PSYCHO-PASS 二次創作 MIDGRAY   作:ろくみ

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慟哭

 こじんまりとしたマンションの一室に、朝津という表札がかけられていた。

 灰賀は部屋の扉を叩く。返事はない。

 

「朝津先輩?」

 

 入れ違いになったのだろうか、などと灰賀は淡い希望を持つ。

 ドアノブに手をかけ、回す。鍵はかかっていなかった。

 近年、犯罪係数の測定による犯罪率の大幅な減少により、セキュリティ意識が低下し鍵をかけ忘れる市民が増えている。朝津もその1人だった。

 灰賀はそっと扉を開けた。

 

「……お邪魔します。」

 

 返事はない。

 扉の内側は暗く、重苦しい空気に包まれている。

 少し場数を踏んだ刑事なら警戒するような、陰鬱な世界の気配がしたが……灰賀は無警戒に部屋に立ち入った。灰賀は着任から、まだ1週間も経っていない。一通りの仕事は完璧にこなせても、経験に伴った感覚については劣っていた。

 何が待っているのか想像もつかぬまま、恐る恐る、灰賀は足を踏み入れる。

 玄関には朝津が普段履いている革靴が脱ぎ散らかされ、主人の在宅を物語っていた。廊下のあちこちには段ボールが積まれている。中身はセラピー用のグッズであったり、今時珍しい物理書籍などだった。どれも開封した形跡はあるが使い込んではいない様子が見て取れる。

 廊下の先の扉は、僅かに開いていた。廊下と同じように、奥の部屋は暗い。人の気配は感じ取れない。生き物が動く気配はまるでなかった。

 唯一、時計の音が奥の部屋から響いてくる。

 

「……。」

 

 灰賀は廊下を進み、扉を開けた。内開きの扉を動かした際、足元で物が擦れる甲高い音がする。電気を付けて見下ろせば、それは錠剤の粒だった。扉に轢き潰され、白い弧を描いている。

 部屋はダイニングキッチンであり、キッチンカウンターと小さな机が置かれている。その小さな机の上には、所狭しと薬剤が置かれていた。売店で買ってきたのだろう、処方箋を必要としない市販品の薬だった。

 そして……灰賀は、倒れた椅子と、机の下に横たわる、力無く投げ出された四肢を見つけた。

 

「朝津先輩!?」

 

 灰賀は叫び、駆け寄った。声に対する反応は鈍い。

 首に手を当て、強く圧迫すると僅かに脈を感じた。

 薬の過剰摂取であることは明らかだった。関係機関に連絡を取ろうと、灰賀はデバイスを口元に寄せる───と、その時。

 

「あく……た……さん……?」

 

 掠れた、弱々しい声がした。

 誰かが枕元にいる気配で、朝津の意識は現世に呼び戻されていた。日頃、執行官自室にて寝こけた朝津を起こすのは芥の役割であった為、朝津は反射的に芥の名前を呼んでいた。

 

「朝津先輩!?気がつきましたか!?」

「灰賀……さん……?」

 

 朝津の視界は次第にクリアになり、目の前にいる男の顔と名前が一致する。

 うめき声と共に朝津は起き上がった。動かないように、という灰賀の声は届かない。急に頭部が持ち上がったことにより、三半規管は異常を訴え、朝津は再度吐き気に襲われる。

 

「ゔ……」

 

 倒れた椅子や、側にあった棚を掴み、朝津は慌てて重い身体を起こす。流しに首を突っ込むと、大量の錠剤と水が、飲んだ時のままの状態で吐き出される。

 

「ゲホッ!カハッ……」

 

 食道の違和感に咳き込むと、数個の錠剤が更に吐き戻された。

 朝津は記憶を整理し始める。病院から帰ってきてからの今まで何をしていたのか、あまり覚えていない。記憶が断絶している。シンクにぶちまけられた大量の錠剤を見るに、壊れた機械のようにずっと薬を飲み続けていたようではあった。

 灰賀が自宅にいる理由もわからず、夢の延長か、幻覚か、と顔を見上げる。鬼の形相で朝津を見下ろす灰賀の迫力はまぼろしにはない生身の質感がある。

 

「早く、今すぐに病院に行くんだ!」

「病院は……もう、行きました……自宅療養ってことに……なって……」

「違う!今から行けと言ってるんだ!」

 

 灰賀はデバイスで朝津の色相を測る。今の朝津の色相は濁った灰色、MIDGRAY。犯罪係数89とある。

 

「そんなはずないだろ!」

 

 灰賀は計器に向かって怒鳴りつけた。

 数日見ないうちに、朝津は別人に見えるまでに衰弱していた。元々小さかった体格は更に一回り萎み、ぼさぼさの髪の間からは落ち窪んだ目が覗く。その有様は、灰賀が臨床研究で見かけた重篤患者の方がまだマシに見えた。

 

「なんで……灰賀さんが……うちに……?」

 

 朝津はようやく、目の前の灰賀がまぼろしでないことを理解した。

 

「ずっと連絡がなかったからだ。今日が何日かわかるか?」

「今日……」

 

 日付の感覚は無く、おまけに何日休養が出ていたのかを朝津は把握できていなかった。しかし、同僚が自宅に突撃してきた事態からして、無断欠勤をかましたことだけは理解できた。

 

「申し訳……ありません……」

 

 出かけないと、と思ったところで、朝津の思考は止まる。代わりに、とある物を思い出した。

 

「灰賀さん……デスクの、一番上の引き出しに……僕の辞表があるので、代わりに……出してきてもらえますか?」

「……は?」

 

 思いもよらない言葉に、灰賀は固まる。

 

「オフィスの……僕のデスクに、あるので……」

 

 虚な目で朝津は続ける。

 

「ご迷惑をおかけしますが……いや……僕がいないほうが、迷惑はかかりませんよね……」

 

 乾いた、卑屈な笑いが、喉から漏れる。

 

「そんなことも、わからない馬鹿で……すみませんでした。」

 

 力不足でも必死に無邪気についていく、純朴な人間だと、灰賀は朝津をそう認識していた。監視官にするには少し優しく脆く繊細な、そんな漠然とした善良なイメージだけがあった。

 

「こんな無能、さっさと厄介払いするべきだったんです……わかってたはずなんです。」

 

 引き裂かれたハリボテの下には、熟成された劣等感の塊があった。

 自虐の言葉を重ねるごとに、朝津の口の回りは早くなる。このような自身を追い詰めるような、色相を濁らせる答えが待っている物事に限って、朝津の観察眼は鋭く、思考はよく回る。

 

「知ってたんです。何もかも。僕がどうしようもないぐらい向いてないことも……みんなが辞めさせたがっていたことも!」

 

 朝津は、芥の言葉を聞いていた。『朝津監視官は捜査に出るべきじゃないのに!』という嘆きの言葉を聞いていた。聞いた上で、知らん顔を決め込んでいた。聞いていないフリをした。

 

「知ってて……わかってて……続けて……その結果が、エゴの結果が……ご覧の有様だ。」

 

 朝津はまた嗤おうとする。嗤わなければやっていられなかった。けれど、喉でつかえて息が出ない。嗤うことさえも、うまくできない。

 

「二係は……もっと有能な人が回せばいい……僕には……適性Dマイナスの人間には……どだい無理な話だったんだ。」

「事件は……仮面の男事件はどうするんだ!まだ何も終わっちゃいない……!」

 

 朝津は首を横に振った。

 指揮を取るのが自分でなければ上手くいっていたはずだと、朝津の目はそう確信して灰賀を見上げている。その内には何の根拠もない。深い絶望だけがある。

 

「灰賀監視官……貴方は、とても優秀だ。僕なんかより、ずっと上手くやっていける……貴方は監視官に、向いている……」

 

 朝津はまだ言葉を続けようとしたが、声に出す前に灰賀に胸倉を掴まれた。

 灰賀は感情のタガがついに外れてしまっていた。

 

「貴方はそれでも監視官か!」

 

 怒号に朝津はびくりと身を震わせた。

 

「市民を殺されて、仲間を殺されて、仇すら討たずに潰れていくつもりか!?」

「人には、向き不向きってやつがあるんですよ……それに逆らったのが……全部、全部いけなかったんだ……!」

「何の為に逆らっていたのか、忘れたんですか。」

 

 灰賀は鋭い視線で朝津を睨みつける。

 

「彼らと、執行官達と、人々の幸せを守りたかったんじゃないのか!?」

「それ、は……」

 

 数日前。灰賀は朝津の本音を、エゴを聞いた。だからこそ、折れた心を理解しつつ、現実から逃げようとしている姿を許すことができない。

 灰賀は優秀な研究者ではあったが、カウンセラーの適性は無かった。

 

「ここで投げ出していいと、本気で思ってるんですか。」

「……。」

 

 朝津は何も答えない。言葉に詰まり、黙り、俯く。

 

「朝津監視官!」

 

 灰賀の叫びがこだまする。

 監視官、という呼称が、朝津に重く、のしかかる。

 

「……何が……出来るって言うんだ……」

 

 蚊の鳴くような声で言い。

 直後、感情を爆発させる。

 

「僕に何が出来るって言うんだ!」

 

 襟首を掴む手を払おうと、灰賀の手を掴む。だが、非力な朝津の力では引き剥がすことも出来ない。

 

「僕は、貴方や他のみんなとは違う……何も出来やしない!誰かに助けられて、どうにかその場を凌いでいるだけの、ただの落ちこぼれだ!」

 

 全体のレベルを、最下層の朝津に合わせて二係は進行している。事前に共有される作戦が最たるものであり、朝津が追い付けるよう、落ちこぼれないよう、二係の面々は配慮して行動している。それが各々の長所を殺し、実力の平均値を大きく下げることで無理に成り立たせていることを朝津は理解していた。

 

「僕に出来ることなんて、何も無いんですよ!僕が二係にいたって……邪魔にしかならない!ならなかったんだろ!」

 

 そのせいで彼らが力を発揮できなかったのだ、自分さえいなければこんなことにはならなかったのだ、と、朝津の理屈は完結する。

 

「もういいでしょう。貴方が僕に構って何になるんですか……!もうほっといてくださいよ!」

「五月蝿い!」

 

 頭ごなしに灰賀は怒鳴りつける。

 

「何もしなくていい!オフィスにでも座ってろ!先輩が何も出来ないことなんか配属前から百も承知だ!」

 

 思いもよらぬ言葉に意表を突かれ、朝津は灰賀の顔を見上げる。

 

「先輩は二係監視官、朝津定だろう!監視官で在ることを望んだんだろう!なら、先輩には執行官達を見届ける責任がある!街を守る義務がある!」

 

 ただの感情任せの言葉だった。もう朝津が立ち上がれないほどのダメージを受けているのは灰賀にもわかっていた。けれど、やはり、現実から、真実から逃げようとする姿を灰賀は許すことができなかった。

 朝津は言葉の中の何かが響いた様子で、自嘲の言葉を噤み、唇を噛む。

 少しの沈黙が訪れる。

 灰賀は息を整え、掴んだ襟首を離す。一呼吸置いたことで頭に登っていた血が引く。

 

「それでも……降りると言うのなら。もう、私に言えることは……何も無い。」

 

 激情に駆られてしまった、と灰賀は内省し、一歩引いて朝津の答えを待つ。

 だが……朝津が口を開くよりも前に、デバイスの着信音が鳴り響いた。

 

「……私だ。」

《あ!灰賀さん!?も〜〜コールは1回で出ろっての!緊急事態なんだから!灰係さん、足立区で街頭スキャナの通報です!ワンちゃん達は先向かわせてるんで、さっさと来てください!》

 

 要件を伝えると通信は切れる。

 

 灰賀は何も言わず、朝津に目もくれず、踵を返して部屋から出る。マンションの廊下を早足で出口に向かい、マンション前に車を呼び出した。自動運転の車は持ち主の前で止まる。

 

 背後で、物音がした。安定しない、ドタバタという足音だった。

 灰賀は振り返る。

 壁にもたれかり、肩で息をし、やっとのことで立つ朝津がそこにいる。

 

「……。」

 

 言葉のやり取りは何も無い。

 灰賀は車に乗るよう促し、朝津は助手席に座る。

 現場に急行する間も、会話は無かった。朝津は俯き、車の振動に抗わず揺さぶられていた。

 

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