と期待を感じながら都電を下りて”少し早すぎたかな?”と思いながらもCiRCLEにやって来ると――待ち人は既にカフェに座ってどこか上の空で物理的に空を見上げていた。

 

(なにしてるのかな…?)

 

 空に何かあるのかと一瞬思ったけれど,見ても元気に飛ぶカラスの姿や漂う雲しか見えなかった。

 改めて,導志に近づきながら深呼吸して努めて明るく切り出した。

 

「どーくんお待たせ!」

「ひゃあ!」

 

 すると,導志はおもしろい位ビクッと身体を震わせて香澄の方をバッと振り返った。

 それを視た香澄は珍しいと思った。

 普段から導志は,凄まじく周囲の気配に敏感で身近な人限定であれば遠くの足音だけで誰がいるのかが分かる位には超人じみた気配察知能力を兼ね揃えている。

 そして香澄は自画自賛ながら自分を身近な人だと思っているし,実際導志にとっては身近以上に意識する人間なのだが,そんな彼の反応が遅れる事は本当に珍しかった。

 

「どうしたのどーくん?」

「い,いえ…なんでもないです」

 

 そんな訳はなかった。

 対外的に視ればデートに誘われたも同然の導志は,今日一日香澄の事が頭から離れず緊張が身体を支配していた。

 なんなら,香澄が来る寸前に”まだ来ないかな”って言ってしまう位には緊張による油断をしていた。

 いつもなら分かる香澄の接近に気がつかなった事で,導志の身体の交感神経が凄まじい速度で活性化され…知らない間に浅い呼吸になりつつあった導志の手を,香澄は無我夢中で握った。

 

「大丈夫だよ」

 

 そして,そんな導志の姿を見たのは初めてじゃない香澄はいつもそうしていたように少し力強く握り自分を認識させる。

 去年も,導志が訳あってこうなってしまった時がある。

 その時は有咲がこうやって導志を落ち着かせていたのを,香澄も真似するようになった。

 香澄にとってそれは当たり前の事で,以前は緊張とは無縁だった…筈だった。

 

 けれど…

 

「——っ」

 

 香澄の手を握り,恥ずかしそうな…普段は滅多に見せない顔を見て香澄は不思議と保護欲を感じた。

 そんな香澄の様子には気がつかず,導志は小さく首を垂れた。

 

「…すいません」

 

 ただ声をかけられただけというのに,普段の調子が出なくてあったばかりの香澄に介抱してもらったことは導志にとっては恥ずべきものだった。

 高校に上がってからこんなことはなかったから余計彼にはそう感じてしまったのだ。

 

 そんな彼の感情の機微を感じた訳じゃないが,香澄は視えていないと分かっているのに首を反射的にふるふると降り謝罪した。

 

「ううん,私もいきなり声かけてごめんね」

「い,いえ…」

 

 そう言ったきり,黙ってしまった導志。

 何かを言おうとするが,直ぐに口が閉じてしまうようだった。

 それが何故なのか,香澄には分からなかった。そもそも2人きりでいること自体は割とあるのだ。

 大体が有咲の家や…二次試験の時の帰り道の時のようにだ。

 けれど,いつもと同じようには到底見えなかった。

 それが何故なのか,香澄は分からなかったけれど…こんな暗くなりそうな導志を見ていたくはなかった。

 

「それじゃ行こう!どーくん!」

 

 握った手をさらに強く,離れないように繋ぎカフェの椅子に座ったままの導志を強引に立たせて呆けた表情をした彼をそのままショッピングモールの方向へと引っ張っていった。

 やがて,香澄がちらりと導志を見ると…彼は先程の不安とは無縁の小さな笑みを浮かべていて――香澄はその小さな変化にドキッと心臓を鼓動させた。

 

 2人はその後,ショッピングモールへと足を進めた。

 導志と行きたい場所,体験したいものは昨夜の内に香澄は決めていたが,やはりいつもと同じ感じとは言えなかった。

 端的に言えばいつもと違ってドキドキが止まらなかった。

 香澄も導志と2人きりで出かけること自体は初めてで,それが意味するところを香澄自身が意識しまくっていたからだ。

 

 すなわち,これがデートであることをだ。

 香澄とてデートだと思っている事をした事はある。しかし,それは男女のそれではなくポピパの誰かや,妹の明日香と一緒に出掛ける事をそう比喩していっていただけに過ぎない。

 けれども,今隣で手を握っているのは男の子…彼の性質上こうしないといけないからと無理やり納得させ手を握る。

 誰がどう見ても恋人同士のようにしか見えない状態を普段の香澄であればあまり意識しない。

 でも…今は,意識せざるを得なかった。

 男の子である前に,香澄にとって1年前のあの日から意識してきた人だったのだから。

 

「このお店のクレープ美味しいんだ!」

 

 そう言ってショッピングモールにあるフードコートの一角,クレープ屋にやって来た香澄は楽しそうに指さし導志を連れて行く。

 導志はまだ食べると言っていないが,この強引さは香澄の持ち味であることも理解している為何も言わず手を引かれていく。

 …まあ,香澄に手を握られていることを意識してそんな事を言う余裕がなかったとも言い換えられる訳だが。

 実際,外野から見れば面白い位に頬を紅潮させているのだから。

 

 香澄が連れて来たクレープ屋は,放課後の時間,それも周辺には女子高が多いからか女子高生が多く導志の耳にも”俺場違いじゃね?”と思ってしまう位には女性の声しか聴こえなかった。

 フードコートという性質上様々な人間の声が跋扈している影響で,どれくらいの人数がいるのかも流石に把握できなかった。

 ただ,少なくとも男性がいない事は確かだった。

 本当なら今すぐにでも離脱したい所だが,何故か香澄が握って来る手の力が強まり離脱するにも出来なくなってしまったのだ。

 

「えっとね,ここにはイチゴとかジャムとか色々あるんだよ。どーくんはどんなの食べたい?」

 

 香澄の力が強まったのは,導志を逃がしたくない…からではなく,この場所が導志にとって嫌な場所じゃないか分からないが故の不安の表れだ。

 普段ならとことん突き進む質だが,無意識に導志に嫌われたくないという思いが出ていたのである。

 そもそも,導志はヴァンガード以外の事となると酷く無頓着だ。否,無頓着というか諦めているという方が正しい。

 プロになるという渇望を抱いていて,その為の思考を止めはしていない。

 けれど,人間が生きる為の娯楽や享楽といったことにはあまり関心がないのである。

 

 最近ではようやく音楽がヴァンガードと同じ関心レベルになったかどうか位だが,そんな訳で普通の男子高校生とは違う事情を持っているのが導志という訳だ。

 当然彼はクレープ屋に来たことなどなく,どんなものがあるのかすらも分からない。

 なので無難に

 

「一番普通の奴ってどんな奴ですか?」

 

 そもそも,食べ物を見たのが導志基準では昔過ぎてあまりイメージも出来ない。

 イチゴとかジャムとか言われても,どんなものがクレープという物体なのかすらも想像できない。

 だから滅多にないが,いくつかの種類がある時導志は一番スタンダードな奴を頼むことにしている。つまりポテトチップスは薄塩味,じゃがりこならサラダだったりだ。

 

「普通…?だったら――!」

 

 そんな訳で,多少長かった列を並びきり2人は無事にクレープを購入した。

 香澄は色々なフルーツを具にしたもの,導志はホイップクリームを中心にしたクレープだ。

 受け取りの際,香澄がわざわざ導志の手を握ってクレープを持たせたことを不審げにみた人は割といたが,導志の手首に白杖があるのを見つけて何人かは納得の表情をし,みな言葉には出さないながらも心の中で香澄にエールを送っていた。

 彼女達にとって障碍者の介抱は,”押し付けられるもの”の意識が強かったのかもしれない。

 …まあ,彼女達の懸念は香澄にとって余計なお世話ものだ。香澄は自らが望んでこうして導志を導こうとしているのだから。

 実際香澄はその周りの生暖かい視線には気がついていないのだ。

 

 香澄に手を引かれ,席に座った2人。カウンター席であり,2人は並んで座った。

 

「えへへ,いただきまーす!」

「いただきます」

 

 がぶりと,2人はクレープに噛り付く。

 導志の口の中に,ホイップクリームのふわふわな感触と濃厚ないちごジャムが広がり…ぶっちゃけとても甘かった。

 しかし,そんな甘さを引き立てる生地は丁度いい硬さであり香澄が絶賛するように中々に美味だった。

 

「ん~!美味しい!」

 

 隣では,何度も食べたであろうクレープなのに香澄が頬を蕩けさせ幸せそうな笑みを浮かべていた。

 導志はその笑顔を見ることができない自分に幻滅しながらも,香澄が幸せそうで良かったとも思っている。

 

「どーくん一口ちょうだい!」

 

 とか思っていたら,香澄はそんな提案をしてきた。

 少し苦笑いしながらも,導志は自分のクレープを香澄の方に差し出した。

 

「どーぞ」

「はむっ!甘くて…美味しいね」

 

 …そこで導志は思った。

 気がつくのが遅いが,これ普通に間接キスではと。

 大方キスなんて場面,導志が最後に視たのなんていつだろうと思うし…ていうか多分見たことないからどんなものかすらも知らないが園田やクラスメイト男子勢と話すうちにそんなワードが出てきた事だけは覚えていて,落ち着かなくなってしまった。

 

「そ,そうですか…よかった,です」

「どーくん,あーん」

「——っ?!」

 

 導志は自分の身体がぶわっと熱を灯されたのを感じていた。

 それもその筈で,香澄がそんな思春期の男子高校生を嵌めごろす文句第3位くらいの文言を言ってきたのだから。

 周囲では他のお客さんの声もさっきまで聴こえていた筈なのに,いつの間にか導志の耳には彼女の声しか聴こえなくなってしまっていた。

 くらくらしてしまうほどの濃密な声色で,導志はここに至ってようやく香澄の様子がいつもと違う事に気がついたのだ。

 

 その香澄は,そんな自分の行動にほっぺを赤くしてクレープを持っていない方の手は少し震えている。

 バンドメンバーにはよくするが,あれは女友達だからという意識が強い。

 けれど…導志は違う。

 今日だっていくつかの理由があって彼をデートに誘ったけれど,こうする事も予定だったけれど…改めてこの場面になると自分が思っていた以上に彼を意識してしまう。

 

 そして香澄の”あーん”に固まってしまった導志は恐る恐る,彼女に問いかける。

 

「えっと,別に俺は…」

「わ,私もどーくんの貰ったから一口だけ,一口だけあげる」

 

 等価交換だという香澄の言葉,導志は余り思考が定まらない中でほぼ無意識に…間違えて香澄の手の甲に口を付けた。

 

「ひゃあ!」

「——っ,ご,ごめんなさい!」

 

 言うまでも無いが,導志は眼が視えない。

 はい,と何かを渡されてもその渡されたものを手に取ることは愚か口を付けるのは困難なものだ。

 普段の香澄であれば普通にクレープを口元にまで持って行くのだが,香澄は香澄で自分の羞恥心と戦っていて配慮が出来ていなかった。

 その結果,導志はほぼ第六感による口づけを…普通に間違えて手の甲にしてしまったのである。

 余りにもいきなりな刺激に,香澄はショッピングモールでは出してはいけないような声を出し,導志は反射的に顔を引っ込めた。

 

「う,ううん。大丈夫,はい,口開けて?」

 

 そして導志の謝罪を,半ば反射的に受け入れ香澄は胸に灯る火を誤魔化す為に今度こそ彼に口を開けるように言う。

 導志も導志で,普段と違う香澄にドギマギしている影響で普段の冷静さが微塵も無く人形のように小さく口を開け…香澄は自分のクレープを彼の口元に運び…入れた。

 

 …と同時に香澄は思った。

 

(これ,間接キスだ)

 

 一拍遅れた気付き,既に遅いが周囲の人間から見れば香澄の顔は耳まで真っ赤だった。

 しかし,それでもクレープを強引に引き戻さなかったのは導志に美味しいものを食べてもらいたいという心の表れだったのかもしれない。

 そして,口を離したクレープをそっと引き戻し香澄は導志が食べたクレープの痕を見て今まで知らなかった扉が開いてしまいそうになって…

 

「ん,美味しい」

 

 導志の純朴な感想によって現実に戻った。

 

「そ,そっか~!良かった,ポピパの皆もこのクレープ好きなんだよ」

「姉ちゃんがクレープ食べている所想像できねえ」

 

 苦笑いする導志,彼にとって姉の姿を見たのは小学三年の運命の日が最後。

 流石に6年以上前ともなると記憶も薄れているし,そもそもクレープという物体を何となくでしかイメージ出来ないので想像できないのは当たり前である。

 だから導志にとってはこれは当たり前の言葉だが,香澄は違う意味に捉えたのか一瞬寂しそうな表情をした。

 しかし,気を取り直したようにくすくすと笑う。

 

「でもいっちばん美味しそうに食べるんだよ」

「そうなんですか,良かった」

 

 導志が漏らしたその言葉に,香澄は不思議そうな顔になるのが抑えられなかった。

 流石に,今の会話の流れで”良かった”という言葉が出てくるのは香澄をしても意味が分からなかったのである。

 そんな香澄の感情の機微を,調子を取り戻しつつあるのか感じ取った導志はその理由を語った。

 

「ちゃんと姉ちゃんにも,そんな顔を見せられる友達が増えた事ですよ」

 

 導志の姉である市ヶ谷有咲は一言で言えば過保護である。

 家ではほぼ常に付いているのは当たり前,中学時代では学校から帰る途中で導志を待ち伏せし帰っていたし勉学についても根気よく,導志が何について勉強しているのかを想像できるように色々調べてくれたり,導志がヴァンガードを始めた時,カードを買う時に一緒に来て探すのを手伝ってくれるだけではなく彼がファイトする時にシールを使うという方法も有咲が発案したものだ。

 導志が物理的にも精神的にも躓いた時は,他の誰よりも心配し周囲へ圧を放っていたりもしていた。

 実際,初めて会った頃の香澄が導志と関わろうとした時も酷く取り乱していた時もある。

 

 この6年半,有咲がいなければ導志も諦めていた事は沢山あったし…実際何個かは諦めているが,それでも今の自分があるのは有咲の献身的な介抱のおかげなのは疑いようのない真実だ。

 それは有咲にとって償いでもあった。

 あの運命の日,自分を庇っただけの弟は見るも悲惨な状態へ追い込まれ挙句眼の光を失った。

 眼には縦一文字の傷,身体にはまだ小さかったのにも拘らず切り傷のオンパレード。

 有咲は悲鳴をあげ,ただ意識がない導志に何度も謝った。

 

『ごめん,ごめん,ごめん,ごめん』

 

 病院のベッドで,懺悔が続いて――数日たって目覚めた導志。

 それは有咲が更に罪の意識が目覚めた瞬間だった。

 

『そこにいるの…だれ?』

 

 当時の有咲の心境では…まさに頭が真っ白になった。

 何も考えられなかった。

 その事を意識なんてしたくないのに,してしまう。

 記憶喪失ではない,記憶喪失であれば”そこに”ではなく”あなたは”と言う筈だ。

 だから分かってしまった,導志の眼が視えなくなっていた事に。

 

 それからは香澄も知っていた。有咲は導志に対して凄まじいまでの過保護に,自分のせいで人並みの幸せを得られなくなってしまった導志の人生の一端を一緒に担う事でその罪に穴がおうとした。

 それこそ,自分の一生を使っても良いと考える程に。

 眼が視えなくなった当時は,まだ肉体へのダメージもあって満足に動けない導志の介抱を学校休んでしていたし,医者による白杖を使った歩行トレーニングにも立ち会い勉強し,夜は一緒にお風呂に入り,一緒の布団で眠る。

 有咲の生活の中心は間違いなく導志だった。

 

 その事を疎ましく思ったことは導志にはない。

 自分が守りたいと思った姉が,元気でいてくれたらそれだけで良かった。

 隣でいてくれるだけで,安心した。

 

 でも,導志には同時にそれは辛い事でもあった。

 彼女が周囲に自分の事で怒ってくれるのを見る度,自分は有咲の時間を奪っているのではないかという意識。

 自分が姉の時間を,貴重な学生生活を無為にしているのではないか。

 

 そして,それは有咲がミュージックスクールを辞めた時,人とあまり関わろうしないのを見た時,そして…学校に行くのが不定期に変わった時に確信した。

 遠回しにやんわりと,学校に行きなよと言ったけれど有咲はその必要はない,単位をギリギリとってテストで良い点だけとっとけば進学出来るの一点張りで導志は助けてもらっている罪悪感もあってそれ以上にツッコむ事が出来なかった。

 けれど…

 

「うん!有咲は私の…私達の大事な友達だよ!」

 

 この隣にいる戸山香澄が,そんな有咲を外の世界に引っ張っていった。

 ライブハウス,学校,そして音楽。

 香澄にとっての始まりの日,グリグリのライブを見た日に誘ったバンドメンバー。

 それが有咲であり,彼女は当初断った。面倒だからとか,色々理由を付けて。本当は導志の世話をしなければならないからという文句があるのを,導志だけは知っていた。

 でも,晩の食卓の場で香澄について話す有咲は迷惑そうにしながらもどこか楽しそうにも導志には見えて――ある日,香澄と有咲,導志が揃っている場面で言ったのだ。

 

『姉ちゃん,やりたい事があるならやってこい。俺は…1人で大丈夫だから』

 

 実際1人で大丈夫だなんて大ウソなのだが,当時は人間関係で導志も精神的に死んでいたのだから。

 しかし,それを態度には出さず自立していけるから姉ちゃんもやりたい事をやれという弟の我儘だった。

 それが有咲の,ポピパに加入した際の幕間だった。

 その選択は誰が何と言おうと良かったものだと,導志は思っている。

 香澄のように,姉を必要としてくれる人たちが増えたことが導志にとっては嬉しいものだったからだ。

 

「…そう言ってもらえるなら,俺もあの時吠えた意味がありました」

「うん,あの時一緒に有咲に言ってくれてありがとね,どーくん」

 

 因みに,本日その有咲はAfterglowの蘭と盆栽を見に行っており

 

「はっくしょん!!」

「有咲大丈夫?」

 

 唐突に襲って来たくしゃみに困惑していた。

 

 閑話休題

 

 2人は他愛のない話をクレープを食べながら話し,食べおえたら香澄はすっかり調子が戻ったように導志の手を取った。

 

「行こっ!」

 

 と,導志は目的地の1つも聴いていないのだがそのまま香澄にショッピングモール,そして商店街へと連れまわされた。

 ショッピングモールでは,今話題のバンドの新譜を2人で試し聞きしたり,お洒落なお菓子を売っているお店で香澄の妹である明日香や有咲のお土産を見た。

 商店街では,様々なお店を香澄と一緒に回っていたのだが…

 

「あら香澄ちゃん,その子彼氏?」

 

 香澄は商店街では有名であり,香澄の事を商店街の殆どの人物は知っていた。商店街の活気が一時期無くなった時も,香澄と彼女のバンドが活動してくれたおかげで元の活気が戻ったこともあり,商店街にとって香澄は恩人のようなものである。

 彼女の天真爛漫な性格は,いるだけで周囲の人間を明るくしてくれるのだから香澄が商店街のお爺さん,お婆さんに可愛がられるのも自然だったのかもしれない。

 

 だからこその,八百屋のお婆さんの一言だった。

 というか,香澄が男の子を連れている場面など初めて見たからこその言葉である。というか,なんなら手を繋いで仲睦まじい様子を見れば誰だって思ってしまう位には様相はカップルだった。

 

 導志とてこの商店街には何度か来ているし,昨日だってGalaxyに来るために来ていた。

 だがはっきり言って導志単体ではそれほど目立つわけでもなく,香澄といて初めて注目が浴びたのである。

 

 そして,そんな予想外の一言に香澄は

 

「へっ?!」

 

 調子を取り戻した香澄だったが,この一言は流石に予想外だったのか目を白黒させ…次第に頬を紅潮とさせて何かを言おうと思った。

 だけど,上手く言葉が出なくて隣にいる人物を見ると…少し悲しそうな表情をしたのも一瞬,どこか苦笑いしながらやんわりとお婆さんの言葉に首を振った。

 縦ではなく横だ。

 

「いえ,そんなんじゃないですよ。ちょっと眼が視えないので,香澄さんのご厚意でこうさせてもらっているだけです」

 

 そう言って,自分の方からは握っていない手をお婆さんに見せる。

 流石に眼が視えていないとは思っていなかったのか,導志の言葉に目を丸くして見上げた。

 しかし,直ぐに柔和な笑みを浮かべると軽い感じで謝罪した。

 

「そうかい,悪い事を聞いたね。」

 

 それだけの会話,導志と香澄は付き合っている訳でもないのだからごくごく自然な会話だ。

 それは香澄にだって分かっている。分かっているけれど…。

 香澄は空いている方の手を,そっと苦しそうに胸に当て,彼女にしては珍しく笑顔を無理やり作ったような表情をした。

 導志が自分との関係を恋人じゃないと言ったことに,ぽっかりと穴が開いたようながっかり感が満たしてきたのだ。

 

 …のだが

 

「でも香澄ちゃんは良い子だから良いお嫁さんになるよ」

「「——ッ?!」」

 

 香澄は商店街のお婆さんという人種を侮っていた。

 こういう暖かい商店街のお婆さんというのは基本的にお人よしであり,噂好きでもある。

 彼女にとって導志には香澄がお似合いだと思ったが故の言葉だった。

 理由?そんなものフィーリングである

 

 ”はっはっ!”と大笑いしながら八百屋に引っ込んでいくお婆さん,さらっと爆弾発言をした事を気にも留めず,ていうか愉快に笑いながら置いて行かれた導志と香澄はとんでもなく気まずかった。

 というか導志は普通に”何言ってんだこのお婆さん?!”という気まずさだ。

 

「い,行こっか,どーくん」

 

 今日だけで3回目の文言,しかし今の行こうという言葉には先の2回ほどの元気よさは無く,羞恥を誤魔化すものだと流石に導志にも分かった。

 導志も香澄も,予想外の言葉に身体を熱くして逃げ出すかのように香澄は手を引っ張ったのだ。

 引っ張られる導志は一瞬コケそうになりながらも,お婆さんの予想外の一言に動揺してあっさりと引っ張られて行った。

 2人は商店街にあるカフェ…羽沢珈琲店に逃げるようにやって来た。

 

「いらっしゃいませ,あ,香澄ちゃんに導志君」

 

 このお店はAfterglowの羽沢つぐみの生家でもあり,彼女もまたお家の手伝いをしている。

 ガールズバンドパーティーの中でも憩いの場としての側面を持つこの場所に香澄の足が進んだのも,ある意味必然だったのかもしれない。

 

「こ,こんにちは」

「…羽沢先輩,こんにちは」

「…?」

 

 つぐみは凄まじいまでの違和感を持った。

 言うまでも無く,普段は元気溌剌な香澄が照れたように反応が鈍いし,導志に関しては顔を赤くしてどことなく居心地が悪そうにしている。

 しかしつぐみとて女子高生,2人の並々ならぬ様子に”はっ!もしかして!”と勝手にラブな予感を感じ取り少し緊張しながら香澄に席を案内した。

 

 2人が席に座ると,つぐみは香澄の前だけではなく導志の前にもメニュー表を置いた。2つ分のメニュー表が置かれたことが分かったのか,戸惑いの表情でつぐみがいる方へ目を向ける導志。

 

「導志君,メニュー表開けてみて」

 

 そう促され,恐る恐るメニュー表を手に取り見開きの所を持つとメニュー表を広げた。

 そのまま適当にメニュー表を触ってみると…導志にとっては馴染みのある感触がありつぐみの方に顔を向けた。

 

「わざわざ点字を付けてくれたんですか?」

「うん!お父さんが折角ならって」

 

 導志も何度かこのカフェに来ること自体はある。

 けども,メニュー表を見られないので大概誰かと一緒のときかつぐみにどんなものがあるのかを教えてもらわないと注文出来ない為導志自身は余り外食をしようとは思わないタイプだった。

 周りに迷惑かかるって分かりきっているからこそ外食は忌避していたのである。

 

 しかし,点字があるのなら話は別である。

 そんな導志の様子を見ていたつぐみの父は,なんか軽いノリでメニュー表に点字を付ける事にしたのである。

 今時であればネットで注文も,点字も調べる事が出来るが故の気遣いだった。

 

「…ありがとうございます」

 

 学校ではテストの時にもこういった配慮はされているが,個人経営のこのカフェでそんな面倒なことをしてくれるている所は余りない。

 実際チェーン店でも点字入りメニュー表を置いている所は少ないのだ。

 

「ふふっ,どういたしまして」

 

 そんなやり取りを見ていた香澄は,以前とは少し変わっている導志の世界に小さな笑みを浮かべていた。

 確かに,世界は健常者であることを前提に動いている事の方が多い。

 健常者と自分の違いに苦しんでいた事も香澄は知っている。だけど,たった1人の例外がいた。

 そのおかげで健常者との境界線を意識する人達が増えたのは確かだった。

 

 少なくとも,ガールズバンドパーティーの中でその意識を芽生えさせたのは間違いなく導志だった。

 

「つぐ,私オレンジジュース!」

 

 その喜色を感じながら,香澄はオーダーする。

 香澄が前を見ると,導志も凄まじい速度で点字を解読して…

 

「コーヒーブラックと,この旬のフルーツパイをください」

「はい,かしこまりました!」

 

 つぐみはそう言って目線をキッチンに向けると,つぐみの父親が頷いていた。

 どうやら普通に聴こえていたらしいが,つぐみは香澄と導志の邪魔をしないようにそっと席を離れた。

 

「今日は沢山歩いたね」

「そう…ですね。香澄さんは大丈夫ですか?足音的にギター背負ってますよね?」

「私は大丈夫だよ,すっごく楽しかった!」

 

 それは香澄の偽りのない本心だった。

 

「そう言えば…今日はどうして誘ってくれたんですか?」

 

 香澄の元気よさに少し呆然とした導志だったが,不意にどうして今日一緒に色々回ったのか…その理由を聞いていなかったと思い直した。

 いや,もしかしたら昨日の電話みたいにそうしたかったからと言われれば”はい,そうですか”というしかないのだが…今回はそう言う理由だけではなかったようだった。

 香澄は一瞬迷ったそぶりを見せたが,どことなく不安そうに理由を話した。

 

「どーくん,最近文化祭で頑張ってるでしょ?その…息抜きになったらいいなって」

 

 その言葉を聴いた導志は驚いたように眼を大きく見開き,やがて小さく笑った。

 

「どーくん?」

「ああ,いや,ごめんなさい。今日の事クラスメイトに話した時も同じことを言われたものですから」

 

 そう言って導志は香澄にお昼の話をした。

 いつも通りやってきた導志,園田とお昼休み話す時に今日は人と会う約束があるから練習を休んでも良いかと言った時に寧ろ休むことを推奨されてしまった話だった。

 

「頑張り過ぎてるから息抜きして来いって,言われました」

 

 まあ,実際の所ハンディがある導志が凄まじいまでの勢いで役者としての完成度を上げていくのを見ているクラスメイトは結果として導志に引っ張られる形で各々役割をこなしている。

 しかし,その引っ張っている導志が凄まじいまでの燃料である為周囲の人間が導志に巻き込まれる形で過労になってしまうが故の休暇だった。

 つまり,園田は導志という燃料を抑えて根を詰めているクラスメイト達にも一度スピードダウンしてもらおうという方針だった。

 導志の練習休んでも良いか?は,園田にとっても渡りに船だったのである。

 

「ふふっ,そっか。良かった」

 

 香澄が不安だったのは,文化祭まで既に一週間切っているというのに彼の時間を奪ってもよかったのだろうかというものだったが…導志のクラスメイトも同じことを考えていたと知って心底安心した。

 そんな微笑ましい会話をつぐみは遠目に見ていたのだが,父から出来たという報告を貰い持って行く。

 香澄のオレンジジュースと,導志のブラックコーヒーにフルーツパイが運ばれる。

 

「ありがとうつぐ!」

「ありがとうございます」

「ごゆっくりどうぞ」

 

 ”わぁ!”と香澄は心底楽しそうに運ばれた飲み物と…導志のフルーツパイを見る。

 

「どーくん,いつもブラックだよね…?」

「…飲みます?」

「ううん!あった時からそうだからどうしてかなって思って」

 

 本当はフルーツパイを分けて欲しいのは香澄の眼を見れば明らかだが,生憎導志には無理な相談である。

 だから一見意味不明な会話でその糸口を探そうとしているのは見ていたら分かる。

 まあ,香澄は本来そんなこと気にするような質ではないのだが彼女もまた恋する乙女。がめついとは思われたくなかったのかもしれない。

 

「ああ,砂糖とかあっても一々カップの位置を触って確認しなきゃならないので諦めてブラックなだけですよ。あとここのコーヒー砂糖なくても美味しい」

 

 そしてそんな香澄の様子に気がつかず生真面目にブラックである感想を言い放つ導志。

 外野であるつぐみから見れば何だかかち合っていない会話なのだが…不思議と2人の会話は勝手に収束していく。

 例えば…

 

「香澄さん,パイ切ってくれたら半分食べても良いですよ」

「ほんと?!」

 

 水を得た魚のように喜色の声をあげ,香澄は自分の声の大きさに慌てて口を手で押さえる。

 さっきまでそのフルーツパイを分けて欲しいと考えていたせいか,当の本人からそんな提案をされて過剰な反応をしてしまったのである。

 そんな香澄の様子を苦笑いしながらも,一寸違わず理解した導志はパイが置いてある皿を香澄の前に出す。

 

 眼が視えない人は,そもそもフルーツパイの大きさを図る術がない。

 食器でつついたりしたら大体の大きさは分かるが,今導志の右手にはブラックコーヒーのカップしかない。

 だから,導志が言う半分に切るというのは実は信頼関係がそれなりにいる。考えてみれば当たり前だが,例え4分の1のパイしか与えられなくても”これが半分”だと言われれば導志には納得するしかない。

 実際,導志は小学生時代心無い連中にそんな事をされたことがある。

 

 だから導志にとって食べ物を半分に切るという作業は,ある意味どれくらいその人の事を信用しているか,或いは出来るかを確かめる意味合いもある作業だった。

 

 …まあ,もっとも今回はそんなものを図ろうとは思っていない。

 元々導志はこのパイは香澄と食べるつもりで注文したもの,香澄が遠慮なくパイを食べられるように手伝いと称してパイを切らせるものでしかなかったからだ。

 

 香澄は楽しそうにナイフでほぼ半分にパイを切り,導志に嬉々として報告した。

 

「はい,どーくん出来たよ!」

「ん,どうぞ」

 

 導志はまだコーヒーを淡々と啜っている。

 甘いジュースが好きな香澄にとってコーヒーが好きなのは正直分からない趣味嗜好だが,それでも導志がどことなく飲むと機嫌がよくなるので香澄は不思議だった。

 それ故に,家で一度ブラックコーヒーを飲もうとした事があるが…普通に無理過ぎて砂糖をいくつ入れたかすらも分からなくなるくらいには砂糖を入れて飲み干した。

 

 そんな人間が飲むとは思えないもの(香澄基準)を飲む導志を見ながら,香澄は先にとフルーツパイに噛り付く。

 

「ん~!甘くてサクサクで美味しいよ」

 

 ほっぺが蕩けるを再現する香澄の幸せそうな声に,導志も小さく微笑む。

 香澄が既に半分パイを持っている事を確認すると,自分もとカップを置き小さくパイに口を付ける。

 

「ん…美味しい」

 

 すると,噛んだ瞬間に香澄が言うように甘い味がふわっと口の中に広がり,ブラックを飲んだ後だったのでそのギャップもあって凄まじいまでの美味だった。

 満足気にする導志を,香澄も噛り付きながら嬉しそうに微笑んで見る。

 彼が笑う姿を見るだけで,胸がキュンとするのを感じる。

 その感情の名を,香澄は自覚はしているし…昨夜だって導志との電話が終わった後ベッドの上で嬉しさにはしゃいでいた。

 

 そして…こうしている今も,香澄にとって尊い時間でもあった。

 感情の名を自覚しているからこそ,聞きたい問もあった。

 

「どーくん,さっきの…八百屋のおばちゃんの話なんだけど」

「んっ?!」

 

 パイとブラックコーヒーの組み合わせが気にいって再びブラックに口を付けていた導志が,一所懸命忘れようとしていた先程の八百屋の一件を掘り返され凄まじい勢いでむせた。

 言うまでも無く,”香澄が良いお嫁になる”という下りの話だろう。

 

「だ,大丈夫?」

「だ,大丈夫です。なんですか藪から棒に」

「その,どーくんはどう?私は良いお嫁さんになりそう?」

 

 普通に場面だけを見るのであれば,もうほぼ香澄が導志に告白しているかのような問だろう。

 ていうか,それを問いかけた本人が滅茶苦茶に顔を真っ赤にしてしまっているのだから誰が誰に恋しているのかなんて2人を初めてみるお客さんでも分かる事だ。

 導志ももし眼が視えていたのなら,”そう言う事なのか”と思ったかもしれないけれど見えないのが何とも歯がゆい……と,この場面をカーッと顔を赤くして凝視しているつぐみは思った。

 因みにつぐみの父は若い二人の邪魔はしまいと,食材を準備する部屋へ行った。

 

 

 一方,問いかけられた導志は導志で――

 

(これ,なんて答えるのが正解なんだよ?!)

 

 と,心の中で叫び声を上げていた。

 白状すると,そんな事を何か色っぽい声で聴いて来た香澄の色香に一瞬意識は吹っ飛んでいる。

 吹っ飛んでいるのだが,すぐさま自分の心に冷水を浴びせ正気には戻っていた。

 けれど,香澄の問に答える事が彼にとって凄まじくプレッシャーを感じてしまっていたのである。

 

 導志個人としては…香澄が良いお嫁さんになるとは思っている。

 勉強も不得手だし,料理も特別上手という訳ではない。家庭的なことで言えばそれほど香澄は得意なわけじゃない事は導志とて知っている。主に有咲がそう言った類の言葉を零しているからだ。

 だが,お嫁に必要なスキルはそんな家庭的な表面みたいなことではない。

 

 一緒にいて楽しいだとか,その人がいれば家庭を明るくしてくれるとか…導志にとっては,自分の事を知っていても邪険にしないでいてくれる人とかもそう言う条件になってくるかもしれない。

 その点で言えば,香澄は間違いなく導志にとっては”良いお嫁さん”なのだろう。

 彼女以上に,自分に寄り添ってくれる同年代は姉以外に知らない。

 

 けれど,それをもし素直に答えてしまったら?

 以下,導志の脳内シュミレーター

 

『良いお嫁さんになると思います』

『どーくん,そんな眼で私を見た事あるの?』

 

 ——いやいや,香澄さんはそんな事言わねえだろ?!

 

 と,思っているが何事も絶対はない。

 少なくとも導志のイマジナリー香澄は言ってしまったではないか。

 このように,もし”はい”などと言えば”そう言う眼”で見た事があると白状するのも同然ではないか。

 

 (普通にストーカー的発想的過ぎて気持ち悪いだろそれ?!)

 

 しかし,かといって良いお嫁さんにはなれないと思いますだなんて言えるわけも無いしそもそもそれはないと言い切ってしまう導志。

 どちらの選択を取ったとしても,香澄が傷つく結果になるのではないかと思ってしまったのである。

 肯定は気色の悪さを,否定は落胆を――果たして自分の取るべき選択しは

 

 ——ここまで約0.2秒の思考

 

 導志は香澄が多分傷つかない選択を取った。

 

「それは…お嫁さんになってみないと分からないんじゃないでしょうか」

 

 それはなってみないと分からないのではないか理論,実際そもそも高校生の段階でお嫁云々の事を考えるのが違うだろう,そうだろうという導志の強引な納得の下,なった時にしか良いお嫁なのかは分からないだろうという理論で編み出した隙が無い理論だ。

 そもそも,結婚前から良いお嫁なのか分かるのであれば無責任に子供を放置したり虐待する母親がそもそもいない訳なのだから可能性で物事を決めるのは大変良くない。

 きっとそうだ,という導志の希望的観測が反映された切り返し方だ。

 

 不安なのは,ここで”良いお嫁”と言って貰えないこと自体に香澄が傷ついてしまうパターンだが…まあそこまでデリケートな人ではないと導志は信じる事にした。

 結果から言えば――

 

「じゃ,じゃあ…わ,私をどーくんの…」

 

 お嫁さんに――続けようとした言葉は,香澄にとっては本心でありながらも反射的で周りを全く見ていない状態だった。

 つぐみは2人以外のお客さんがいないので2人のやり取りを見てしまい,心臓がバクバクしながら見守っていた時——軽快な鈴の音が,お客さんの入店を知らせる鐘がなってしまった。

 

「こんにちは」

 

「「ーーっ」」

 

 残り30分程度で閉店というタイミングでやって来たのは,今日は蘭と盆栽センターに出かけていた有咲とその蘭だった。

 2人が入ってきた瞬間,我に返った香澄とつぐみはカアアと顔を赤くして固まってしまった。

 導志は声で蘭が,そして導志にとっては身近な靴音で姉が来た事を悟り身体だけ背後に見せる。

 

「姉ちゃん,美竹先輩こんにちは」

「あれ,導志だ。」

「導志,ここにいたんか」

「俺だけじゃないけど」

 

 そう言った導志は気持ち身体を横に避けると,有咲の前では見せたことがないほど顔を真っ赤にした香澄があわあわと唇を震わせていた。

 そんな香澄に有咲と蘭は困惑しているが――この後,自分達がお邪魔虫だという事に気がついた。

 なぜなら…導志は,今の時間を香澄に使っていると思っているので香澄の方に向いて先程の言葉の続きを無垢に促した。

 

「あ,ごめんなさい香澄さん。香澄さんを俺の…なんですか?」

「「…?!」」

「~~!!」

 

 現在反応としては3派閥,会話の前後だけは全く分からないがいつも天真爛漫元気溌剌な香澄が顔を赤くして”なにか”を言いかけていたと察してしまった有咲と蘭。

 もう1つは彼等の会話と甘ったるいパイの分け合いを見せつけられ,会話の流れも知って香澄がその後の言葉を察していたつぐみ。

 そして,その本人でありいつも通りの流れと勢いのままに凄い事を言おうとし,それを有咲と蘭の登場によって冷静に考えて羞恥心が限界突破した香澄。

 

 「な,ななな何でもないよ?!」

 

 理性が少しばかり飛んでしまった香澄は,慌てて自分の言葉の続きを引っ込めた。

 バンドメンバーの事を”好き”だと伝えるのと,導志にそれを伝えるのは全く違うハードルだ。

 一度感じた羞恥心は,あの香澄ですら衝動を押さえつけるものだった。

 

「…?そうですか」

 

 一方,何でもないと言われた導志は不思議そうに首をこてっと傾けたが気にする事も無くコーヒーを啜る。

 …いや,流石にここまで露骨に怪しいと導志も香澄が何かを隠したことが分かっているが,本人が隠したいのならそれを無理に聞き出すのは紳士ではない。

 そんな事をして嫌われたくない,というのが正直な考えだった。

 

 有咲は,自分の友人と弟が自分達の入店までそう言う雰囲気になっていたと悟り…何か悪い事をした訳でもないのに割と罪悪感が蠢いた。

 それは蘭も同じようだったみたいで,滅茶苦茶複雑な顔をしている。

 流石に今お店を出た所で,香澄がもう一度そんな雰囲気を出すとは思えなかった。かと言って,このままお店の中に居座るべきかと考える事…香澄は導志との状況を誤魔化す為に慌てて有咲たちに提案した。

 

「そ,それよりも有咲も蘭ちゃんもここに座りなよ!」

 

 さっきまで自分が言おうとしていた事なんて大したことありませんよ?とでも言いたいのか,敢えて自分から席を勧めた。

 ただし香澄の眼はグルグルしていて,未だに混乱している事が伺える。

 2人は顔を見合わせ,香澄の名誉の為に相席する事にした。

 2人とも,香澄とオレンジジュースを頼み…とても微妙な雰囲気になってしまった。

 

 いつもなら会話の発端となり,盛り上げ役となる香澄が自分の行動に羞恥し黙ってしまっているからだ。

 

(こんな香澄見た事ねえぞ)

 

 と,有咲が内心で呟いてしまう位には珍しかった。

 流石に,香澄の様子が可笑しいのは導志にも分かっているが…彼も普段香澄に会話を引っ張ってもらっている人間だから沈黙するしかない。

 有咲も蘭も,自分から話題を振るような人間ではない。

 結果,何故か喋らない4人衆とか言う意味不明な光景が爆誕した。

 

(普段から香澄さんに助けられてんだな俺)

 

 香澄を発端とした会話に慣れ過ぎていた導志は,この微妙な雰囲気の中で彼女の有難みをこれでもかと感じていた…と同時に,何かを話さなければならないという思いもあった。

 意を決して,有咲と蘭に今日何していたのかを問いかけようとした時——導志の胸ポケットから無機質な通知音が羽沢珈琲店の中をこだました。

 

「あ,ごめんなさい。」

「私達は良いから聴いたら?」

 

 蘭がそう柔らかい笑みを浮かべて言うと,導志は小さく頭を下げ音声アシスタントを使って通知を開いた。

 香澄はようやく羞恥が引いて来たのか,目の前でスクリーンリーダーで通知を聴く導志の方を不安気に見つめていて…導志の通知の内容が香澄達の白日の下にさらされる。

 

「…1回戦は,2週間後か」

 

 通知を受け取り,内容を聴いた導志は顔を引き締めていた。

 さっきまでのギャップに香澄はとくんと何かを感じながら眺めて…彼の言葉が何を意味するのか遅れて理解した。

 

「最終試験…?」

「はい,予定日と同じなんで良かったです。」

 

 言いながら取り出したスマホを胸ポケットに直す。

 

「そっか,いよいよ…だね」

「はい。…まあ,負けたらそれまでなんですけどね」

「どーくんなら,きっと大丈夫だよ」

 

 そう言って,香澄は殆ど意識せずに自分の細い手を机の上に乗っていた導志の手に重ねた。

 …もれなく有咲という導志の姉と,蘭という第三者がいる前での行動である。

 

 重ねられた側の導志は,唐突な香澄の行動に頬を少し紅くしながらも…小さく頷く。

 

 なぜか再開してしまった甘ったるい光景,有咲はどうツッコんでやろうかと画策していた所。

 蘭の方が気になった事があったのか,敢えて導志と香澄の間にある重なった手を見ずに彼に問いかけた。

 それは聞いた事があるような,実際は聞いた事がない問いかけだった。

 

 ーー決してこの光景を早く切り抜けたいと思っていた訳ではない

 

「前から気になってたんだけど,導志はなんでプロファイターになりたいの?」

 

 ヴァンガードのプロと言っても,それはプロ資格を持っているというだけでありそれだけでお金を稼げるわけではない。

 大体指定の大会で上位にいなければ,そしてそれなりに勝たなければプロとしては認められない茨の道。

 だから多くのプロ選手は,どこかの企業がスポンサーに付いている事が多い。

 企業のモデルとか,商品紹介とかする事で収入を得ることの方が多く上位入賞で賞金を取り続けるだけのファイターはほぼいない。

 

 要はプロになったとしても順風満帆な生活を送れるとは限らないのだ。

 寧ろ”勝ち”に拘らないといけない以上精神衛生的にはよろしくないかもしれない。

 それを承知しながらも,その世界を目指す導志の動機を蘭はこれまで聞いた事が無かった。

 

 蘭の問いかけの間に,我に返った香澄が慌てて手を引っ込めるのを感じながら導志はどうやって説明したものかと考え――昔話をするかの調子で語り始めたのだった。

 

 

 




はい,おつかれさまでした!

これ書いたの確か年越し前で,これまで香澄との話を余りかけていなかった反動かめちゃくちゃイチャコラしていました。
普段とは勝手の違う2人きりにドギマギしまくる2人,楽しんでいただけたでしょうか?

そして巻き添えでイチャコラを見せつけられるつぐみ,書いててごめんと少し思ってしまった()。

次回は導志の過去編,なんでプロを目指すのか,そのお話です!
例によってオリキャラ登場します。導志の好敵手枠です。
では明日!

香澄と導志,付き合った後のお話でどれがみたい?

  • 交際後,初デート
  • 2人がそれぞれリサに恋愛を相談する話
  • 2人の期間限定バンドのお話
  • 2人で海と夏祭りに行く話
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