ふう、すっきり。
いやあ、なんか我ながらすっかりスケートバカになったわぁ。
色々感情が込み入っても、スカッと一発全力で滑れば割とするりと片付くもんな。
いやしかし、後になって思うと、俺はどうしたかったんだろうな。
夜鷹純とのやり取りはあの二人、特に司先生には非常に大事なものだ。
あの経験のあるなしは無視できないくらいに大きい。
コーチとして一人の人生を預かっている実感と、それに対する覚悟を決める決定的な機会があそこだ。
でもなあ、必要なのもわかるし、何なら司先生の前世からのファンとして、客観的な立場だったらこの目で見たい場面ですらあるんだけど。
なんだかんだもう六年くらいか。
夜鷹純と半ば家族みたいに過ごしてきた今の俺としてはそれが親切心から出たものであれ、いのりちゃんの願いを否定するような言葉をあの人の口から言ってほしくはないってどうしても思っちゃうんだよなあ。
推し活と家庭の板挟みって、普通こういうものじゃないと思うんだけども。
というか、あの人ホントに言語の出力系どういう事になってるんだよ。
あの時の雰囲気的に漫画のやり取りとおおむね同じ流れだったのは察せる。
でも、流石に情報が足りないから漫画の時までそうだとは言えないけど、少なくとも俺の知っているこの世界の夜鷹純は間違いなく親切心で言っている。
俺にはわかる。
あの男の実際の内心の動きは多分こんなところだ。
なんか僕に似た感じの不器用そうな子がいるな。
へえ、君もスケートやってるんだ。
光に勝ちたい?
でも今の時点ではまだ初級?
その年で今からだと普通に考えたら人生全部費やしてもまず無理だし、その不器用さだとスケートやめた後の人生がすごく大変だと思うよ。
僕だって光を勝たせるつもりで育てているから、なおの事難しいし。
今ならまだ別の道を探せる年齢だし、よく考えて何か別の道を探したほうが良いんじゃないかな。
と、こんなところだろう。
大体あってる自信がある。
あの男は基本的に言葉が色々足りない上に、単語の選択が致命的に下手というか、選択肢のある中で一番厳しい言葉を選ばなければいけない呪いでもかかっているんじゃないかという言葉の選び方をするからな。
光ちゃんや俺には出会ったころに比べるとずいぶんマシな言葉選べるようになってるんだけどなあ。
二人とは初対面だもんなあ。
親切心で言ったことに、なんか食い気味に熱く反論されてイラっと来ちゃって挑発返しちゃったんだね。
わかるよ、あんた結構負けず嫌いだもんな。
でも真っ向から受けられて、ちょっと楽しかったんだろう?
…ほんっと、圧倒的アンジャッシュ!
なんかもう、身内気分の俺としては申し訳ないやら、でもじゃあ間に合ったからって止めたのか、必要の為に見逃したのかとか、止めたかったけど、二人の未来考えるとどうすればよかっただろうとか。
滑った後で会った光ちゃんに滑る前の様子を心配されて、帰りの車の中で膝枕されて髪撫でられたわ。
慎一郎さんになんかバックミラー越しにほっこりした目で見られて恥ずか死ぬかと思ったわ。
渦巻く感情を全部乗せて半ばトランス状態で滑ったが、感情が乗った分だけ良い滑りが出来た自信はある。
司先生への多少のお詫びくらいにはなっているといいんだが。
いのりちゃんには、今はもう司先生がいてくれるから少なくとも今回の夜鷹の件でも、心の心配はしてない。
してないけど、憧れている金メダルを実際に取ったことがある人間に否定されたいのりちゃんの心情を思うとへこむ。
俺の滑りが少しでも痛みを忘れさせて、あの子の門出に花くらいは添えられてるといいなあ。
まあ、それはともかく。
「光。もう結構経っているし、足も疲れただろうから終わりにしない? ほら、滑って発散してすっかり落ち着いてるから、俺」
光ちゃんが、離してくれない。
家に帰ってきて、風呂やら食事やらすまして自室に戻ったら捕まりました。
「ダメ。あんな顔の理凰は初めて見たし。今日は理凰が眠くなるまでは離さないから」
君は俺の母親かな?
起き上がろうとすると、結構な力で頭抑えられて逃げられないんだよなあ。
めっちゃ、安らぐんですけど。
俺なんか、光ちゃんに飼いならされてない?
おかしい、どちらかというと獣属性なのは光ちゃんのはずなのに。
そうして膝枕されて髪を撫でられていると、ふと今日の滑走のこと思い出したのか光ちゃんが言う。
「でもなんていうか、理凰が最終滑走ばかりなのってなんて言ったらいいんだろう、不幸中の幸いというのもちょっと違うし」
俺が滑り終わった後で会った時の第一声が、
「本当に最終滑走でよかったね」
だったもんね。
そのあとはずっと俺の様子を心配してたけど。
「俺としてはむしろ順番が早いほうが嬉しいんだけどなあ。デビュー戦の時は流石に遠慮したかったけど、今ならいっそ一番滑走が一番うれしいかも」
それが今の俺の本音である。
なんか、お互いに滑走順のくじが偏る者同士ってことでりんなちゃんと話したりするんだけど、その時にも話したんだが。
「一番いい状態の氷で他の人の点とか一切気にせず、その時の自分の最高のパフォーマンスに集中できて思いっきり滑れるって気持ち良くない?」
「ふつう、その境地には達せられないものだからね?」
りんなちゃんとかこの話したとき目を輝かせてたんだけどなあ。
それ以来ばくち構成の傾向がより強くなったうえに、滑りの質も上がった。
でもそうかあ、やっぱりおもしれ―女のりんなちゃんや、極まったエンジョイ勢の俺はふつうじゃなかったのか。
「それに、理凰にそのテンションで一番滑走で滑られちゃうと、後続が悲惨だし」
一度だけ一番滑走だった時は次の人とかそのさらに次の人とかアレだったけど、だんだん途中から皆が変に覚悟ガンギマリした顔かもしくは悟りの表情でちゃんと滑れるようになってたけどなあ。
…うん、まあ、確かにあれは駄目だね。
何ならコーチの人たちも大概だったから、あの大会は実に異様な空気だった。
思わず目を泳がせる。
「まあ、理凰もたまになら早い順番で滑れるといいね」
ちょっと気の毒に思ったのか、光ちゃんはそう言ってくれるけど。
それでもたまにじゃないとだめかあ。
そして、一番滑走とは言わないあたりに如実に思っていることが表れていた。
そんなにダメか俺の一番滑走。
うん、だめだね。
何度かやってれば周りが慣れるかもしれないけど、慣れるまでの被害がちょっと想像しきれない。
まあ最近は名前も売れて、実績も積んだから、俺を見てスケートやめるような挫折を感じてる様子の子は見なくなったけど、それはつまり俺はもう他の選手たちに別枠に数えられてしまっていて、まともに競おうとする選手がいないという事だ。
かろうじて、まだ何とか食いついてこようとする例の子は実際大したガッツなんだよなあ。
原作の光ちゃんの孤独感がちょっとわかる。
そして、光ちゃんは最近いのりちゃんを見つけてしまったせいか、俺以外の俺と同年代の男性選手のそういう諦めが結構気に入らないみたいで、時々ちょっと厳しい目を向けていることがある。
俺の孤独を慮ってなんだろうけど俺は大丈夫だから、やめておあげなさいと思わずにいられない。
俺はそもそも出自がファンタジーだし、いのりちゃんは世界が違えば物語の主人公なのである。
普通のまだ幼い子たちにそれと同水準のガッツを求めるのは、流石に酷だ。
「まあ、与えられた順番が何番でも結局、全力で好きなように滑るから大して変わらないってことにしておくよ」
それもそれでまあ本音。
氷の状態が良ければなお気分がいいという程度の話だ。
「理凰らしいね」
どこか嬉しそうな声でそう言って、光ちゃんは優しく俺の髪を撫で続ける。
そんな風に、取り留めなく大したことのない話をしばらくして、眠くなった俺を確認してから光ちゃんは部屋を出ていった。
「おやすみなさい、理凰」
「おやすみ、光」
うん、今日の夢見が実はちょっと心配だったけど。
これならきっと悪い夢を見る事はないだろう。