少しだけ、真面目な話をしよう。
これは俺が、届かせたくても届かせることができなかった、とある過去についての話。
後悔などと言ってしまえば傲慢だし、悔しむにはどうしようもなさ過ぎた、すでに過去になってしまった苦い思い出の話である。
実は俺はこの世界に来てからしばらくの間、いわゆる歴史の修正力が存在しているのではないかと疑っていた時期がある。
それにはいくつかの理由があって、まず第一に俺の憑依転生の先が理凰君だったこと。
最初は物語をちゃんと進めるための代役として俺があてがわれたのではないかと少し疑っていたのだ。
そして第二に理凰君として目覚めた時期だ。
あの時期は何というかその当時の俺視点では、ある意味で絶妙に嫌なタイミングで遅かった。
光ちゃんとの出会いにこそ間に合ったが、そこは強制力があったとして物語として考えれば外せない点だから当然として、いのりちゃんの姉の実叶ちゃんの怪我にどうしても間に合わないタイミングだったからだ。
まず自分が今の生活に慣れて、周囲の人と関係を作ってと、そうしているだけでもう時間切れだ。
白状してしまうと、以前いのりちゃんと司先生の出会いを歪めたくないなんて言っておいてなんだが、実は漫画沿いのこの流れは、俺にとってはセカンドプランなのである。
確かに実叶ちゃんを助けてしまえば彼女はあるいはそのままスケートを続けて、いのりちゃんの運命も少なからず変わる可能性があった。
実叶ちゃんがスケートを続けていたならいのりちゃんも自然にスケートを始められて、漫画の中のようなスケートへの執着は失ってしまうかもしれないというのもわかっていた。
結局それは、俺では届かせてあげることができなかった可能性だったけど、でもその可能性はきっと、いのりちゃんにとっては漫画の中より劇的ではなくても、漫画の中に負けないくらいには幸せな可能性だと俺は信じていたのだ。
そうしてこの実叶ちゃんの怪我のことがあって、俺は修正力が存在しているのではないかという疑いを深めた。
そして第三に、ある女性にまつわる話。同時にこれは司先生にまつわる話でもある。
もうこの時点で、漫画メダリストを知る人にはわかると思う。
そう、加護芽衣子さんの話だ。
俺は仮想通貨と株で大きな儲けを出してから、何をおいても一番先に、そのお金を全力でつぎ込んで加護芽衣子さんを探した。
そこに関してだけは完全に自重を遥か彼方に放り投げて、依頼者がこんな子供であることは巧妙に隠してだが、複数の探偵社に依頼を投げて全力で探した。
加護芽衣子さんは、俺の気負いに反して簡単に見つかった。
そして申し訳なく思いつつも行った身辺調査で判明したもろもろについての報告書を見た俺は、思わず自分の部屋の机の上に置かれたその報告書に拳を叩きつけた。
拳の皮がむけて、あとで手をぶつけたと言ってごまかしたけど、エイヴァさんに心配をかけてしまった。
答えはもうわかるだろう。
手遅れだったし、手の出しようがなかった。
芽衣子さんの病はとっくに判明していて、早期発見による治療に期待をかける余地すらなく。
加護家の裕福な様子を見て予想出来ていたがお金でどうにかなるようなものでもなかった。
どうしたって届かないことはある。
実叶ちゃんの件でも分かってはいたが、つらい現実だった。
芽衣子さんが救えないということは、ほとんど司先生を救えない事と同義だ。
あの人は司先生が救った人だからこそ、司先生が差し伸べられた手を申し訳なく思いながらだけどちゃんと握り返すことができるただ一人の相手だ。
20歳時点で司先生は少なくとも指導者には出会えていた。
だからその時点の司先生に必要だったのは、お金と、自分の才能に自信を持つための成功体験だ。
成功体験は自分で掴んでもらうしかない以上、手を出せるのはお金の部分なのだが。
だがしかし、である。
司先生は、こう言っちゃうとなんだが、割とめんどくさい人なのだ。
ただでさえ変に真面目過ぎて人に頼るのが下手なのに、特に自己肯定感が低いこの時期はひどい。
折角出会えた実績も実力もある指導者である高峰匠先生の言葉も十分には届かない。
そんな状況で、銀メダリストの息子であるといっても子供の俺がノコノコ出ていってもかけた言葉は全て上滑りするだけなのは目に見えていた。
自分の才能を信じることができない彼は、自信を得るために確かな実績を求めていた。
ならば実績を得るまでの猶予期間を与えるため、そして実績を得る事だけに集中できるように、困窮している金銭面で援助しようにも、自分の価値を認められない司先生はこれを受け取らない。
かろうじて芽衣子さんからの援助は受け入れていたがそれだけだ。
子供の俺からでは受け取るわけがないので何度か人を雇って支援を申し出てもらってみたが、全て断られた。
組織に資金を投入して間接的に組織として援助する道も考えたが、司先生の経歴と実績では、組織として援助を行うだけの正当性がどうしても得られない。
俺は司先生の持つ才能と可能性を知っていたが、それだけでは組織は動かせないのだ。
当時の俺は、打つ手がことごとく封じられている事実にぞっとして、そして愕然とした。
そうこうしているうちに、とうとう芽衣子さんが亡くなってしまって、俺はそれを知って自室でひっそりと崩れ落ちた。
メダリストの作者は、いのりちゃんと司先生を指してスケートの運命から弾かれている人たちと評していたが、これほどか、と。
あんまりじゃないかと、運命を嘆いた。
実は、理凰君に憑依転生して二度目の特に高い熱を出したのは芽衣子さんの死んだ時期だ。
光ちゃんに看病をしてもらったあの時の熱だな。
熱がストレス要因である可能性に気が付いたのには種明かしをするとこれもあった。
後にして思えば大人としての意識があった俺の心はともかく、まだ幼い理凰君ボディには申し訳ない酷な挫折だっただろう。
当時の俺は今ほどうまく周りに甘える事が出来ていなかったのもあったし、やっていることがやっていることだから、誰かに相談できるわけもなかった。
体にかかったストレスを思えば、あの熱は出るべくして出たものだったと認めるしかない。
それでも俺は歴史の修正力についての疑いを、今では持っていない。
光ちゃん、慎一郎さん、エイヴァさん、夜鷹純、クラブの皆。
最近ではいのりちゃんも加わった。
そうして出会ってきた沢山の人たちとの関わりの中で、俺はこの世界は俺の生きている確かな現実で、決まった運命なんて無いことを知った。
珍しくセンチメンタルじゃないかって?
そりゃあ俺だって、そう言う時もある。
例えば目の前に、手も足も出ずに何一つしてあげる事が出来なかった女性の娘さんがいる時とかな!
え、何でいるの加護羊ちゃん。
この時期もう名古屋にいるんだっけ?
それとも移り住む前の下見か何かか?
くっ、漫画とかの情報だけだと転居してきた正確な時期がわからねぇ。
芽衣子さんの件以降は流石に探偵やとって動向を調べるようなことはしてないからな。
いやいやいや、落ち着け俺。
とにかく今は、はぐれて一人で泣いている羊ちゃんに声をかけて落ち着かせてあげなくては。
いいか俺、優しく、優しくだぞ。
羊ちゃんはめっちゃ人見知りだからな。
ていうかこんな大型商業施設で羊ちゃん一人にするとか何やってんの耕一さん!?
めっちゃ不安そうにグスグス泣いてるじゃん!
くっ、パニックになるな、落ち着け、ステイ、俺。
このテンションで話しかけるわけにはいかない。
なるべく、なるべく優しい声で。
背はかがめて、絶対威圧感は与えないように。
「えっと泣いている君、一人かな? 迷子になっちゃった?」
「お父さんと一緒に来たんだけど、いつの間にかいなくなってた」
同い年くらいの子供だからか態度に気を付けたからかはわからないけど、穏便に接触できてるな、ヨシ!
しかし典型的な迷子。
羊ちゃんも、父親の耕一さんもちょっと抜けているところがあるから、どちらかあるいは両方が何かに気を取られて相手が付いてきているつもりでいつの間にかはぐれてたパターンだな。
ならばまだ、そんなに離れてはいないか?
「名前を聞いても良いかな?」
「…加護羊」
「羊ちゃんだね。大丈夫、お父さんとは必ず合流させてあげるから。少しだけ大きな声を出すからびっくりしないでね?」
ずっとグスグス泣いたままの羊ちゃんに目を合わせて笑いかけて、少しでも安心できるようにしてあげてから、息を吸い込む。
「加護羊ちゃんのお父さんはいらっしゃいませんか!」
羊ちゃんが少しびっくりした顔で泣くのをやめていた。
周囲からも視線が集まる。
しかしこう言う時は、恥なんぞ捨てるのが要諦である。
「加護羊ちゃんのお父さんはいらっしゃいませんか!娘さんはここにいますよ!」
大きな声で呼ぶこと少し。
「羊!」
よっし、やっぱりすぐ近くにいたな。
羊ちゃんの父親である耕一さんが駆け寄ってくるのが見えた。
「お父さん!」
羊ちゃんも耕一さんに駆け寄って服の裾にしがみついた。
「理凰、何かあったのか?」
トイレに行っていた慎一郎さんが返ってきた。
「うん、ちょっと迷子の子がね」
今日は慎一郎さんと一緒に、スケートの練習に必要なもろもろを買いに来ていたのである。
練習に打ち込んでいる分、どうしてもいろんなものの消耗が激しいんだよね。
後は長期休養で暇そうにしていた俺の為もあるだろう。
クラブ練習のコーチングが終わった後にわざわざ時間を作ってくれた。
なお光ちゃんは今日は夜鷹との練習で一緒に来ていない。
エイヴァさんも家で汐恩の世話を見ているので俺と慎一郎さんの二人だけだ。
「ありがとうございます、娘が息子さんの世話になったようで」
羊ちゃんを服にしがみつかせたまま、耕一さんが近づいてきて礼を言う。
羊ちゃんは、これは人見知り発動中かな。
慎一郎さんはとても穏やかで優しい人なんだけど、見た目は迫力あるからな。
「いえいえ、そのような」
腰の低い慎一郎さんと、感謝している耕一さんでペコペコと頭を下げ合っていてちょっと面白い。
「あれ、もしかして、鴗鳥慎一郎選手?」
頭を下げ合っていた片方である耕一さんが不意に、はっとした顔でつぶやく。
「ええ、まあ。そうです」
芽衣子さんがスケートオタクだったからか、たんに慎一郎さんが有名だからか。
まあ、気づかれても全くおかしくはない。
「え、それじゃあ、君があの天才少年!」
「あ、はい。自分で天才とか認めるのはちょっと面映ゆいですが」
「うわぁ!羊、すごい人に助けられちゃったね!」
無邪気にはしゃぐ耕一さんには、少なくとも表面上はもう芽衣子さんを失ったことによる影は見えなくて少しほっとした。
「ぜひ何かお礼を」
「いやいや、大した手助けはしていませんから」
ぐいぐい来るなあ。
でもちょっと大きな声出しただけでお礼は流石に申し訳ないので遠慮したい。
その後、少し押し問答になりかけたが、周りの視線が増えてきていたので、かえって迷惑になると察した耕一さんが引き下がり、もし何かあればと、俺と慎一郎さんに名刺を渡して去っていった。
「ありがとう」
耕一さんの服の裾を掴んだままだったけど、去り際に羊ちゃんはしっかりと目を合わせてお礼を言ってくれた。
偶然の出会いで、少しばかり過去の苦い思い出を想起させられたけど、二人の元気な姿が見れたのはそれを補って余りある収穫だった。
そのあと、俺はちょっとだけいい気分で慎一郎さんと買い物をして、喫茶店で甘いものを食べて、そして光ちゃんとエイヴァさんと汐恩にもお土産に甘いものを買って帰った。