狼嵜光視点
観客席で、いのりちゃんといるかちゃん、それにエイヴァと一緒に理凰の番を待っている。
理凰の怪我に気づいた後、私自身ひどく取り乱していて気付くのが遅れてしまったけれど、いのりちゃんの動揺も相当だった。
理凰との面会が許可された後にお見舞いに来たいのりちゃんは、理凰に抱き着いて泣いていた。
「心配かけちゃったね」
そういって優しくいのりちゃんの頭を撫でる理凰は完全にお兄さんのそれだった。
そのあと理凰はいのりちゃんの顔をあげさせて言い聞かせる。
「いいかい、いのりちゃん。君のその優しさは美点だけど、これは君が背負わなくてはいけないものじゃないんだ。いるかちゃんの怪我にしてもそう。これはあくまで俺たちのもので、君のものじゃない」
いのりちゃんは、完全に聞く姿勢になっていた。
そっか、きっとこういう風に二人は先生と生徒をしていたんだね。
「君の性格上、まったく気にしないというのは難しいだろう。だから無理に目を逸らそうとするのはかえって危ない。実際、この前はそれで失敗したんじゃないかな」
いのりちゃんは頷いて目で先を促した。
「だからまずはしっかりと向き合って吟味するんだ。何故動揺しているのか、何が怖いのか、なんでと可能な限り。そうして十分に理解して、後はいつか話したように、心の中の棚の、今は考えない場所にしまっておくと良い。そうして後で余裕が出来た時にまた引っ張り出して、もう一度解体して、消化していくんだ」
いつだったか、私も言葉は違うけど似たような教えを受けたことがある。
「やってはいけないのは、考える事から逃げる事。そして自分を騙すことだ。これをしてしまうと、大体は一番余裕がない時に足を引かれる事になるからね」
少し微笑ましく感じてしまう。
いのりちゃんは私とは違う形だけど、確かに理凰との間に絆を結んでいた。
「すぐには難しいだろう。でも、今回はある意味でいい機会だ。次からはもっと上手になるために。出来る限りやってごらん。そしてもう一つ。君はもっと君の周りにいる人の強さを信じて良いんだという事を覚えておいて」
もう一度いのりちゃんの頭を撫でてから、理凰はつづけた。
「俺もいるかちゃんも、自分の事はちゃんと自分でどうにかできる。いのりちゃんはもっと無責任なくらいに、俺たちを信じてくれていいんだ」
そう言って、ちょうどいいからと、自分の滑りを見ていくように誘っていた。
「あ、それと、光に言っておこうと思っていたんだけど。悪いけど今日は審判員席の方に座って観戦してくれるかな。流石に、審判員に背を向けて滑るわけにいかないからね」
それは、言外に私に見せるために滑るのだと言っているのだと分かった。
「そっか理由や込める想いは違っても、光ちゃんが私にそうしてくれたみたいに、理凰君は光ちゃんにそうするんだね」
いのりちゃんには私の取り乱しようも見られてしまっているから、理由は言うまでもないみたいだった。
「それじゃあ、私も一緒に見せてもらうね。理凰君の滑り」
いのりちゃんとの合流はそうした事情だ。
いるかちゃんは足を怪我していたので松葉杖でだけど、理凰の部屋にやってきた。
ちょうど診てもらう病院が一緒だったみたいで診察のついでと言っていた。
でも本当の所、どちらがついでかと言えば診察の方がついでだったんじゃないだろうか。
「凄くびっくりしたんだけど。大丈夫とは聞いてたけど、交通事故だなんて。光も連絡取れないし」
そこは本当に申し訳なく思う。
でもいるかちゃんは、松葉杖をついていない方の手で私を抱くようにして言ってくれた。
「ごめん、意地悪な言い方だった。光も、今はもう平気?」
額をくっつけて、優しく聞いてくれる。
「うん。理凰もちゃんと無事に目覚めてくれたから。もう大丈夫」
そのあと、私の事を気にしてくれて、ずっと一緒に居てくれた。
どうせ理凰の滑りは見ていくつもりだったからって言って。
エイヴァも多分理凰に言われてもあるのだと思うけど、理凰以上に私の方を気にかけてくれていた。
昨日の私はちょっと自分でもひどかったと思うから仕方ない。
でも正直に言えばとても助かっているのだ。
やっぱり、昨日の衝撃が尾を引いている部分はどうしてもあったから。
だから、今、このメンバーで観客席に座って理凰の順番を待っている。
やっぱり今回も理凰は最終滑走だった。
前の一番滑走はホントに例外だったんだなとちょっとおかしく思う。
理凰はライリー先生と何かを話してから、颯爽と氷上に上がった。
そうして、滑走位置について。
私はあの忘れえぬ夜を思わせる、仮面は剥いで砕く理凰の仕草を見た。
閉じていた瞳を開いた理凰と確かに目が合って。
自分の心臓が跳ねる音を聞いた。
なんて、なんて目を向けてくるの。
ずるいよ、理凰。
もっと早く、その目を向けてくれていたら、私はきっと自分の恋に迷いなんて持たなかったのに。
わかってる。
きっと、私にはまだ早かった。
きっと、あなたの想いと自分の想いに溺れてしまってた。
ああ、信じられない。
私、あんなにも怖くて。
理凰が目覚めてくれた後だって、本当はあの怖さがまだ少し背を這うかのようだったのに。
理凰のスケート靴が氷上を刻むたび、恐怖が解けていく。
理凰の手が、流れるように宙を撫でるたび、すべてを忘れて目が吸い寄せられる。
私はこんなにも理凰が好きだったんだと、あらためて思い知らされる。
そして同時にもう一つ思い知らされた。
こんなにも熱く、甘く、すべてが溶かされてしまいそうなほどの想いを理凰が内に秘めていたことを。
いつの間にか涙が流れていて、嗚咽を漏らさないように私は自分の口を抑えた。
私も。
私もあなたが好き。
どうしようもないほどに。
やっと見つけた。
ようやく私が掲げるべき恋の輪郭がわかった。
貴方がそんなにも、私にこんな恐れは必要ないと示してくれるなら。
傷なんて大したこと無いと、嘘さえ本当に変えてしまうというのなら。
私は、貴方が私の為に見せてくれているその魔法に素直にかかってしまおう。
ねえ、理凰。
貴方は私にとって、本当の魔法使いなんだね。
私の心はもう、貴方への恋でいっぱいだ。
恐怖なんて吹き飛んでしまった。
傷だって跡形もない。
私の、恋しい人。
私だけの魔法使い。
出会ってくれてありがとう。
一緒に居てくれてありがとう。
私、決めた。
ずっとあなたに恋をして生きていくって。
そしてその道でいつか、貴方が私に注いでくれている愛に負けないくらいの愛だってこの心に育ててみせる。
理凰の滑走が終わった。
会場は一種異様な雰囲気だった。
少なくない人たちが、胸を衝かれたような顔で涙を流していた。
拍手すら忘れて。
私はそんな中で席を立った。
「私、行かなくちゃ」
思わず、想いがつぶやきとして漏れた。
「そっか、見つけたんだね。おめでとう、光。今の光、とっても素敵な顔してるよ」
いるかちゃんが、優しい笑顔で祝福してくれた。
「行ってらっしゃい、光。私は少し遅れていく事にするわ」
エイヴァも優しく笑っている。
「がんばってきてね、光ちゃん!」
いのりちゃんが、両手を握って激励してくれる。
「ありがとう、みんな」
私は、本当はいけないけど、会場の中を走って理凰のもとへ向かった。
今頃、理凰は医務室に向かっているはずだ。
だから、この通路で良いはず。
そして、角を曲がった時、理凰の姿が目に入って。
感情をこらえる事をあえてせず、そのまま抱き着いてキスをした。
気持ちはそれで発散されたりなんてしなくて、かえって強くなった。
「理凰、やっとわかったの。私、とっくに理凰に恋をしてた。それは気付いていたけど、今日の理凰の滑りを見て今度こそ自信を持てた。ああ、これが恋なんだって」
感情を少しでも言葉にしようとするけど、もどかしい。
言葉が、とても不自由に感じる。
だから、かえって簡潔に、心をそのままぶつけるみたいに。
「理凰、大好き。私、貴方に恋をしてる」
ただそのまま言葉にした。
私のキスと言葉を受けた理凰は、何か一瞬、観念するような顔をして。
あ、これ、わたし、だめかも。
気が付いたらキスをされていた。
私のつたないキスとは違う、否応なく深い愛を感じさせるようなキスだった。
それだけでも、もう、たまらないのに。
「俺も、光が好きだ。そしてそれ以上に、光。君を愛している。世界の誰よりも君を。世界の誰よりも俺が。そう心から言える」
聞くだけで溶けてしまいそうな、甘い声で。
見た事がないような、瞳の色で見つめられて。
ずるい。
覚悟はしていたけど、それでも足りなかった。
私、今度はこれに負けない愛を育てていかないといけないのか。
でも。
今はちょっと。
まだ無理かな。
だって、立っていられない。
何とか理凰が支えてくれていたのを、エイヴァが引き継いでくれた。
「理凰、やりすぎ。まあ、気持ちはわかるんだけど。光は私が落ち着かせるから、あなたは医務室に行ってきなさい」
医務室に去って行く理凰の背中を、寂しく思う。
こんな状態なのに、我ながらすっかりやられていて笑ってしまいそう。
今日の夕飯どうしよう。
……あれ?
もしかして、家に帰ると、理凰と二人きり?
今の心の状況で?
「ねえ、エイヴァどうしよう。私ちょっと今は理凰と二人きりでいる自信ない」
エイヴァは私の言葉に目を丸くして、すぐに吹き出した。
笑うなんてひどくないかな。
私、真剣に困っているのに。
「じゃあ、今日は別々にする?」
「それはヤダ。そばにいたいし、怪我をしているんだからお世話だってしてあげたい」
間髪入れずに答えてしまって、余計に笑われてしまった。
「実は今日は、私もあなたたちの家に泊まるつもりだったから大丈夫よ」
先に言ってほしかった。
「その先は、応相談ね。理凰の怪我の事もあるし。まずは理凰の様子を見に行きましょうか。そろそろ自分で歩けそう?」
あ、いつの間にか、足に力が戻ってる。
「うん、大丈夫そう。今、理凰と顔を合わせるのはちょっと恥ずかしいけど」
だからといって、そんな理由で私が理凰を避けるなんてありえない話だから。
そんな恥ずかしさだって、開き直って楽しんでしまおうと思った。