偽理凰君の奮闘記   作:空門 志弦

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66話

雉多輝也視点

 

病室のドアを閉じて、俺はようやく我慢していた涙を流した。

 

「ぐっ―――」

 

声が漏れそうになるが、噛み殺す。

 

馬鹿野郎。

大馬鹿野郎!

 

情けないなんて、そんな事あるわけがないだろうが!

 

お前は記憶をなくして、それからずっと、一からどころかゼロから積み上げてきたんだぞ。

未練なんて、あって当たり前だ。

離れがたいなんて当然だろうよ。

 

居心地がよかったなんて、こっちのセリフだ。

ずっと背を押してやれなかったのは、俺たちの方だ。

慎一郎さんだって、エイヴァさんだって、他のコーチ達だって。

お前が倒れちまうまで、とうとう背を押してやることが出来なかった。

 

お前があんまりにも良い奴で、一緒に居ると楽しくて、幸せで。

俺たちみんながお前を手放したくなかった。

 

だから俺が来た。

慎一郎先生も、倒れた理凰を見て今度こそ自分が背を押さなければと考えていたようだったけど、それでもまだ辛そうだったし譲ってもらった。

腹をくくってみれば、あいつの背を押すのは俺でありたいと、そう思えたからだ。

 

あいつがもっと我が儘だったら、慎一郎先生に自分を教えることを優先しろと言えるような奴だったら、もっと一緒に居られただろうか。

だめだな、想像できない。

あいつはそういう事が出来ない奴だから、あいつなんだ。

 

だから、これでいい。

これが正解だ。

だけどクソ、やっぱり寂しいよなあ。

 

親友だなんて、泣かせること言いやがって。

俺だってそう思ってたに決まってるだろうが。

悪だくみするのも、女の子たちに渡す花束を一緒に考えるのも、生徒たちのことについて相談するのも。

あいつと一緒にやることは、楽しかった。

歳の差なんてずっと最初のころに吹っ飛んだきりだ。

 

廊下の先から、光が歩いてくるのが見えて、俺は涙をぬぐって声をかけた。

 

「悪い、お姫様。少しだけ、十分、二十分で良い。病室に行くのは待ってやってくれ」

 

たとえ大事なお姫様にだって、いや、大事なお姫様にだからこそ、見せたくない顔が男にはある。

光はすこし、目を瞠ったが頷いてくれてホッとした。

 

「理凰と仲のいい雉多さんがそういうなら、そうします」

 

この子なら、涙が止まった後の理凰にちゃんと寄り添ってくれると、そう信じられる。

だから、俺の後の仕事は、他の連中の世話だ。

 

名港に戻った俺はまず同じコーチ達に発破をかけた。

 

消沈してる暇はあるのか。

理凰にあんな負担をかけといて、情けない姿晒してんじゃねえ。

大人の意地を見せろ。

あいつが俺たちにくれた沢山のもんに報いてみせろ。

あいつら二人が、安心して此処から旅立てるように。

 

効果は劇的だった。

まあ、そりゃそうだ。

俺たちにだって意地がある。

それに、これから旅立つあいつらに心配かけるなんて、死んでもごめんだってのは全員の共通した意思だろう。

さあ、コーチの方はこれで良い。

 

ジュニアシニアの方は理依奈が上手くやってくれてるみたいだな。

あいつも、理凰の事は堪えただろうに。

理凰が倒れた後に、廊下で一人きつく拳を握り、歯噛みしていた姿を俺は偶然見ていた。

そんなの見てなくったって、理依奈が理凰の事を気にかけてたのは知ってたけどな。

 

コーチも、ジュニアも、シニアもとりあえず良い。

だから後はこいつらだ。

目の前に集めた、理凰と同世代のメンツを見渡す。

 

「どいつもこいつもしけた顔しやがって。理凰は別に大丈夫だって言ってるだろうが」

 

何度もそう言っているが、まあ、それで元気になれれば世話ないよな。

 

「お前たちも薄々気づいていただろうが、あの二人は移籍することになった。今シーズン限りで名港を離れる」

 

全員、そのことに驚きはない。

あいつが倒れた時点で、そういう可能性があるって話が出回ったからな。

だから驚きはないが、消沈の度合いはひどくなった。

 

「なあ、お前ら。理凰はな、言ってたぞ。居心地が良くて離れがたいって。でも、心配は一つもしていないって」

 

全員が俯けていた顔をあげた。

 

「だってのに、お前らはそれでいいのか? あいつの信頼を裏切るのか?」

 

「良くない、良いわけない! 離れがたいって、心配は一つもないって理凰君が言ってくれたなら…」

 

最初に声をあげたのはりんなだった。

 

「今度の中部大会で、全日本で、その先の未来でだって、私は自分の滑りで理凰君の信頼にこたえる!」

 

こいつはなんだかんだ言って、一番理凰に世話になっていたからな。

俺の見立てだと、光がいたから割り切りこそしていたが理凰にかなり本気で惚れていたんじゃないかと思う。

この歳くらいの女の子の一歳差はでかいのだ。

 

「私も、きっとそうして見せる!」

 

四葉もそれに続いた。

そして、夕凪にも火が付いた。

 

「私だって、あいつに心配されるなんてお断りだから!」

 

他のメンツもみんな目に強い光が戻った。

これならもう大丈夫だろう。

むしろ入れ込み過ぎでしくじる方が心配なくらいになった。

 

慎一郎先生とエイヴァさんには、後で礼を言われた。

慎一郎先生にはあの人らしく丁寧すぎる位に何度も。

エイヴァさんには、らしくない泣き顔で。

 

二人とも、理凰の心配はしていなかった。

あいつなら大丈夫だと信じていた。

ただ、こんなことになるまで背を押せなかったのが親として、情けない、悔しいと。

 

「そんなの仕方ないじゃないですか。家族ではない俺達だって、こんなにも手放しがたいんだ。親である貴方たちが、それでもちゃんと手放そうとしている。それだけで心底尊敬出来ますよ」

 

これは、嘘一つない本音だ。

俺は理凰みたいな子供がいたら、きっと絶対に手放せない。

話に聞く限りの移籍先の候補から考えても、家からすら離れることになるだろう。

俺にはとても無理だ。

 

「寂しくてたまらないけど、そうしてあげないといけないと分かるの。きっとあなたも本当に親になれば分かるわ」

 

エイヴァさんはそう言ってくれたが、さて、どうだろうな。

 

とにかくこれで、今の俺に出来る事は全部やった。

後は理凰のやつが名港を離れるまでに、あいつが安心して此処を離れられるようにみんなで名港の状況を落ち着けないとな。

まあ、それは俺だけでやることじゃないし、今考えなくちゃいけない事でもない。

 

今日の俺は、最高にいい仕事をした。

自信を持ってそう言える。

だからもう良いよな。

帰りに酒を買って帰ろう。

明日も仕事だが、今日くらいは許されるはずだ。

 

なにが、「どうか願わくは、これからも幸せな日々が貴方達にありますように」だ。

聞こえてるんだよ馬鹿野郎。

あの場で号泣しなかった俺を、誰か褒めてくれよ。

 

自分だって寂しいだろうに。

お前みたいな出来る奴が、あんなに悩んで、倒れるまで決められないでいた癖に。

涙を流して願う事がそれだなんて、俺はもう、自分の感情がわからねえよ。

 

酒でも飲まなけりゃ、眠れる自信がさっぱりねえ。

ちくしょう、恨むぞ神様。

なんであいつなんだ。

なんであいつから奪った。

 

今だってそうだ。

あんなに頑張ってるんだぞ。

なんでこのままじゃいけないんだ。

もっとあいつに都合がよくたっていいじゃねえか。

 

またあいつに手放させるのか。

今度は自分から。

ああ、もう、信じられねえ。

腹ん中がグルグルと気持ちわりぃ。

 

ああ、早く酒が飲みたい。

こんな気分は久しぶりだ。

 

神様、もしも本当にアンタがいるのなら。

どうか理凰に、苦難に釣り合うだけの報酬をくれ。

せめてそれくらいは与えてやってほしい。

 

確かにあいつが築き上げたものは、距離が離れたくらいで消えて無くなるようなやわなものじゃない。

俺たちの中にあいつがくれたものは残り続けるし、あいつとの絆だって小さなひびすら入らない自信はある。

でも人間てやつは弱いから、現実の距離が離れりゃ寂しさはどうしたって感じるんだ。

無くならないから良いってものじゃないんだよ。

 

理凰。

幸せな日々が貴方たちにありますように、なんてお前は言うが。

俺は、俺たちは、お前にこそ、それがあってほしいと願う。

 

お前の道行きに、多くの幸せがあるように俺は願う。

 

頼むぜ光。

理凰の大切な、お姫様。

あいつに苦難ばっかり投げやがる神様なんかより俺は光に願う。

俺たちの大事な王子様を、理凰をどうか幸せに導いてやってくれ。

 

 

 

 

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