本格的に夏の季節となり長野合宿とその後のジュニア合宿を終えた。
長野合宿では久々に名港や愛西の子たちと会って、色々と話し込んだ。
みんな元気にしていたし、色々と成長していてなんだか嬉しくなった。
ジュニア合宿ではまた光ちゃんといるかちゃん、そしていのりちゃんが固まって動いている様子が見られた。
この世界では全日本ノービスの後の全日本ジュニアで再戦の機会が早々に得られていたことで心の整理がついていたのか、いのりちゃんが光ちゃんに対して強いライバル心を露わにするような場面はなかった。
無かったのだけど、後でいのりちゃんに話を聞いたら、我慢しているだけらしい。
光ちゃんは好きだし仲良くしたいのも本当だから、試合以外では切り離しているという。
うん、その辺の心への棚の作り方は確かに教えたけども、見事に活かしていてすごい。
そして本音としては暴れだしたいくらいに悔しいは悔しいらしく、漫画でいるかちゃんも言っていたが、やっぱり狂犬かよとちょっぴり思ってしまったのは秘密だ。
だって、本音をこぼした時のいのりちゃん、明らかに空気がヤバかったんだ。
その後の全日本ノービスは危なげなく俺も光ちゃんも優勝を果たす。
これで俺も光ちゃんも、ノービス四連覇を達成したことになる。
そして同時に、俺たちは全日本ジュニアへの挑戦権を今年も手にした。
そう漫画でも大きな節目の一つと言えた、二度目の全日本ジュニア大会がついに始まるのだ。
その日、俺は関係者としての立場で会場入りしていた。
選手たちのいる区画にも出入りするためだ。
これは、いるかちゃんの怪我に備えての事。
起きないにこしたことはないが、起きてしまった時に早急に診断と応急の措置が出来るのはそれなりに大きい。
そして残念ながら、それは起きてしまった。
俺は足早にリンクの外に連れてこられたいるかちゃんに近づいて行った。
「理凰君!?」
「五里先生、いるかちゃんは俺が医務室に連れて行って診察と応急の処置を済ませます。ここでやることを全部落ち着かせたら五里先生も医務室へお願いします。……いるかちゃん、抱き上げるから俺につかまって」
「すまん、いるかを頼む。俺もすぐに行く」
五里先生の言葉を受けてから、俺はいるかちゃんを抱き上げた。
「え、ちょ、きゃっ」
俗に言うお姫様抱っこ状態。
何かいるかちゃんから可愛い声が聞こえた気がするが、とりあえず今は横に置いておこう。
「いるかちゃん、ダリアさんに伝えたいことがあるなら言っておいたほうが良いよ」
ちょっと驚いて固まっていたいるかちゃんだが、俺がそう言うとはっとしたようになってから大きな声でダリアさんに声をかけた。
「ダリア! 怪我してないやつが、集中力切らして転ばないでよ!」
やっぱり漫画より柔らかくなってるよなあ、なんて感心しながら俺もダリアさんと目を合わせて、深く頷いた。
大丈夫、こっちは任せてくれて良い。
そんな気持ちを込めた俺の所作に、ダリアさんも頷いて返してきた。
「さあ、それじゃあ、しっかりつかまっていてね。すぐに医務室まで連れていくから」
「うん、ありがとう」
妙にしおらしくて調子が狂うな。
ん?
今、観客席の方を見たか?
あ、いのりちゃんか。
さて、いのりちゃんの方の滑りはどうなるか。
いや、今はいるかちゃんだな。
妙に大人しいいるかちゃんを急いで医務室に連れていき、足の状態を俺が診察した。
何が理由で席をはずしているのかわからないが人がいなかったのだ。
他に怪我人は出ていないと思うんだが。
よかった、骨は無事そうだ。
でも捻挫としては重いな。
来月のグランプリファイナルは、少し微妙な線か。
少なくとも、練習は不足するだろう。
だが。
「大丈夫、骨に異常はない。ちゃんと養生すればグランプリファイナルにも出場できる可能性も十分ある」
いるかちゃんとしては不本意だろうし怪我自体は喜べないけど、それでもひどい事にはならなくてよかった。
漫画と違っていることで、悪い方に転がる可能性だってゼロじゃなかったのだ。
思わず深く安堵のため息を吐いた。
いのりちゃんにも司先生経由で伝えておこう。
少しでも動揺がマシになるように。
司先生のスマホに軽くメッセージを送っているかちゃんに向き直る。
「さっきから妙に大人しいけど、大丈夫? 脚が痛む?」
言ったら、頭にチョップを落とされた。
「理凰があんな運び方するからでしょ!」
「ああ! とにかく迅速に運ばないといけないと思って急いでいたから全然意識してなかった!」
お姫様抱っこのせいか!
うん、衆人環視であれは確かに恥ずかしいかもしれない。
「いや、ゴメン。俺の今の背だとおんぶするより良いかと思って。腕力は鍛えているから人を運ぶにはかえってこっちの方が安定するんだよね」
「悪い気はしなかったから許す。ていうか、凄いね理凰。私鍛えてるから結構筋肉で重い筈なのに、凄い安心感だったんだけど」
いるかちゃんはそう言うが。
「いや、羽のようにとは言わないけど軽いものだったよ?」
「そ、そう。はぁ。ほんとこれだからなぁ」
そう言われても、そこは諦めてもらうしかない。
「そういう関係になることをお互いに選ばなかったとしても、いるかちゃんが大切な人であることは変わらないからね」
応急の処置を施しながら俺が言うと、いるかちゃんはちょっとくすぐったそうに笑った。
しばらくしてやってきた医務の人と五里先生にいるかちゃんを任せて会場に戻った俺はいのりちゃんがジャンプに失敗するのを見た。
あれでは、足切りラインは越えられないだろう。
全体の点も上がっている中であの出来では厳しい。
近しい人がスケートで足を怪我するというのは、いのりちゃんにとってトラウマのど真ん中。
流石にパフォーマンスの低下は避けられなかったようだ。
そして、大会の後で家族と笑っているいのりちゃんを光ちゃんが目撃して。
俺と光ちゃんは、逃げ出したいのりちゃんの後を追った。
俺たちはいのりちゃんを茂みで見つけたが、少し離れた場所から俺は光ちゃんの背を押した。
「行って話しておいで、光。これはきっと、光ちゃんにもいのりちゃんにも必要なことだから」
今は、俺は居ない方がきっと良い。
離れた場所から二人のやり取りを見守る。
やり取りは、多少の差異はあれども原作のそれとおおむね同じだ。
話を終えて俺の所に戻ってきた光ちゃんは、俺に言う。
「ねえ、理凰は私がいのりちゃんを見誤っていたことに気が付いていたの?」
「見誤っていたと言うと違うと思うけど。そうだね。一面だけを見過ぎているとは思っていたかな」
漫画の描写を見るまでもなく。
二人を間近に見ていた俺にはわかっていた。
「黙って待っていてくれてありがとう、理凰。これは確かに私が自分で気づかないといけない事だった」
その目には強い意志が見える。
やっぱり光ちゃんにとって、今日こそが巣立ちの日になるんだな。
準備していた甲斐があった。
「明日、光がいのりちゃんの為に自分の滑りを滑るというのなら、俺と夜鷹さんとレオから贈り物がある」
この日がそうでなくとも、きっといつか贈ることになると信じていた贈り物。
今の光ちゃんの為の、光ちゃん自身の滑りにあわせたプログラムを俺は、二人に協力してもらって用意していた。
今滑っている夜鷹純のイメージを模したプログラムを下敷きにしつつ光ちゃんの為だけに作り替えたもの。
最近はライリー先生にも手伝ってもらってさらにブラッシュアップしたそれは、レオの手によって俺の知る光ちゃんのイメージを形にしたプログラムだ。
俺はずっと、この日を心待ちにしていた。
さあ、光ちゃん。
君の、君だけの滑りを見つける時だ。