狼嵜光視点
「これは、決して悪い意味で言っているわけじゃないんだけど」
名港と愛西の合宿中。
愛西ライド所属の炉場愛花ちゃんはノービスの女の子たちが集まって話す女子会の場で言う。
愛花ちゃんは愛西ライドでも有望株のリズム感に秀でた踊れるスケーター。
私たちと同世代の中では一つ上の武田桃芽ちゃんとで愛西ライドにおけるツートップと言っていい子である。
そんな子が前置き付きで話すのは、うん。
「あの、理凰君って、いったい何なの?」
やっぱり理凰の事だった。
そうだよね。
私や名港の皆は理凰の事にもう色々慣れてしまっているけど、愛西の子達からしたらそれはそういう反応になっても仕方がないと思う。
名港の皆は、さもありなんと言った顔で頷く子ばかりで、愛西の子たちはその反応を見てまた戸惑う。
「やっばいよね理凰君のあの滑り! 大会が被った時とか実際にこの目で見てたけど、なにあれ、ジュニアどころか下手したらシニアでもあんなにうまい人は中々いないんじゃないかな!?」
桃芽ちゃんが興奮した様子で言うけど、多分愛花ちゃんが言っているのはそういう事じゃないんだろうなあ。
でも理凰の滑りは実際凄いので、そちらもそちらで愛西の子達は興味があるのも事実ではあるだろう。
実は世間では天才コンビなんて言われている私と理凰だが、スケートが詳しくわかる人とそうでない人の間で評価の逆転現象が起きている。
私はジャンプなどの難しい構成で分かりやすく高得点を取っているから一般からの評価がよく、ジャンプの構成などは私から一段落ちるがプログラムの総合的な完成度で高得点を取る理凰は玄人からの評価が高い。
そして実際に滑っている私たちスケーターは当然皆が理凰の凄さがわかる。
そもそもその構成が一段落ちるプログラムで理凰は私と変わらない点を取るのだ。
フィギュアスケートをやっていてそのすごさがわからない子はいないと言っていい。
実は理凰自身がプログラムの完成度に目をつむれば、私以上の構成を理凰は滑ることができるのだけど、それを知っているのは名港でも極一部しかいない。
「うん、理凰君の滑りは私もすごいと思うよ。でも今私が言っているのはそこじゃなくてね。いるかちゃんが!なんか! 一晩で理凰君に対する行動が逆転してるんですけど!?」
デスヨネ―、なんて時々棒読みで言いつつ遠い目をしている理凰の気分がちょっとわかる。
おかしいな。
理凰が頬を腫らせていた件でくすぶらせていた感情の行き先が行方不明になった私も、被害者側のはずなんだけど。
「いや、どういう事なの? なんか鯱城さんも含めて揉めたらしいって話は流れてきたけど、何がどうして、どうなったらあの結果になるの?」
多分、岡崎さんは理凰の事情を知ってしまったんだろう。
揉め事の核心もきっとそこだ。
そうでもなければ、あの鯱城さんがいくら生意気でも年下の子に手を上げようとなんてしないと思う。
岡崎さんが無遠慮に理凰の過去に触れるようなことを言って、鯱城さんが怒って、理凰は許した。
その際に岡崎さんの心に触れる機会があって、そうしたら理凰はきっと手を差し伸べるに違いないのだ。
理凰は、人の痛みを我慢できない人だから。
正直、理凰の頬の事や推測できた事情の事もあって岡崎さんに対する私の心証は大分悪かった。
今朝までは。
今朝からの岡崎さんを見て、ため息とともに私は許すしかなかった。
理凰が許していることもそうだけど、そこにいたのは理凰に出会ったばかりのころの私だったから。
きっと理凰を知る努力を始める前の私はあんな風だったんだろうなあと、そう分かってしまうとくすぶる程度の怒りを持続させるのはどうしても難しかった。
そのうち岡崎さんも理凰を知る努力を始めるんだろうか。
それとももう始めているのか。
怒りは無くなったけどその代わりに少しだけ心がモヤっとした。
しかし、理凰の事情を説明せずにこれを理解してもらうのはとても難しいしどうしようか考えていると、りんなちゃんがしみじみとした声で言った。
「理凰君だからなあ」
「だよねえ」
りんなちゃんの言葉に四葉ちゃんも頷く
理凰だから。
それで名港の子たちは皆納得してしまう。
「いやいやいや、え、何? それが名港だと共通認識なの? それで通じちゃうの?」
「そういうやつなのよ、あいつは。うちのコーチ達だって今回の事に大して驚いてなかったでしょ?」
夕凪ちゃんも仕方なしといった風に認めて、愛西の子たちは何とも言えない顔になった。
そんな愛西の子たちに夕凪ちゃんはさらに言葉を重ねた。
「あれはもうそういう生き物なんだって思うしかないから。愛花ちゃん達もそうしたほうが楽だと思う」
理凰にちょっと辛辣な夕凪ちゃんらしい意見だけど。
ごめん、理凰。
私もちょっとそこは擁護できないかも。
「同世代の男の子の中でもぶっちぎりのエースが、理解不能なナマモノ過ぎる…」
愛花ちゃんが突っ伏して呻くように言う。
いきものじゃなくてなまものになっているところに妙な機微を感じ取って私はついつい苦笑いをこぼしてしまった。
「そのくせ、練習見てくれる時はめっちゃ優しいし、指摘的確だし、リズム感生かして派手な振り付けで加点狙うなら基礎体力もっと付けたらとか、ほんの数日練習見ただけでなんで言えるのか…確かにあれ私の知ってる男子とあらゆる意味で別の生き物だよ…」
ああ、被害者がまた増えている。
しかも見ると被害者は愛花ちゃんだけじゃない。
岡崎さんも他の子がいる時は理凰に絡むのを自重していたから、理凰は交流もかねてなるべく誰かと練習していた。
それがこんな形で周囲に影響を与えていたなんて。
「くっ、光ちゃんはいいなあ!私たちもあんな彼氏欲しい!」
あ、飛び火してきた。
愛花ちゃんが大きな声で言うと、愛西の子たちが悪乗りして一緒に騒ぐ。
「いや、別に彼氏というわけではない、んだけど?」
ちょっとまって、なんで名港のみんなは目をそらすのかな。
「いや、もう二人ははっきり言って彼氏彼女とか超えた何かだから。いつも当てられている私たちとしてはなんとも。間近で漫画でもなかなか見ないような羨ましい関係を見せられ続ける私たちの気持ちにもなってほしい。彼氏じゃないって言っても誰かに譲る気はないんでしょ?」
りんなちゃんが珍しくちょっと恨めし気に言ってくる。
「それはそう」
そこは確定事項だ。譲る譲らないはそもそも理凰が選ぶことなのでちょっと違うけど、理凰の一番でいることに手を抜くつもりは一切ない。
「これだもんなぁ。休憩所でコーチ達がもう付き合っちゃえよってコーヒー飲みながら話すわけだよね」
それ、私も通りがかった時に聞いちゃう時があるけど、恥ずかしいからやめてほしい。
しかし、りんなちゃんも聞いたことあったんだ、あれ。
「ああ、失恋付き初恋泥棒ってそういう」
「二人を見ていてそれでも割り込もうとする勇者はまあ、男女ともにいないから」
私とりんなちゃんが話す脇で、愛花ちゃんと四葉ちゃんが話していた。
「え、ちょっと待って。初恋泥棒って、私もだったの?」
「名港って同じ年頃の男の子いないから、光ちゃんは理凰君と違って推定だけど。学校だと被害者多そうだなぁってみんなで話してるよ!」
なぜか嬉しそうに言う四葉ちゃんに頭を抱える。
そして四葉ちゃんはそこからさらに無邪気に続けた。
「あ、でも、エキシビションの時の理凰君なら男の子の初恋も奪っちゃうかも!」
「え、それどういう事なの?」
愛花ちゃんが頭上に疑問符が浮かびそうな顔で食いついて、他の子も続いた。
そっか、あのエキシビションが衆目にさらされると、男の子にまで被害者が増えるかもしれないのか。
折角最高に可愛かった理凰を年長の皆とエイヴァが何度も修正していた理由が今になってようやくわかった気がする。
その後もみんなの会話はワイワイと続いた。
三人寄れば姦しいなんて言うけど、三人どころじゃない女子会はコーチに声をかけられるまでずいぶん長く続くのだった。