偽理凰君の奮闘記   作:空門 志弦

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56話

明浦路司視点

 

俺の二人目の生徒である理凰さんとの出会いは、いのりさんと出会ってすぐのこと。

いのりさんにスケートを教えていたお兄さんの正体が理凰さんだったのだ。

理凰さんは出会ったその時の時点でもうスケートに関わっている人で知らない人はいないような人物だったので当然すごく驚いた。

 

そして同時に納得もした。

理凰さんが教えていたというなら、練習内容やメニューの出来が非常によかったのも当然である。

というかまだノービスとは言え間違いなくトップ選手の理凰さんが、自分の経験から構築したと思われるこれらを軽く渡されていた事実に驚く。

瞳さんに変な扱いはしないように凄く注意されたけど、流石にこれは言われるまでもなかった。

怖くてとてもじゃないが徒や疎かにできない。

 

理凰さんの印象は会った時から、いや会う前からとても強いものだった。

受け取った手紙通り、あるいはそれ以上に優しい子だ。

とても大人で、愛情深く、かなりの悪戯好き。

そして俺のスケートを、美しいと評してくれた。

嬉しかった。

それでも思わず出そうになった自分を卑下する言葉は、いのりさんの前だからかみ殺した。

 

あの時に理凰さんがいのりさんにかけていた言葉は、いのりさんの未来に対する祝福に満ち満ちていて、端で聞いていても涙が止まらなかった。

俺はいのりさんのコーチとしての責任を果たしていく事を改めて心に誓い、それを理凰さんにも伝えた。

お店の中なのについ声が大きくなって瞳さんに怒られてしまったのはちょっと失敗だった。

 

その後も理凰さんは折を見ては僕たちの前に現れた。

申し訳ないけど助言が欲しくて、俺が呼んでわざわざ来てもらったこともあった。

そのたびに理凰さんは俺といのりさんを助けてくれた。

狭まっていた視界を広げてくれたり、いのりさんの体の状態を診てくれたり。

あの歳でメディカルトレーナーとしてプロからお墨付きを貰っているとか、ちょっと意味が分からない。

 

そして、名港杯の日に夜鷹純と出会った。

憧れの人物が俺の滑りを覚えてくれたことは衝撃だった。

それでも、たとえ夜鷹純にであっても、いのりさんの夢を否定はさせない。

俺はその日に夜鷹純と向かい合う事によって、コーチである今の俺には、いのりさんの分も含めた人生二つ分の勇気が宿っていることを知った。

そして、自分の分の一生も使って、いのりさんを勝利へと連れていくと心に決めた。

 

その後に現れた理凰さんと夜鷹純の関係は気になったけど、それもそのあとに見た理凰さんの滑りで吹き飛んだ。

なぜ今まで、直接足を運んで見る事をしなかったのかと自分を詰りたくなるような滑りだった。

多分だけど理凰さんも夜鷹純の教えは受けていると思う。

端々にその影が見えた。

しかしそれはもはや二人の間に何か関係があることを知っているからこそ見て取れる程度のものであり、同じ程度に父親である鴗鳥慎一郎の影も見て取れた。

 

恐るべきことに、理凰さんはあの歳でその二人からの教えを影しか残らない程度に消化して、自分の滑りというものを確立し始めているようだった。

信じられない才能であり、そして、滑りを見ればはっきりとわかるたゆまぬ努力の成果だった。

 

一緒に見ていたいのりさんと一緒に、その滑りに見入った。

理凰さんの滑りを見た後から、いのりさんの目つきは変わった。

今までのいのりさん以上の強い意志がその目には宿っていた。

 

その日から、ただでさえ凄かったいのりさんの練習への集中力は恐ろしいほどのものになった。

理凰さんに一年間の間、厳にオーバーワークを戒められていたことと、理凰さんが定期的に体の状態を確認に来ていたこと。

この二つがなかったら、体を壊していたかもしれない。

正直、俺はいのりさんの熱意に押されてしまっていて、理凰さんがいてくれなかったら上手くブレーキを掛けられていたか自信がないのだ。

 

でもこれからはきっと、俺が自分でいのりさんにブレーキを掛けられるようになってみせる。

今のいのりさんのコーチは俺なのだから。

そうして、いのりさんの熱意に引っ張られ、理凰さんのさりげない助力に助けられて、あと一歩という結果にはなってしまったがいのりさんの確かな成長を感じた西日本小中学生大会のあと、俺にとんでもない爆弾が落ちてきた。

 

「非常に情けない話なのですが、最近理凰の事を十分に見てやれていないのです」

 

俺の目の前に。

オリンピック銀メダリストの鴗鳥慎一郎がいる。

 

「最近クラブの生徒数が急増しておりまして。理凰はこういった性格ですので、私にはまず自分以外の生徒を見ろと言ってくれるので、ついそれに甘えてしまい、親として情けない限りです」

 

何となく、話の流れが恐ろしい方向へ流れていっていることが分かった。

 

「なので、理凰からの要望もあり、ぜひ司先生にレッスンをお願いしたく」

 

俺が、理凰さんを教える?

え?

 

「内容としては、夜間のルクスとは被らない日程でリンクを貸切っての個人レッスンで、額はこれほどでと考えています」

 

提示された金額に、ほとんど反射的に叫んだ。

 

「いやいやいや!? こんなにもらえませんよ!」

 

高すぎる!

何この金額怖い!

そんな風にパニックになっていた俺に、諭すように理凰さんは言う。

 

「司先生。その金額は俺が司先生の滑りを見たうえで、最低限その額は払わねばならないと判断した額です。父はそれを信用してその額で打診しています。はっきり言わせてもらいますが、司先生の技量で夜間の個人レッスンという条件だと、それくらいは受け取ってもらわないと困るんです」

 

理凰さんは、出会った時からずっと一貫して俺のスケートに敬意を払ってくれていた。

俺はずっとそれを感じていた。

今もそうだ。

 

「これは俺のプライドの問題なので、絶対に受け取ってもらいます」

 

断固とした声で、しっかりと目を見て告げられて、俺は言葉を失った。

そして畳みかけるように理凰さんは続ける。

 

「それでも、自分に自信が持てない、その額を受け取るのは気が引けるというならば、一つお願いを聞いてほしい」

 

「そのお願いというのは?」

 

「いのりちゃんが、自分から司先生のレッスン料をあげてほしいと言ってくるまでは、今のレッスン料のまま教えてあげてください」

 

いのりさんの為、というのもきっと嘘じゃないだろうけど、それは多分それ以上に俺への気遣いだった。

思わず涙が出そうになったがこらえた。

 

「―――理凰さん、君って人は本当に。わかったよ、その条件で君のコーチを引き受けよう」

 

そうして俺は理凰さんのコーチになった。

 

理凰さんとのレッスンは驚きの連続だった。

まず、そのストイックな姿勢だ。

あの、いのりさんと比べてさえ決して劣らない意欲と集中力。

いや身体的なキャパシティの限界値の差から現時点では明らかに一歩、理凰さんが上回っているだろう。

そんな勢いでの練習を、誰も追随できないような孤高の頂点に立っている理凰さんが少しの緩みすらなく続けている。

 

正直に言うと、ちょっとだけ同世代の他の子達に同情心がわいてしまった。

これは無理だ。

いったい誰が追い付けるというのか。

あるいは現役時代の夜鷹純なら可能性があったのかもしれないが。

幸か不幸か、夜鷹純はすでに引退して久しい。

 

そしてもう一つ。

理凰さんは俺にジャンプを教えてくれた。

俺にプログラムの見本を滑らせるためと理凰さんは言っていたが、俺のいのりさんへの指導を助ける意図もあったのは明らかだった。

 

でも教え方はちょっと、というか凄くスパルタだ。

 

「よく見ていてくださいね」

 

と言ってジャンプを飛んで見せたと思ったら。

 

「見ましたね? じゃあ飛んでみてください。わからなかったら、また見せますので」

 

といって、ジャンプを急かす。

何とかまねして、飛んで転ぶと、凄く的確な指摘が飛んでくる。

 

「踏み切りの時に力み過ぎです。あと前のめり過ぎて姿勢が悪い。まあ自分でもわかっていると思いますけど」

 

まさにであった。

 

「今度はそこを意識して、俺のジャンプを観察してくださいね」

 

そういってまた目の前で飛び、俺に観察を促す。

 

「じゃあ、また飛んでみてください」

 

凄くスパルタだけど、恐ろしいほどに効率的で、信じられないことに俺はあっという間に一回転であれば全種を飛べるようになってしまった。

 

「いのりちゃんは司先生ほどには目が良くないし、一応練習はさせていましたけど身体操作もまだ司先生ほどではありません。だから司先生もわかっているとは思いますけど、この指導自体は参考にしないでくださいね」

 

なんて、いのりさんに対する指導のアドバイスまでついてくる。

しかも俺が少しでも後ろ向きになると、容赦がない。

 

「司先生は、はっきり言って自己評価が低いですよね。まあ、そこはこれまでの経験とか事情があるんでしょうけど、今はとりあえず全部忘れてください。邪魔なので」

 

邪魔。

すっごくバッサリされてしまって目が点になった自覚があった。

 

「わかりやすいように敢えて俗な言い方をしますけど、今は嘘でもいいので自分をスーパーマンだと思ってください。自分を信じて、自分に憧れて、自分に未来を預けてくれる。そんな小さな女の子のために自分の弱気は全部踏みつけて、大人として男として立って見せて格好をつけるんです」

 

理凰君は笑って言う。

 

「司先生にとっていのりちゃんは、そのくらいのやせ我慢はして見せる価値のある子でしょう?」

 

そんな風に言われてしまったら、弱音なんて吐けるわけがなかった。

理凰君は本当に人をよく見ている子だ。

そこにはいつもどこか優しさが伴っている。

 

加護さん達と理凰君とで食事に行った時もそうだった。

理凰君は羊さんの事を実によく見ていて、まるで本当の妹のように優しく丁寧に世話していた。

あとで、甘やかすなとは言わないが、同時に相手の自立はちゃんと促すように、なんて説教まで受けてしまって。

俺にとって理凰さんは、いのりさんとはまた違う形で、本当にかけがえのない相手になっていった。

 

そして、全日本ノービスの日。

俺は理凰さんから招待を受けた。

もとから見に行くつもりだったけど、理凰さんからわざわざ僕を訪ねてきて、こう言ったのだ。

 

「今回の滑りは是非、司先生に見てほしいんです。司先生がその目でよく見てくれれば、きっと、司先生に見てほしいものが何なのか分かると思いますから、目を凝らしてよく見ていてくださいね」

 

ちょっと謎かけみたいな感じだった。

そしてただ見ればわかるというだけではない、いつもジャンプの練習の時によく見てと言われるあの感じだった。

きっと、何かある。

そう思った。

 

そして、理凰さんの滑走の順番がやってきた。

理凰さんがどんなプログラムを滑るのかを俺は知っている。

練習に付き合ったし、俺が滑ってみせて手本を見せすらした。

あのレオニード・ソロキンの振り付けというだけあって素晴らしいプログラムだった。

 

そのプログラムを、今、理凰さんが滑っている。

俺は、息すら止めて、それに釘付けになっていた。

滑りの中に影が見える。

最初、俺はそれが夜鷹純の影だと思った。

 

でも違う。

あれは、まだ他の影に比べると理凰さんの滑りに溶け込み切っていないその滑りの影は。

 

「俺の、影――――」

 

知らないうちに、涙がこぼれていた。

美しい、本当に美しい理凰さんの滑りの中に、確かに俺の影がある。

その影はまだ理凰さんの滑りに溶け切ってはいないけど、それでも決してその滑りを邪魔せずに、ちゃんと花を添えていた。

 

ああ、そうか。

俺は、馬鹿だったんだな。

もっと自分を信じてよかったんだ。

いや、信じるべきだったんだ。

 

でも、決して全てが無駄だったわけではない。

俺の積み重ねてきた滑りは、理凰さんやいのりさんの滑りの中に確かに受け継がれる。

今こうして見ているように、二人の滑りの骨格となり血肉となっていく。

 

涙が止まらない。

理凰さん、君は、なんて、本当になんて人だ。

 

こんな風に、人の心を、その滑りですくい上げる。

きっと俺は、君の今日の滑りを生涯忘れないだろう。

 

俺の二人目の生徒は。

理凰さんは。

人の人生を、その滑りで祝福する、奇跡のようなスケーターだ。

 

 

 

 

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