ざわざわと,色んな人達の囁き声がこの講堂を満たしていた。
普段の講堂は大体生徒が集合している状況だから当てにならないとして,現在の人の数がどれくらいか…あまり想像出来ないでいた。
100人かもしれないし50人かもしれないし…ていうか,流石に俺が足音で見分けられる数の限界が10人程度だからそんなにいたらもう俺の聴覚なんて当てにならない。
だから一周回って舞台上だけで発生する音に集中すると決めたんだから。
「導志君こっち向いて」
「ほい」
控室で,俺は北村さんに化粧を施されていた。
と言っても,”折角いい感じにワイルドな傷があるんだから生かさない手はないよね!”と元々の俺の容姿を引き立たせる感じにするつもりのようだ。
日常の化粧であればそれが普通なんだろうが,舞台でともなれば通常その役に即した人物の化粧が普通なようだ。
…まあ,化粧をしたこともない俺には多分永遠に分からない話題なのだが。
そうして北村さんに化粧をされること数分,化粧を続けながら北村さんが聞いて来た。
「導志君,燈火ちゃんと昨日か今日何か話した?」
「藪から棒にどうした?…彼女の様子が変なことなら,分かってる」
そう言うと,北村さんは意外に思ったのか一瞬動きを止めてまた手を動かし始めた。
…実際,枳殻さんの様子が変なことは昨日ホームルーム前に教室の前で会った時には感じていた。
いや正確に言うならば,もっと前からそんな兆候自体はあった。
それは些細な変化でしかないけれど,俺にとっては割とわかりやすい変化だった。
だけど――
「そう…どうせ君の事だから余計な事を言って事態を大きくしたくないって所かしら?」
「どうせって何だどうせって…当たってるけど」
俺は…その変化に気がつきながらも静観していた。
もとより俺の気のせいという可能性もあったし,俺に関係がある事なのかも分からなかった。
だから余計な事を言って火種を大きくして,これ以上に彼女の精神的余裕をグラつかせることは…今のタイミングで出来なかった。
昨日の解散際,俺が彼女に良い舞台にしようと言ったのは今は舞台に集中しようって伝える為だったけれど…あの返事の感じ多分伝わっていない。
「…本人は化粧で誤魔化してるけど,少しだけ隈が出来てたわ。寝れたけれど寝れなかったって感じかな」
淡々と俺に何かを塗りながら告げる。
「俺には…彼女が何で悩んでいるのかが分からない。」
「うん,そうだろうね。」
当然意識が強めなのは癪に障るが,事実だから何も言い返せない。
今度は俺の髪を弄りながら言ってきた。
「でもね,分かってくれるのが一番だけど分からなくても良いと思うんだ。」
「どういう意味だ?」
「導志君準備期間中にどれくらい燈火ちゃんに助けられた?」
質問を質問で返され”えー”と思ってしまったが,それはそれとして彼女の言葉で思い描く。
準備期間中に枳殻さんに助けられた回数…そんなものは覚えきれないほどたくさんだ。
少なくとも,両手の指じゃ足りない。それ位彼女には助けられたと思う。
「数えきれねえな」
「じゃあさ,ここで1個くらいは返しておこうよ。」
「…迷惑じゃね?」
「それはないと思うな。ああでも…聞かれた事には思った通りの事を答えた方が良いかもね。」
どことなく愉しそうに言った北村さんは,俺から離れて化粧箱を閉じた。
なぜか自信ありげな彼女の声が気になったけれど,枳殻さんが舞台に集中する為だと言われたら仕方がない。
俺の何が一体役に立つのか分かったものじゃないが…彼女に与えられたものが沢山あるのも事実だ。
「分かったよ」
「うん,その答えが聞けて安心した。はい,終わったよ。」
「ん,ありがとう。」
舞台開演まで,残り30分程度。
今有志でバンドをしている団体が終われば次は俺達の出番だ,俺が最後の化粧だったようで皆もう外で講堂の様子を見に行っているようだ。
じゃあ,そこから枳殻さんを呼んで話を聞いてみるか…そう思ったら。
「あ,燈火ちゃん来た?入って良いよ~」
のほほんと呑気にそんな事を言ったかと思えば,やがて控室のドアが開かれた音がした。
「優姫ちゃん確認ってなにを…あ」
この野郎俺が断っても枳殻さんと話をさせるつもりだったな。
きっと俺の眼が正常だったら睨みつけていただろう。
まあ,瞳孔とかは見えないだけで普通に動くから睨みつけているかもしれないけれど。
「どう,結構かっこよく出来たでしょ?」
北村さんが俺の肩に手を置き作品を紹介するが如く言うが…これが彼女との時間を作るやり方だと分かっているから黙っておく事にした。
それに,どうやら今は枳殻さんの方が早急なようだ。
さて,彼女の様子はというと
「…うん,ビックリした!一瞬異世界に来たのかと思っちゃった!」
それはきっと衣装も含めての事だが,思ったよりも気恥ずかしかった。
彼女の言葉は素直さが感じられ,本当に驚いたようだった。
「ありがとう,まあ殆ど北村さんや衣装係の力なんだが」
「素材が良いからこそだよ」
「どこのRPGだ俺は」
「ふふっ,あ,私園田君に呼ばれてるから先行くね。燈火ちゃん,来たついでに悪いんだけど導志君と一緒に来て」
「え…うん,分かった」
本当に園田に呼ばれているのか俺には判断がつかないが,枳殻さんが戸惑うように返事をすると北村さんの足音が控室を出て遠ざかって行った。
残されたのは俺達2人,ここで俺の眼が視えているのなら彼女の衣装やメイクについて何か言えたのかもしれないけれど…ああ,でも言える事はあった。
「こんな事でごめんなんだけど…香水付けて来た?」
「え?うん,その…香りでも世界観出せないかなって。私だけがしてても意味ないけどさ」
「そんな事ないよ,どこか懐かしくも新しくもある香りなんて割と唯一無二でしょ。よく見つけてきたね」
ぶっちゃけ匂いの変化に気がつくなんて変態みたいであまりやりたくない事だが,実際変化に気がつくためのファクターとしては嗅覚,味覚,触覚,聴覚しかないのだから仕方がない。
それに…偶に香澄さんのシャンプーが変わった事を指摘したら嬉しそうにしてくれるからその経験での指摘だ。
「ありがとう,でも趣味みたいなものだから」
だけど,彼女はどこか苦笑して集中しきれていないように感じて…違和感を確かめることが出来た。
まあ,その違和感の正体まで俺は分からないけれどきっと今の彼女の表情はいつも通りのものではない。
園田とか神田さんとか北村さんがいれば,表情を起点にして何かを話し始めるんだろうが生憎と俺にそんなことは出来ない。
それに,立ち直らせるのは俺じゃなくて園田の得意技だ。
だから…俺は北村さんの言うように,自分の思った事を言うしかない。
”行こうか”と,近づいて来た彼女に俺はなんとなしに問いかけた。
「枳殻さん,俺に何か聞きたい事ある?」
「どうしたの急に?」
彼女の不思議とした声から,首を傾げているのが想像出来て思わず笑みを浮かべてしまう。
だけど…変に回りくどく聞いては碌な事にならない事は俺の人生経験が証明している。
なら…普通に言いやすい環境を作り,言わせるしかない。
俺も胸の内の1つや2つを晒してしまう事になるが,その程度特に問題ない。
恥ならクラス内で何度も見せたのだから1つ2つ増えた所で痛くも無い。
「なに,今日まで沢山助けられたし…昨日枳殻さん自分の事を話してくれたでしょ?俺も何か個人情報開示しないとフェアじゃないなーと。…いやまあ何回も助けられて俺が枳殻さんを助けられてないから最初からフェアじゃないけどさ」
うん,思い返せば助けられてばかりで俺が返した記憶なんて殆どない。
だから他人に話せる個人情報の1つや2つなら本当に軽いものだと思っての問…なのだけれど。
「枳殻さん?」
どうも,彼女の様子が少し可笑しかった。いや今日最初から可笑しかったんだが,その可笑しさとはまた違うものだ。
どことなく,息を吸い込み…苦悩したようにくぐもった声を出して…やがて俺にとっては衝撃的な告白をしてきた。
「そんなこと…そんな事ない!」
吐き出すかのように,俺の言葉を否定されたことに呆けたようにしてしまった事は許して欲しいと思った。
だけど,真面目にその理由が分からなかったんだ。
「だって…私は,私は一度導志君に命を救われてるもん!」
…そうして,彼女はきっと無我夢中で語ってくれた。
過去の運命の日,あの宇宙科学研究所に彼女もいた事…そして俺や姉ちゃんとそこで知り合った事。
当時は名前も教えていなくて俺の顔とかもうろ覚えだったことも。
そして…あのデモンストレーションの時に俺が結果的に盾になったことで命に別状はなかったこと。
そう言えば…あの時の女の子がどうなったのかとか全然気にした事なかったな。
眼が視えなくなって,姉ちゃんの俺の過保護への罪悪感とか変わった周囲の反応とか,色んな事が変わり過ぎてあの時の女の子が枳殻さんだと言われるまで気にする事が出来なかったと言うべきか。
だけど,彼女の言葉を真実として過去を思い出してみると…ああ,確かにあの子の声色が成長したらこうなるだろうなって声を彼女はしていた。
癖が無く,ただシンプルに綺麗な声。
うん,確かにあの子だわ。
「導志君が私を一度も助けてないなんて事ないよ!だって…私はあなたのおかげでここにいる」
その時,枳殻さんの手が優しく俺の手に乗せられて…その上に彼女から何かが下って落ちた。
…彼女は,静かに泣いていた。
「そう…か。…まあそれでも助けられた数が多いのは変わらないんだが」
「もう,私がせっかくカミングアウトしたのにその一言で台無し!」
「で,本当の悩み事はなんだ?」
俺の一言に,彼女は沈黙した。
だけど,だってそうだろ。
彼女がその事に気がついたのは,俺がその事を話した時だという。
なら,彼女がその事で様子が可笑しくなるのはそこからじゃないと可笑しい。少なくとも,黎明祭1日目っていう土壇場ではない筈だ。
「えー,導志君に人生相談なんて出来るの?」
やがて,口に出してきたのはどこか感情を必死に抑えたかのような…茶化すような声色の言葉だった。
「人生相談を胸張って受けられるって人の方が少ないだろ。大体人間なんて自分の事で精一杯なんだから」
だから俺も茶化すように,でも自分の思っている事をそのまま伝える。
俺自身は別に講釈垂れるような人間じゃないし,そもそもそんな事出来るようなタマじゃないだろとも思う。
だけど――だからと言って話せない訳ではないと思うのも本心だ。
「でも,ずっと心の奥底に飲み込んだままの方が辛い事はあるし,そう言う意味では答えを得られなくても誰かに話すのは有意義だと思うぞ」
「…君はさ,自分の好きな人に好きな人がいたらどうするの?」
ちょっと待て思ったよりもややこしい話が飛んできたんだが?!
「どうするか,ね。ん~,俺はそれはそれで良いと思うかな。」
「…どういうこと?」
そう言い返されるのはまあ予想範囲内,どうやって話を展開しようかと頭の中で吟味しつつ言葉を1つ1つ絞り出した。
「なんて言ったらいいかな,安っぽい台詞かもしれないけど俺は好きな人が幸せでいてくれるなら極論それで良いんだよ。例え相手が自分じゃなくてもさ。」
まあ…もちろんショックを受けないかと言われたらうそになる。多分1週間くらいは塞ぎこむ,香澄さんの隣を他の男が歩いているのを想像するだけで吐き気が出てくる。
だけど…それはそれで別に良い。
もとよりそんな状況になったのは,釣り合わないとか迷惑かけてしまうとか色々な理由を付けて彼女との関係を平行線に保ち続けた俺にだって原因はあるからな。
「で,でも好きな人とは一緒にいたいじゃん!」
「そうだな,俺もそう思う。だけど,それで相手を困らせて,自分の意志を押し通そうとするのなら…それは只の独占欲だろ」
「…そんなこと」
ない,と続けたいように聞こえる枳殻さん。
まあ別に否定されるならされるで別に良いと思っている。
別に恋愛の話なんて俺の畑違い過ぎて分からんって言うのもあるし,北村さんが言うように俺が思った事をそのまま伝えるだけだ。
俺の言葉で枳殻さんの調子がよくなるかどうかは…正直分からないけれど,少なくともこれが今俺が出来る事なのも確かだった。
「枳殻さんには,俺の姉ちゃんの話をしたっけ?」
「え…ううん」
「そっか,姉ちゃんは一言で言えば凄い過保護でさ。俺の眼が視えなくなってからあれこれと,そんな事必要ある?ってことまで世話をかいがいしく焼いてくれた。」
俺が好きな人が幸せになればそれで良いって,そう思うようになったのは姉ちゃんを見ていたからだった。
正確に言うなら,眼が視えなくなってから俺を支えてくれた香澄さんとかも含めているけれどややこしくなるから割愛。
「まあ,そんな事でさえも当時の俺は助けがないと満足に出来なかったんだが。だけど,逆に言えば姉ちゃんの時間を…俺はずっと奪い続けている。小学校の時も,中学校の時も,他人の事よりも俺の事を優先して…最終的に自分よりも優先してくれるようになった。」
俺の語る言葉を,枳殻さんは静かに聞いていた。
自分の両手を握ったり開いたりしながら続けた。
「有難いと同時に苦しかった,俺のせいで姉ちゃんの時間が消える。俺は姉ちゃんに自分の介護をさせたい訳じゃない。普通の女の子らしく笑って,友達と学校帰りにどっか寄って,歌って踊ってして欲しかった。最終的に,姉ちゃん自身の幸せを見つけて欲しい。これまで迷惑をかけた分,幸せになる時位俺の事は端っこにちょこんと置いてくれるだけで良い。」
「でも…それはお姉さんだからで」
うん,至極当然の返し方だな。だってこの話し方じゃ基本的に姉ちゃんの対しての事であって好きな人に対しての話じゃないからな。
だけど,枳殻さんはちょっと頭が沸騰しているのか重要な視点が抜けている。
「俺の場合さ,眼が視えないからもし人を好きになるとしても大概がその人の在り方なんだよな。」
「…あ」
そこまで言うと枳殻さんはどこか納得してくれたようだ。
ちょっと考えれば分かる話で,俺には基本的に一目惚れというのがない。見えないんだから当たり前なんだが,正味他人に相手の顔がイケメンだとか美女だとか言われてもピンとこないし,一周回ってどうでも良いとさえ思ってる。
俺にとって大事なのは,出会う人達がどんな人で,どんな在り方なのかだ。
たまーに人間は外見が全てじゃない!っていう人いるが,俺にとっては割とマジでそんな感じ。
「で,俺がそう言う人を好きになるのは大体この眼の事で迷惑をかけまくったあと。…ね,条件としては姉ちゃんと大差はないんだよ。程度の差であって」
そうだ,俺が香澄さんの事を好きになったのも去年…両親に反対されたプロファイターへの進路を,一緒に両親へと訴えてくれたからだ。
この人は,人の夢を嗤わないで一緒に進んでくれる人なんだって気がついてから…彼女の好きな所が沢山見つかった。
俺にとって好きになるきっかけは,人間の在り方を見た時だっていうのは…もう既にそう経験しているからだ。
俺が香澄さんに迷惑を何度もかけている事も含めてな。大体迷惑をかけないとその人の在り方なんて俺には分からないからな,皮肉なことに。
「もちろんこの考えは正直俺だからであって,それを枳殻さんに押し付けるつもりはない。でも…そんな訳だから俺はいわゆる略奪とかは余り好きじゃないな。」
なんか1学期くらいの時にリサ先輩と縁あってそう言う音声で楽しめるラブロマンス映画を見に行ったんだが,正直ドロドロすぎてリサ先輩と一緒にげんなりしてしまった事がある。
略奪愛っていうのはそこで学んだ。絶対にやりたくないなと思った。
…さて,枳殻さんには俺がどう思うかを聞かれたから俺の考えを答えた訳だが。
彼女からの言葉は,少しの間の沈黙だった
☆
自分でも…ダメだって分かっているのに,彼の恋愛観はずっとしっかりしていて彼の事が諦めきれずにいた私が…凄く子供に見えた。
導志君にもっと近づきたくてボディータッチとか,一緒にいる時間を増やしたのだって…彼に好きな人がいると気がついた後からだ。
別に,彼と戸山さんは多分まだお付き合いしている訳じゃないから悪い事をしている訳でもないのに,私は彼の言葉に酷くショックを受けて立ち尽くすしかなかった。
胸の奥から込み上げる,本当の失恋の涙も…もう流れなくなってしまってた。
導志君はきっと本音を語ってくれている。
好きな人とは一緒にいたいけれど,それ以上に好きな人には幸せになって欲しい…凄く臆病な考え方だと思う。
自分に使ってしまった時間を,好きな人自身の幸せな時間に使ってほしい…そこに自分はいなくたっていいなんて考え私は怖くて出来ない。
だって,好きな人の隣にいるのが私じゃなくて他の誰かなんて…耐えられない。
これまで,私は欲しいものは大概手に入れて来た。
結果も名声も,自分で努力してそれでも無理なものは両親が買ってくれて――だけど,私の遅すぎた初恋はもう叶えられないんだって,それを叶える事は…彼が忌み嫌う略奪でしかない。
…昨日のデュエット大会の映像を見たら分かる,きっと導志君と戸山さんは両想いだ。
だって,戸山さんの導志君を見る眼は”友達の弟”に向けるものじゃなくて…”女”の眼だった。
「そっ…か。うんうん,略奪とか趣味悪いもんね。導志君の考え方は素敵だと思うな」
そう言って,昨日からまともに見られなかった彼の顔を見る。
私が彼の顔を見ているかどうかなんて,彼には分からない筈なのに昨日はずっとそうする事を避けていた。
だけど,胸にちくりとした痛みを伴いながら…私はちゃんと見る事が出来た。
優姫ちゃんや他の衣装係の子達のレベルが高くて,導志君の恰好は本当に異世界に来た忍みたいで…かっこよかった。
カードにある猩々童子と本当に瓜二つ,彼が自分自身の分身と言うだけあって…惑星クレイから馳せ参じたみたいだ。
「俺の考えが素敵かどうかはまあ置いといて…もう大丈夫か?」
そうして,私の方に顔を向けて案じてくれる。
その優しさが,無意識に色んな人を苦しめるんだよって言ってもきっと伝わらない。
彼は自尊心が低いから,そんな事を言われてもピンとこない。
だから私は,自分の思いを告げぬまま返す。
「うん…スッキリした。」
そう言って私は,彼を立ち上がらせ導くために手を重ねる。
その事に彼は眼を分かりやすい位に見開き,直ぐにふっと柔らかく微笑んで立ち上がった。
立ち上がる時,彼の腰にある本物にしか見えない刀がチャかっと音を鳴らす。
「なら良いけど。…もう直ぐ本番か」
「うん,そうだね。…緊張してる?」
そろそろ…舞台裏では最後のセッティングが始まっている頃。
皆この1か月半,慣れない事ばっかりだったと思うのに,ただこの1日の為に色んな事を経験した。
プロジェクターを使った舞台装置,導志君仕込みの音響操作,その彼の為の高周波の音作り…本当に,最初彼が言ったように本来の舞台なら必要がない事も沢山やった。
この先に必要になるかどうかすらも分からない経験,きっと…私の恋もそんな経験の1つなんだと思う。
導志君は私の問にふるふると首を横に振った。
「してるけど,ここは大胆に笑う所だろ。」
そう言う彼は輝かしく微笑んでいた。
その笑みはきっと,今自分にだけ向けられている友愛のものだけど…嬉しかった。
「ふふっ,そうだね。」
変わったね,2カ月前…全力でいやいやして逃げて園田君に捕まった時からは考えられない位成長してると思う。
あの時の君ならきっとネガティブ発言の1つや2つしてたのに,この1週間ではあまり見なくなった。
誰よりも努力が必要だからと自分を鼓舞して,私達の前で踊っていた貴方がいたから…私達も頑張れた。
もっと良いものを作りたいって,普段はあまりクラスに馴染めていない子も一丸になってこの舞台を作り上げた。
表向き,園田君や神田ちゃんがクラスを引っ張ってるしそれに異論なんてないけれど…彼も,私達の
「んじゃあ,行くか。…タマユラ様?」
「…っ」
そうして彼はシニカルに笑って,私の手を引っ張ってくれた。
本当に…ずるいと思う。
ずるいけれど――それを許してしまう自分もいた。
「ええ,行きましょう…猩々童子様」
だけど,やられっぱなしは癪だから意趣返しにそんな返し方をした。
やっぱり導志君は少しも動揺してくれず,私は彼と隣り合って歩き始めた。
控室を出て,短い講堂までの渡り廊下を歩きながら私は静かに決めた。
——今日の舞台,最後の台詞を境に…彼の事は諦める
なんどそうしようと思っても出来なかった決意が,ようやく固まった気がしたんだ
お疲れさまでした!
開演前の導志と枳殻のお話です。
普通に過去の事を明かしたのに導志の反応が薄いと思った人は多そう。
純粋に舞台までの時間が無かったのと,導志の中でも有咲の方が存在が大きすぎて当日一緒にいた女の子の存在はいた事だけを覚えてるだけだったのです。
それがいきなり明かされても,おうマジかとなるだけです。特に運命とか感じていない()
次回,開演前の香澄達のお話です!
香澄と導志,付き合った後のお話でどれがみたい?
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交際後,初デート
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2人がそれぞれリサに恋愛を相談する話
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2人の期間限定バンドのお話
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2人で海と夏祭りに行く話