偽理凰君の奮闘記   作:空門 志弦

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65話

さて、突然だが。

俺が所属し、慎一郎さんがヘッドコーチを務めている名港の状況を話そう。

慎一郎さんが俺の練習を見られないほどに忙しいというのは既に話に出ていたと思うが、ぶっちゃけると、それどころですんでいない。

方々の伝手を頼ってコーチやトレーナーを増員して何とかもたせている状態だ。

 

俺がいのりちゃんに金弓さんを連れてきたのは、名港関連の伝手はとてもじゃないが使える状況じゃなかったというのもあった。

同時に慎一郎さんと親しい五里さん経由の愛西の伝手も無理だった。

まあ、金弓さんはいのりちゃんには最良の相手だと思うのでそこは良い。

 

漫画だと流石にここまでではなかったと思うのだが、この世界は俺がいる。

天才が一人だけ現れたクラブと二人現れたクラブでは価値が全く変わる。

もしかしたらと、再現性を期待され始めるからだ。

ここに預ければうちの子ももしかしたら、あの二人のような才能を開花させるのではないかと。

 

そんなわけで、名港は今、信じられない修羅場だった。

生徒の受け入れを制限すらしているのにド修羅場である。

そんな状況のせいで、倒れた。

 

俺がね!

 

いや、待ってほしい。

これには事情がある。

ぶっちゃけ体もそれなりに疲れてはいたが、問題はそこじゃないんだ。

俺は最近ある一つの事にかなり悩んでいて、まあ、そこに疲労がこう、するりと這い寄ってきたというか。

 

まあでも大失敗だったよね。

よりにもよって、名港の練習時間中に倒れたから。

朝はここの所ずっと疲れ気味だったから、まあこんなもんだろとスルーしたら練習中に急激に体調悪化して意識を失い気が付いたら病院だったという。

 

うん、入院中なんだ。

シードは取ってたからよかったものの、今年も中部大会は出ないことになった。

なお光ちゃんも見合わせたらしい。

倒れた俺の傍にいるために。

漫画でもこの時の中部大会は海外に行っていた関係で出場していなかったが、まさか俺の所為でそれが再現されるとはなあ。

名港のみんなも、変な風に動揺してないといいんだが。

 

一応検査の結果は風邪ってことになっているが、熱が40℃を超えていたらしいから、まあ例の熱だろう。

最近ほぼ無くなっていたんだが肉体的な疲労の蓄積と悩みによるストレスが重なったせいだな。

今は点滴のおかげで熱は大分下がっているが、一週間程度は入院したまま様子を見ることになっている。

検査の結果では大丈夫となっていても事故のことがあるから、病院としても慎重にならざるを得ないんだろう。

 

悩みには多分、気づかれてただろうなあ。

入院して数日たって熱も下がってきたしさて、誰が話しに来るかな?

普通に考えれば慎一郎さんなんだが、今まで話を切り出されなかったことを考えると慎一郎さんも迷っていそうなんだよな。

そうなると―――

 

扉がノックされて、その声が聞こえた。

 

「入るぞ、理凰」

 

「ええ、どうぞ雉多さん。そろそろ来る頃かなと思ってました」

 

まあ、その人選だよな。

慎一郎さん以外なら、名港で一番に親しいのが雉多さんだ。

雉多さんは溜息をつきながらベッドの横の椅子に腰かけた。

 

「予想済みってわけだ。理凰らしいな。じゃあ、要件もわかってるな?」

 

「ええ、移籍の件ですね」

 

そう、俺の悩みはそれだった。

ただ、決めかねていたわけじゃない。

どちらを選ぶかはとっくに決めている。

だからこれは、厳密には悩みの話ではなく未練の話だった。

 

「お前は、慎一郎先生に他の生徒を優先させる。俺たちに対してもそうだ。しかも自分で他の子達の練習すら助けていた」

 

その通りである。

倒れたのが慎一郎さんじゃなく、俺だったのは少なからず俺が負担を肩代わりしていたのもあっただろう。

 

「でもこれは、健全じゃない。お前は今、名港で与えるばかりで何も得ていない」

 

「スケーターとしては、間違いなくその通りだと思います」

 

そう、スケーターとしては。

 

「あいつらが心配で離れられないのか?」

 

「まさか。みんな元から強い子達ですし、この数年でもっと立派になった。心配なんて一つもしていません」

 

そう、本当に心配なんて一つもしていない。

みんなとても成長した。

スケーターとしても、人間としても。

今では俺がそうしていたみたいに、自分より小さな子や経験の浅い子の面倒まで見てくれたりもするのだ。

 

「だからこれは、情けない俺の未練だ。みんなからどうしても離れがたかった」

 

思わず、自分にかかっていた布団を握りしめる。

そうだ。

それが俺の未練。

 

「あまりに居心地が良くて、あと少し、もう少しと決断を後回しにしました」

 

分かってはいたのだ。

光ちゃんは夜鷹純とのレッスンがあるから、体の事を考えればむしろ名港での練習は最低限のほうが良い。

だが、俺は違う。

最近は司先生に教わっている分である程度補填できていたが、慎一郎さんとのレッスンはもう全くできていないし、名港での練習の時間は他の子の面倒を見ている時間の方が多くなったままだった。

俺は、夜にリンクを借りて一人で練習してそれを補填していた。

健全なわけがない。

 

「ばかやろう。情けないわけあるか。それが当たり前だろ。俺だって、お前がいなくなるのは嫌だ。寂しい」

 

馬鹿野郎などと言いながら雉多さんの声は優しかった。

髪を乱暴にかき混ぜられながら、俺は言葉を返す。

 

「ありがとうございます。そう言ってもらえるのは嬉しい。いやな役目をさせてますよね」

 

「そんなことはねーよ。自慢の弟分の背中を押す役目だぞ? 他の誰にだって譲るもんかよ」

 

格好良いこと言ってくれるじゃないか。

 

「慎一郎先生は、どうしても手放しがたくて、ちゃんと背を押す自信がないって言ってな」

 

ああ、やっぱりそうか。

 

「お姫様は、当然一緒に行くとさ。行く時期はお前の判断に任せるそうだ」

 

光ちゃんがそう言ったってことは夜鷹純も了承済みか。

 

「キリよく、今シーズンが終わったら移籍します」

 

覚悟を決めて口にする。

恐らく移籍先は、漫画の光ちゃんがそうした通りにスターフォックスになるだろう。

諸条件を考えると、やはりあそこがベストになる。

 

司先生には頻度が減る分、一回の練習時間を延ばしてもらおう。

移動時間を考えると、お互いに行き来するような形にしてもらっても精々が週一回、無理して二回という程度になるだろうからな。

いのりちゃんの様子もその時に見に来ればいい。

しばらくは、そのためにこちらに戻ってきても名港には顔は出さない。

色々心が鈍りそうだ。

 

いるかちゃんとは合宿なんかで会えなくなる分、プライベートで遊ぼう。

司先生のレッスンを受ける日は、ちょっとスケジュール重くなりそうだな。

まあ、東京の方にいるかちゃん呼んで光ちゃんと三人で遊んでも良いだろう。

いるかちゃんも、もう家を出てずいぶん状況は落ち着いたから俺が名古屋を離れても大丈夫だ。

 

ああ、そうか。

此処でやるべきだったことを、俺はちゃんと終えられていたんだな。

 

「わかった。そう伝えておく」

 

簡潔に、そうとだけ雉多さんは答える。

俺の判断に何一つ口は挟まなかった。

信頼してくれているんだなあ。

 

「雉多さん、俺は雉多さんの事を歳の差はあるけど親友みたく思ってました」

 

「俺もだ。お前は自慢の弟分で、最高のダチだ。お前なら大丈夫だろうけど、もしなんかあったら連絡しろ。いつだって飛んでってやる」

 

やめてくれよ。

泣きそうになるじゃないか。

 

本当に、此処での日々が終わるんだな。

楽しかった、俺は本当に楽しかったんだ。

 

ありがとう、父さん。

ありがとう、母さん。

ありがとう、汐恩。

雉多さんも、名港の皆も、愛西の皆も。

本当にありがとう。

俺は、幸せだった。

幸せだったよ。

 

離れてしまうけど、俺はこれからも光ちゃんと一緒に頑張っていくから。

皆もどうか頑張ってほしい。

 

そして、どうか願わくは、これからも幸せな日々が貴方達にありますように。

 

そうして我慢できない涙を流して願う俺を見ないように、雉多さんは背を向けて病室を後にしていった。

 

 

 

 

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