偽理凰君の奮闘記   作:空門 志弦

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29話

名港と愛西の合同合宿は、途中で俺といるかちゃんの事で少々騒ぎはあったものの、そこ以外は成功裏に終わった。

合宿最後の日に改めて呼ばれて会った五里さんに、両手で手をがっしり掴まれてちょっと泣きながら感謝されて困った。

 

「いるかの事、本当にありがとう!」

 

いや、流石にあの状態のいるかちゃんをそのままにできませんよ。

いるかちゃんの心の家庭事情分のケアの方は、ついでというかちょうどいい機会だったからだし。

しかし五里さん、やっぱりいるかちゃんを大事にしてるんだなあ。

漫画でも登場時点では大分安定してたし、自分じゃ良い教師じゃなかったなんて言ってたけど、流石元教師って感じだよねえ。

 

いるかちゃん?

連絡先を交換したね。

あと、解散になるわりとギリギリまで俺の傍にいて、なかなか動かないから五里さんの奥さんに引っ張られて行ったぞ。

何か漫画のいのりちゃんを見たままダリアちゃんに引っ張られてた場面を思い出した。

 

さて、そんなわけで合同合宿が終わって少し。

今俺は、いのりちゃんの練習を見ている。

いつもの氷上の練習はすでに終えていて、これ以上はオーバーワークになるのだが、今日は休日だったので時間はまだあった。

そこで、前から考えていたある練習をいのりちゃんにさせてみようと思ったのだ。

 

「いのりちゃん、これから教える練習は正直な所効果がどの程度出るかはわからない。もちろん完全に無駄になるようなことはないけどね。だから無理にやることはないんだけど…」

 

「やります!」

 

おぅ、曇りなき眼。

信頼が重いぞぅ。

いや、いのりちゃんに教えているといつも思うけど、この信頼の熱量を真っ向から受け止めてた司先生やっぱりすごいわ。

 

「わかった。まあ、これは肉体的にはそこまで負担はかからない。何なら自分の家の部屋の中でもある程度できると思うから、渡したメニューに加えておこうか」

 

さて、では練習の内容なんだが。

 

「簡単に説明すると、目隠し状態で決められた振り付けを再現してもらう。ただし体で覚えてしまった振り付けはそこまでにして、また別の振り付けに切り替える。併せてやることがもう一つ。いのりちゃんはスイカ割りってしたことあるかな」

 

「あ、何回かお姉ちゃんと一緒にやったことがあります」

 

オーケーオーケー。

 

「それならイメージしやすいかもね。何カ所かポイントを決めてマーキングをするから、目隠し状態で正確にそこに移動できるようになるように練習するんだ、最初は別々に練習するけど、最終的には同時にできるようになるのが理想かな」

 

勘のいい人はお気づきだろう。

これは鷹の目を伝授しようとしたとき、自分ならどういった方法をとるだろうかと考えて考案した練習だ。

鷹の目というものを実際に自分で使ってみて、俺はこれの正体を詰まるところ空間把握能力と身体操作の感覚の合わせ技ではないかと考察した。

 

その考察を補強したのは、例のプログラムを自分のものへと変えていったあの二年間の経験である。俺はあの二年間で自分の鷹の目が研ぎ澄まされて行くのを感じた。

つまりこの能力は、よくわからない超能力の類ではなく人間の肉体と五感に結び付いた鍛えられる能力だ。

しかもその性質を鑑みるに、優劣の差はあれども本来誰にでも備わっている能力。

 

「あ、危ないから一人でやる時は動かないでやる振り付けだけね」

 

あの二年間の経験から見て身体操作の感覚によって正確に空間把握ができるところが肝。

この勢いでこの歩数この方向に歩いたらここに着く。

手の位置、足の位置、その向き。

それらを、目に頼らず体の感覚だけで正確に把握する。

 

ブラインドでやらせるのは、同時に映像記憶能力を鍛える意図もある。

要するに、この練習は、映像記憶能力、身体操作の感覚、空間把握能力、これらを分解的に鍛えたうえで、それらを最終的に紐づけていく練習だ。

 

仮に鷹の目そのものがこの練習で手に入らなかったとしても、振り付けの覚えは良くなるだろうし、振り付けの姿勢などを目に頼らず感覚で再現できる精度が上がるのは無駄にならない。

空間把握能力を高めるのは広いリンクを上手に使う助けにもなるだろう。

 

ただまあ、地味。

しかも、繰り返し行うことによって体が覚えてしまった動作は、すでにこの感覚を鍛えるには不適格だから、その都度別の動作に変えなくてはいけないので、徒労感が半端ない。

穴掘って埋める作業を繰り返すようなもんである。

しかも一度掘って柔らかくなった土は駄目なので掘る場所は毎回変える感じ。

 

そう言ったことをいのりちゃんに伝えると、流石に嫌がるかなあと思ったんだが。

 

「それが少しでも、スケートを出来るようになった未来で役に立つかもしれないなら、私はやりたいです」

 

そうかあ。

そうだよなあ。

いのりちゃんならそう言うよなあ。

 

「わかった。それなら俺も全力でサポートしよう」

 

その日から氷上の練習とは別に人があまりいない公園などを使っての練習が追加された。

家ではスマホの撮影機能を使って自分で確認しながら目隠し状態での振り付けの再現を何度も行ってもらう。

二次元でしかも画面の小さいスマホでは限界があるが、そこは週一回の俺との練習の時に補強する。

 

全力で集中して、振り付けの精度を最大限俺に出来る限りで補正して、出来上がってしまったら、練習には使えなくなるけれど、沢山褒めてあげて完成のご褒美にジュースやお菓子を奢る。

徒労感をせめてもマシにするための苦肉の策だ。

 

もっと辛そうにするかと思ったけど、振り付けを踊るのは結構楽しいらしく、思ったよりずっといきいきと練習に取り組んでくれてホッとした。

そうして練習を続けていたある日の事。

 

「あの、お兄さん」

 

「ん? どうしたの?」

 

「私、スケートをちゃんと始められるでしょうか」

 

あー、そこは不安だよな。

実際問題、勇気を出せればすぐにでも始めるだけならできるだろう。

母親にわがままを言う勇気さえ持てれば、スケートを始めるだけなら今日からだって。

 

「始めるだけなら、今日からだってできる。そのために背中を押してあげることは実は簡単なんだ」

 

「え?」

 

「いのりちゃんは親にわがままを言う事が悪いことだと思っているようだけど、わがままには実は二種類ある」

 

「二種類?」

 

「言ってはいけないわがままと、言わなければいけないわがままだよ」

 

いのりちゃんは訳が分からないといった顔をする。

 

「わがままって言うのは、本質的には自分のやりたいことを相手にやりたいと伝える行為だ。内容によっては当然迷惑も掛かるし負担だってあるかもしれない。基本的には我慢したほうが良いと世間一般では教えられるし、実際それも間違いじゃない」

 

特に小さい時のわがままって言うのは我慢するように言われがちだからなあ。

真面目で優しい子ほどその考えに縛られる。

親を困らせるのは嫌だもんな。

でもそこには大きな落とし穴がある。

 

「でも、物事には大体例外がある。わがままに関して言えばね、そのわがままが、それを通さなかったら自分が一生後悔してその後の人生に影が落ちてしまうような内容だった場合だ」

 

いのりちゃんの目が見開かれる。

まあ、いのりちゃんにとってはまさに、だろう。

 

「それは、なんでですか?」

 

混乱の中に期待が見える顔でいのりちゃんは問う。

だが、その問いに答えるには前提が必要だ。

 

「いのりちゃんがわがままを我慢するのは、何でかな?」

 

「私は不器用で、何にもできなくていつもお母さんにがんばってもらって、もうこれ以上はって」

 

「いのりちゃんはお母さんは好きかな」

 

「はい」

 

「お母さんはいのりちゃんを大切にしてくれる?」

 

「はい」

 

「ならいのりちゃんは、やっぱりそのわがままを言うべきだ」

 

気分はアキネイターならぬリオネイターとでもいったところか。

 

「どうして?」

 

「君の好きな、君を大切にしてくれるお母さんが、君の事を不幸にしてしまわないように」

 

そう。

それが、わがままは我慢しなければならないものという固定観念のもつ最大の罠だ。

親に迷惑がかかるようなことは、全部がわがままで、そんなわがままは全て言ってはいけないものだと思い込んでしまう。

でも。

 

「親ってやつは、自分にちょっとやそっとの迷惑がかかったって、子供に幸せになってほしいものなんだよ。それが良い親ならなおの事だ」

 

そして、いのりちゃんのお母さんはちょっと思い込みが激しいところはあるが、間違いなくいのりちゃんを愛し幸せを願っている人だと俺は知っている。

 

俺の言葉に呆然としているいのりちゃんを見る。

この考え方は自己肯定感が低い今のいのりちゃんからは中々でない考えだろうから、まあそうなるだろうなと思う。

でも、自分の場合はスケートをしたいというわがままを言わない方が悪いことなのだとそう考える事が出来るようになれば、ハードルは大分下がるはずだ。

 

「ちょっとはわがままを言う勇気が出しやすくなったんじゃないかな?」

 

「…今までよりは、言いやすくなったかもしれません」

 

「うん、それは何よりだ。でもまあ、いままでこの話をしなかったのはそれなりに理由があってね」

 

俺は会ったその日にいのりちゃんをスケートクラブに誘ってしまう事だってできた。

銀メダリストの息子で、次代のホープである俺が誘ったなら、ただ始めさせるだけならできないことはなかったと思う。

 

「極論、いつだって一歩踏み出せばスケートを始めることは出来るけど、ただ始める事と、スケートで上を目指して戦い続けていく事は大きく違うからなんだよ」

 

まさにそこが問題だった。

いのりちゃんはどんなルートをたどってもきっとメダリストを目指したいと願う事になるだろうけど、いのりちゃんのその願いをしっかり受けとめて全力で助けてくれるような相手に出会うのはとても難しい。

 

「君の可能性に賭けてくれる、君が自分の可能性を預けたい、そんな人に君が出会った時に今日の話を思い出して欲しい。そして君が一歩を踏み出すその時までは俺が助ける」

 

まあ、出来る事はそこまで多くはないんだけど。そこは許してほしい。

 

「俺は見ての通り本当のコーチをするには未熟者だからね。その時までのほんの少しの手助けが精一杯で申し訳ないけど」

 

いのりちゃんは俺の言葉をかみしめるような顔で聞いていた。

 

大丈夫、君はその人に必ず出会う。

というか出会わなかったら俺が出会わす。

よってここはもはや運命とか関係なく確定事項なのである。

 

 

 

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