間に合った。
9歳を数えて少し。
この出来ならば、夜鷹純からだって譲歩を引き出せるだろう。
そして光ちゃんにも、きっと俺がずっとこの道を一緒に歩いていくことを信じてもらえると思う。
ちょうどいいから、披露の日は間近に迫る光ちゃんの誕生日に決めた。
誕生日のプレゼントは別にちゃんと用意しているけど、プレゼントが多い分には問題あるまい。
そう伝えて予定を組んでもらえるようにお願いしたら、何故かエイヴァさんが何とも言えない顔をして。
「そっかー、アレを誕生日プレゼントで見せちゃうのかー」
と言っていたが、どういう反応なんだろう。
練習の時にちょくちょく差し入れなどをしてくれていたエイヴァさんは内容をある程度知っているので参考意見として、やめたほうが良いかな、と聞くと。
「悪いわけじゃないのよ? むしろ良すぎるというか…」
光ちゃん大変ね、と小声で言っているのが聞こえた。
いや、別に同水準のものを俺の誕生日に要求とかしないぞ。
二年もかけたプログラムと釣り合うものを要求するとか阿呆の所業である。
あくまでこれはタイミングの問題で。
うーん、ずらしたほうが良いか?
でもタイミング的に光ちゃんの誕生日があるのに敢えてずらしてもなんか違うし。
「そうよね。ノービスに上がる前に色々準備もあるでしょうし、タイミングがここしかないのはその通りだし」
「だよねえ」
よし、決行!
なんか問題が起こっても、それはその時の俺に任せるからヨシ!
そんなやり取りがあってしばらくして今、俺は貸し切りのスケート場にいた。
スケート場にいるメンバーは光ちゃん、夜鷹純、慎一郎さん、エイヴァさん、汐恩である。
「夜鷹さん、一つ賭けをしたい」
スケート靴を履いて調子を確かめつつ、夜鷹純に声をかける。
「賭け?」
「これから俺が見せるプログラムを見て、夜鷹さんが感じた価値の分だけ、俺の頼みを聞いてほしい」
夜鷹純の顔が、少し楽しそうなものに変わった。
よし、釣れた。
「頼みの内容はそこまで難しいものじゃない。ちょっとした保険のようなものだから」
少し納得したような顔で夜鷹純はうなずいた。
俺の頼みの内容が、何となく予想できたんだろう。
「いいよ。その賭けを受けよう。ただし、甘い採点はしないよ?」
「もちろん。そうじゃないと意味がない。これでもね、今回のプログラムにはちょっとばかり自信があるんだ」
俺は意識して不敵な笑みを作ってみせる。
その笑みを見て夜鷹純も似たような笑みを浮かべた。
「今回のプログラムは、光や父さん母さん、夜鷹さんも。みんなへの感謝を込めたもので、同時に俺の意思と覚悟を示すためのもの」
それぞれに目線を送りながら、続ける。
「一夜限りの俺の特別アイスショー。せっかくだから楽しんでいってくれると嬉しい」
不敵な笑みを浮かべたまま格好をつけて言ってから、リンクに乗って滑走位置へ。
準備運動と事前確認は済んでいる。
音楽が流れ始めた。
映画 「La cage aux oiseaux」 邦題「箱庭のバレエ」
そう、夜鷹純のフェイバリット。ある意味で代名詞ともいえる曲。
さあ、この世界に生れ落ちた今の鴗鳥理凰として、そして人生初のフィギュアスケーターとしての大一番だ。
大きく息を吸って、吐く。
手を顔に。
――仮面をはずせ。
目を閉じて仮面を剥ぐ仕草。
――いつか光ちゃんに話したペルソナの話を思い出す。今は誰の為でもない俺として。それがきっと此処にいるすべての人の為。そして自分自身の為の最高の選択。
剥がした幻想の仮面を握りしめた手で砕いて、目を見開いた。
氷上を滑り始める。
スケート靴のエッジに削り飛ばされた氷がキラキラと輝く。
振り付けは、基本的には夜鷹純のそれと同じもの。
ただし、コピーではない。俺の体格、背の高さ、手の長さ、足の長さ。関節の柔軟性。今可能な最大限のジャンプ。
それら様々な物に合わせて細部を調整し一部は変更し、完全に俺のプログラムとして再構築している。
これは、きっといつか自分の足で歩きだす、未来の光ちゃんへの贈り物でもある。
――意思を炎に、魂を焚べろ。願いをその炎で、絶対の未来へ打ち鍛えろ。
ジャンプを踏み切る。自画自賛できる完璧な踏み切り。
着地も文句なしだ。
――費やした二年間。そしてこの世界で得てきたすべての想いに懸けて。
偏執的なまでのこだわりで、ステップを詰める。
センチ単位じゃ温い。ミリ単位以下だ。
――ああ、今なら滑っているときの夜鷹純のあの幸せそうな様子の意味が分かる気がする。
想いを込めて、指の形を作り、手を揺らめかせ、表情を作る。
――氷の上は、とても不自由で、そして、どうしようもなく自由だ。
いつしか思考も忘れて、ただ氷上を踊っていた。
もうすぐ、このプログラムも終わりだ。
名残惜しく感じながら、それでも心を残すことなく、最後の姿勢を決めた。
思い出したかのように、荒い息が漏れる。
リンクを上がって魅入られたかのように動きを止めたままの皆の前に歩いて口を開いた。
「俺は、世界に絶対なんてないと思ってる。矛盾するようだけど、絶対なんて無いっていう事だけが絶対だと思っている。でも俺は、『これ』を自分の意志と覚悟をもって、絶対の未来にする」
感謝と敬意と挑戦の意志を込めて、夜鷹純の目を見返す。
「俺は、オリンピックを連覇する。夜鷹純。あなたを超える」
夜鷹純の目が驚愕に見開かれて、すぐに口からは笑いがこぼれた。
「ははっ! やっぱり理凰は面白いね」
夜鷹純がちゃんと笑ったの初めて見たな。
漫画では一度、司先生とのやり取りで笑ってたけど。
「覚えておくよ。賭けの件も内容はだいたい予想が付く。そっちも、この夜の演技分は考慮すると約束する」
司先生のやり取りの時以上のはっきりとした笑顔だ。
いい滑りだった、と言葉ではないけど褒められた気がした。
これで夜鷹純に伝えるべきことは伝えた。
「光」
言葉もない様子で固まっている光に声をかけると、光は肩をびくっとさせた。
ちょっと固くなりすぎでは?
「あー、その、誕生日おめでとう」
少し力を抜いてもらうために既に言っていた祝いの言葉をもう一度言う。
「ふふっ、それはもう言ってもらったよ」
よしちょっと力が抜けたな。道化芝居に付き合ってくれた感はぬぐえないが、これならちゃんと話せそうだ。
表情を引き締めて、光ちゃんの手を両方とってその目を見つめる。
「光。これから君がノービスに上って結果を出していけば、世間は君を天才少女と今以上に持て囃す様になると思う。光の才能は、はっきり言って傑出してる。光に届く選手どころか、追いかけようとする選手にすらなかなか出会えないかもしれない。それはきっと、避けられない孤独だと思う」
実際漫画では、いのりちゃんに出会うまで彼女の孤独を晴らすことができる存在は現れなかった。
でも、今この世界には俺がいる。
「俺は男だから光と同じ舞台で競ってあげることは出来ないけど。それでも光が目指す先に続く道の上、その隣には必ず俺がいるから」
光ちゃんの瞳から涙があふれだす。
「…うん」
光ちゃんが何とか絞り出した返事は小さかった。
でも気持ちは伝わっていると思う。
「これはオリンピック連覇を誓ったのと同じくらいそれくらいの絶対で、光に約束する、俺は光を絶対に一人にはしないから」
「…うん!」
今度こそ光ちゃんは、泣いたまま満開の笑顔で返事を返してくれたのだった。
「理凰、素敵なプレゼントを、ありがとう!」
ああ、ほんとに。
二年くらいなんでもない。
苦しくも楽しいあの時間の対価としては上等すぎる報酬だ。
そうして、俺のフィギュアスケーターとして最初の大一番は。
最高の結果で幕を引くことができたのだった。