狼嵜光視点
私、狼嵜光にはたくさんの人が集まると力関係がなんとなくわかるという特技がある。
鴗鳥家に連れてこられて断られてはいけないと思った私は、その力を使って何とか受け入れられるようにしようと考えていた。
でもそんな力を使うまでもなく鴗鳥家の力関係というか一番重要なルールは、一目見てすぐに分かるくらいとてもわかりやすかった。それは理凰と仲良くできるかどうかだ。
後にして思えば、それが一目見ればわかるくらいにわかりやすかった理由は明らかで、理凰が事故にあって記憶を失っていたからなのだけど。
本来なら、というか出会ったのが理凰でなかったのなら、私はきっと仲良くならなければいけない相手に気に入られることを第一に過ごしていたと思う。
そう本来なら、だ。
結局そんな仮定にはまったく意味はない。私が出会ったのは、他でもない理凰だったから。
最初、私は慎一郎先生とエイヴァと挨拶を交わしながらそれとなく理凰の様子を見ていた。
見た感じ普通の子だなとか、どうやって仲良くなったら良いだろうか、とかそんなことを考えていたと思う。
理凰は理凰で私と夜鷹純を見て何か考えているようだったけど、慎一郎先生たちとの挨拶が済むと私に目線を合わせて口を開いた。
「はじめまして、俺の名前は理凰っていうんだ。 今日から一緒に住むんだし呼ぶときはそのまま呼び捨てでいいよ。 一応事前に君の名前は聞いているけど、あらためて君自身から名前を教えてもらってもいいかな?」
明らかに年齢に不相応な物腰と挨拶。
自分もそれなりに賢い方だという自負があった私でさえ到底敵わない様な、完成された大人のようなそれを受けてから改めて意識して合わされている理凰の瞳を見てみると、何か吸い込まれそうな深さのようなものを感じた。
そして同時に「あ、これ演技してるな」とも気づかされる。
演技に気づけたのは私自身が普段から演じているからか、理凰に演技であることを隠すつもりがなかったからなのか。
「はじめまして。 わたしは狼嵜光です。 わたしのことも光って呼び捨てでいいよ?」
普通な子だなんてとんだ勘違いだ。どうしよう。どう対応するのが正解?
私がそんな思考に囚われているうちに、理凰は次の行動へ。
「父さんたちは、夜鷹さんと話すこととかあるでしょ? 俺は光に家の中を案内してそのあと二人で俺の部屋で適当に時間つぶしているから、話が終わったら呼んでね」
そして私に向かって差し出される理凰の手。
手を取るべき、だよね?
仲良くなるなら案内だって受けるべき。
ほんの少しだけ考えてからその手を取ると、理凰は優しく手を引いてゆっくりと歩きだす。
「とりあえず、居間は後だね。 父さんたちが話に使うだろうから」
そんなことを言いながら歩く理凰の歩幅は私のそれと同じくらいだ。
普通の男の子だったらきっと自分のペースで歩いて私の手をぐいぐい引っ張ってきたのだろうけど、理凰は決してそんなことはしなかった。
丁寧に家のどこに何があるのかを説明しながら家の中を歩いていると理凰は一つの扉の前で足を止めた。
つないだ手が離れて、理凰が私のために扉を開いてくれた。
うながされて中に入ると私の後から入ってきた理凰が言う。
「ここが、今日から光の部屋だよ。 まあ、まだ家具なんかは最低限なんだけど。 光も一緒に今度みんなで色々買いに行こうって話になってる」
「わたしの、部屋……」
部屋の中は確かに最低限の家具だけがある生活感のない佇まいだったが、これからここが自分の過ごす場所になるのだと思うと不思議と愛着がわいてくる気がした。
「後で持ってきた荷物の片づけを母さんが手伝ってくれると思う。 光は女の子だし俺はあんまり手出しできないけど、何か手助けが必要なら言ってくれていいから」
理凰は一貫して私のことを大事な相手として扱ってくれている。
まるで私がお姫様であるかのように。
それでいて、狼嵜の家の使用人の人たちのような距離を全く感じさせない。
なにかくすぐったいような気持になりながら、私は部屋を見るのやめて理凰に振り返った。
「その…案内してくれてありがとう。 理凰」
「どういたしまして。 そして、ようこそ鴗鳥家へ。 この家でこれから過ごす時間が光にとって素敵なものになることを願って――いや、違うか」
言葉を途中で止めた理凰は瞳に何とも言えない優しい色のようなものをのせて言葉を紡ぐ。
「これからみんなで素敵な時間を作っていこう。 すぐには難しいだろうけど、ゆっくりとでもそれができるような家族になっていけたらいいと思ってる」
息をするのも忘れて、私はその言葉を聞いた。
不意に何を思ったか笑い声を漏らした理凰のおかげで再び呼吸を思い出す。
そして、悪戯っぽい顔をした理凰の言葉に今度はひどく困惑させられることになった。
「光が俺のことを聞いてるかは知らないけど、この際だから話しちゃうんだけど。 実は俺も諸事情あって鴗鳥家初心者なんだよね」
鴗鳥家初心者?
どういう事だろう。
「その顔を見るにまだ聞いてない感じか。 俺が話さなくても父さんたちがそのうち話すと思うけど、多分最初から教えておいたほうが光も色々戸惑わずに済むと思うから俺自身からサクッと話しちゃおう。 でも話す前に場所を変えようか」
困惑する私に理凰はそう言って再び手を差し伸べてくれる。今度は自然にその手を取ることができた。
そして連れていかれたのは理凰の部屋だった。
「ここが俺の部屋。 何か困ったことやわからないことがあったらいつでも来てくれて構わないから。 単に話をしたくなったとか、何なら用がなくても。 光なら俺の表情を見て本気で言っているとわかると思うけど敢えて重ねて言うよ。 本当に遠慮はいらないからね?」
そっか案内の後は理凰の部屋で時間をつぶすって言ってたっけ。
自分の部屋だったからだろう、今度は手をつないだまま空いたほうの手で扉を開いて私の手を引いて部屋の中に入った。私のことを見透かしているようなセリフが気になったけど部屋に入った瞬間思考が止まった。
目に入ってきた、ソレの所為だ。
「さて、君には二つの選択肢がある」
多分私の視線に気が付いたのであろう理凰が芝居がかった口調で話し始める。
「一つはその椅子に座る選択肢。 でもオススメはもう一つの方だ」
最初にキャスター付きの椅子に向けられた指は次にソレに向けられた。
なんというか、ぐんにゃり? している巨大なソレ。
「まあ、答えは聞くまでもなさそうだね。 それではお姫様をお一人、人をダメにするクッションへご案内ということで」
「ひとをだめにするくっしょん」
ソレ、クッションなんだ。しかもそんな名称で呼ばれてるんだ。
というか、さらっとお姫様とか言っちゃうんだ。
といろんな言葉が一度に頭によぎり結局、口からはオウム返しにその名称だけこぼれた。
ちょっと座り方にコツがいるソレに理凰に手伝ってもらって座った私は、その感触にしばらく夢中になる。
少ししてようやく理凰に何か微笑まし気に見られていることに気づいた。
「あっ、ごめんなさい」
恥ずかしい。多分今私の顔は赤くなっているだろう。
そんな私に理凰はにやりと笑って答えた。
「いやいや、謝る必要はないよ。 むしろ期待通りの反応をありがとう」
「…理凰って、イイ性格してるとか言われない?」
恥ずかしさについ我慢できずにそんな言葉を返してしまう。
しかし、そんな返しすらあるいは理凰の思惑通りだったのか。
すぐにとんでもない言葉の爆弾が私に投げ返された。
「イイ性格してるなんて言われた記憶は一切ないなあ。 まあ、俺の記憶は今現在、たったの二か月分しかないけども」
え?
「え?」
「いやあ実は俺、交通事故にあって頭打ったらしくて、二か月より前の記憶がさっぱりないんだよねえ」
え?
「え?」
「だから、俺視点だと光と状況があんまり変わらないんだよね。まあ二か月ほど先輩ではあるけども」
…二か月前に事故にあって、それ以前の記憶がない?
言葉の爆弾でまっさらになっていた頭に、ようやく言葉の内容が浸透してくる。
そして私は思わず、らしくない驚きの声をあげた。
「ええええええええー!?」
やっぱり理凰はイイ性格してると思う。
そんな風に思わされてしまった私は、すっかり理凰の術中だったんだと思う。
だって、この流れで、理凰自ら冗談にして見せられてしまったせいで、私はずいぶん先のその時が来るまで理凰の記憶喪失について深く考えることがなかったから。
その時が来るまで「あの時は記憶喪失なんて言って見事に驚かされて上手に壁を壊されちゃったな」という程度にしか考えられなかったという事実は、私にとって生涯忘れることができない苦い失態の一つになった。