謎の占い師との出会い,不思議な夢を見たような気がした香澄がいつの間にか持っていたカードを胸に有咲の家へと走り出す。
ギターバックを背負いながらの全力ダッシュ,道中には坂道があって膝を折って立ち止まってしまいそうにもなる。
おまけに沙綾から授かったパンも持っている。
だけど…
——早く…早くどーくんに会いたい
ただその一心で全力疾走,肩にかかるギターバックの重みで肩が悲鳴をあげても尚走り続ける。
「はぁ…はぁ…」
坂を上り切り,道を走り抜け有咲と導志が住む家へとやってきた香澄は――
「有…咲」
家の庭で,自身の盆栽の手入れをしている有咲の姿を認めた。
有咲も当然,香澄の事は眼に入れてその眼を細める。
彼女にしてみれば昼間,導志に会いに来るなって遠回しに言ったばかりなのだ。
それを無視してきた香澄に思う事があっても仕方がない。
それでも香澄は…
「何の用だ香澄,今日は練習はもう無しって話になっただろ」
「どーくんに会いたい!」
ただ真っすぐに,さっきは口にしても怖くて言い切れなかった言葉を言い切った。
有咲は眉を顰め首を横に振った。
「会わせられねえ!」
有咲の導志の気持ちを汲んだ言葉,そして何よりまだ赤の他人である香澄には会わせられないという言葉。
きっと,香澄と導志が会えばお互いに傷つく結果になりかねない。
香澄は導志の現状に,導志は自分の不甲斐なさや諦めに。
お互いにとって良くないのならば,そもそも会わせなければいい。簡単な事だ。
そして有咲は過去そうやって来た。
導志が傷つくことになるのならもう誰にも会わせない…本気でそう思っていた。
「やだ!」
だからこそ,駄々っ子のような香澄の言葉に歯ぎしりした。
「やだじゃねえ!今お前と会ったら導志が壊れる!」
その言葉は香澄も予想外だったのか言葉が詰まる。
それでも香澄は自分の思った事を叫ぶ。
「そんなの分かんないじゃん!どうしてまた内緒にするの?!どうしてまた話してくれないの?!」
1年前だって,有咲は導志の事を出会った頃の香澄には余り話さなかった。
導志の事を必死に守ろうとしていた。
今も同じだ,有咲は導志の事を守ろうとしている。
どうして守ろうとしているのかまでは香澄には分からない,それでもこの2人がこうなった時は大概大事なことを隠しているのは経験則で分かっていた。
その程度が今回は群を抜いているというのもまた。
でも,だからこそ香澄はもう向こうの事情なんて考えない事にした。
有咲がどんなに隠したくて,導志がどんなに自分に会いたくないのだとしても…自分は会いに行かなければならない。
彼の分身に頼まれたから…じゃない。
香澄は自分自身の意志で,導志の助けになりたいから。
だが決意を持っているのは有咲も同じ,寧ろ香澄の言葉を聞いた彼女は眉間に皺をよせ,怒っているのか悲しくなっているのかが分からない絶妙な表情で叫ぶ。
「話した所で香澄にはどうにも出来ねえからだよ!」
有咲は知っている,耳の診断を受けた時の導志の絶望した表情を。
胸が締め付けられた,寧ろ握りつぶされるんじゃないかって位なった。
それも当然だ,彼は耳だけじゃなく眼だって見えない。
彼に残された感覚器官は肌と味覚,嗅覚だけだ。
人間が生きる上であてにする2つの感覚が使えないのだ。
そして…その内眼の方は有咲を庇っての物だ。
だから当然知っている,当時の導志の眼が視えなくなった時の表情も。
今回はあの時以上の表情だった。
有咲の心労もあの時以上に高まっている。
かなりナイーブになっているのである。
「そんな事ない!」
「あるから言ってんだよ!いつもみたいにお前がなりふり構わず導志の所に行って,お前に何が出来んだよ!赤の他人のお前はこれ以上導志に何かあったら,導志の一生に責任とれるのかよ!」
慟哭の叫びだった,自分のせいで導志の眼が視えなくなった。
導志が自分のせいじゃないと言ってくれても,有咲はそう思えなかった。
だって彼は自分を庇った結果,ああなってしまったのだ。
そして,今回だってそうだ。
きっと導志の眼が視えていたのなら,こんな事にはならなかった。
そもそも黎明学園に行ったかすら分からないし,きっと演劇だってしなかった。
眼が視えなくなった時から,身体的不利を抱えて来た導志が更に思うようにならなくなる?
どんな冗談だ,むしろ冗談であって欲しかった。
導志が不自由を強いる以上,有咲は彼の望みをかなえてあげたかった。
今クラスメイトには,ガールズバンドパーティーの人達には,…香澄には会いたくないという望みを叶えたかった。
だからこそ有咲はメンバー達に導志の事は教えずに,今日言われるまで内緒にしていた。
たとえバレたとしても…赤の他人だろという徹底抗戦だ。
今日だってこう言えば香澄は止まった,だから今だって――
有咲は勘違いしていた,今の香澄はいつもの香澄に戻った事,いつもの香澄とはどんなのか,それを分からない筈ないのに…ここ最近導志の事になると奥手になってしまう香澄のままだと思っていた。
とんだ思い違いだった。
「好きだから!!」
「——っ!」
香澄から飛び出た言葉は,有咲の予想を斜め上にいっていた。
余りの事に,有咲が固まってしまう位には。
固まっている間に,香澄は涙を目に滲ませ夕日を背景にぽつぽつと呟いた。
「私は…どーくんの事が好き。友達じゃなくて,男の子として好き。だから私はどーくんがどうなったとしても…一生一緒にいる」
夕日で分かりにくくなっているが,香澄の頬はほんのりと赤く染まり,それが現実だと教えてくる。
有咲だって分かっていたつもりだった,香澄が導志の事を好きなんてことは。
その気持ちを香澄はこれまで口にしてこなかった,普段の対人関係において彼女は積極性の塊なのに,恋愛の事になると肝心な事を言えない奥手だと知った時意外だと思ったことは今でも覚えてる。
そんな彼女が,恋愛の事すらも”いつもの自分”に当てはめたことに有咲は唖然としたのだ。
「だから…お願い有咲,どーくんに会わせて。私はどーくんと一緒にいたい。」
涙を滲ませ,そう懇願する香澄の姿を見て有咲は…折れた。
別に分かってた事だった,例え導志の耳も聞こえなくなったからと言って香澄が彼の事を軽蔑する訳はない。
彼女は軽蔑とは程遠い人間性で,きっと導志の事を支えてくれる人だと。
それでも…もしもという一点で,彼女の言葉に導志が傷つき壊れてしまったら…たまらなく不安だった。
でも…
「後悔したって知らねえぞ」
また,期待する事にした。
香澄の言葉が,行動が,…愛がまた導志を助けてくれることを。
「後悔なんてしないよ,だって…どーくんの事が好きで好きでたまらないんだもん」
そう言って香澄は有咲の横を通り過ぎて家の中に入っていく。
有咲はそんな香澄を,苦笑いで見送り後を追っていく。
(お前…そんなセリフよく恥ずかしくもならず言えるな…元からか)
そう元からだ,香澄が思った事を言うのなんて今に始まった事ではない筈だった。
でも,導志の事となると思っている事の全てを言っている訳ではないというのは分かっていた。
だからこそ,さっきの彼女の愛の告白は驚いたんだから。
彼女は自分らしく戻っただけなのだ。
「私も焼きが回ったな」
そう,どこか寂しそうに呟いて有咲は香澄のあとを追ったのだった。
☆
早く早く,導志に会いたいと香澄は靴を脱いで彼の部屋へと真っすぐ駆け上がっていく。
慣れたはずのこの家も,どうしてか今日は異世界かと思う位に新鮮に感じる。
真実を知ることが怖くないと言えば嘘になる。
でも…そんな事がどうでもよくなるほど彼に会いたかった。
そして導志の部屋の前で深呼吸をして,ドアノブを捻った。
鍵はかかっていなかった。何の抵抗も無く開き,香澄は部屋へ足を踏み入れて…安堵した。
なぜなら部屋の中には導志がいて,彼は机に自分のデッキを広げていた。
きっとデッキの調整をしていたのであろう。
いつも通りの光景で…その筈なのに,香澄は違和感を感じた。
「姉ちゃん?」
それは導志の確認する言葉によって確信へ変わった。
導志なら…足音だけで自分だといつも気がついているのに今はそうじゃなかった。
まさか…そう思っていると,香澄に追いついた有咲が宣告した。
「導志は突発性難聴になった。有り体に言えば…耳が聴こえずらくなった」
「そ…んな」
有咲の言葉を聞いて,泣きそうな顔になった香澄はよぼよぼと彼へ近づく。
彼はそれで何か気がついたのか,怪訝そうな顔をして
「どうしたの?」
そう言った直後,大きく眼を見開き何かに気がついた表情をして…香澄はそんな今にも消えてしまいそうな導志にたまらず
「どーくん!」
彼の身体を抱きしめた。
そうすることしか,今は思いつかなかったのだ。
彼の…多分ストレスでやせてしまった華奢な身体を抱きしめて,自分がここにいる事をこれでもかと伝える。
そんな香澄の背後で,有咲は静かにドアを閉めて出て行った。
部屋に残ったのは導志と香澄だけ。
無我夢中で彼を抱きしめた香澄の腕の中で,彼はどこか諦めが入った声で…
「香澄…さん」
そうして,導志は自分の腕を彼女の腰に回そうとして…止めた。
ここに彼女がいる時点で,姉は止められなかったのだろうと察していた。
だけどそれを責める気なんてなれなくて,そもそもこんな状態になって更に姉に頼ろとしていたのすら恥ずかしいと思ってる。
そして…香澄が来てくれた事を良い事に,彼女に甘えようとしてしまった自分を戒めた。
香澄はそんな些細な行動には気がつかなかったけれど,それでも抱きしめる。
「ほんと…有咲もどーくんも…ずるい。ずるい。大切な事全部隠して話してくれない。」
聞こえていないかもしれない,それでも言葉を紡がずにはいられなかった。
「ごめんなさい,香澄さんが何を言っているのか,今の俺には1割も分からない。」
実際,導志には殆ど香澄の言葉は届いていなかった。
それでも香澄の抱擁を通して,なんとなく彼女は怒っている事だけは感じていた。
小さく震える身体,言葉を紡ぐ度にくすぐる吐息がそれを物語っていた。
導志の言葉を聞いた香澄はハッと眼を見開いた後,涙を滲ませながら力強く抱きしめる。
有咲の言うように,彼は異常までの聴覚すらも奪われているのだと突きつけられる。
「いいの!」
だけど,だからって香澄は諦める事なんてしたくなかった。
彼の耳が聴こえなくても,彼は全く聴こえないなんて言わなかった。
「私がどーくんに聴こえるまで何度も叫ぶから!」
だからそんな支離滅裂なようで,真っすぐな言葉を叫ぶ。
言葉の振動で空気が震えたのを導志は感じ取る事が出来たが,やっぱり何を言っているのかまでは分からない。
しかし,香澄が自分の事を思ってここに来てくれた事だけは分かる。
でも…だから導志は辛かった。
「香澄さんの事だから…多分励ましてくれてるんだろうけど,ごめんなさい。今はそんな気分じゃない。」
そう言って導志は優しく香澄の身体を突き離そうとするが,彼女の力の方が上だった。
上だったというか,絶対に離さない意思表示として導志の想像以上に香澄は自分の身体を抱きしめていたのである。
香澄だって分かってる,自分だって歌えなくなってしまった時は周りの励ましが辛かった。
自分のせいでバンドが立ち止まってしまった時は怖かった。
自分の思い通りに出来なくて下手で,見放されるんじゃないかと不安でたまらなかった。
今の導志だってきっと同じで,自分の不甲斐なさにきっと絶望してる。
それでもカードと向き合うのは彼の最後の意地みたいなものだ。
次の決勝で燃え尽きる,そう感じる気概さえも感じる。
だけど…香澄はそんなの認められなかった。
彼が自分の手で掴み取ったヴァンガードを,なんで自分で手放そうとするのか。
折角ここまで来て,プロになる理由も出来て,あとは挑むだけなのに…諦めようとしてるのか。
香澄は生まれて初めて,運命の事が嫌いになった。
導志が何をしたというのか,ただ平凡に生きて,ただ周りと笑ってるありふれたことをどうして彼にはさせて貰えないのか。
その運命に導志が立ち向かっていく度,胸が締め付けられても香澄は彼の事を応援した。
それでも今回は…応援だけにするつもりなんて微塵も無かった。
香澄の無言の抗議に,導志は自分の不甲斐なさと苛立ちがふつふつと沸き上がる。
今度は少し強く香澄の身体を離そうとする。
「香澄さん…離してください。別に生きることまで諦めた訳じゃないんですから」
人間的には死んでいるけれど,そう胸の中で思う。
ただ香澄を家に帰したくて言っただけの言葉。
香澄だってそんな考えは本能で分かった。
だからこそ…叫んだ。
「嫌だ!」
「…っ」
「やだやだ!絶対離さない!どーくんが参ったって言っても離さない,ずっと一緒にいる!」
駄々をこねる子供のように,それでも確かな心が灯る言葉は殆ど聴こえない導志には聴こえずとも,感じ取れていた。
「何を言っているのか大体想像できますけど,別に香澄さんが俺の事をどうこうしようと思う義理はないですよ。眼の時も,耳の時も同じ。全部俺自身が選んで,守りたいからと願った代償なんですから。」
眼も耳も,有咲と枳殻,2人を守りたいが為に受けた傷の代償だ。
2人はその後も平穏無事に生きていて,被害を被ったのは導志自身。
だけど導志はそれを2人のせいになんて出来なくて
そんなの,香澄には色んな意味で許せなかった。
…香澄は,感情を爆発させた。
「そんな…そんな悲しい事勝手に言わないで!!」
その言葉は,導志の眼を大きく見開くには十分な迫力と声量だ。
今日は聴こえなかった筈の耳が,一時的に聞こえてしまう位には凄まじい声量と言えば分かるだろう。
流石現役ボーカル…そう導志が現実逃避出来たのは一瞬だった。
「自分の事も大切にしてよ,なんで自分だけが傷ついたらいいって思うの,そんなの可笑しい…可笑しいよ」
泣きながらの言葉故に,言葉として成していない部分もある。
それでも導志は,不思議と今の彼女の言葉は理解出来ていた。
聞こえている訳ではない,心で聴いているだけだ。
だからこそ,自分のやってきたことを否定したくなくて香澄の耳元で言う。
「じゃあどうしたら良かったんですか!俺に出来る事なんて殆どなくて身体張る以外出来なくて…どうやったら姉ちゃんと燈火さんを守れば良かったんですか?!」
1回目は研究所側の事故で,有咲と言い方悪いが一緒にいた枳殻を守るために自分を犠牲にした。飛んでくる衝撃,ガラスの破片をすべて一人で受けた。
2度目はその枳殻を身体を張って守った,外野の生徒に言う暇なんて無かったし,そもそもあれだって導志の第六感だった。
その勘が当たって,代償として耳が聴こえなくなった。
命との等価交換,だから仕方がない。
そう思わなければ…導志だって運命なんて憎くて仕方が無くなる。
寧ろ生きてるだけマシと思わないといけない。そうしないと有咲と燈火が壊れてしまう。
突き詰めた自己犠牲の精神が導志を動かした理由でしかないのだ。
「そんなの分かんないよ!」
そして,その当時の解決策なんて香澄には思い浮かばない。
既に過ぎた事であり,結果から見るのなら導志の言う通りなのだろう。
彼の目と耳と引き換えに,他の人は平穏に生きられる。
導志が必要以上に眼の事を自虐しないから,耳の事を他者に言わないから有咲も枳殻も少ない罪悪感で済んでいる。
有咲に関してはそれでも過保護になる位だが。
だけど,その”良かった”に導志自身は入っていない。
文化祭を経て,導志だって他者を信じることを覚えた。
自分の考えを,出来ない事を誰かと一緒に解決することを覚えた。
1人で抱え込まない事も覚えたはずだった。
成長はしただろう,それでも…今回の事はそんな経験すらも色あせてしまうほど黒くなってしまった。
それが香澄には我慢できなかった。
「でも…でも…全部どーくんが抱え込まないといけないなんて間違ってる。」
「俺が勝手にやって俺が勝手になっただけだ,それこそ香澄さんは関係ないだろ!」
他人なのだから,その言葉の裏も香澄は分かっていた。
そうだろう,香澄は導志の目や耳が聴こえなくなったことに関係ない人だ。
だから導志に罪悪感を持つ必要なんてないし,ましてやこうして励ます義理も無い。
仮にそんな義理が存在していたとしても,導志は関係ないと突っぱねるだろう。
でもそんなものは香澄にとってはお断りだ。
「そうかもしれない…そうかもしれないけど!…でも」
そこで言葉を区切り,導志の耳元で彼に聴こえるように,精一杯囁いた
「一緒に背負わせてよ」
「…っ。そんな迷惑…」
かけられない。
突発性難聴自体は治る可能性はあるかもしれない,だけど一度そうなってしまった以上また起きる可能性だってある。
いやそもそも今回だって乗り切れないかもしれず,このままずっと治らないかもしれない。
視界も耳も使えない障碍者,それが自分だ。
ある意味ボケてしまった老人よりも支える人間に絶大な負荷がかかる。
眼の時だって有咲に凄まじいまでの負荷をかけてしまったのだ,耳もとなると…考えるだけで恐ろしい。
本当に自分は人に迷惑をかけないと生きられなくなってしまう。
それが導志にとっては恐ろしい,自分のせいで,大切な人達の時間が消えて行く。
一度生と死の境をさまよった導志だからこそ,生きている時間が尊いものだと分かっているが故の恐怖だ。
…本当は,何度も死にたいと思ってた。
耳が聴こえなくなって,これからの事を考えれば考える程地獄への片道にしか思えなくて…有咲には決して言えないが家の中で死に場所も探したりもした。
それでも思いとどまったのは,ここまで来たプロ試験の決勝の事,そして…悲しむであろう家族とクラスメイト,ガールズバンドパーティーの人達,そして…香澄の顔が浮かんだから。
だけどそれは彼女達に迷惑をかけたいと思っての事じゃなく…せめて,彼女達が,香澄が幸せになってから…姿を消そうと思っただけ。
どうせ目と耳,2つの障害があるなら就職なんてどこにも出来る訳ないし…静かな所で,誰の迷惑にもならない所で人生に幕を下ろそう。
それが今の導志が生きる意味だった。死ぬ以外でこれ以上不幸になる事なんて逆にないだろう,という諦めからの願望だった。
どうせ死ぬ人間の苦しみを一緒に背負う?
そんなもの,迷惑をかける愚行の極致でしかない。
だから導志は香澄を,嫌われたとしても突き放すと決めて――
「勝手に決めないでよ!」
耳元で,聞こえにくいのをいいことに叫ばれた。
「どーくんのバカバカ!私はそんなの望んでない!私は…私はどーくんと一緒にいたいの!どーくんが一緒にいないと悲しいの苦しいの!迷惑かどうかは私が決める,迷惑じゃありません。はい迷惑じゃありません!」
「そんな子供みたいなことを言ってないで現実を見ろよ!耳まで完全に聞こえなくなったら補聴器ですら役に立たない,俺はただそこにいるだけの置物なんだ!いや,置物より好きに動ける分余計に質が悪い!なら俺なんて死んだって――」
そうして禁句を言い放とうとして…乾いた音が導志の部屋に反響した。
部屋にいたのは,どうしてか右に顔がずれている導志と…涙を目元に溜めながら右手を振りぬいている香澄の姿。
更に見ていくと,導志の頬はほんのりと赤みを帯びていて,聞こえずらくなっている筈の耳でも聴こえてしまったくらいの音と…頬から駆け巡る痛みだった。
「そんなこと…言わないでよ。」
そうして,香澄は泣き声のまま強引に導志を椅子から立たせた。
それだけじゃなく,香澄にビンタされた導志は自分が何をされたのか分からないまま,力なんて抜けてしまって香澄に腕を引っ張られてベッドに放り投げられた。
いろいろな意味のショックで導志は抵抗出来ずにクッションに沈み,そんな導志を逃がさないと香澄は彼にそのまま覆いかぶさった。
体重を彼に預けて,自分の存在をこれでもかと彼に擦りつけて言葉を紡ぐ。
「私にはどーくんの気持ちは分からないよ?どーくんがどうしたら良くなるのかだって分からない。でも…せめて,一緒に考えて悩まさせてよ。私にはそれ位しか出来ないけど…一緒に戦わせて。死にたいなんて言わないで。」
「香澄…さん」
そうして導志はようやく気がついた,香澄が泣いている事に。
身体を寄せ合っているからこそ分かる彼女の震えが直に伝わって来る。
その震えこそが彼女が自分を心配してくれる気持ちの証左だと分かっている。
香澄がどれだけ真っすぐに自分を見てくれているのか,視えていないのにも関わらず分かっている。
だからこそ…導志の瞳にも青い宝石が現れ…
「だって…迷惑なんてもうかけたくない。姉ちゃんも香澄さんも…俺のせいで幸せになれないなんてことなってほしくない。」
それを聴いて香澄は”ああ,君はやっぱり優しい”,そう思った。
だけどそんなのは自分は望んでない。
なぜなら,導志自身がいなくなったら自分は幸せだと胸を張って言えなくなる。
きっと彼がいなくなったら,胸にぽかんと大事な物が抜け落ちたままで,どうして導志がいないのかを考えて考えて…幸せになんてんれなくなる。
だから導志が生きる事を諦めてしまっているのをみて…香澄は不意に,あの夕日の中彼が元気づけてくれた言葉を思い浮かべた。
「”立ち上がれ,諦めを知らぬが故に拓ける道がある”」
「それ…は」
「うん,どーくんが1年前私に言ってくれた言葉。私この言葉すっごく好き。」
「…」
「どーくん,まだ諦めるのは早いよ。まだ,聞こえなくなった訳じゃないなら…一緒にどうにかするする方法探そ?」
そう言ってくれることが,導志にとってどれだけ苦しくて…嬉しいのか,それを言葉にする事はとても難しい。
だが分かるのは,…自分は1人じゃないんだという,当たり前に感じる事が身体に沁みわたるものだった。
そうして,香澄のその言葉に導志の心の壁は決壊し…
「う…わあ…あああ」
感情がようやく追いついたように,導志の嗚咽がしばらく部屋の中で響いた。
香澄は彼を抱きしめながら,もらい泣きしながら彼の背中をぽんぽんと叩く。
導志も殆ど意識しないまま,香澄を抱きしめ返して泣きつかれるまでしがみつき…2人は気がつけば一緒に眠りについていた。
お互いの事を大事そうに抱きしめながら,身を寄せ合うようにして。
お疲れさまでした!
身に着けた自尊心が一瞬で崩壊してしまう導志,包み込むのは香澄です。
治りかけていた自戒的な思考がリバウンド的に復活してしまいました。
香澄と話している内に自分に嫌気がさしまくって,香澄からすれば最低な文句を言おうとしてしまいました。
まあ,導志の気持ちになって考えればそう思ってしまうのもやむなしな気がします。
プロローグか初PA辺りで話した気がしますが,眼が視えない導志が視る事の出来る星が香澄なのです。
では,次!
香澄と導志,付き合った後のお話でどれがみたい?
-
交際後,初デート
-
2人がそれぞれリサに恋愛を相談する話
-
2人の期間限定バンドのお話
-
2人で海と夏祭りに行く話