偽理凰君の奮闘記   作:空門 志弦

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60話

岡崎いるか視点

 

理凰と仲良くなるきっかけとなった合宿が終わってしばらくの時が過ぎて全日本ノービス大会の日。

私は初めて理凰の滑りを直接この目で見ることになった。

本当はもっと早く見に行きたかったけど、すでにジュニアに上がっていた私はノービスに比べて忙しくて中々予定が合わせられなかったのだ。

 

あの合宿以来、映像は片端から見ていたからどんな滑りをするのかはある程度知っていたけど、実際に間近で見ると印象はまた大きく変わる。

映像では伝わらない、熱感のようなものを感じるのだ。

他の選手でもそういうものがあるけど、理凰の滑りは図抜けてそうした感覚が強い。

ノービスから完全に逸脱した技術と表現力が、理凰の持つスケートへの異常なまでの情熱を会場全ての人間へ伝播させるのだ。

 

会場にはノービスの大会とは思えない数の観客がいるが、この中の少なくない数が理凰の滑りのファンだと言う。

ノービスの選手に滑りに対する固定ファンが付くなんて普通じゃない。

でも、この滑りを見てしまえば納得しかなかった。

 

ずっと見ていたい。

心底そう思うような美しい滑り。

そして、心を躍らせるような、滑ることへの欲求を駆り立てられるような不思議な陶酔。

しかも、そこに驚くような難度のジャンプによるサプライズまで加わるのだ。

理凰が滑り終わった後には、最高に上質な映画を一つ見終わった後のような満足感と高揚感があった。

 

あの合宿の夜の屋上の出来事がきっかけだとして。

きっとこの日に理凰の滑りを見終わった瞬間がトドメだったんだろう。

それにちゃんと気が付いて、認める事が出来たのは家を出て親と離れたことで心に余裕が出来た後だったけど。

 

その後もずっと私は理凰に甘えていた。

うん、あれは甘えてた。

端から見れば姉と弟に見えていたかもしれないけど、実質は兄と妹である。

いや、いっそ父と娘と言った方が近かっただろう。

 

光はきっと最初からそれに気が付いていたんだろう。

理凰の意志もあってのことなのだろうけど、光は決して私を排除するようなことはせずに、私が理凰の傍に居場所を作ることを許してくれた。

光はスケート以外では理凰の陰に隠れがちだけど、理凰ほどじゃないにせよ凄く大人な子だ。

 

「私は、出会ってからずっと理凰に助けられていましたから。そんな私が理凰が手を差し伸べた人を無下にすることなんてしたくありませんし。なにより、昔の自分を見ているみたいで、年上の岡崎さんに失礼かもしれませんけど微笑ましくて」

 

私が、何で理凰の傍にいることを許してくれるのか尋ねたときの回答がこれである。

色んな意味で敵わないなと思った。

スケートでは負ける気はないけど、ここについては完敗だ。

 

理凰に関わりに行くという事はほとんど光に関わりに行くのと同じことで、必然的に関りが増えて私と光はだんだん仲良くなった。

光には理凰の傍にいる事を許してもらった恩があったし、理凰と一緒に居るあの子はすごく可愛かった。

理凰という共通の話題もあって最終的には歳の差の関係ない親友みたいになっていた。

私は光と呼び捨てにするようになったし、光も理凰と同じようにいるかちゃんと呼んでくれるようになった。

 

ある日、合宿の前日に母親とひどい喧嘩をして、頬に平手打ちを受けた。

色々感情がぐちゃぐちゃで、涙が止まらなくて次の日は頬の痣もあってひどい顔だった。

それでも家にいるよりはずっとましだと思って合宿に参加して、理凰を見つけた。

思わずこんな顔見せたくなくて手で隠したけど、あんまり意味がなくて、そんな私を見た理凰が聞いたことがないような声を出した。

 

「―――はあ?」

 

周りの皆は、あの理凰が目に見えるような形で怒気をあらわにしたのに驚いたんだろう。

凄く動揺している人ばかりだった。

私はというと理凰らしからぬ、むしろ口の悪い私みたいなその反応になんだか可笑しくなってしまって笑ってしまった。

 

「理凰も、そんな風に怒ることあるんだ」

 

笑いながらそう言うと、理凰は肩を竦める。

 

「怒ることくらいはあるよ。自分でも少ない方だとは思うけどね。まあ、貴重なリアクションがお気に召して、ちょっとは元気が出たなら何よりだよ」

 

ああ、本当だ。

随分気分がマシになっていた。

そのあと理凰はいつかの合宿の夜みたいにちょっと強引に私の手を引いた。

手際よく用意をしながら移動して、あっという間に合宿場の隅の木陰でブルーシートの上に座らされていた。

 

「理凰って何気に強引な所があるよね」

 

まあ、私の為だって分かるから少しも嫌な気はしないけど。

 

「必要だと思った時は躊躇わないことに決めてるだけだよ」

 

本当に、こいつなんでこんなに格好良いんだろ。

 

「口の中は切れてない?」

 

「ん、だいじょうぶ」

 

「そう。それなら、そっちは良いとして、食事をとった後で湿布を、と行きたいところだけど頬だと微妙だな。いるかちゃんは女の子だし」

 

理凰は最初に出会った時からずっと口も悪くて態度も乱暴な私を普通の女の子みたいに扱ってくれてくすぐったくなる。

 

「食後なんだ?」

 

「ご飯食べてるときに、ずっと湿布の匂いしてたら嫌でしょ?」

 

「それは確かに、そうかも」

 

気遣いも細かい。

 

「まあ、口の中が大丈夫なら、ちゃんと美味しく飲めそうで何よりだね。おごり甲斐がある」

 

カフェオレもわざわざ開けてから渡してくれるし。

でもなんで自分の分は開けないんだろうか。

 

「自分の分は開けないの?」

 

訊ねるが、理凰はあいまいに笑って答えない。

不思議に思いながらカフェオレを一口飲むと甘さと香りが口の中に広がる。

あの日からずっと、私にとってカフェオレは安らぎの象徴みたいになっていた。

飲むと理凰を思い出す。

理凰が目の前にいる時は、あの夜の事を。

自然と体と心が楽になる。

 

「んじゃ、俺の膝にどうぞ」

 

「え?」

 

そんな私の隙を突くかのように理凰が言ってきた。

 

「最近、俺からも光にやってあげたりするんだけど、なかなかの寝心地らしいよ?」

 

頭が事態に追いつけないうちに、強引に体勢を変えられていく。

 

「まあまあ、良いから良いから」

 

何が良いというのか。

ちょっと待って、流石に恥ずかしい。

あ、でもこれ何か落ち着く。

 

大人しくなった私の頬に当てられるハンカチに包んだホットカフェオレの容器。

このために自分の分は手を付けなかったのか。

その暖かさに完全に抵抗する気が失せて、息を吐いた。

 

「何にも聞かないんだ」

 

「聞いてほしいなら聞く」

 

「今はあんまり話したくないかも」

 

「それならそれでいいよ」

 

ひんやりとしたタオルが目にかけられた。

理凰の優しさに涙がこぼれる。

きっとタオルが隠してくれるから、こぼれるままに任せた。

 

理凰は、あんなにらしくなく怒りをあらわにするくらい怒っていたのに、決して私の親を悪く言わなかった。

ただ優しく寄り添ってくれた。

 

「親の事、悪く言わないでくれてありがとう」

 

涙声にならないように注意して、何とかお礼だけ言う。

 

「どういたしまして」

 

理凰はただ優しい声でそのお礼を受け入れてくれた。

髪を撫でられて、心地よくて、昨夜あまり眠れていなかったこともあって私はいつの間にか眠ってしまった。

 

そんな風に、私は何度も理凰の優しさに甘えた。

光も時々は溜息をつきながらだけど、それを許してくれた。

 

そうして時が過ぎて高校に入学して家を出た私は、ある程度心に余裕が出来て冷静になって、頭を抱えた。

 

何やってんだ、私。

みんな、もうちょっと突っ込んでよ。

いや、相手が理凰だったら私も他のやつが同じ状態になってたら生暖かい目で見守るとは思うけど!

 

比較的ちゃんと突っ込んでくれてた寧々子は良い奴だった。

すぐに諦められたけど。

 

そっかぁ、私の初恋、10歳相手かあ。

ああいや、惚れたの絶対にあの夜の屋上だからあの時点だと9歳相手?

我ながら業が深すぎない?

 

でも相手、理凰だからなあ。

責める相手いないでしょ。

むしろ同情されそう。

 

失恋付き初恋泥棒に、まさか私自身が捕まることになるとか聞いたときは思いもしなかったんだけど。

光には絶対勝てないでしょ。

理凰は光以外には明らかに一線引いてるもん。

恋を自覚したから、余計にそれが分かる。

惚れるほどに勝ち目がないのを自覚させられるとかどういうトラップ?

ひどくない?

 

私、光の事ももう、凄く好きだしなあ。

しかも理凰とのことも含めて今の関係が心地よすぎる。

恋を押し通すより、今の関係の方が惜しく感じちゃうじゃん。

あーもー、負け負け。

負けました。

 

私、次の恋できるかな。

無理そうだなあ。

仮に恋が出来たとして、その相手と付き合って、そいつ理凰より私を大切に幸せにしてくれる?

無理でしょ。

それくらい流石に分かる。

 

あいつホントになんなんだろ。

付き合ってもいない相手をこんなに幸せにするなよ。

離れられなくなる。

あー、私これからもっと光と仲良くしないと駄目じゃない?

理凰の傍にいて変な疑いもたせてあの子の負担になりたくない。

私、光の事も好きだし、あの二人の関係も好きなんだよなあ。

 

まあ、先の事は先の事。

まずは、ちゃんと、区切りはつけないとね。

光にお願いして機会作ってもらうか。

 

そうして、光に事情を話した。

 

「本当に、それでいいの?」

 

「それで良いじゃなくてそれが良いの。大丈夫、別に無理してるとかじゃないから」

 

「私には、ちょっとわからないかな」

 

「光は今はそれで良いんじゃない? 理凰は急かしたりする人じゃないでしょ?」

 

「それはそうなんだけど」

 

「今まで通りには接するから、時々は嫉妬させちゃうような事はあるかもしれないけど、そこは許してね」

 

「拗ねはする。でも、嫌いにはならない。私もいるかちゃんの事は結構好きだから」

 

ほんとに、理凰が絡むと可愛い。

ちゃんと自分の恋を認めたら、どんなふうになるやら。

怖いような見てみたいような。

まあでも、まずは自分の恋から。

しっかり敗戦処理を済ますとしよう。

 

光との電話の数日後。

私は新生活の不足品の補充を名目に理凰と二人で出かけた。

恋する相手としての理凰とは、きっと最初で最後のデートだ。

 

この後もこういう機会はあるだろうけど、今日とは意味合いは変わるだろう。

理凰とのデートは本当に楽しかった。

バスタオルを選んでいると、私の趣味にぴったりのタオルを理凰が見つけてくれたり。

録音機能付きの時計への音声の吹込みをお願いしたり。

 

なんだろうこれ。

幸せ過ぎるんだけど。

もしも本当に付き合えちゃってたら、ドロドロに依存してしまう未来しか見えない。

いや、その時は理凰が上手くやってくれるんだろうけど。

そう考えると光は本当にすごい。

理凰を相手に、自分の恋を疑えるとか、ちょっとヤバくない?

 

そんな風に浮かれて存分に買い物を楽しんで、喫茶店に入った。

注文したカフェオレとケーキがやってきて、話は先に理凰が切り出した。

 

「で、始まったばかりではあるけど、新生活はどんな感じかな?」

 

「まあ、慣れなくて戸惑う事もあるけど、おおむね順調」

 

なんか、親子みたいな会話。

そして、理凰の目を見ると、あの夜みたいな優しい色がにじんでいて、私はつい顔がほころんでしまう。

 

「どうかした?」

 

「光が理凰は表情は上手に作るけど、目に感情が出やすいって言ってたのが本当だなって思って」

 

私が答えると理凰はふい、と視線を逸らした。

ちょっと可愛い反応で思わず笑ってしまう。

 

「別に気にすることないでしょ? 私は心配してもらえて嬉しかったし」

 

本当に嬉しい。

人に愛される幸せを、私は理凰から沢山教わった。

 

「俺ってそんなにわかりやすいかな?」

 

ちょっと不思議そうに言うけど、それはない。

理凰は伝える気がない事は凄く上手に隠す方だと思う。

 

「そんなことはないんじゃない? むしろ理凰は伝えるつもりがない時はわかりにくい方だと思うよ。コレがわかるのって光と私と、あ、後はエイヴァさんもわかるって光が言ってたね。私もわかるようになって来たの割と最近だし」

 

少し理凰が考え込む。

これは、私が挙げた人間以外にも心当たりがありそうな顔だな。

まあ、不思議とは思わないけど。

 

「まあ、そこは良しとしておく。学校生活の方はどう?」

 

「まあまあ上手くやれてるんじゃない? たまに男子の視線がうざったいけど」

 

考えるのをやめてからふられた質問に、思わず愚痴混じりに答える。

興味のない連中のああした視線は正直かなりうざい。

理凰くらい好い男になってから出直せ、というのはあまりに酷か。

うん、これは反省しよう。

 

「いるかちゃん美人だから、そこはまあ、宿命だよね」

 

ほんっとにこいつは、こういう事平気で言う!

ドキッとするから心の準備位させてくれないかな。

悪い気はしないけど。

 

「理凰はホント、そう言うのさらっと言うよね。最近すっかり慣れちゃった自分にもびっくりだけど」

 

なれたのは取り繕うのだけだけど。

顔に少なからず出てるんだろうな。

 

「いるかちゃんは、その辺の自覚が妙に薄くて心配だったし。まあ、言い続けた甲斐があったという事だね」

 

はいはい、おかげさまで。

どうせ、親の分まで褒めようとかそういう感じの意図でもあったんでしょ理凰の事だから。

でも、好きな人に褒められることの別ベクトルのダメージには無頓着なのはいただけない。

 

「大丈夫だとは思うけど、変な男に引っかからないように気を付けてね」

 

で、きっちり線は引く。

私の微妙な表情が何でかわからないって目。

でもそれ、本気でわからないわけじゃないよね、きっと?

まあ、この恋の最後くらいは、ちょっと鼻を明かせてやろう。

 

「現在進行形で、ある意味で質の悪い男に引っかかってるから、その忠告は手遅れじゃない?」

 

目が丸くなって、すぐに何か楽し気な顔に変わった理凰。

 

「それは大変だね。どこのどいつかな」

 

分かってるくせに。

そういう態度をとるならこうするまでだ。

人差し指で理凰を指さして、決定的な一言を口にした。

 

「目の前のこいつ」

 

よくできましたって顔だ。

凄く楽しそうで、同時に私の成長を喜ぶような、たまらない愛情を感じさせる顔。

私は、この顔が好きで好きでたまらない。

私の一番に望む形じゃないけれど、理凰は確かに私を愛してくれていると、そう分かる顔。

 

「まあでも、私は好きで引っかかってるから文句はないよ。これからも変わらずに仲良くしてよね、理凰」

 

本音にほんの少しの強がりを混ぜて、自分の恋に別れを告げる。

私は今、素敵に笑えてるだろうか。

そうだったらいいなと、心の底から思う。

 

「こちらこそだよ、いるかちゃん」

 

そういって理凰が私に返してくれた笑顔は、生涯忘れないようなものだった。

私の心にだけ残したいから、詳細は省く。

 

そのあとも、私と理凰は買い物を続けた。

最初で最後の恋する人とのデートだ。

中途半端はもったいない。

 

そして別れの最後に、理凰の恋へのエールと、私の恋の名残を込めて言葉を投げた。

 

「あ、でも、無いとは思うけど、光と離れるようなことがあったら容赦なく行くから、覚悟しておいて。正直、私は理凰より好きになれる人なんて出会える自信ないし」

 

ふふん、良い顔。

これくらいは、許されるでしょう?

じゃあね私の恋した男の子。

そしてこれからもよろしくね、理凰。

 

 

 

 

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