PSYCHO-PASS 二次創作 MIDGRAY 作:ろくみ
厚生省は色相管理に注意を呼びかけています。
少しでも不安を感じた場合は、お近くのセラピー施設にご相談ください。
CMの後は気象情報とエリアストレス予報をお伝えします。』
『新情報!
気分が晴れない。優れない。
そんな貴方の強い味方!
感情の波を抑える新薬が、色相を20%もクリアに(*当社比)
心の風邪には金の果実を───
「MALUS」
最も美しい貴方に。
ERIS製薬です。
(向精神薬は専門家の指導の下、用法用量を守って正しくお使い下さい。厚生省)』
カウンセラーは朝津を診て、錠剤を処方した。本来ならば入院の判断を下しても良い数値ではあったが、先日からの度重なる事件により病室は満床となっていた。まだ朝津のPSYCHO-PASSは隔離治療を受けるまでには至っておらず、ひととおりの受け答えにも反応がある様子から、自宅療養という判断となった。
朝津は家に帰る。公安局から片道十数分のマンションに、朝津は1人で暮らしていた。人工知能ホロアバターがにこにこと主人を出迎えたが、珍しく主人は何の反応も示さなかった。
頭が痛いような気がして、朝津は頭痛薬と精神安定剤を口にした。流しに行き、水道水で胃に流し込む。
椅子に座り、ただ時が過ぎるのを待つ。
時計の音が部屋に響く。
胃が痛いような気がして、朝津は胃薬と精神安定剤を口にした。流しに行き、水道水で胃に流し込む。
水の入ったコップを持ったまま椅子に戻り、ただ時が過ぎるのを待つ。
いつにない主人の奇行をホロアバターは見上げ、きょうのごはんはなににしましょう?などと提案する。しかし、気分でなかった主人は黙ってホログラムの電源を切ってしまった。
ホログラムの幕が切れた部屋は、ごちゃごちゃとあちこちに物が散乱していた。読んだけれど理解できなかった本、届いたまま開けられなかったダンボール、雑然と置かれた洗濯物、そして大量の錠剤瓶。栄養剤や睡眠導入剤、胃薬などもあったが、大半が向精神薬だ。
時計の音が部屋に響く。
目眩がするような気がして、朝津は大量の向精神薬を口にした。ぬるくなったコップの水で胃に流し込む。
椅子に座る力が抜け、机の上に伏せる。倒れた錠剤瓶から、大量の薬の粒が床に跳ね落ち、転がった。
帰宅から、どれぐらい時間が経っただろうか?
今が朝なのか、夜なのか、昼なのか。朝津にはよくわからない。カーテンは閉まっており、部屋は暗いままだった。
時計の音が部屋に響く。
また頭が痛い気がして、朝津は手探りで頭痛薬を探す。だが、手元のコップに水は残っていなかった。
朝津は重い体を起こして立ち上がる。すると、猛烈な吐き気に襲われた。平衡感覚が安定せず、部屋が船の中にあるかのように揺れる錯覚に襲われる。
「ゔ……ゔっ……」
慌てて流しに駆け込む。水で薄まった胃液と溶けかけた錠剤がシンクにぶちまけられる。
ぼうっとする頭の中で、そういえば毎食後飲むように、とカウンセラーに渡されていた錠剤があったことを思い出す。
何か食べなくては、と一瞬理性が蘇るも、冷蔵庫には調理が必要な素材しかなく、何かを作る気力は無かった。向精神薬以外の物を飲んだ方がいいだろうか。そんな思考から、朝津はゼリー飲料型の栄養剤を手に取る。
少し前、誰かにこういった行為を止められたような、そんな朧げな記憶が浮き上がる。だが記憶を手繰り寄せようとすると、途端に思考にロックがかかる。
何も、思い出してはいけない。
1錠、4錠、7錠。栄養剤。頭痛薬。胃薬。そして、大量の向精神薬。症状は一向によくならないため、朝津は側にあった薬剤をありったけ手の上に乗せた。溢さないように口に含み、水道水で流し込む。喉に錠剤が引っかかる感覚がして、また更に水道水を口にする。
それから椅子に戻ろうとして……足がもつれ、朝津の視界の天地がひっくり返った。
手にしていたコップが床に叩きつけられ、粉々に砕け散る。
時計の音が部屋に響く。
鈍痛が肩と頭からじわじわと広がっていく。
どこか怪我をしたかもしれなかったが、朝津には触れて確かめる気力も、関心も無かった。
何も考えたくなかった。
何も理解したくなかった。
時計の音が部屋に響く。
錠剤とコップの欠片が散らばった床に倒れたまま、朝津はただ無為に時間を過ごした。横になっているのに、眠気は全く無かった。
いや、当人が気付いていないだけで眠っていたのかもしれない。
起きているのも、眠っているのも、泥のような意識の中ではそう変わりはなかった。
時計の音が部屋に響く。
僅かに残った本能がこのままだとマズいと警告を発したが、手足は動かない。
生きているのか、死んでいるのかも、朝津にとっては曖昧だった。
時計の音が部屋に響く。
何を考えるわけでもなく、朝津はただ暗闇の中薄目を開け、虚空を見つめていた。
時計の音が部屋に響く。けれど、朝津の耳に音は入ってきていない。彼の耳元ではずっと幻聴がまとわりついていた。赤子の泣き声。母親の罵声。ドミネーターの発砲音。人間の身体が、苦楽を共にしてきた仲間の身体が、弾ける音。
時計の音が部屋に響く。
時計の音が部屋に響く。
11月15日と16日。灰賀は1人、街を駆けていた。
同僚は2日間の休養を余儀なくされ、部下2人もパラライザーの後遺症で立ち上がれる状態ではなかった。
それでも、警報は鳴り止まず、灰賀は1人で街を駆け、重篤患者達に処分を行った。
2日間で、隔離処分が15名、殺処分が10名。
日に日に患者は増えていったが、灰賀は粛々と任務を完遂した。
11月17日。朝。この日はエリアストレス警報は発令されず、灰賀は久しぶりに朝からオフィスに向かうことができた。
暗いオフィスには先客が1人いる。赤髪の男が上席に座っていた。
「……戌井君。そこは、私の席だが。」
戌井は何も答えない。ぼんやりと宙の一点を見つめたまま静止している。目の前で手を振っても、瞳孔は動きすらしない。
「戌井君。聞いているのか。……戌井執行官!」
「わっ!」
灰賀が声を張り上げ、戌井の魂は戻ってくる。
戌井は袖で額の汗を拭き、椅子から立ち上がる。
「す、すいません……なんかちょっと、ぼーっとしてて。」
あれだけのことがあったのだ、仕方がない、と灰賀は許容する。
「身体は大丈夫か。」
「なんとか、今朝から動けるようになって……」
「片倉君は?」
「アイツもそろそろ動ける頃じゃないっスかね……」
「……呼んだか、バカ犬。」
タイミングよく、片倉がオフィスに現れた。
「おはよう、片倉君。」
「……おはようございます。」
3人の刑事達は自席に着き、各々仕事を開始した。書類仕事は山のように溜まっていた。
1時間。2時間。時間はあっという間に経過していった。
その間、珍しく通報は無かった。度重なるエリアストレス警報の発令と医療機関の逼迫から、シビュラシステムは緊急事態宣言を発令し、人々に自宅待機を命じていた。
昼も過ぎ、ある程度の書類仕事に目処がついた頃。
「……朝津監視官は、まだ来ないんですか?」
片倉は異変に気がつく。
朝津の強制休養は2日間であることを3人は知っていた。入院措置にはならず自宅休養であることも聞いていた。
故に3人は、なんとなく大丈夫なのだろうと思い込んでいた。安静に、心の傷を癒しているのだろうと思っていた。下手に連絡などして刺激するのもどうかと思い、そっとしておくことにしていた。
「灰賀監視官……ご主人は、朝津監視官は……休養日、伸ばしたんスか?」
戌井は言いながら、そんなはずはないと気がついていた。朝津が自らの意思で休むことは無い。身体が動く限りはどんな無茶な状態でも、這いつくばってでもやらねばならぬ仕事に向かう、それが朝津定という人間だった。
「……おかしい。朝津先輩は今朝から出勤のはずだ。」
灰賀は電話を朝津にかける。だが、いくら電話をかけても、帰ってくるのはコール音のみだった。
2日間の行動に、後悔が募り始める。
「先輩の住所は!?」
「えっと、確か、監視官ならどっかから見れるはず……!」
灰賀はデータベースから朝津の現住所を特定する。
「お、おれらのことはいいから!早く!」
執行官達は外出申請の手間も惜しみ、灰賀をオフィスから叩き出す。去っていく灰賀の背を、執行官2人は不安げに見つめるしかなかった。