舞台の暗転により,さっと観客達は水面の波紋が広がるかのように静まった。
——ご来場の皆様,大変お待たせいたしました。ただいまより,本日の黎明祭最後のプログラム…1‐A組による舞台『猩々童子忍伝帳』を開演いたします。どうぞ…その時が来るまではおくつろぎながらお楽しみください
途中,意味深な”その時”と言うワードがあったが,何のことだろうかと有咲は反射的に考えた。その言葉の真意を図るよりも先に舞台の幕がブザーと共に開き始めた。
開き始めると同時,穏やかな音楽が流れ始め講堂中のスピーカーがまるで観客達を森の中へと誘ったようにこの場所が変貌した。
その認識を強めるのは,赤いカーテンの先にあるプロジェクターとそのプロジェクターの中に描かれている森の背景だ。
しかし,次の瞬間には背景は地形のようなものを映す。
それがどこなのか,観客達には知る由もない。
故にこの世界の世界観についてはまず伝えられる。
どこかの声優かってくらい,低くあるが優しい声色でナレーションが始まった。
――
ここは、広大な大地を燃え上がる炎が照らす国…その名は、ドラゴンエンパイア。
剣が鳴り、戦の影が絶え間なく舞うこの地には、帝王と称される者が頂点に君臨し、数多の者がその命に従う。
だが、帝王の命を守り、その影に潜む者たちがいることを、知る者は少ない。
――
赤いカーテンが開く先,いたのは1人の男。
赤い着物と,鎧が融合したかのようなデザインを着て普段は大人しめな髪がワックスかなにかで四方八方へと伸び…普段の彼とは全く違う雰囲気を纏ってそこにいた。
有咲の隣で,香澄が「わぁ」と感動したように言葉を漏らしたのが聴こえた。
観客の期待を煽るように,徐々に小さかった音楽が強くなっていく。
これから始まる物語を彩るように
——
この物語は、一人の若き忍の帰還から始まる。
猩々童子――忍里の長の息子。異国を渡り歩き、その眼に多くの景色を焼き付け、今、その足で故郷へ戻る。
彼が帰還した理由、それは一通の命からだった。
——
スポットライトが猩々童子を…演じる導志へと照らされた。
彼の全貌がそこで見え,彼は遠目からでは本物としか思えない位リアルな刀を腰に下げながら彼は舞台の上から観客の方をまるで帰って来た故郷を見るかのように見ていた。
だが,どういう訳か再び舞台がゆっくりと暗転を始めた。
見えたはずの導志の姿が,また闇の中へと引っ込んでいく。
だがそれは予定調和,講堂に流れていた音楽もやがて消音していく。
普通の舞台で,そんな初っ端からぱっと見は意味不明な事をするなんて前代未聞だが――”なに?——を観客から引き出すのが園田達の…高田の作戦だった。
——
忍びの技を磨いた彼に与えられた最初の務め。
それは、帝王の一人娘の前で、歌い踊る――そう、余興だった。
——
目を凝らさないと見えない暗闇の中,導志はまるでそんなもの関係ないが如く舞台の中心へと歩いてきて…その瞬間,講堂の世界がピタリと静かに塗り替わっていったのが分かった。
その原因は――
「さあ行こうか,踊れ」
普段の彼と同じ声,その筈なのに…香澄はドクンっと心臓が震えたのを感じ,次の瞬間凄まじくも完璧な調整をされた音楽が合図も無しにかかった。
それは,今聞いた世界背景的にはあまり相応しくないと言わざる負えないロックな曲調…だが観客達がそんな事を考えるよりも先に度肝を抜かせたのは導志が早かった。
——Wake me up!Wake me up!憂い帯びたこの世界で 眼を閉じたままじゃいられない!騒ぎ出すFate!
観客達に世界背景的な音楽のミスマッチに気がつかせる前に,導志が一旦観客の反応を全て掻っ攫う。
だが,なにもそれに一役を買ったのは導志の歌だけではなかった。
「すごっ」
リサが驚いたのも無理はないと,Roseliaの氷川紗夜は初っ端から叩きつけられたサウンドと導志の歌に息を飲みながら思った。
導志の歌も勿論凄い,一瞬でこの講堂の視線と期待を掻っ攫う実力は本物だ。
マイクによる音の増幅だけではなく,導志の歌自体が耳だけじゃなくて心に響いてくるような…決して美声ではないが,頭の中に何かを置いて行く卓越した技術力,表現力だ。
友希那も,導志の歌ならば聴きに行く価値があると言わしめるだけの実力。
だが,紗夜はそれだけではないと思った。
それは,導志や導志を照らしている照明が音楽に合わせて点滅したり色を変えたり…普通の人間であれば慣れなければ却って歌えなくなるような事を…導志の眼が視えないというディスアドバンテージを利用して,導志ではないと使えないと光の演出が観客の眼を魅了する。
そして何より,彼の背後に流れているMVがもっとも注目する所だろう。
導志が歌っている曲の歌詞は勿論,歌詞をなぞりながらもこの物語が始まるの…恐らく事前に撮影していた猩々童子の旅の軌跡が描かれていた。
彼の大冒険の模様を,さらりと流しつつも観客の意識を持って行く方法。邪道ではあるかもしれないが,この短い時間の舞台であればとても効果的だと紗夜は思った。
どうやら,歌うのはショートヴァージョンらしく観客の空気を完全にものにした導志は静かに歌い終えた。
再び暗転すると,パチパチと最初は小さな拍手が起き――次第に講堂を響かせるほどの大きな拍手へと変わった。
その拍手に答えるように,再び背景イラストが変わりどこかのお城の一室のような所だった。
いつの間にか,導志の近くには座布団が用意されていて歌い終えた彼はそこへ大仰に座った。
「ふぅ…なぜ世界を知って来いと旅に出された
そう言った直後,導志の背後にあるプロジェクションに猩々童子の父親が鬼の姿となって一瞬映し出され,がちの鬼だった事に観客がくすっと微笑を浮かべた。
最初の導志の歌唱と映像表現で,観客の興味を引いた導志達はその後順調に事を進めていた。
導志こと猩々童子と,彼を若と呼ぶ家来役の生徒達との軽妙なやりとりには笑いが起きる。
導志の事をよく知らない人から見れば,眼に切り傷という裏世界の住人かって姿も,猩々童子という冷静でありながらも笑いを起こさせる台詞と演技により親しみやすいキャラへと変貌する。
「しかし若,見事な歌でございます。以前はあれ程へた…」
「なにか言ったか?」
「いえなにも!」
どうやら,旅に出る前は猩々童子は歌が下手だった設定のようだ。
猩々童子と家来の距離は,時代劇で見るかのような殺伐としたものではなくあくまでもコメディに寄っているもので初見でも親しみやすかった。
「時に若,歌の中に異国の言葉がありましたが…」
「ん?ああ,異国を旅していた時に知った言葉…英語?っちゅうらしいんだが中々悪くねえ。意味は全く分からないがカッコいいから良いんだ」
笑いを取っている間にさらっと曲に英語という忍が歌うには違和感満載な所の理由を付けた。
その後も導志達は順調に物語を進めた。
場面は進み,ドラゴンエンパイアの首都である城下町へお披露目会出席の為にやってきた猩々童子。
そこで偶々家来を連れて散歩に出かけていたお姫様を,人混みの中から助け出す。
「あ,ありがとうございます」
お姫様…タマユラは嬉しそうに猩々童子に手を引かれ,無事に家でもある城へと連れていかれる。
その時の恋をしてしまったと観客に伝える演技は,一部を除いた観客達が軽い悲鳴をあげるほど真に迫っていた。
頬をほんのりと赤く染め,確かめるかのように猩々童子の手を握り返す動作が,離れていても伝わるほどだ。
「…」
(香澄?)
その一部の人間は香澄であり,彼女は最初舞台を見ていた時はワクワクに満ちていた表情であったのに,どうしてか今は不安層とも言える表情へと変わっていた。
その香澄の変化に気がついたのは,隣に座っていた有咲だけだった。
だが,香澄の反応は舞台の進行にはそれ程関係がない。
場面は猩々童子がお姫様のお披露目会へと行き,そこでタマユラがこの国の王によって紹介される。
猩々童子は,街で助けた人が件のお姫様の事に気がつき驚きを露にする。
タマユラは様々な殿方がいる中で猩々童子を見つけ,無意識にニコリと微笑みかける。
その頬笑みの意味を,猩々童子は分からず取り合えず会釈する。
長い事を異国の旅をしてきた猩々童子にとって,色恋沙汰は余り縁がなく,また忍としての力を身につける事を優先していた為女性の笑みの意味を知るほど心が成熟していないのである。
そして,タマユラと猩々童子が若干気持ちの行き違いをしながらも,余興の時間へと変わった。
そこで再び舞台が暗転すると,舞台袖から猩々童子の家来であるイザサオウがやってきて
「さあご覧の皆さん,立って下せえ!踊りまっせ!」
なんと,観客へ立ち上がるように言ったのである。
それだけではなく,講堂の壁際に待機していた他のクラスメイト達も次々に立つように促し始めた。
それに伴って,リズミカルなドラムの音が講堂に響き始める。
初めての人でもリズムが取りやすい音で,段々と立たされていく。
「あ,ついでに今の内に背を伸ばしといてくだせえ!」
さらっと家来役の人が,15分近く座っていた観客へそう言うと観客が再び笑いに包まれる。
「わぁ!有咲も!」
「ちょ香澄!」
有咲も香澄に引っ張られて立たされた。
(おいおい…何が始まるんだ…?)
殆どの観客が立たされると,ドラムの音が転調しギター,ベース,シンセサイザーの音が重なった。
暗転した闇の中で,猩々童子が口の端を吊り上げ一言。
「行くぞ,退屈なんて許さねえ。好きに踊れ――GETTING HIGH!」
その直後,重なった音が増幅され会場が一瞬で余興の会場へと変貌した。
今度の猩々童子の歌は,いわゆるダンスミュージック。
テンポのいい歌詞と曲調で,観客をノらせる事を選んだ曲だ。
再びプロジェクションでは新たなMVが始まっていて,音に合わせた点滅と映像が流れていく。
ラップパートも,そこに映し出される歌詞により意味を成し,猩々童子の人の心を揺るがす歌唱力も相まって講堂が観客のジャンプにより揺れ始める。
——踊れ!さぁ壁をぶち抜いて Break out 地平の果てまで!
観客参加型の舞台,というよりもライブにしようと考えたのは園田である。
導志の高い歌唱力を,ただ座って聴かせるだけなんてもったいないと言って高田に相談し変わった台本の場所。
ぶっちゃけ舞台というよりかはミュージカルだが,ミュージカルでさえここまで激しく踊るまい。
しかし,猩々童子の歌に身体を上下させながらも冷静に彼の歌を聴いている人間もいた。
導志が自分の意志で,過去と今の違いを見に来てほしいと頼んだ和奏レイだ。
メンバーからはレイヤと呼ばれ,彼女もまた導志と同じミュージックスクールの,同じコースにいた。
そんな彼女は,自分の隣の席でドラムの音でリズムを取っているRASのドラマー,佐藤ますきを横目に見ながらも…導志を見て微笑を浮かべていた。
(導志君…あんな事言ってたのに,それ以上のものを出して来るなんて)
”昔と今,どっちの俺の歌が凄いか見に来てくれ”
あの言い方じゃ,導志自身は昔の方が良いと思っていると思われても仕方がない言い方だった。
だけど――と,レイヤは心の中で首を振る。
たったの2曲だけ,それだけだがどっちの方が凄いかなんてもう既に分かりきっていた。
レイヤは過去の,ミュージックスクールで歌う幼き導志と今の彼を重ねた。
過去の彼の歌を忘れた事は無い,当時の自分にとって花園たえ以外に唯一自分を肯定してくれた存在であることも…彼の実力も含めてだ。
そんな彼の昔を知っている自分が出す答えは
(導志君,大丈夫だよ。今の貴方の方が自由に歌えてる)
かつてのライバルの復活を,和奏レイは心から喜んだ。
余興を歌い終えた猩々童子を,タマユラを含めて惜しみのない拍手が講堂に響き渡った。
完全に温まった場を,また家来役の生徒や小道具係の生徒達が座るようにうながしはじめる。
お客さんが6割ほどまた座った時,舞台に再び光が宿りライブから演劇へと切り替わった。
無事に余興が成功するお披露目会,それを遠目で見る怪しげな影,観客に不安を残しながらも物語は続いて行く。
あのお披露目会の後,猩々童子の事が気にいったタマユラは何かにつけて彼を呼び出すようになった。
例えば,街で落としてしまったものを見つけて欲しいだったり,近辺にいる盗賊を退治して欲しいなどだ。
中でも盗賊の退治シーン,千聖は冷や冷やしながら見ていた。
「俺は今気が立ってんだ…加減は出来ないぞ」
舞台では,猩々童子が刀を肩に乗せ盗賊に向けてそう言っている場面,そこまでは良かった。
千聖はそこから少し時間を飛ばして,退治シーンのあとに飛ぶものだと思っていた。
眼が視えない導志が,アクションシーンを演じるなんて危険極まりないものだと思っていたからだ。
「凄い,あんなに動いてるのに」
だが,そうじゃないのは千聖の隣にいる丸山彩が零した言葉の通りに分かるだろう。
そう,導志は盗賊退治のアクションシーンを飛ばすことなく,それもかなりリアリティが高いアクションシーンを演じていた。
相当練習したのだろう,導志演じる猩々童子の動きは演じているとは思えない位スピーディーかつ,綺麗な斬撃を描いているし,きちんと相手の体躯を見ていないにもかかわらず峰打ちを華麗に決めていく。
だが,何よりも驚いたのは盗賊役の生徒達にもだ。
彼らは導志の眼が視えない事を知っている筈なのに,結構ガチで得物を振り回しているのだ。
下手したら空気を切裂く音すらも聴こえそうな速度で,観客の中でも小さく悲鳴をあげる人がいる程だ。
実際,香澄の後ろの席で観覧していたましろなんかは”ひっ!”と思わず言ってしまっていた。彼女も猩々童子を演じる導志の眼が視えないと知っているからこその反応だろう。
しかし,そんな観客の心配も他所に猩々童子は無事に盗賊退治を終えた。
(まさか,ここまでガチでやるとは思わなかった)
導志のアクションシーンを冷や冷やしながら見ていたのは千聖や,ガールズバンドパーティーの面々だけではない。
導志の眼が視えない事を知っている大概の在校生や,高田も余りの殺陣に唖然としていた。
いや,当初高田が作った台本ではアクションシーンは無しの予定だったのだが,どういう訳かやっているしレベルも高いし…というか,導志本当に眼が視えないの?ってレベルだった。
(信頼がなせる業,か)
だが,同時に高田はしっかりと分析もしていた。
あの殺陣は,導志の動きを中心に組み立て,然るべきタイミング,然るべき振りぬき方,全てを何度も何度もやって身に着けたもの。
だが,それには同時に導志が盗賊役の生徒達が必ずそう動いてくれるという信頼がなければ出来ない芸当だ。
…中学の同級生達に,ある意味裏切られた導志がその過程を築くのに,どれほどの努力があったのか…この台本を作った高田でさえ分からなかった。
「タマユラ様,儂も暇ではありません。儂はタマユラ様の御父君が収める帝国の忍の端くれではあるが,貴殿の忍ではない」
観客達をあっと驚かす合間にも,物語は進行していく。
外の世界というものが,猩々童子に救われたあの時が初めてだったタマユラは,自分の胸に宿る感情が分からなかった。
だからこそ,彼を忍里から何度も呼び出し些事を頼む事で関係を築こうとした。
だが,猩々童子とて時期頭領。
旅から帰って来たばかりで忙しいのは本当であり,タマユラの頼みを聴いていたのも市民を守るためという大義名分があったからである。
しかし,人づきあいが不器用なタマユラがなんでもない事で呼び出したことでとうとう猩々童子の堪忍袋の緒が切れるというシーンだ。
最初のおっちゃけた雰囲気だった猩々童子と,頭領として自覚を持ち静かに切れるというギャップのある姿に,観客たちは息を飲む。
猩々童子の怒りという感情が,言葉を表さずとも分かるようだった。
それ以降,タマユラからのアプローチはなり潜め猩々童子も頭領継承の準備を進める。
そうして少しの時が流れ,猩々童子は野暮用で首都へ。
そこで市井と交流するタマユラの姿を認める。
その中でも,子供と交流している姿を見て少しの笑みを浮かべる。
だが,子供達を見送ったタマユラが猩々童子を見つけた途端驚いた表情をし,次にどこか苦しそうな顔を見せたと思ったら倒れてしまう。
流石に見過ごせなかった猩々童子は彼女を屋敷へ連れて行き,彼女の父親からも目覚めるまでいてあげて欲しいと頼まれしぶしぶ了承。
タマユラは,ドラゴンエンパイアでは直す事の出来ない病気を生まれつき持っているという話をその時に聴く。
偶に発作によって倒れてしまう事もあり,今日は…恐らく猩々童子の姿を見て色々なことが頭によぎったからだろう半ば自分のせいにされた。
「申し訳ございません,猩々童子様」
場面は目覚めたタマユラの場面から,沈痛したように謝罪するタマユラを猩々童子は許した。
自分のせいにされた事には思う事があるが,病気自体は彼女のせいではないし…以前怒った事も冷静になってみるともう少し言い方があったと思ったと反省したからだ。
「猩々童子様の…旅のお話を聞きたいです。わたくし,この国から出た事がありませんの」
そして,お互いのしこりが無くなった2人は,タマユラの頼みを猩々童子が聞くことになった。
それは異国での旅,この世界では6つの国が存在することはタマユラも知っていたが,それらを渡って来た彼の話は面白く笑顔が絶えなかった。
その中では,猩々童子が異国で知った札遊びという名目でヴァンガードも出てきて,導志の事を知っている人達は”無理やりねじ込んできた”と思ってしまうシーンもあった。
そして,タマユラはもう1つお願いをしてきた。
「猩々童子様の歌を…もう一度お聞きしたいです」
タマユラにとって歌は城で知ったお淑やかな歌しか知らないし,教えられなかった。
だからお披露目会の余興で猩々童子が歌ったダンスミュージックは,楽しかった。
今まで知らない世界が開かれたような気がしたのだ。
「そいつは良いアイディアだが,どうせなら楽器も一緒にやりてえな」
「楽器…でしたら,猩々童子様の後ろにお父様が下さったものが。お琴と勝手が違って埃が被ってしまって」
「…いつの間にか背後にあるのだが」
実態はタマユラの護衛という設定の生徒が黒子を被って,導志のアコースティックギターを音も無く置いて行ったのだが。
だが,観客にしてみればいつの間にか置かれていたアコースティックギターがあることに,猩々童子が気味悪がるシーンだ。
くすりとした笑いが起きながらも,猩々童子はアコースティックギターを手に取り,彼はタマユラに舞台と観客席の間にある階段へ座るように言う。
タマユラは身体を起こし,猩々童子と共に階段へ座る。
「では…"IN MY WORLD"」
そうして,本日3回目の歌唱シーンが始まった。
1回目,2回目とは違いアコースティックなことによって導志の素の歌唱力と,演奏力が試される。
曲調も自然落ち着いたものだが,猩々童子の努力だけではない高音域の歌声が,講堂へと響き渡る。
とてつもなく繊細でありながら,1,2回目のように心を叩きつけるような歌声ではない。
言うならば,心の隙間から入ってきて心を浄化するような…そんな歌声ですらあった。
香澄は…そんな普段は見ない導志を見て,劇だと分かっているのにどうしてか胸が苦しくて泣きそうになってしまうのを耐えていた。
導志のアコースティックギターの演奏を,香澄は見たことない。
一緒に歌うのですら昨日初めてだったのに,彼は…クラスメイトの女の子の前で穏やかに笑い歌い続ける。
——運命なんてくそくらえ やりきれなくて cry for pride
さらに言えば,彼のアコースティックギターの腕も香澄は目を見張った。
ただ純粋に,上手すぎる。
彼がいつアコースティックギターを弾いていたのかは定かではないが,並大抵の努力じゃないだろう。
弦の場所が視えないから,彼はどこを抑えてどこを鳴らせばどんな音になるのかを聴いただけで全て判断し身体に馴染ませている。
いくら彼の耳が超人じみていると言っても,耳と楽器を鳴らす事が必ずしも連動する訳ではない。
寧ろ,彼の場合は”分かっているのにならせない”というちぐはぐでやるせない状態が続いただろうのにだ。
だけど,そんな努力の成果を…彼が
彼の3回目の歌唱シーンが,清々しい雰囲気を講堂を満たしながら拍手に包まれるのを聴きながら…香澄はそう思ったのだった。
(え…?)
そして,香澄は更に目を見開くことになった。
拍手に包まれている舞台の中で,タマユラ役の生徒が…涙を流していたのだ。
別に,舞台なのだからそう言う演技だって存在するだろう。
実際何人かは彼女の涙にグッと来た観客もいる。
だけど――香澄は彼女のその視線が別の意味を孕んでいる事を悟ってしまった。
それは恋慕の視線…物語上じゃなく,彼女は導志を好いているのではないかと香澄の直感が訴えた。
彼女は感動して,素で泣いているのだと。
香澄は言いようのない感情を,ギュッと胸で押さえつけ自分も泣きそうになりながらも…続いて行く舞台から眼が離せなかった。
「ん…?天命吸塵症?そなたの病気は天命吸塵症か?」
アコースティックライブを終え,残り舞台時間半分と言った所で物語は次なる展開を迎える。
タマユラの病気について聞いた所,猩々童子はその病気と…病気の治し方を知っているというものだ。
猩々童子が異国を旅する中で,国家の1つ,ダークステイツにある秘匿された集落へ辿り着いた。
そこでは,幾千層昔より封印された邪神なる存在を監視するという使命が存在した。
その使命の1つ,邪神の呪いなるものを産まれた童に刻み,その生命力を封印解除のために吸引するという病気の対処も存在した。
過去猩々童子は,その集落へ迷い込み一時期修練を付けてもらった事がある。
その際に,タマユラの病気の存在も知ったのだ。
「しかし,彼らはそれぞれの国家…ドラゴンエンパイア,ストイケイア,ケテルサンクチュアリ,ブラントゲート,リリカルモナステリオへ昔,病気の伝令と共に特効薬を配布したと言っていたが。」
だからタマユラも病気の名前を知っていた,だが治し方が分からないというのは奇妙なものだと思った。
だが,タマユラにもその薬の所在は分からず首を傾げる他ない。
少なくとも,タマユラは自分の父の事をそれほど詳しく知っている訳ではないからだ。
なぜなら――
「私は4歳の頃にお父上に拾われたので」
「そんな大事なことをさらっと申しますか?!」
タマユラは拾い子だったのである。
そりゃ…親子の時間はあったが,彼女自身にも父親がどういった人物なのかよく分からないという印象だ。
堅物であるが,時に優しく導いてくれるし彼女にとってはそれだけで十分だったのだ。
だが,解せないと猩々童子は思う。
彼女に呼び出される関係で,彼女の父である王様にも何度かあっているが,あれは娘思いの人間だ。
そんな彼が,どうして治す方法を知っている筈なのに彼女を助けようとしないのか?
猩々童子にも,観客にもそこまでのピースが揃った時——凄まじい轟音と共に城が襲われた
目まぐるしい場面展開,さっきまでの平穏な雰囲気が嘘のように乱世のそれに変わった。
お披露目会の所にいた謎の影が,不意打ちで猩々童子を打倒し一緒に避難しようとしていたタマユラを攫って行くのである。
影は手練れであり,流石の不意打ちとなっては猩々童子にも分が悪かった。
そこからは怒涛の展開だったと言えよう,タマユラの父である王様が実は邪神の手先だった,というのは最たるものだ。
手先であるならば,当然特効薬など残すはずも無くタマユラがその存在を知らないのも無理はない事だ。
しかし,タマユラ父は猩々童子との一騎打ちに敗れ――猩々童子は,彼がタマユラの事を本当に大事にしていた事を刀から悟り彼女を救う事を決意しいよいよ場面は最終局面へ。
タマユラ父によれば,タマユラを贄にする事によって邪神は復活するという。
ただし,その為にはいくらか時間がかかる為その時間が来る前までにダークステイツの遺跡へと行かなければならない。
猩々童子は里へ戻る時間も,そして自分の醜態を挽回する為にただ1人で向かう。
しかし,道中立ちふさがる邪神の信者たち。数の暴力で猩々童子の行く手を阻む。
だが,最後の力を振り絞ったタマユラ父の力により伝令を受け取った猩々童子の父,現頭領が軍勢引き連れて助っ人に参戦。
少年漫画王道の助っ人シーンである。
「若,1人で行くなど無茶をなさるな!」
「もう少し家来をこき使っても良いんですよ!」
最初に猩々童子の家来役として出て来た生徒達が,あの時のおっちゃけた態度とは真反対の雰囲気のギャップがある。
…因みにだが,ここの台詞は園田が高田に言って変えた所だ。
この言葉は,1人で抱え込んで自分だけが傷つけばいいと思っている導志に向けた言葉でもあるからだ。
それが導志本人が気がついているかは定かではない。
猩々童子の父親の鬼役の生徒——長身筋肉系――が,槍を突き刺し鼓舞する。
「聴け我が精鋭達よ!今戦うのは邪神を打倒す為ではない,我が息子の道を開くため!!」
そして場面は移り,遺跡にて今回の黒幕である邪神の信者であり,里の抜け忍と生贄にされそうなタマユラがいる場所へ辿り着く。
辿り着くというか,奇襲されたお返しに奇襲仕返し無事にタマユラを奪還する事に成功した。
タマユラを背に,猩々童子は黒幕と相対する。
邪神の力というのは”永遠”を作り出す事,恒久的な平和を作る,その代償に今生きている人間達の魂は止まるとか言う微妙に筋が通っているのが質が悪いと言わざる負えない敵側の目的が話される。
「貴様に許されるのか?そうする事で戦を知らない子供達を生み出す事が出来るこの偉業を邪魔する事が!」
この舞台中,何度かこの黒幕役の伏線自体は存在した。
過去に戦から疲れ,子供を失い絶望し里を抜けた忍の存在はあった。
——
神楽は,凡そクライマックスのシーンの場面を見ながらも,クラス発表というのがもったいない位の努力が垣間見えたこの舞台の終わりを予感した。
全体的に視れば,当たり前だが演劇部やプロのものとは比較にはならない。
プロジェクションマッピングも,新時代的で面白い試みだし実際いいとは思っている。
だが,舞台上の臨場感が代わりに失われる。
現在も遺跡の描写には,背景イラストと…恐らく道具作成係が作ったであろう渾身の遺跡が存在するだけ。
ストーリーも王道を貫きながらも,歌唱シーンなど普通とは違う要素を入れることで観客の注目を集めているが,神楽は脚本を書いた子は成長の余地があるなと感じる。
面白いし,序盤の歌唱シーンや所々に邪神なる存在の伏線は確かに存在したが如何せん,時間の問題が付きまとったせいで少々雑と言わざる負えない所も存在した。
例えばだが,タマユラ父の正体など猩々童子が看破した訳だが,バレ方があっさり過ぎるし,タマユラ父の人となりがタマユラの口からしか伝えられていない。
中途半端に存在を仄めかしただけで,いざタマユラの父が黒幕の一派と言われても”ん?”なってしまったのが率直な感想だ。
——でも
反面演技という一点に関しては殆ど言う事が何もない。
完璧とは言えないかもしれないが,少なくとも目立ったミスはしていないし,そして何よりも場面場面で,本当に楽しそうに演技するのだ。
導志にしたってそうだ,眼が視えない中でも自分が立つべき場所をしっかりと把握し,アクションシーンでは神楽でさえガチすぎると思う位に舞台を縦横無尽に駆け巡り,見事な殺陣を披露した。
自分が初めて彼を見た時に練習した殺陣の場面だったが,あの時を遥かに超える成長を目の当たりにして柄にもなく嬉しくなったものだ。
「戦を知らねえ子供を生み出す為か,貴様らしいお優しい理由だ。だが,だからお姫様を犠牲にしていいと考える時点で貴様も外道だろうよ。」
「そんな事は承知の上,彼女がこの世界最後の犠牲者となろう!」
神楽が分析をしている間にも,遺跡のセットとタマユラを背にした猩々童子と黒幕の最後の決戦が始まる。
最期のアクションシーンだ,観客の期待も高まる瞬間だが彼らはやはり凄まじいものを見せて来た。
隣の津島によれば,黒幕役の生徒は剣道部らしいから型がそれなりに綺麗なのは納得出来るが,導志に関しては完全な素人であるにもかかわらず熱戦を演じている様に観える。
演出として刀と刀がぶつかった際の音も,よく聴き分けたら微妙に違っていたりして音に関しても眼を見張るものがあった。
まあ,その音の違いにどれだけの人間が気がついたのかは定かではないけれども。
そして,決着はつき無事猩々童子がタマユラを奪還…黒幕は自らの結末を嘆き消えて平和が戻る――筈だった。
「ん…どうしたんだ導志君」
だが,遺跡の傍にいるタマユラへ歩み寄ろうとする導志が唐突にピタリと足を止めたのだ。
そして次第に困惑と焦りを混ぜた表情を見せると,彼はいきなり走り出した。
その表情はどう見ても取り作っているものではなく,心の底から恐怖し反射的に身体を動かしたような動きだった。
なぜ,という思考は直ぐに答えを得た。
天井からという,完全な死角からタマユラと遺跡のセットに向けて白く輝く物体が,なにか切れる音と共に落下してきたのだ。
導志はその落下物から,タマユラを…枳殻燈火を守るために走り出し――
「どーくん!!」
「導志!」
「燈火ちゃん!」
轟音と共に,彼らの名前を誰かが悲鳴交じりに叫び――観客は騒然となった。
神楽も,唖然としながらも…これが完全な事故だと悟り静かに立ち上がった。
☆
滅茶苦茶痛い…反射的に浮かんだ思考はそんな事だった。
だけど,殆ど勘で飛び込んで引っ張った彼女の肢体を腕の中に感じて一旦ほっとした。
観客席から悲鳴が凄まじく飛び交っているせいで何が話されているかなんて碌に分からないが,そんな事よりも今確かめることは別にあった。
俺はマイクが拾わない程度の小声で,抱きしめる形になった枳殻さんへ聞く。
「枳殻さん,大丈夫?」
「や…う…そ,なんで…導志君…怪我…血が」
あ,うん。思ったよりも精神的に参っているこれ…ていうか,彼女に言われてから俺は左上の頭の表面から痛みを感じ唇を噛みしめて何とか耐えた。
落ちて来た何かの一部に顔が掠ったのだけは分かるが,そこ以外は何ともない。
せいぜいが彼女を抱きしめて飛び退いた事で床に激突した左半身だが,それも多分時間が経てばどうとでもなるだろう。
「俺よりも,枳殻さんだ。けがは?」
「…っ,ない…ないよ」
苦しそうに報告してきたことが不安だが,取り合えず大丈夫だと分かってほっとした。
…のだが,ヤバいこの状況どうしよう。
今はまだ,なにかが――多分だけど照明——落ちてきたことに騒然となってしまったせいで誰もが時が止まってしまったみたいに動けない。
そりゃそうだろうよ,照明が落ちてくるなんて想定外にもほどがある。
俺ですらなんで気が付けたんだよってレベルで,意味不明だ。
少なくとも,素人の俺達がさっと対応できる方がビックリなレベルだ。
だが現実だ,だからこそ俺は演じないといけない。
こんな所で舞台を台無しにしたくない,このクラスで作り上げたものをたかが照明が落ちた程度の事で終わりなんかにしたくないっていう演劇に決まった時からは考えられない思考の結果だ。
だけどそれだけじゃない,ここから演じる事はさっき悲鳴が聞こえたお姉ちゃんと…香澄さんに俺は無事だと知らせる意味もあったからだ。
ああでも,普通にやばいわこの状況。
謎に頭が冷静だけど身体の方が無理に動かし過ぎたせいか,それとも安堵したのがいけなかったのか動かない。
——どうするどうするどうするどうする――
そんな思考がぐるぐるして,意識が飛び始めた時…
「はっはっはっ!」
舞台上じゃない,講堂の出入り口付近からなんかどこかで聞いた覚えがある声の高笑いが聴こえてきて意識が現実に戻った。
新たな闖入者が何者なのか,俺の眼が視えていたら分かったのかもしれない。
だけど――いや,この声やっぱり知ってるわ。
たったの1日しか語り合わず,指導を受けなかったが彼の特徴的な悪役ボイスは忘れられなかった。
そして…どういう訳か,この状況を助けてくれる人という確信もあった。
動かない身体を強引に動かして叫んだ。
「戦に関係ない姫君を狙う外道,何者だ!」
こんなもの台本には全くない台詞だ,だけど猩々童子なら何ていうか…なんて俺にとっては朝飯前だ。
彼は階段を下り舞台に近づきながら,マイクも使わなくてもよく響く声で講堂に轟かせた。
「我こそは邪神復活を望む最後の信者,アンドロルド。貴様の最後の敵だ」
アンドロルド…その名前を聴いて,俺は違う意味で既視感を感じた。
その既視感の正体を,俺はどこからか呟かれた観客の言葉で暴くことが出来た。
——ねえ,あれ神楽
その名前を聴いた観客が…主に女子高生などの女性陣が黄色い声をあげたのを聴きながら俺は,納得していた。
前会った時,彼は確か俺に言った。
表の顔は俳優,裏はヴァンガードファイターだと…とんでもない,彼こそはどちらも表の顔を飾るのに相応しい実力を兼ね揃え,俳優の賞を何度も受賞し…そして数多のヴァンガード公式大会でも結果を残している…正真正銘のプロファイターだ。
「アンドロルド,その名は聞いた事がある。人形を使った観劇をする正体不明の一団…その頭の名だった筈だ。」
「その通り,以前君が異国を旅した際に出会ったね。まさか君が邪神様の復活を阻むとは思わなかったが」
「はっ,邪神だろうが正しい神だろうが知った事ではない。
そんなよく自分でも舌が回るなと思いながらも,彼の足音が舞台に上ったのを感じた。
…いやまて,よく考えたらどうやってこの場を収める。
クライマックスに俺の後ろにある遺跡の小道具のある仕掛けで観客の度肝を抜かせるというシーンだが,よく考えたらさっきの照明のせいでぶっ壊れている可能性がある。
このあとアドリブでどうにかこの人を退けたとしても,その仕掛けが無ければ最後のシーンとしては成り立たない。
神楽さんのおかげで俺自身を立て直すことは出来たが,舞台を立て直せた訳じゃない…俺のそんな思考も,彼にとって計算済みだったのか予想だにしない事を言い放って来た。
「君の信仰心はどうでも良いのだけれどね,タマユラをそのまま連れて行かれるのは困るんだ。」
「人形師がこの儂と戦えるとでも思っているのか?」
「ふむ,確かに君相手に私は役不足だが…君が私を倒せるわけでもない。なぜなら,アンドロルドという人物の魂をこの”人形”に移し替えただけの存在。故に,この人形を斬った所で私は新たな人形に魂を定めるだけだ」
え,つまりそれ倒せないって事なんだが。
こんなつぎはぎだらけになってしまった展開でさらにややこしくしないで欲しいというのが偽りない本心なんだが…これが彼なりにこの場を収める方法だと気がつくことが出来たのは
「私は君を排除しタマユラに贄になってもらいたい,君は私を倒したい。しかしその刀で私を斬る事は出来ない,逆に私が君を倒す事も出来ない。ならば儀式を行うとしよう」
そう言って,布が擦る音が聴こえたと思ったら…観客達がざわざわとしだす。
それは戸惑いの色,だが俺は彼が何を出したのか皆目見当もつかない。
「君も知っている異国の札遊び,私と君とでこれを行い…敗者の魂が消滅するという儀式だ。」
「なん…だと」
つまり…彼は,俺に札遊び…ヴァンガードファイトを申し込んできたという事だ。
そして俺は数瞬考えて――
「良いだろう,受けて立つ!」
そこで俺達の幕は一旦閉じたのだった。
お疲れさまでした!
舞台が何事もなく終わる訳ないんだよなー!
そして,ヴァンガードを昔から見ていた人はこのお話のオマージュがどこから取ってきているのか多分わかる。
因みに演者の名前は全部ユニットの名前です。
次々回がフルファイト回です。神楽VS導志,面白いファイトに出来たらと思ってます。
そして歌唱シーンでfrom ArgonavisとROOKiEZ is PUNK`Dさんのものを使ったので楽曲コード記載しています。
では,次回は舞台裏です。では!
香澄と導志,付き合った後のお話でどれがみたい?
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交際後,初デート
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2人がそれぞれリサに恋愛を相談する話
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2人の期間限定バンドのお話
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2人で海と夏祭りに行く話