偽理凰君の奮闘記   作:空門 志弦

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35話 或いは アナザープロローグ

明浦路司視点

 

俺がいのりさんに最初に出会ったのは、アイスダンスで組んでいた瞳さんに仕事の誘いを受けて話を聞きに名古屋の大須のスケート場を訪れたときの事だ。

貸し靴のカウンターから子供一人で出てきたいのりさんを俺は無銭でスケートをしていると勘違いしてちょっと威圧的に声をかけてしまった。

 

正直とても反省している。

俺みたいな体格のいい男にあんな風に声をかけられたら、確かに悪いことをしていなくても逃げ出しておかしくないと思う。

追いかけた先で、とんでもないところを逃げていたいのりさんが足を滑らしたところを助けて頭を打って気絶して、何故かお茶をかけられた状態で目を覚ましたあとで、誤解をしていたことを知った俺はいのりさんに平謝りだった。

ちょっと特殊な状況ではあるが、お金はちゃんと支払われているとのこと。

説明はわかったからそんなにぐいぐいとミミズを見せないでほしい。

 

その時ふと目に入ったフィギュアスケートの教本の凄い書き込み見つけて話を聞けば、ミミズ採集と引き換えにお金を払ってくれているという少年に一年ほど前から教えを受けてはいるものの、スケートの事は親に言えていないという。

身につまされた俺は、ついお節介で名古屋にあるFSCについてとその連絡先を書いた紙を渡して、親にスケートをしたいと伝えてみるように促した。

 

そんなことがあった次の日、瞳さんにアシスタントコーチに誘われている時に、再びその子は現れた。

 

あれは本当に奇跡みたいなタイミングだった。

前日にいのりさんと出会っていなければ、俺はいのりさんの事情を知らずに親にスケートの事を話すよう促すこともなく。あの日、いのりさんが来るのがもう少し早くても遅くても、きっと俺はいのりさんのコーチになることはなかっただろう。

俺はきっと、いのりさんに出会わなければ、コーチという道を選ぶことはなかっただろうから。

 

最初は委縮しているいのりさんを見もしない母親に反発して、とりあえず何とか褒めてスケートを始めさせようといのりさんをリンクに連れ出した俺は、その滑りを見て、いのりさんの才能に驚愕することになった。

いや、これをただ才能という言葉だけで片付けるのは間違っているかもしれない。

 

才能は明らかにある。

今のいのりさんを見ればそれは明白だった。

だがその才能をたった一年ほどでこうしてはっきり見て分かるほどに磨き上げた少年の丁寧な手腕と、決して楽ではなかったはずのその一年をたゆまぬ努力をもって過ごしたであろういのりさんを思うと、これはただの才能よりもずっと尊い価値のあるものだと俺には思えた。

 

そうして、スケートをやめたお姉さんの事もあってなかなか許可を出さない母親に、いのりさんが意を決して涙ながらに訴える姿を見て、俺はついに心を決めた。

 

自分がしてもらえなかったことを。

俺だから拾える気持ちを。

俺だから見つけられる才能を。

ましてやこんな素晴らしい尊い価値ある可能性を。

 

―――他でもない俺が見逃してなるものか!

俺がスケーターとしてコーチとして、この子の手を取って望む未来へ導くんだ!

 

心の中でスイッチが入る音を確かに聞いた。

 

気が付けば、胸の内から湧き上がる熱情のままに言葉を叫んでいた。

力押しした感はぬぐえないが、いのりさんのお母さんが頷き、俺はいのりさんと一緒に喜び合った。

そのとき初めていのりさんの名前を聞いた。

結束いのり。

俺の初めての教え子はとても素敵な名前をした笑顔が誰よりも天才な女の子だ。

 

 

 

そして、いのりさんのコーチになって最初の日がやってきた。

まずは今のいのりさんのレベルを見てみようということになったのだが、あらためて見てもやっぱりこれ、かなりヤバいのではないかと瞳さんと一緒に話す。

ジャンプやスピンは一切学んでいないという話だが、基礎の仕上がり具合がえげつない。

 

多分というか確実に今日このままの足で初級のバッジテストを受けても軽々受かる。

どころか基礎的な部分だけの話をするなら、5歳から始めていたような同年代の子と比べても、一部の特別な子と比べない限り遜色がないんじゃないだろうか。

 

いのりさんに教えていた少年って、いったい何者?

そんな風に瞳さんと二人で頭を突き合わせて話していると、いのりさんが俺に一通の手紙を差し出してきた。

 

「あの、これ、お兄さんがもしコーチが決まったら渡してほしいって言っていた手紙なんですけど」

 

「え、その子、そんな物まで用意していたのかい?」

 

あれ、瞳さんがちょっと考えるような顔しているな。

何か心当たりでも思いついたんだろうか。

まあ、ともあれまずは手紙を読んでみよう、と俺は手紙の封を開いて文面に目を通し始めた。

丁寧な文字に、しっかりとした文面。

とてもいのりさんと同じくらいの子が書いたと思えない手紙だ。

やっぱり、小柄なだけで結構年上なのかな、などと思いつつ読み進める。

手紙は、いのりちゃんを見つけてくれた貴方へ、という書き出しで始まっていた。

 

 

『いのりちゃんを見つけてくれた貴方へ。

 

はじめまして。

私はいのりちゃんにこの一年間ほどスケートを教えていた者です。

この手紙が読まれているという事は、いのりちゃんがスケートをちゃんと始められたという事ですね。

本当によかった。

 

まず初めにお礼を言わせてください。

いのりちゃんを見つけてあげてくれて、ありがとうございます。

私はこの一年間いのりちゃんにスケートを教えてきましたが、私自身まだ未熟な身であり本来は教わる側。

本当の意味でいのりちゃんを教え導くことは出来ませんでした。

ここから先、いのりちゃんの事をどうかお願いします。

 

滑りを見ていただけたならきっと分かってもらえると信じて言いますが、いのりちゃんには才能があります。

体幹は生来のものがあり、この一年でさらに安定しました。

教える者の話をよく聞きますし、地味な練習だって少しも嫌がりません。

何よりもいのりちゃんにはスケートへの強い意志があります。

その強い意志は、ちょっとやそっとじゃへこたれない強い精神をこの子に与え、元から高い集中力をさらに高めていて、この一年間の練習の大きな助けになりました。

あなたが熱意をもって向き合えば、きっとそれに負けない、あるいはそれ以上の熱意をもって返してくれると、いのりちゃんを一年間見てきた私が保証します。

 

ただ、逆にその意志の強さゆえに頑張りすぎてしまうところが大いにあるので、オーバーワークにはくれぐれも注意してあげてください。

また感受性が強い優しい子でもありますので、自分の痛みには強いのですが周りで親しい人に何かあった時などはメンタルに響きがちです。

私が頬に怪我をしてシップを貼ったままで会った時などは動揺が顕著でした。

心に留め置いてあげてくれれば幸いです。

 

未熟なりに精一杯、私に出来ることを出来る限りで教えてきたつもりです。

そして、いのりちゃんも未熟な私を疑うことなく、まっすぐについてきてくれました。

この一年が、いのりちゃんの未来の助けになることを、願っています。

 

最後にもう一度、言わせてください。

いのりちゃんを見つけてあげてくれて本当にありがとうございます。

いのりちゃんをどうかよろしくお願いします。

 

 

PS・この一年間の練習の内容やその意図、個人トレーニングのメニュー内容などを同梱します。

   良ければお役立てください』

 

 

あ、やばい、これ泣く。

手紙の文面からにじむ書き手のいのりさんへの慈しみに胸を衝かれた。

心配してくれるいのりさんに軽く手を振って問題ないことを伝えて言う。

 

「この人は本当にいのりさんの事を大切にしてくれていたんだね」

 

そう言うといのりさんは本当にうれしそうに元気よく、はい、と答えてくれた。

俺もこの手紙の主に負けないように、二人の一年間に恥じないように、頑張っていこうと思った。

 

そして涙を拭いて、同梱された紙の中身を見て驚く。

そこに書かれていた練習の内容はとてもよく考えられた内容だった。

添えられた練習の意図についての説明のおかげでより内容の理解がしやすいし、これからのいのりさんの育成の大きな助けになりそうだ。

トレーニングメニューも、いのりさんの成長と合わせて変えていった内容すべてが記してあり、正直いのりさんが初めての教え子となる俺には宝の山と言っても良い。

 

「いやしかし、本当に何者なんだ? このメニューの内容とか絶対素人じゃないと思うんだけど、いのりさんは見た目は自分とそんなに変わらないくらいだと言うし…」

 

瞳さんがもしかしてと呟くのが聞こえたので、心当たりがあるなら教えてほしいと頼んだが、確信が持てないからと教えてもらえなかった。

それならばと、いのりさんに一度会えないか聞いてもらう事にした。

 

これだけいのりさんの事を大事に育ててくれた人物に興味があったし、コーチとして未熟な俺としては是非とも話が聞きたかった。

返事は、割とあっさりと得られた。

予定が詰まっているらしく、少し先になってしまうという事だったが、俺はその日を楽しみに待つことにした。

 

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