偽理凰君の奮闘記   作:空門 志弦

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38話

名港杯当日。

俺はいのりちゃんの滑走を見るために観客席の前の方で座っている。

ルクスの子達とはちょっと離れた席だ。

まあ、変に騒ぎになってもあれだしね。

一応、変装して周りに埋没中である。

 

なお、いのりちゃんが会場入りする前に、ちょっと遠くから手を振って応援しておいた。

なんで遠くからなのかというと、その時のいのりちゃんは家族と一緒に居たからだ。

うん、ご家族には外でよく遊んでいたスケートについて教えてくれていた子がいるって言う位にしか伝えてないんだよね。

今回の大会で漫画通りにいのりちゃんのお母さんの態度が軟化したらちゃんと挨拶できるかな。

 

正直な所、その時点ではスケートをさせたくなかったであろういのりちゃんのお母さんに黙って、がっつりスケートを教えちゃっていたからちょっと後ろめたいんだよなあ。

いのりちゃんにとってはそれが必要なことだと信じていたとしても、流石にね。

 

まあ、今は置いておこう。

いのりちゃんの直前練習が始まるからな。

あ、リンクに入ってきた。そして、ジャンプして、転んだな。

うわぁ、いのりちゃんが滑走始まる直前に転んだの見たとき瀬古間さんが寿命使い切るかと思ったって言ってた気持ちが分かるわぁ。

俺が今まで見てきたスケーターって、光ちゃんは言わずもがな、名港の子達もなんだかんだ経験値の高い子ばかりだったからな。

あそこまで事前練習がはまらない状態とか見たことがない。

 

見ているだけで胃が痛くなってきそう。自分で滑る方が万倍楽だわ。

そうなるだろうとは思ったけど、ここは漫画通りか。デビュー戦だもんなあ。

いのりちゃんは根っこの精神はかなり頑丈だが、表面上のメンタルというかテンションというかその辺は結構浮き沈みするタイプだからな。

一度覚悟が決まっちゃうと強いんだけど、そのラインに届くまでは緊張なんかに振り回されがちだ。

ここばかりは場数がモノを言うから、鍛えようがなかったんだよなー。

メンタルコントロールの話はもちろんしたが、それを生かすにもやっぱり経験がいるのである。

 

そして、結局成功は出来ずに直前練習は終了して。

滑走の順番がやってきたいのりちゃんは、ちゃんとスケーターの顔をしていた。

あ、定番の司先生の上着のひもを握るルーティン。

おおぉ、初めて実際に目にするとなんかすごい感慨深いな。

よし、完全に表情が落ち着いた。

あれなら大丈夫だろう。

 

ちなみに、二回転ジャンプは今回のいのりちゃんのプログラムにしっかり組み込まれている。

そう、たい焼きに入れるのが間に合っちゃったんだよなあ、イチゴ。

しかも得意のサルコウだから、今のところ回転の足りる足りないはあっても着氷には失敗してないらしい。

何なら一回転アクセルの方が怪しいってことで、一番飛びやすい最初のジャンプに持ってきたのは二回転サルコウじゃなく一回転アクセルである。

 

あ、やっぱり、一回目のアクセルは転ぶのかぁ。

いのりちゃん、漫画でもちょっとアクセル苦手だったもんなあ。

でも、うん、ちゃんといい笑顔ですぐに滑り始めた。

二回転は、よっし、きっちり決まった!

あれなら減点はない。何なら加点もあるかも。

 

その後、ノってきたいのりちゃんはミスもなく滑り続けて、最後のフライングシットスピン。

これも成功した。

が、えぇぇ。

ブロークンレッグやってるぅ。

二回転成功してるから、点数的には十分と言っていいはずなのに駄目押すのかぁ。

やっぱり、いのりちゃん、勝利への執念が普通じゃねぇ。

 

あ、司先生も驚いてる。

うん、漫画よりは練習できてたかもしれないけど、聞いていた話ではブロークンレッグは入れる予定なかったもんね。

そして、ああ、お母さんと抱き合って泣いてる。

ヤバイもらい泣きしちゃう。

ただでさえいのりちゃんのデビュー戦で立派な姿が見れて涙腺緩んでいるというのに。

周りに驚かれるから我慢せねば。

 

ああ、これヤバいわ。

テンションめっちゃ上がってる。

早く滑りたい。

でも。

またぁ。最終滑走ぅ。なんだよなぁ。

もういいよ。俺はそういう星の下に生まれたという事で納得しておくよ。くそぅ。

涼佳ちゃんの滑走は下で軽くウォームアップでもしながら見よう。

ちょっと体動かさないと落ち着かない。

 

そして、ウォームアップのために参加選手が入れる区画に行って、ちょうど光ちゃんと顔を合わせると目を丸くされた。

 

「すごく気合入っているみたいだけど、何かあった?」

 

流石光ちゃん。

一発で見抜くとは。

 

「いのりちゃんがデビュー戦とは思えない勝利への執念バリバリの滑りしててさ。ちょっと当てられた」

 

「いいなあ。私も見たかった」

 

可哀そうなことに、光ちゃんはいのりちゃんの滑りを見れていない。

あれ見たら絶対喜んだと思うんだけど。

ちょっと準備とかの時間的に無理だったよね。

 

「見る機会はこの先いくらでもあるさ。光はもうしばらくしたら滑走なんだからそっちに集中しないとね」

 

「うん、そうだね」

 

多分この後はもう直接会うタイミングはなさそうなので、拳を突き出してエールを送る。

 

「俺も気合入れて頑張るから、光も頑張って」

 

「理凰がその勢いで気合い入れて頑張っちゃうのかぁ。今日も最終滑走でよかったね。…これは私もいつも以上に気合い入れないといけないか」

 

お、光ちゃんもスイッチ入ったっぽいね。

ちょっと獣スマイル気味の笑顔で拳をコツンと合わせてくれた。

 

「また、俺の滑走後にね」

 

「うん」

 

そうして、手を振って別れた。

ウォームアップをしながら、涼佳ちゃんの滑走を眺める。

うん、やっぱり連続ジャンプに失敗して真っ白になってる。

涼佳ちゃんも多分デビュー戦だろうし、年齢的にしょうがない部分があるけど、やっぱりメンタルの強化が課題だな。

まあ、すごく負けん気が強い子だから経験さえ積めれば問題なく乗り越えるだろうけど。

あの子には那智先生もいるし、大丈夫だ。

 

…しかし、あれがいのりケンタウロスか。

うん、確かにそれっぽい。

二人とも小柄だから、学芸会みがあって可愛いなあ。

 

その後、ちょっとは気分が落ち着いてきたのとずっと体を動かしているわけにもいかないので、少し体を休めながら光ちゃんの滑走を待つ。

光ちゃんの滑走については、まあ、細かい説明はいらないというか、ねえ。

見惚れたわ。

というか、シーズン初めで100点越えかぁ。

ただでさえ漫画のこの時点よりレベル高いのに、さっき俺が発破かける形になっちゃったもんな。

 

あ、いかん。

そういやこの後、夜鷹純があの二人と第一種接近遭遇しちゃうはずじゃなかったか?

夜鷹純は確かに漫画より丸くなってるが、あの場面は恐らくだけど元から親切心とか光ちゃんへのコーチとしての感情ゆえの発言だったと思うから多分漫画と発言変わらないぞ。

 

やっべ。

会場広いから場所が分からない。

オノレ、何でこういう建物って、似たような階段いくつもあるんだよ。

あ、居た、けど、あの雰囲気、多分発言はしちゃったあとだな!?

あーもーほんとこの不器用男は!

 

「何やってるんですか、夜鷹さん」

 

「理凰」

 

理凰、じゃないんだよ全くよう!

 

「あー夜鷹さんが大変申し訳ないです。この人、すごく口下手なので、何か変なこと言いませんでしたか?」

 

あ、二人とも目をそらした。

やっぱりぃ!

いや、この場面は確かに二人にとっては必要な経験かもしれないけど、なんだかんだ夜鷹純とは身内と言わざるを得ない俺としてはめっちゃいたたまれねぇですよ!?

 

「うん。大変申し訳ありません。代わって俺が謝ります」

 

とりあえず深く二人に頭を下げて謝る。

そして頭をあげて夜鷹純の方を見た。

 

「というかそのタオル絶対あなたのじゃないでしょう。いや、返そうとしないで良いです。俺が洗って返します。まだ髪濡れてるし、今はもうそれで拭かせてもらっといてください。風邪ひいたら大変ですし」

 

目を白黒させている二人に再び向き直る。

 

「いのりちゃん、そういう事だからタオルは借りていくね。今度洗って返すから」

 

「あ、うん、わかった」

 

「司先生、このお詫びはまた今度あらためて。あ、司先生も濡れてますね。俺のタオル貸しとくんで今度会った時にでも返してもらえれば」

 

そういって、やっぱり麦茶をポーションのごとくかけられていた司先生にタオルを渡す。

 

「え、いや、うん。どうもありがとう、理凰さん」

 

「いえいえ。こちらこそ色々申し訳ない。多分滑走の後は時間的に会えないと思うのでまた後日。さあ、行きますよ夜鷹さん」

 

夜鷹純の手を引いてその場を離れる。

ええい、素直についてくるのがかえって腹立つわ!

いや、何となくいつにない俺の勢いに戸惑ってなすがままになってるのは分かるけども!

俺もうしばらくしたら滑走なんだから、変な世話かけさせないでくれないかなあ!

はあ。

うん、とりあえず落ち着こう。

 

「スケート場は寒いですから、ちゃんと濡れたところ拭いて暖かくしてくださいよ?」

 

一応、俺の滑走は見てくれるんだろうから。

うん、さっきまでの気合にプラスして、このやり場のない感情もぶつけて滑る。

もう決めた。

 

そうして、夜鷹純と別れて。

会場を走り回ったせいで、ウォームアップはもう十分だったので、大人しく順番を待つ。

 

ようやく順番が来た。

俺の雰囲気に慎一郎さんもあまり声をかけてこない。

ごめんよう。

滑り終わるころには発散して落ち着くからね!

 

「それじゃ、行ってくるね」

 

スケートリンクの滑走開始位置へ。

新シーズンに入って、プログラムも一新。

そしてまた、金銀メダリストの合作で高難易度。

うん、そうなんだ。

またなんだ。

しかも、今の俺に合わせて、微妙にまた難度上がっているんだ。

 

くくく、今宵のスケート靴のブレードは血に飢えておるわ。

 

音楽が始まって、滑り始めた後の事を、俺はあまり覚えていない。

 

ただ後で光ちゃんに、

 

「本当に最終滑走でよかったね」

 

と言われた。

その夜の俺の点数は、光ちゃんのそれを完全に上回った。

 

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