サンストンブリッジは大きな街だ。
だがそこに生きる人々の密度は濃く、内需が高く外からの情報を交易商に頼りがちなここでは娯楽と話題に飢える人々の間に流れる噂は次から次へとあっという間に伝播し、尾びれ背びれがついた噂は留まるところを知らずまた戻ってきてはまた根も葉もない事実を付け加え広がっていく。
だから大きな事となれば、もしくは誰にも知られているものの変化だとすれば、伝播した噂はより大きく人々の間で燃え上がり、端から端まで行ってほんの
本日明朝より快晴、陽も明るくなった午前八時前。サンストンブリッジ貴族区で唯一、身分に関係なく万人が怪訝な目を向けられることなく振る舞えるコロッセオ正面には、今日この場で行われる催事のために集まった人々でごったがえしていた。
やがて時計が八時を指し、鐘を鳴らすと同時に衛兵によって仕切られ、この場に設けられていたステージの上で布を上からかけられその全貌をひた隠しにされていた物体の掛布がその後ろに控えていた騎士達によって次々取り払われる。
その内側から姿を表したそれに、集まった人々は舌を巻いた。
主に頭部を破壊された”犬”の魔獣の死体がよく見えるよう木組みの台に乗せられ外界に晒される。だが最も目を引くのはそのどれとも違うひとつ、磔にされているものの、手足をぴんと張られているために三メーターほどの体長が端から端まで見える怪物。
身体中を傷だらけにされ、肩口や胸元にえぐるような傷を持ち、そして致命傷となったであろう胸部の大穴を穿たれているためにその生物が死んでいることが分かっていたが、白い目やなによりその手の大きな爪が今にもまさに動き出さんとばかりにこの生物、デスクローの存在感を人々に放っていた。
「静かに!しずかにーっ!・・・これより式典を始める!」
人々が我よ我よとその”異界の魔獣”を見ようと踏ん張り人を押しのけ前に出ようとする中、喧騒をつんざくように大きな、よく通る男の声が響き、それを耳に通した人々はこの”椅子取りゲーム”の時間が終わったことを察するとすぐに互いを押しのける力を抜き静まり、その声の主の次の言葉を心待ちにした。
「よし!静かで結構!」
声の主、壇上に上がった男、王国における戦闘の華、王立騎士団のここサンストンブリッジ支部長エルヴェシウス・F・レスターは腰に携えた鞘から装飾付きの儀礼用の剣を抜き去ると、その切っ先を自分の斜めやや後ろに磔されたデスクローの死体へと向け、顔を観衆へと向けた。
「このおぞましい怪生物!以前にも”魔女の大陸”や国内でも何度か見かけられた異界の魔獣のひとつだ!」
エルヴェの言葉を観衆は黙って聞く。
それを見回すようにして、エルヴェは言葉を続けた。
「つい先月に王都からの騎士遠征隊が壊滅した風聞も聞こえに新しいだろう!この個体こそが、その犯人であり君達の誇る騎士団の面々、生き残った二人を除く十八人を殺し尽くした悪魔の魔獣である!」
剣を振りかぶるように、大げさな素振りでデスクローの死体をもう一度示すエルヴェ。
観衆もざわめき、しんと静まり返っていた場にはあることないこと、根も葉もないうわさ話が湧き始める。
「さる女と、それに率いられ違法な奴隷売買を行っていた者達がこの魔獣を飼いならし、不甲斐なくもこのコロッセオの中に潜ませていたことを誰も気づかなかった!彼らはこの魔獣を街に放ち!破壊と暴虐の限りを尽くすことを目的とし、そして放たれてしまった!」
観衆のざわめきは更にヒートアップし、根も葉もない噂はもはや妄言や暴言の域にまで達する。
最前列を確保していた新聞小僧は衛兵に詰め寄り、魔獣見たさの人々はまた人々を押し始める、それを見回すようにしてエルヴェは叫び、観衆を黙らせると言葉を続けた。
「しかし見ての通り、この魔獣は今や死体だ!なぜか!?我々王立騎士団サンストンブリッジ支部の誇る精鋭たちの尽力により!ほんの一週間前!街に魔獣が放たれる直前にてこのコロッセオで死闘を繰り広げ!ついに仕留めることに成功したからだ!」
ここ一番とばかりにエルヴェは声を張り上げ、両手を広げ観衆に声を飛ばす。
ここ一番の盛況が場を包み、騎士団を讃える声が上がることにエルヴェは笑顔で応えると両手を上げ下ろし、奮う観衆を鎮める。
「だが!」
急に表情を真面目なものに戻すエルヴェ。
観衆もその言葉と表情に表情を不安げにすると、続く言葉を待った。
「この戦いは我々だけの成果ではない!今回勇敢にも武器を取り、我々と並び戦ってくれた彼ら三人の民衆からの協力者がいなければ、我々は遠征隊と同じ運命を辿っていたやもしれなかった・・・!我々は君達を守れることを誇りに思う、そこで!」
顔は観衆を向いたまま、手を舞台袖の方へとエルヴェは向ける。
「今日はいつも通りの変わらない魔獣討伐の発表だけではなく!今日この場を借りて彼らを表彰したいと思う!」
上げた手を下ろすと共に、舞台袖に設けられた小さな即席のカーテンが開かれ、その”三人”の姿が露となる。観衆はその姿を見るなり更にヒートアップし、三者三様全く持って異なる要素を抱える三人は視線の嵐に晒されることとなった。
「・・・前に見せ物にされた時はこの上なく屈辱でどうしようもなかったけど、こういうのなら悪くないものだね、ボク癖になりそう」
「デイグローでプロパガンダに連れだされた時にもこんなことになったことはあるが、あの時よりはみんな・・・滑らかだな、ああ、ヘルメットは絶対に脱がないほうがいい」
「手に人という字を書いて飲むんだよな・・・ああっ、書き間違えた・・・オ、オレ、逃げてもいいかよ?」
視線に晒される三人もそれぞれ三者三様の反応を見せており、テッサは髪を手櫛と梳きながらまんざらでもないといった表情で、ティコは慣れているとも言わんばかりに腕を組んで観客を赤いアイピース越しに見据えている、一方ロイズだけは一人緊張に頭が真っ白であるらしく、しきりに横に立つティコの服を掴んでは逃げてもいいか、とつぶやいていた。
「はっはっはっ!そう言えばお前はあがり症なんだったな相棒!でも今更だぞ、ここで逃げ帰った方がよっぽど恥になるってもんだ、覚悟決めとけ」
「け、けどよ・・・転んだりしたらどうしようって・・・」
「力が入りすぎるからそうなるって聞いたことがあるなぁ、もっと力抜いて、観客の顔がカボチャに見えるとでも思えばいいさ。普段の前向きな君のほうがボクは好きだな」
「そうだビシッと行け相棒!デスクローをぶん殴った男が出来ないわきゃないぜ」
ロイズの背中をアーマー越しにバシッと叩くティコと、微笑みながら言うテッサ。
それにロイズは少し背中を押された気がしたが、それでも覚悟が決まらず手のひらに延々と人の字を書いては飲んでいた。
その矢先、エルヴェがステージの中心に移動し声を上げる。
「では最初に、我々の退路を確保し、得意の魔法をもって敵を制してくれた”月の民”ムーンエルフのテッサリア・ルナ・レオミュースに贈ろう、テッサリア、来てくれ!」
「あ、ボクの出番かな。じゃあ二人共、先に行くね」
呼び声がかかるとともに、二人に軽く手を振ったテッサはカーテンをくぐると優雅に歩き段差を登りステージに立つ。
朝の光にきらめく髪、朝露の如し儚い端正な顔つき、細く繊細な手足は青いワンピースと合わさり彼女の少女らしさをより強め、しかし伸びる長い耳は彼女が長くを生きるエルフであることを観衆に知らしめその美しさ、妖艶さにこの場にいる誰もが目を引かれた。
そして彼女が一糸乱れぬ間隔で足を運び、エルヴェの前に立ち片足を内側にひそめスカートの端をつまみ深々とお辞儀をするカーテシー式のあいさつをするころには、そのあまりに優雅で、そして手馴れている様子の行儀にエルヴェも目を奪われ、観衆は視線を釘付けにとされていた。
しばしの静寂を場が包む。
しかし察したテッサが頭を上げ、意地悪そうな笑みで微笑んだ。
「ん、あっ、ああ、テッサリア嬢、あまりに優雅で目を奪われていたよ」
「社交界はあまり好きではなかったんだけど、実家じゃあまあ、多少はね?」
「なるほど、しかし思い返せば”レオミュース”と言えば―――」
そこでエルヴェの言葉を遮るように、テッサが指を立てて突き出す。
エルヴェはその仕草に、図らずも口を止めてしまった。
「ノンノ、実家の話はしないでよ団長さん、ほら早く進めないと、みんな待ってるよ?」
「・・・ああ、あなたがそう言うなら、ではテッサリア・ルナ・レオミュース殿。あなたは―――」
続く授与式は、エルヴェの形式ばった無駄のない動きとテッサの手慣れた優雅な仕草もあり観衆の目を引き何事もないまま終わる。そしてテッサが壇上を去る頃には、喝采の拍手が場を包み彼女はまんざらでもない、といわんばかりに髪をかきあげながらカーテンの中で待つ二人の元へ戻った。
そして彼女が戻り拍手が静まるのと入れ違いになるようにして、エルヴェの声が場に響く。次の”VIP”を示す言葉と視線は、カーテンの内側でまだ指と指を合わせおどおどしている白銀の鎧の装着者に向けて注がれることになっていた。
「次の授与者を紹介しよう!彼を街で見かけたこともあるだろう、以前も熊の魔獣ベビ・ベアを仕留めてくれた青年だ!その強靭な白銀の鎧と自慢の力をもって振りかぶられる魔獣の爪を幾重も受け止め続け、我々に反撃の機会を与えてくれたその勇気・・・英雄と言うに相応しい!それに―――」
以前にもましてエルヴェの言葉は饒舌だ、気に入ってでもいるのだろうかとティコも感じる通り、握りこぶしを掲げ次から次へと彼を褒め称える言葉を上げ続けるエルヴェに呼応するかのようにして、観衆も更に喝采しロイズに投げかけられる視線もますますきらびやかなものへと変わっていた。
「では壇上に上がってくれ!白銀の騎士、ロイズ!」
「すっげーハードル上がってるよな!?なあ!?どうすりゃいいんだよ視線痛いよグール!?」
「ごちゃごちゃ言ってもどうしようもないぜ相棒!この際だから一発決めてきちまえ!」
「でもでも足が」
「そらっ!お前はできる子だ!」
ばんっと背中をはたかれロイズはついわっと声を上げてしまう。
そして踏み出すことになったカーテンの外、彼は顔をひくつかせながらも後ろに引くことはせず、顔をバンッと叩くと覚悟を決め、固い動作ながらも段差を登るとそのままエルヴェの前に姿を見せるに至った。
「だ、団長さん、オレ転ばずにこれました・・・!」
「そ、そうかそれはまた・・・良かったな!ほら、書状を受け取ってくれ、これを・・・」
「オ、オレまたこんなもん受け取っていいんスかね・・・?別に何か凄いことって言うわけでもなく、ただ戦って、勝っただけだし」
「なんだ、そんなことを気にしてたのか君は」
固いまま立ち尽くし、うつむき加減に言うロイズ。
エルヴェはそれに軽く笑いかけると、書状を運んできた騎士から書状を受け取ると広げて彼の前に見せ、それから言葉を続けた。
「いいんだよ、まあただ共に戦った、というだけなら単に協力者として報奨金が出る程度かもしれないが・・・君の場合は特に、君がいたお陰で我々の誰もが命を落とさなかったんだ、俺達を救ってくれたんだよ、君は・・・だから十分に賞賛を受けるに値する、騎士達もよろしく言っておいてくれって言ってたよ」
「オレが・・・」
「君には資格があるってことだ、それでいいだろう?命を投げ出すってのは、そうそうできる事じゃあないんだ。君の場合その鎧の性能があるから出来たというのもあるだろうが・・・それでも、本来誰よりも前に立つはずの我々の前に立って、今は死体だがこいつの爪をあれだけ受けてくれた、その勇気ある行動に賞賛を示さなければ男が廃るさ」
「ハ・・・ハイッ!」
「よーし、ではスクライブ・ロイズ殿、君は・・・」
笑いかけながら書状を差し出すエルヴェへと真っ直ぐな目を向け、書状を両手でつかむロイズ。
帰ってくる頃も視線に晒される彼はビクビクしていたが、それでもどこかおどおどしい様子は欠片も残っていなかった。
「なかなかいい顔してるじゃないか、相棒」
「別に・・・いつもとかわんねーよっ」
「ははっ、まあ相棒はそれくらいが丁度いい―――っと、俺の出番か」
また自分の隣に戻ってきた相棒の、口元にわずかな笑みを堪えた姿を見て、ティコもヘルメットの下で彼に悟られないように笑みを浮かべる。そしてロイズがこころなしか、受け取った書状を大事そうに抱えているのを横目に彼はカーテンをくぐると、襟元を正しながら振りかかる視線を意にも介さぬような胆力のある素振りで壇上へと上がりエルヴェの前に立つ。
ティコのレンジャー仕様の装備はあまりに異様で、格調高いエルヴェの魔法鎧とは月とすっぽんのような気品の離れ方であり、彼らが向かい合う様のあまりのギャップに観衆も少しずつ静かになっていった。
そしてお互いが同時に口を開こうとし、はっと止まる。また静寂になるが、そんな中ティコの方が”お先にどうぞ”、と片手で合図するのを受け取り、エルヴェが先に口を開いた。
「数日ぶりかな、ティコ」
「黒ビール以来だな団長さん、結局あの夜は朝まで飲んだんだったか」
「はは、たまには羽目を外すべきだってレットには言われるけど、あの時は外しすぎて二日もまともに業務が出来なくなって逆に怒られてしまったよ」
「こっちもだ、薄めてない黒ビールなんざ飲んだのは久しぶりだったからな、流石の俺も二日酔いが回って寝込んだ相棒の隣で起き上がれなかったもんだ」
呑まれちまったんだな、と笑うティコとエルヴェ。しばらく下らない談笑が続いたが、話題が一度止まると話を続けようとするティコをエルヴェが制し、先に言葉を続けた。
「少し話しすぎたかな、自分は結構忙しい身・・・特に最近はだから、こうでもしないと君の見送りが出来ないと思ってね。もう、行くんだろう?」
「ああ、これが終わったら昼には出ようと思ってる。ここで調べられることはもう無いみたいだから、北東のパーミットって街に情報収集をな、それにテッサの嬢ちゃんも送り届けにゃいかん」
「パーミットか、あそこは異界の建物が多く残る面白い場所だったな・・・しかし何でまた?距離を稼ぐなら港街のポート・ピティーあたりに行ったほうがテッサリア嬢の故郷にも早いと思うんだが」
「ああ、なるほど・・・まあいい、付き合ってみて大丈夫だって分かったさ、団長さんには言って問題ないだろう」
ティコはこめかみを掻くと、襟元を正しエルヴェと目を合わせる。
一方のエルヴェは頭に疑問符を浮かべたまま、ティコの言葉を待った。
「俺達の故郷はウェイストランド・・・”異界”って呼ばれてるところさ」
「なっ・・・!」
ティコの言葉には驚きを隠せず、エルヴェは目を大きく開く。
対するティコはその反応にもう一度、思い悩むようにこめかみを掻くと、言葉を続けた。
「異界の裂け目ってモンがあっちにも開いたのかは知らん、だが気がついたらこの世界にいて、それで今帰り道を・・・辿ってるんじゃない、探しているってこった」
「数人ほど異界の先を知る者が現れたと聞いたことがあるが・・・そうか、君も」
「大丈夫だ団長さん、こっちのしきたりにゃ慣れちゃいないが問題は起こす気がない、俺らも意味なく人を殺して喜ぶようなバーサーカーって訳でもないさ」
相棒はハードパンチャーだったけどな、と笑うティコ。
「ともあれ、だからパーミットに行きたいのさ、前に空いた穴はあっという間に閉じちまったからな・・・今度こそ、じっくり通れるようなモンに出会えないかって思ってな」
「確かにあの辺りは魔獣騒ぎも多ければ時空の裂け目は頻繁に開くと聞く、何かを探すなら確かにいいだろう・・・しかし、そうか、君が」
顎に手を当て、目を細めティコを見るエルヴェ。
しかしその視線はすぐに、彼が軽く息を吐くと共に笑みへと変わった。
「正直、異界にいる人間はどんな奴かって思ったことがあるんだ」
「へえ、どう思ってたんだ?そいつは一種の固定概念・・・先入観ってやつだろ?ちょいと気になるな」
「言いづらいなぁ、まあいいか。あんな化け物が出て来る世界なんだから、そいつと戦える戦闘民族、身の丈みたいな剣を持って首を腰にぶら下げてるようなとんでもない連中か、あるいはとんでもなく魔法技術の進んでいる文明人なんじゃないかって思ったけど、しかし・・・」
エルヴェはティコの足元から頭の上までをじっくりと見回す。
ティコは首をかしげるが、エルヴェはすぐに彼と目を合わせ微笑んだ。
「君のような男が、異界の人間で良かった。これで俺達は、異界から迷い込んできた誰かを快く受け入れられる」
「ウェイストランドの人間がみんな俺や相棒みたいってワケじゃないさ、人類を絶滅させようって奴らもいたし、人肉食が主食の連中だっている、ピンキリだがキリの方が多いとは俺も思うがね」
「それでも話の通じる人間が相手だってわかれば気が楽になるもんさ、少なくとも異界の魔獣は通じない、ともあれ!」
エルヴェが片手で合図をすると、騎士が丸まった書状を開き持って歩み寄る。
彼はそれを受け取ると、テッサや、ロイズと同じようにティコへと差し出した。
「君の行く先ではこれが役に立つだろう、もらってくれ。去りゆく者へのせめてもの餞別といったところさ」
「権威が役に立たない例は案外少ないからな、貰っておくさ」
「そうしてくれティコ、帰ってくるようなことがあったらまた黒ビールを飲みに行こうか」
「今度は潰れないでくれよ?前回は結局マシだった俺が連れて帰ったわけだからな」
「ふふっ、楽しみだな・・・では、レンジャー・ティコ殿―――」
凛と通る、上に立つ者の言葉の後、書状を受け取ったティコは丸めて小脇にそれをしまう。
そしてトレンチコートを翻し、くるりと反転した彼は彼の仲間たちの待つテントへ―――
「ティコ!」
行く前に、エルヴェが彼を呼び止める。
ティコは顔だけを後ろに向けた。
「もし帰る場所が見つからなかったら・・・この街に帰ってくるといい、住まえるよう便宜を図ろう」
「・・・ありがとうな、団長さん」
「こっちこそ、ありがとう、ティコ」
片手で後ろ手に礼を飛ばしながら、ティコは段を降りるとカーテンの中へと入って観衆の視界から消える。再び観衆の視界はデスクローの死体へと移り、エルヴェが再び言葉を続ける、それから式が終わり人が捌けた頃には既に、彼らの姿はその場から消えていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
―――トン、テン、カン。
太陽が真上を通過し、誰もが昼餉を迎える時間を過ぎた頃、軽快な音がリズムを刻む。
サンストンブリッジ北西、貧民街と市民街を隔てる境界線上に立つ孤児院は、割高な窓ガラスに変わって木製のひさしがはめ込まれ、中庭にはまだ草の剥げた箇所が残っているものの、再びかつての日々が戻りつつあった。
「嬢ちゃん、ちょいとその釘取ってくれ」
「はい、ダンナぁ」
二つの声が響く。
やや高い位置にいる方は喉を焼いたようなガラガラ声だが対する方は地に足をつけ、その猫のような、甘えるような声色をもう片方へと向けていた。
「っと、もう一本頼む嬢ちゃん」
「これですかダンナぁ」
脚立に上り、窓枠に釘を打つティコの伸ばす手に向けて釘を手渡すのは赤いショートヘアの少女、アルことアルベルトだ。彼女は釘を渡す際にティコの手に自身の手を触れさせるようにしながら、首を傾げるティコの傍らで彼の作業仕上げを笑顔で手伝っていた。
アルの顔は幸せそうで、二人だけが存在し醸し出す空間はこころなしか、その場だけ輝いても見える。しばらく誰も入れない不可侵領域となっていたが、しかしそこにふらりと一人の女性が侵入した。
「もうティコさん、別にそんなことまでしてくれなくていいんですよ?ティコさんには返すに返せない恩があるんですから」
「いやいや院長さん、ここの立て付けが気になってな・・・出た後で倒壊するかもなんて後ろ髪引かれたくはないから、ちょいと直してから出ようとな。いいっていいって」
「そうそうアタシ達に任せておけばいいって!」
「アルちゃんは違うでしょ」
「あいたっ」
エリスに頭にぺしっと手を置かれ、アルはえへへと笑う。
そうしているうちに釘を打ち終えたティコが軋む脚立をゆっくりと下りてきて、ハンマーをくるりと器用にも指で回すとポケットに差し込んだ。
「よーし、こっちは終わった。相棒、そっちはどうだ?」
「あーもうちょい、ここをこうして・・・よし、出来た」
ティコの視線の先、孤児院の中庭に立つのは彼の相棒たるロイズと、傍らのT-51bパワーアーマー。雑巾や研磨剤を商店街で買い帰ってきてからは昼時以外ずっと磨かれていたパワーアーマーは、先に受けた鋭利な爪による切り傷は鳴りを潜め、遠目には目立たない程度に白銀の輝きを取り戻している。
無地で無味乾燥だった装甲の肩にはロイズお手製の、剣を中心に、サークルが歯車を守り羽が広がるB.O.Sのマークが塗装されており、彼はその出来栄えに我ながら感心するとT-51bの前に立ち腕を組み、むふー、と深くうなった。
そうしているとティコも近寄ってきてアーマーを見回し、存外綺麗になっていることを褒める。
「へえ、中々うまいもんじゃないか相棒、画家になって公文書館に絵を卸すのもいいかもな」
「なんてことねーって!このマークが描けてようやく一端のスクライブってとこだよ・・・ま、うまいもんだろ?だろ?」
「はは、ロイズはすぐに調子に乗るんだから」
お互いに盛り上がる彼らの脇から声が投げかけられ、二人は振り向く。
声の主、耳をぴんと張り頬杖をついているテッサは側にいるモート、ブラフマンが手綱で繋がれているキャンパー、彼らが元の世界から持ち込み今ではすっかり荷車の役割を果たしているそれのドアを開き、段差に腰を掛けていた。
「ボクの荷物の積み込みは終わったよ、いつでも出られる」
「ガトリングレーザーのCFフレーム入れてた箱がいい感じに使えたみたいだな、そりゃ本か?随分いっぱい買ってきたみたいだが・・・」
「報奨金を全部使ってしまったよ、長旅の間本が読めないなんてボクには辛すぎる。これでも厳選したんだよ?本なんてのはある程度有名じゃない限り場所によって同じものは中々見つからないから、欲しいものが山ほどあって困ったよ」
「生活費はたかる気満々だなぁテッサの嬢ちゃん、まあいいか、旅は道連れってな」
「分かってくれて助かるよ、その分ボクは知識を提供するからさ」
言い切ると同時にテッサはキャンパー荷車のドアを閉め、奥に引っ込んでいってしまう。
そして野宿用に用意したテントを端にのけ、寝袋の上に座りこむのを見るとティコは苦笑したが、これはこれで面白い、と相棒、アルベルト、そしてテッサを順に見回し、改めて自分のパーティーの個性豊かさを再確認した。
「おーっしじゃあ早速着込んで・・・っと、グール、バルブ回してくれ」
「よしきた相棒」
T-51bパワーアーマーを着こみ、最後の仕上げをティコに任せるロイズ。
ティコが背中のバルブを回すたびにT-51bはちょうどいいサイズにフィットしていき、やがてロイズの合図で回すのを止めたあと彼は身体を回し拳で空を切り、身体にズレがないことを確認するとティコに礼を言い足早に荷車の横に並ぶ。
ロイズとテッサ、二人は既に準備を終えていつでも行ける――― この街を去れるのだ。
後は―――
「アルちゃん」
優しい声だ。
まるで包み込むように。
「はい、院長」
アルは口元はわずかに笑みながら、しかし惜しむような、悲しむような目をしてエリスを見る。
「本当に行っちゃうのね?」
「はい、アタシ・・・ダンナ達についていきたいんです、ここで別れたらダンナから受けた恩を返せなくなっちゃいそうだし、それに・・・」
「?」
後ろに控えるティコをちらりと見て、アルは俯く。
だがエリスが腰を落とし、彼女と目線を合わせるとアルはすぐに顔を上げ、
「いえ、何でもないです院長!」
「そう、ねえアルちゃん」
優しい声だ。
だがその喉奥にはわずかに泣き声を潤ませていた。
アルは何も言わない、ただじっとエリスと視線を合わせる。
「帰ってきたいって思ったら、いつでも帰ってきていいわよアルちゃん」
「えっ・・・」
「当たり前じゃない、ここにいる子たちはみんな家族なんだから・・・一緒に寝て置きて、何回も何回も月と星が巡って、ずっと生きてきた家族なのよ。何年経ってもアルちゃんが帰ってきたら歓迎してあげる、だから・・・」
「院長・・・」
アルは声を震わせ俯き、手をぎゅっと握りしめた。
エリスは何も言わず、ただアルを優しく見守り続けている。
しかしやがて、アルは上を向いて深く息を吸うとまた俯き、それからようやく顔を上げエリスを見た。
「―――ありがとうございます、院長!アタシ行ってきます!」
「行ってらっしゃいアルちゃん・・・元気でね?」
最後にぽんぽん、とアルの頭を撫でるとエリスは立ち上がりティコに目を向ける。
アルの後ろに控えていたティコもそれを察すると、エリスと視線を合わせ背筋を正し、彼女と向かい合った。
「院長さん」
「アルのこと、よろしくおねがいしますねティコさん。この子こう見えて結構寂しがり屋だから」
「任せて下さいよ、俺らの側にいりゃ退屈しやしませんて、ええ・・・守り切ってみせるさ。院長さんも他の子供達のこと頼む、子供心は・・・傷つきやすいからな」
「ええ、肝に銘じておきます。ふふっ、ティコさんなら信頼できるわ、じゃあ・・・」
「―――ああ、行こうか、嬢ちゃん」
「ダンナとならどこまでも!」
振り返りティコと手を握り、アルも荷車の方へと共に歩き出す。
最後に一回だけ、アルは後ろを振り返ったが、手を振るエリスの姿が見えたことに安堵すると彼女は笑み、握るティコの手をより強めると彼の手を借りブラフマンの隣に立った。
ティコはその横に、ロイズとでブラフマンを挟むように陣取ると、互いに目配せして声を上げる。
「よし相棒!ブラフマン!それとテッサ!出発だ!やり残したことはないなっ!」
「食うモン食ったしやることやった、オレは万全だっ!」
「ボクも十分だよ、あとはただ時間が経つのを待つだけ・・・ふわぁ」
ヘルメットは首の後ろにぶらさげ笑む顔を見せるロイズがパワーアーマーの胸甲をがんっと叩き言い、続けてテッサも荷車の中からあくび混じりに答える。
「嬢ちゃん、何も問題ないな?」
「もうアタシは決めましたよ、ダンナ達と行くって!」
「そうか嬉しいな、よし!」
満場一致を得たティコはブラフマンの角を一撫でし歩き出す。
するとブラフマンはその後に続くようにゆっくりと足を踏み出し、ロイズも、そしてアルも続き歩き出す。遠くはなれていくエリスにロイズはお辞儀を、アルとティコは手を振りテッサは荷車の車窓から手を上げ応えながら、一行は道を抜け、大通りを通り近づいてくる門を見上げながら旅の始まりをふつふつと身体に感じていた。
「で、グール、道分かってんだよな?」
「前みたいに寄り道しなけりゃ十分だ、街道沿いに行きゃいい。さて、じゃあ行こうか―――」
空を見上げ、雲ひとつないそれを仰ぎながらティコはヘルメットの下で笑みを堪える。
「―――俺らの故郷に近づくために、俺らの流儀を通すために」
一歩、また一歩、広がる外の世界へと抜けていく。
かつて踏みしめた、足を取る砂の感覚とひび割れたアスファルトの硬さだけが足を通る旅路の感触からはかけ離れた、人が踏みしめ、しかしその柔らかさを残す大地のレールが導く旅の道を歩きながら、ティコもロイズも吹き抜ける風の暖かさに心をあけっぴろげにされたような感覚を覚える。
ふと横を見れば、マントを押さえた旅人や荷馬車を従える交易商がようやく街へ辿り着いたのに表情を安堵させていた。
ふと後ろを振り返れば、門の向こうに広がっている人々の喧騒がここまで聞こえるような気もした。
「そうだ嬢ちゃん、パーミットについたらまたその・・・シャーベットでも食べようや、みんなで街を歩きながらな」
レンジャー・ティコの足は軽快だった。
百年を越えて生き続けた故郷の世界でも、こんなに気持ちのいい日差しの下旅立てたことは彼の記憶には無かったからだろうか、ふとヘルメットを脱いだ彼は直に風に当たり、その気持ちよさを身にしみて感じるに任せる。
かつてこの世界に訪れ、おっかなびっくり夜道を歩いた時の緊張感は自然とない。彼はそれがここで生き、人々と暮らす内に、自分がこの世界の空気の中にいつのまにか溶け込んでいたからだとだけ考え、ホルスターの中のレンジャー・セコイアに触れると軽く撫でた。
傍らに潜む、この世界にあらざる武器がまた振るわれる日は近いだろう。甘く優しい中に残酷さを秘めたこの世界の中で生きるために、なにより自分の中に残る故郷の残滓と生き様は、彼を戦いの中から離してはくれないからだ。
彼はその時が来たらまた――― 流儀を通すとだけ決め、触れる手を離した。
「パーミットじゃあまた別の特産物があるそうですから、別のフレーバーがあるかもしれませんねー、楽しみです、ダンナ。二人で食べに行きましょうねー♪」
少女アルベルトの足は早かった。
彼女は自身の前を歩く、とても大きく、頼りになる背中を追いかけるだけに必死だったからだ。
親の顔を知らず、貧しい環境で育った彼女の心は、子供心ながらもあの場にいた誰よりも自立していた。だが、心の内ではずっと求めていたのだろう、親のように、自身に手を伸ばし拾い上げてくれる、暖かく包んでくれる誰かを。
出会った頃彼女がスリに手を出していたのは、もしかするとそのせいなのかもしれない。自身を自然と窮地に追い込むことによって、いつか誰かが手を伸ばしてくれるのを待ち続けていた―――自身に小遣い稼ぎという大義名分を与えていたのはひとえにそれを心の奥でしか認められなかったからだろうか。
しかし結局は誤った方向であり、一歩間違えれば彼女は自堕落に落ちていくことになった。
奇しくも彼女の前を歩く、異なる世界の旅人がそれを掬い上げたのは僥倖だったかもしれない、エリスでは包むことはできても、拾い上げることは出来なかった。現に彼女は彼と共に過ごすようになってからは自然と罪に手を染めることをやめていたし、彼に”二度”救い出されてからは顕著であった。
亞人の特徴を色濃く持つ”先祖返り”の自分と”グール”。
嫌われがちな共通点を持つ彼を、彼女は自然と追いかける。
大きく、強く、頼りになる、そして――― どこか愛おしく思える、その背中を。
「おーいこら、一人だけいい身分じゃんかよテッサー、それに酔うぞそんなとこで読んでたら」
スクライブ・ロイズの足は少し遅かった。
かつていた場所では旧世界に存在した、ありとあらゆるテクノロジーや資料を解き明かすことを生業とするスクライブにとっては、知り得ぬものはそれだけで価値になる。
あいにく書庫の整理をしていた彼はテクノロジー分野よりも歴史や知識分野での仕事が多かったわけだが、彼はそのうちに自然と本の世界に入り込むことも多くなり――― 特に”勧善懲悪のヒーロー”は彼のお気に入りとなった。
弱きを助け強きを挫く、閉鎖的な組織内で、かつ士官階級のパラディンでもなければ戦闘要員のナイトでもない彼にそんな夢物語が通るわけもなくフラストレーションが溜まる一方だった彼だったが、この世界にたどり着いて初めてその思想を通せたのは幸運だったろう。
ふと、彼は後ろを振り返り街を見る。
生活レベルは”戦前”の中世に近く、魔法とマナというこの世界独特の要素によって独自の成長を遂げた文化は全くの未知であり、そこに生きる人々もまた自身の知る人々とは全く異なった思考回路を持っている。
そして彼は一度ここでヒーローになった。それが彼の後ろ髪を引っ張っていた。明確な悪と戦い、そして誰かを救えたその感覚はまだ彼の中に残っており、ふと拳を握り開きしてみればその時の感覚がありありと思い出せつい顔に出てしまう。
すべからく存在する未知に対する興味と、自身を受け入れた人々、そして勝利の高揚感が彼の足を取る。だが自分は今、”故郷の外の世界”を知ると決め、そのためにこの道を歩いていると再確認すると、遅れがちだった足を速めた。
前と後ろ、両側から引っ張られながら、彼は時折後ろを振り返りながらも前に進むことにした。
「魔法を使う以上あまりむやみに体力は消耗したくないからね、それにボクはロイズと違って重くないし、それにほら、ボク酔わないたちだから。大丈夫大丈夫、野宿の夜警は買って出るからさ、ムーンエルフって夜目が効くんだよ?」
ムーンエルフ、テッサリアの足は流れに任せていた。
一人だけ荷車の中に入り、優雅に本を読む彼女はロイズに何を言われようと変わることはない。
夜、月の出る時間を生きる彼らは自然と日中の行動は鈍くなりがちだが、ここまでぶれないのはひとえに彼女の性格に起因するだろう。何者にも気丈で、欲には忠実、しかし取引材料を用意するしたたかさもある。
王道直進、我が道を行くテッサリア嬢であったが、それでも彼らとの旅に同行できたことは内心嬉しがっている節もあった。実家で本に囲まれ暮らし、いつしか知識欲を抑えられなくなった彼女は外の世界へ出て楽しいことだけではなく不条理や恐怖も学んだが、それでもなぜか彼女の心は今晴れやかだった。
ふと彼女は外を歩く白銀鎧の青年や、前を歩く黒兜の男に目をやり思う。彼女は彼らに会い、世界にはまだまだ見知らぬものが多種多様に存在するということを理解し、喜んでいた。
かけがえの無いものを失ったのもあるし、良くないこともあった。だからこそ彼女はその分せめて自身が外の世界を見に来た目標を達し、知り得ぬ世界をこの目で見ようと心に誓う。何も思う所がないわけではない、薄情であるつもりはないのだ。
外にいる白銀鎧の青年の言う荒れ地や未知の技術、文化、歴史、まだまだ知り得ないことはこの世に有り、そしてそれを知る術を持つ彼らと共に旅をしている自分は何だかんだ、幸せものなのじゃないかと改めて彼女は思う。
幸いにも彼らはいかんせん”常識”や単に”知識”に疎く、自分はそれを提供できる、お互いに必要なものだ、旅は円滑になるだろう。
荷車に山積みにされた興味の対象の中で幸せを感じながら、彼らに言わせれば”結果オーライ”というやつなのかな、と指先に寄ってきた精霊に同意を求め、彼女はまた柔らかい寝袋に腰を沈め本に目を落とした。
四人それぞれの生き方と、目的と、歩き方があった。
幸運にも噛み合ったそれは互いを呼び寄せ、そして共に歩ませている。
この偶然、もしくは運命が呼び寄せるものを彼らはまだ知らない――― いや、誰もしらないのだ、もしかすると神すらも知り得ないのかもしれない。
―――暖かな陽光の中、彼らは自身の道を切り開くために歩みを進めている。
「つまり君には一種の私に対する固定概念・・・先入観があったわけだ。聞かせてくれ、実に興味がある」
これにて二章本編は完全終了、あとは間話を挟んで三章!