偽理凰君の奮闘記   作:空門 志弦

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39話

結束いのり視点

 

「お兄さん!」

 

司先生とその人の顔合わせの日。

大須リンクの下にある喫茶店にやってきたその人を見つけた私は、手を振って席に招いた。

席にやってきて、私の対面に座る司先生と瞳先生に軽く頭を下げてから私の隣に座ったその人は、おもむろに帽子を脱いで、眼鏡をはずす。

帽子に隠れていた金色の髪がふわりと広がり、眼鏡で誤魔化されていた容姿がはっきりと露わになる。

あれ、何か見覚えがあるな。

という思考は、すぐにある一つの記憶へと結びついた。

スケート場で出会った光ちゃんといつも一緒に話題に上っていた人。

 

「鴗鳥理凰選手!?」

 

うっかり大きな声を出して呼んでしまった司先生が自分で自分の口をふさぐ。

そうだ。

光ちゃんと同じように、天才と呼ばれている、

 

「大丈夫ですよ、ここには普通に来ることもありますから。あと呼び方はそんなに固くなくていいですよ。俺はまだいのりちゃんと同い年の子供なんですから」

 

そう、私と同い年の…?

同い年?

 

「ほえ?」

 

気付かぬうちに自分の口からもれる、間抜けな声。

そんな私に、その人はいつもの優しい声で告げた。

 

「すまない、いのりちゃん。お兄さんは、実はお兄さんじゃなかったんだ。というか、実は誕生日的には年下なんだ」

 

お兄さんじゃない?

誕生日的に、むしろ、年、下?

年下!?

 

「ええええええぇ!?」

 

お店の人たち、大きな声を出してごめんなさい。

でも許してほしいです。

だって、いくらなんでも衝撃的すぎる!

絶対に年上だと思ってたのに!

 

「理凰君が結構悪戯好きって言う話は聞いていたけど、なるほどねぇ」

 

うん、結構お茶目なのは知ってた。

なんだかんだで一年間、教わってきたんだから。

 

「まあ、十割悪戯心ってわけでもないんですよ。いのりちゃんを教えるうえで年上だと思われているのは都合がよかったって言うのも結構大きくて」

 

あ、これはホントの事みたいだ。

真面目な時の顔だし。

 

「ああ、それは確かにそうでしょうね」

 

瞳先生もそう言い、司先生も頷いている。

 

「まあ、ある程度時間がたって信頼関係も築けていのりちゃんの事もわかってきて、言っても大丈夫だろうとなって来た頃には、いつ気付くかなと面白くなってきちゃって、今日まで言いそびれたんですけどね」

 

そしてこれも本当の事みたいだ。

お茶目なことをするときの顔!

もう、本当にもう!

腹が立ったので、隣のお兄さんの腕をぽかぽかと叩く。

 

「そんなわけで、お兄さんこと、鴗鳥理凰です。初めまして明浦路司先生」

 

その人、理凰さん、いや、年下だし理凰君? がまた真面目な顔になったので叩くのはやめてあげた。

 

「正直ちょっと驚きました。いのりちゃんを見つけてくれたのがあなたとは」

 

その言葉に興味を惹かれる。

理凰君は、司先生の事を知っている?

 

「俺は全日本であなたと瞳さんの滑りを見ていましたから」

 

疑問にはすぐ答えが返ってきた。

そうか、理凰君は現役時代の司先生を見たことがあったんだ。

 

「リフトこそ失敗してしまいましたが、美しい滑りでした」

 

目をつぶって、きっと過去の情景を思い浮かべているのであろう様子で、心情のこもった声で言う理凰君。

それによって司先生の現役時代に思いをはせていた私は、そのあとの理凰君の言葉を心構え無く聞くことになった。

 

「手紙で伝えるべきことは伝えています。でも改めて」

 

深々と、テーブルに額がつきそうなくらいに頭を下げて、心のこもった声というのはこういうものなんだろうという声だった。

 

「いのりちゃんと、出会って、見つけてあげてくれて、本当にありがとうございます。これから先、いのりちゃんをよろしくお願いします」

 

我慢が出来ずに、理凰君の服の袖をつかんだ。

 

「親でもない俺が言うのは、ちょっと変な話なんですけどね」

 

照れ隠しのように言われたその台詞でも、私の涙は止まってくれない。

 

「大丈夫だよ、いのりちゃん。別に会えなくなったりするわけじゃない。この業界は狭いからこれからも会う機会はたくさんある。むしろ今までよりも多いくらいかも」

 

そうかもしれない。

きっとそれは嘘じゃない。

それはわかる。

 

「先生と教え子って関係が終わるだけだ。俺はいつか来るこの時を楽しみに待っていたんだよ。君が俺の手を離れて、ちゃんとスケートを始めて。これからは、俺と同じ氷上で君は選手として君の望む場所を目指すんだ」

 

重ねられる言葉に、感情がどうしようもなく揺さぶられた。

もう手を引いてもらえない寂しさ。

一歩を踏み出せたことを喜んでくれることへの嬉しさ。

これからは今まで手を引いてくれたこの人と同じ場所に立つのだという誇らしさ。

もう手を離さなければならない悲しさ。

 

「だからこれは悲しいことじゃないんだよ。俺の自慢の生徒の門出なんだからね」

 

でも、理凰君は、悲しさだけははっきりと否定した。

そっか、自慢の生徒と、そう言ってくれるんだ。

 

結局私は泣き止むまでにずいぶん時間がかかって。

理凰君に赤くなった目をハンカチで冷やしてもらって。

 

解散の時には、また涙がこぼれそうになったけど、我慢して精一杯の笑顔でお礼を言った。

 

「私、これからも頑張っていくから! 今までありがとう理凰君!」

 

「期待してるよ! またね!」

 

返ってきたのも笑顔で。

期待している、と。

それはスケートが一番上手な人に、金メダルを取れるような人になりたいと願う、困難な道を行くことになることが決まっている私への最高のエールだと、その時はただそう思った。

私がそのエールがもつ本当の価値と重さを知るまで、あと少しだけの時間が必要だった。

 

 

 

それから一週間とちょっとが経って、理凰君は会う機会は沢山あると言っていた通りにひょっこりと私の前に現れた。

 

「やあ」

 

と、何でもない事のように挨拶してくれたことがとても嬉しかった。

練習があったからあまりお話は出来なかったけど、司先生に何か助言をしてくれたらしくて、私はそのおかげで名港杯へ向けた強い武器を手に入れる事が出来た。

 

 

名港杯では、直前練習で何も練習してきた事が出来なくて動揺してしまったけど、スケートをやっていた時のお姉ちゃんの事を思い出して、そして司先生が背を押してくれて、何とか乗り越える事が出来た。

最初の一回転アクセルは転んでしまったけど、最後まで滑り切って優勝することができた。

 

お母さんも、オリンピックのメダリストになるという私の目標を応援してくれると言ってくれたし、三家田涼佳ちゃん、ミケちゃんとも仲直り出来た。

 

沢山嬉しいことがあった。

前に進めた確かな実感があった。

 

そして私は、自分が挑まなくてはならない、あまりにも高すぎる壁を見た。

 

光ちゃんのスケートは、今の私ではただ凄いという事だけがようやくわかるような。

そんな、まるで奇跡のような滑りだった。

 

私を見つけた光ちゃんは笑顔で手を振ってくれたけど、私は二度目に出会った日に、なぜ私に一緒に大会に出たいだなんて言ってくれたのか分からなくて、話したくて。

光ちゃんを探している時に、その人に出会った。

夜鷹純。

階段から落ちそうになった私を助けてくれた人。

光ちゃんの本当のコーチ。

その人は私の目指す未来を否定したけど、すぐに司先生がそれは違うと、自分が未来へ連れていくと言ってくれた。

 

そこに、見たことのない慌てた様子の息を切らせた理凰君がやってきた。

 

「何やってるんですか、夜鷹さん」

 

「理凰」

 

二人はずいぶん親し気で。

夜鷹さんの放っていた張り詰めた空気が、理凰君が来た途端に和らいだ気がした。

 

「あー夜鷹さんが大変申し訳ないです。この人、すごく口下手なので、何か変なこと言いませんでしたか?」

 

理凰君にそう聞かれたけど、ちょっと話せる内容じゃなくて、私も司先生も目をそらしてしまう。

 

「うん。大変申し訳ありません。代わって俺が謝ります」

 

大きく溜息をついてそう言うと、理凰君は深く頭を下げた。

そういえば、光ちゃんと理凰君は小さいころから一緒に育ったとテレビで言っていた気がする。

そのあたりの関係で、夜鷹さんとも知り合いなんだろうか。

なんて思っているうちに、理凰君はてきぱきと話を進めて、私と司先生がまともに反応もできない勢いで状況を片付けて夜鷹さんを連れて去って行った。

 

時間的にそろそろ滑走の準備をしておきたいというのもあったのだと思う。

なんというか、いったいどういう関係なんだろうと司先生と一緒に首を傾げたけど、あまりゆっくりしていると理凰君の滑走を見逃してしまうので私たちは会場に戻った。

光ちゃんも、どこかで理凰君の滑りを見ているのかなと思ったけど、見つける事が出来ないうちに、理凰君の順番がやってきた。

 

会場が歓声に包まれる。

光ちゃんの時と同等かそれ以上の盛り上がり。

 

そんな騒ぎの中、理凰君が位置について。

音楽が流れ始めた瞬間に、明らかに空気が変わった。

会場中の人が音を出すことを禁じられでもしたかのように静まり返り、滑走曲と理凰君が氷上を滑る音だけが聞こえる。

全身に何かピリピリしたものが張り付けられたみたいな感じがした。

 

未熟な私の見る範囲だけど、光ちゃんの滑りと比べ大きく技量が離れているという感じはしない。

なのに、光ちゃんの滑り以上に目が離せなかった。

それはどこか、私の為に一緒に滑ってくれた時の司先生を思わせるところもあって、でも違う。

これが、理凰君のスケートなのだと、そうとしか言えないような滑り。

 

妥協を許さずにただひたすらに磨き上げたそれはきっと、私が憧れた誰もが素敵だと見惚れるスケートと同じ線上にあって、今の私からは遥か先にある滑り。

 

―――ああ、私はこんな人の教えを受けていたのか。こんな人の時間を分け与えられていたのか。

 

心にそんな感慨が去来する。

理凰君は、私を自慢の生徒と言った。

私に、期待している、と言ってくれた。

 

重い、とても重い。

地球の重力が突然何倍にもなったような気がした。

今、ようやく私は、その重さに気が付いた。

 

でも。

理凰君の滑りを見た。

自分の憧れたスケートのその先にある、司先生のそれに似て、しかしそれとはまた別の、確かな形を見た。

 

理凰君が氷上を切るように滑れば、頬に風を感じた。

まるで宙を滑るようなジャンプを見た時は羽が生えたような心地がした。

氷上に咲くようなスピンの回転とともに心が躍った。

 

ここまでおいでと。

ここはとても楽しいぞと。

誘う声が確かに聞こえた気がする。

 

私の手を引いてくれていたあの人は。

遥か彼方に輝く星だ。

 

届かずとも、それでも手を伸ばさずにいられない。

あまりに遠いくせに、不思議と足元を、そして行く道を照らしてくれる導きの灯だ。

 

私は不器用だから、きっと何度も転ぶ。

楽しい嬉しいだけじゃない道行に違いない。

そのたびに挫けて、誰かに助けられて、申し訳なくて、悔しくて。

今の私では想像できないような苦難がきっと沢山待っている。

 

でも情けなくても、今、司先生が私を助けてくれているように誰かの手を借りてだって。

私はもう、あの星に手を伸ばすことを、あの星へ向けて歩き続けることを決してやめない。

やめる事が出来ないだろうと、わかってしまった。

 

私の最初の先生は、とても優しくて素敵だったけど。

同時にとんでもなくひどい人だ。

 

卒業祝いだなんて言ってこんなものを見せられてしまったら、もう道をそれる事なんて絶対に出来ない。

もとからそうと心に決めていたけれど、今日この時から、私の道はもうこれだけでいい。

金メダリストに夜鷹純に否定された事なんて、知らない。

私の傍には、私を助けてくれる司先生がいてくれて。

どんなに難しくたって勝ちたいと思える、思わせてくれる光ちゃんが、私を待っていてくれて。

今は届かぬ彼方にだけど、焦がれずには求めずにはいられない未来を燦然と示し続けてくれる星がある。

 

私もいつかきっとそこにたどり着いて、あの星のように輝いてみせるんだと。

そう心に決めて、自分の意志で自分の運命を定めた。

 

 

 

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