偽理凰君の奮闘記   作:空門 志弦

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87話

「ねえ理凰君。今更だけど麻酔がいらないって、本気?」

 

大会の会場で、ライリー先生は俺に聞いてきた。

心配をしてくれているのはわかるから申し訳なくはあるんだが。

 

「ええ、感覚がなくなるのは困るので。痛みなら我慢すれば済む話なので」

 

最高の滑りをするには麻酔は邪魔だ。

 

「その腕、ひび入ってるって聞いたよ? しかも裂傷の方だって相当深くて、大の大人だってうずくまって動けなくなってもおかしくないって」

 

まあ、確かに医者はそう言っていたね。

 

「俺は動けますから。問題ありません」

 

ライリー先生は溜息をつく。

うん、まことに申し訳ない。

 

「かすり傷のうちにも入らないだなんて、完全に嘘じゃん」

 

まあ、それはそう。

だがしかし、である。

 

「その嘘を、俺の滑りで本当にします。そう決めたんです」

 

光ちゃんは、泣いてた。

今にも壊れてしまいそうな顔で泣いていたんだ。

 

「体を守れたって、心に傷を残してしまったら何の意味もないんですよ。光ちゃんのあの心の傷を、俺は絶対に否定する。これは心に傷を残すような事じゃないって、俺の滑りで証明する」

 

あの傷は、駄目だ。

光ちゃんの心に、あんな顔をさせるような傷が残るなんて認められない。

そんな事、俺の全てをかけても絶対に許さない。

 

「かっこつけ。もう、わかりました。これ以上は言わない。だけど約束。この大会が終わったら治療に専念して、完治するまでは絶対に安静にすること。OK?」

 

本当にありがたい。

ライリー先生の信念からすれば、本来到底許せない事だろうに。

 

「ライリー先生。今、俺のコーチが貴方であることに心からの感謝を。本当にありがとうございます。約束は必ず守ります」

 

言って、俺は体を温めていた上着を脱いでライリー先生に渡した。

氷上へと足を踏み出す。

 

「God bless you!」

 

ライリー先生の祝福に、ただ親指を立てて返す。

 

滑走開始位置に立った。

あえて怪我をしたほうの手で、顔を撫でて、そして仮面を剥いだ。

痛みの走る腕。

だがそんなもの、無いことにする。

強く手を握りこみ、幻想の仮面を砕く。

 

さあ、あの夜以来の一世一代の大勝負だ。

仮面なんてかなぐり捨てて、ただ光の為に。

全てを賭して、あの子の心の痛みをぬぐえ。

 

それが出来ない俺なんて、誰よりも俺が許さない。

光の為であるならば、嘘も本当に変えてみせる。

世界だって、運命だって踏みつけにして、光の為に望む未来をつかみ取る。

 

世界から、音も色も消えて無くなった。

全てがゆっくりに感じ、全身の感覚が研ぎ澄まされる。

そんな奇跡のような時間の中で、俺は奇跡だけには頼らない。

 

その時間の中でも最高を目指して徹底的に詰める。

今日この日に、今この時に、光の為という故があるのなら。

 

このエッジの、ミリ以下のズレすら認めない。

この指、手、手首、そして腕。

いいや、それでも温い。

この髪の一筋にすら、魂を込めて。

 

光。

君は、俺が君に寄り添ってきたと思っているみたいだけど。

それは、お互いさまだ。

きっと君は、俺が君にどれほど助けられ救われてきたのか知らないだろう。

それは、俺がそのことを隠していたからでもあるのだけど。

そこは大目に見てほしい。

男ってやつは、どうしたっていくつになっても格好つけてしまう生き物だから。

 

その分は頑張って返せるようにしてきたつもりだ。

君に愛情を注ぐことはあまりにも幸せ過ぎて、対価としては不適当だったかもしれないけどね。

俺は君の笑顔が何よりも好きだから。

楽しそうな笑顔も、嬉しそうな笑顔も、幸せそうな笑顔も。

俺にとってはかけがえのない宝物だ。

 

だから、その心の痛みは絶対にぬぐう。

心に俺の事で傷が残るなんて、許さない。

既に記憶のことで痛みを与えているのに、これ以上だなんて死んでもごめんだ。

 

前世の分も合わせれば、呆れるような年齢差だけど。

俺はとっくに君に夢中だ。

胸を張って言える。

君の事が大好きだと。

 

光ちゃんが光ちゃんであるならば、出会った光ちゃんが何歳だっていつかは恋をしていた自信が俺にはある。

ただ、理凰君の位置はちょっと近すぎた。

未だ俺への恋の輪郭を定められていない光には申し訳ないのだけど、俺はもう恋を通り過ぎてしまった。

 

だからどうか、泣かないで欲しい。

俺の事で傷つくのなんて見たくないんだ。

俺は本当に平気だから。

君の為の痛みも傷も、俺にとっては誇らしいものでしかない。

でも、そうだとしても、君が俺の傷を厭うてくれると言うのなら。

俺はそれすらなかったことにして見せよう。

 

そうして俺はプログラムを完璧に滑り終えた。

自分自身でさえ信じられないような出来だ。

本来はまだ未完成な四回転アクセルも、今までになかったような出来で後半に単独とコンビネーションで合わせて二回を入れ込めた。

正直、今のままの俺では二度とは出来ない奇跡の滑りだった。

 

氷上を降りるとライリー先生が迎えてくれた。

肩を貸そうとしてくれたけど、固辞した。

何とか観客席から見えないところまで歩くと、強引に肩を持たれた。

 

「ここならもう、光ちゃんには見えないでしょう?」

 

正直ありがたいけど。

 

「ちょっと傷が開きました。服に血が付きますよ?」

 

俺はそう言うがライリー先生は鼻で笑った。

 

「そんなのどうでもいいわ」

 

そう言うなら、甘えさせてもらおう。

 

「医務室にと行きたいところなんだけど、ちょっと一人で立てそう?」

 

俺もライリー先生が聞こえたものと同じものが聞こえてきたので頷いた。

 

「大丈夫です。立てます」

 

人が、駆けてくる音が聞こえる。

きっと光ちゃんだ。

そして、予想通りに、光ちゃんが姿を現して、俺に駆けて来て抱き着いて。

 

唇にキスをされた。

 

「理凰、やっとわかったの。私、とっくに理凰に恋をしてた。それは気付いていたけど、今日の理凰の滑りを見て今度こそ自信を持てた。ああ、これが恋なんだって」

 

今、光ちゃんは涙を流しているけれど、それは決して悪い涙ではないようだった。

その瞳は初めて見る輝き方をしていて。

本当に綺麗だと思った。

 

「理凰、大好き。私、貴方に恋をしてる」

 

ああ、もうこれは無理だ。

完敗である。

感情のままに光を抱きしめて、俺からもキスをした。

 

「俺も、光が好きだ。そしてそれ以上に、光。君を愛している。世界の誰よりも君を。世界の誰よりも俺が。そう心から言える」

 

自分からキスをした時とは比べ物にならないくらいに光の顔は赤くなった。

あ、しまった。

と思った時は遅かった。

 

光ちゃんは完全に腰砕けになっていて、俺が支えていないと立っていられそうになかった。

いつの間にかそばに来ていた母さんが、光ちゃんを受け取ってくれた。

 

「理凰、やりすぎ。まあ、気持ちはわかるんだけど。光は私が落ち着かせるから、あなたは医務室に行ってきなさい」

 

感情の高ぶりに任せて思わず加減を誤ってしまった。

まだ中学一年生の恋を知ったばかりの女の子に、こんな激重感情背負わせるとか、我ながら何考えてるんだと思わず頭を抱えそうになる。

 

光ちゃんを母さんに任せて、医務室に来た俺は治療を受けながら思わずため息を吐いた。

 

「あー、大丈夫理凰君?」

 

「あんまり大丈夫じゃありません。あんな風に感情を押し付けるつもりなかったのに……」

 

思わず顔を両手で覆いそうになって、腕を動かさないように注意されて諦めた。

とりあえず片手だけで目だけでも隠す。

 

「こちらからこんなに強い感情を向けるのは、最低でも高校生くらいになってそこまでの過程で色々経験して精神がもっと成熟してからにと思ってたのに」

 

おもわずこぼした後悔の言葉に、ライリー先生はぎょっとした顔をする。

 

「え゛。理凰君、光ちゃんを後三年以上熟成させるつもりだったてこと? いや、それはむしろ今回暴発しちゃって正解では?」

 

「成熟ですってば。熟成ってなんですか熟成って。はぁ。まあやってしまったものは仕方ないので後でなんとかフォローします」

 

ちょっと締まらない落ちが付いたが、光ちゃんもあの様子なら心の傷の方は大丈夫そうだ。

目的は達せたと思って良いだろう。

 

こうして、本当に色々なことがあった全日本ジュニア大会は終わりを迎えた。

この大会における俺と光ちゃんの滑りはフィギュア界における一種の伝説となり、後々まで語り継がれることになるのだが、今の俺には関係のない話だった。

 

 

 

 

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