フェルンは待てなかった   作:dolph

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僧侶

 左手が舞うのを、フェルンは呆然と見送った。自分の体が分かたれたのが信じられない。熱いだけで痛みはないのだ。

 しかし、間を置かずに切断面から血が溢れる。無意識に押さえた。右手が真っ赤に染まった。血は止まらず流れ続ける。視界の端で、血を吸った土が黒く変わるのが見えた。

 そして痛みが利子を付けてやって来た。

 

 痛い以外に何も思えない。その場に蹲って小石がスカート越しに脚を刺すのも感じない。

 ただただ手が痛い。ないはずの手が痛い。どこが痛いかわからない。転がった左手が見えた。

 血が抜け切った手は真っ白だ。あの日何度も見た亡骸の色。

 自分の左手は死んでしまった。血が流れ続けたら自分もそうなる。必死に押さえても血は止まらない。

 

 少年魔族はそこまで待たなかった。

 

「首を狙ったんだけど小さいから狙いがずれたかな? 次は外さない――」

 

 少年魔族は信じ難い目で自分の体を見下ろした。少女から伸びた赤い槍が自分の胸を貫いている。

 少女の魔法であるわけがない。少女から魔力を感じたが、魔法を発動出来る程はなかった。痛みに泣く少女が使えるとも思えない。

 ならば少女以外の魔法。

 少年魔族は少女以外の魔力を感じなかった。

 それが姿を現しても、やはり信じられなかった。

 

「……魔族が魔族を殺すの?」

 

 少女が押さえる腕をぎゅっと握ったのは、少年より大きい大人の男。頭に角が生えている。魔力を隠していても、魔族は魔族を見違えない。

 

 少女より魔族の方が遥かに力が強い。流れる血は腕を圧迫され、止血がなった。

 

「ふむ」

 

 彼の魔法は自身の血を操る魔法。フェルンの服に付けておいた血が少年魔族を貫いた。

 彼は続けて魔法を発動し、少年魔族の首を断つ。

 首が地面に落ちる前に、魔族の体は黒い霧のように弾け、無音のまま崩れた。

 

「殺せるではないか」

 

 魔族は魔族を殺せないと、リュグナーは聞いた事がない。試してみれば問題なく殺せた。名も知らない若い魔族は一体何を言っていたのか。

 自分が殺すと決めたフェルンを手に掛けようとしたのだから、少年魔族の言葉がなくとも殺していたに違いない。獲物を横取りされたようで甚だ不快だった。

 

 リュグナーの腕の中には、痛みで気を失ったフェルンがいた。

 圧迫により止血だけは出来たが、治療までは出来ない。リュグナーは自身の魔法によって、腕一本脚一本失っても容易く復元出来る。フェルンにそんな事が出来るわけがない。

 血を失いすぎたか、或いは痛みによるものか、フェルンの顔は白い。冬の寒さにも関わらず、べったりと汗をかいている。

 

「チッ」

 

 リュグナーは舌を打った。

 フェルンが死ぬならそれはそれで仕方ない。多少は惜しいと思うが明日には忘れるだろう。

 気に入らないのは、治療に心当たりがあること。

 森の奥に潜んで長いリュグナーは、近くに何があるか把握していた。そこまでフェルンが生きて辿り着けば治療が叶うだろう。しかし、そこまでしてフェルンを生かすべきか。

 死なせても良いが、まだ殺そうと思ったわけではない。

 しばらく逡巡し、後者を取った。

 自分で煮た麦粥は、リュグナーの口にも不味かったのだ。

 リュグナーはフェルンの左手を拾い、フェルンを抱き上げたまま飛行魔法を行使する。

 リュグナーが踏み込むと地面が微かに沈み、次の瞬間、風が弾けた。

 

 

 

 

 

 

 眠りの底で、わずかに意識が浮上する。その直前、微かに記憶の欠片が混じっていた。

 どこか暗い場所で、誰かが自分を抱えていた。痛みが薄れ、冷たい何かが傷を撫でていた。

 

「これを治療してもらおう」

 

 硬い声が響いた。その後、誰かのため息。

 

「……何を企んでいるんですか?」

「お前に関係があるのか?」

 

 記憶の断片はそこまでだった。

 

 

 

 パタンとドアが閉まる音を聞き、フェルンは目を覚ました。石の家のドアはどれも錆び付いて、こんな音を立てない。

 目を開ければ知らない天井。ここはどこだろうと思う前に、両手がシーツに触れてるのを感じた。

 右手も左手も、ベッドの上のシーツに乗ってる。取れたはずの左手がある。

 目の前にかざしてまじまじと見た。少し冷たくなって感覚が鈍い気がする。でもそれだけだ。ちゃんと腕にくっついて、ちゃんと動かす事が出来る。手が取れたのは夢だったのだろうか。それとも本当にあった事なのか。本当だったらどうして取れた手がついているのだろう。

 それから部屋を見回した。飾り気のない部屋だけど机があって椅子もある。机の上には幾つか小物が並んでいた。

 フェルンの部屋であるはずがなく、きっとリュグナーの部屋でもない。あの石の家にこんな部屋はないはずだ。

 ここは何処だとようやく思えた。

 ベッドから降りて素足のまま冷たい床を歩く。音を立てないよう静かにドアを開ければ、短い廊下の向こうに明かりを漏らすドアがあった。

 こっそり近付き僅かに開いて聞き耳を立てた。

 

 テーブルを挟んで二人が座っている。

 左がリュグナー。不可解な現状にフェルンは困惑しているのに、リュグナーはいつもと変わらない無表情。

 右はフェルンが知らない人物だ。頭に角はない。白くなった髪を短く整えた男性だ。服装から僧侶のように思える。僧侶の顔は険しかった。

 

『あの子の治療は終わりました。今は眠っています』

『終わったなら連れ帰ろう』

『断じて認められません。老いぼれましたが、魔王を倒した勇者一行を支えた私です。あなたを追い返す事くらい出来ますよ?』

『フェルンもそうだが、人間はどうして死に急ぐ?』

『あなたの魔力量は今の私よりも劣る。出来ないとでも?』

『魔力量が全てだと思うのか?』

『魔族がそれを言いますか!?』

 

 フェルンを治療したのは僧侶の魔法らしかった。話を信じるなら、魔王を倒した勇者一行の僧侶。幼いフェルンでも聞いた事がある。ならばきっと僧侶のハイター。聖都で高い地位にあると、父に教えられた事がある。

 それがどうしてリュグナーと話しているのか。

 もしもここが聖都だとしたら、魔族のリュグナーが入れるわけがない。ここは一体何処なのか。

 

『魔族が人間の少女を育てている事は驚きました』

『育てる? 食事は与えていたが、そうか。それが育てる事になるのか』 

 

 盗み聞きするフェルンは、リュグナー様の嘘吐きと思った。食事の用意はもう長い事フェルンの仕事だ。

 

『ですが、いつか殺すために育てていると聞けば捨て置けません。やはりあなたは魔族ですね』

『私が魔族以外の何に見える?』

『……そうですね。愚問でした』

『短い老い先をここで終えるか?』

 

 リュグナーがかざす右手から赤い刃が伸びた。自身の血を操って変幻自在の武器とするリュグナーの固有魔法。

 僧侶の顔は一層厳しい。魔力に触れるようになったフェルンには、僧侶の体から立ち昇る膨大な魔力が見えた。

 反射的にドアを開け放った。

 

「リュグナー様が次に殺すのはわたしです!」

 

 リュグナーは赤い刃を収めない。

 代わりに僧侶はリュグナーとの対峙を放棄した。小さなフェルンに合わせて腰を折り、優しく穏やかな笑みを作った。

 

「フェルンと言うそうですね。フェルンが心配する事は何もありませんよ。私に任せてください」

「そうしたら、リュグナー様は他の人を殺します」

 

 フェルンと僧侶の言葉を無感情に聞いていたリュグナーは、片眉を少し上げた。思いも寄らない事を聞かされたかのように。

 

「まだあなたは子供です。それは大人たちに任せなさい。フェルンが恐れる事にはなりませんよ。このハイター、老いたりと言えど無力ではありませんから」

「……」

 

 フェルンは応えなかった。

 ハイターはフェルンの瞳に意志の光を見た。

 リュグナーを抑え、人々を守るための献身ではない。もっと暗くて淀んだ感情。長く生きたハイターが何度も見てきたそれは強い恨み。それだけなら救いがあった。

 僧侶であるため妻帯しなかったハイターであるが、全く知らないでもない情念の色。

 

 ハイターの目が一瞬だけ悲しそうに細まった。まるでフェルンを憐れんでいるように。

 

 魔族の外見はほぼ例外なく整っている。その上、フェルンはリュグナーの庇護下にあった。フェルンが何かしらの感情を抱いても不思議ではない。

 

「それにリュグナー様は誰も殺してません。リュグナー様から死臭はしません」

「……それはその通りですね」

 

 だからハイターはリュグナーへの警戒よりフェルンの治療を優先出来た。

 酷い怪我をした幼子を魔族が連れて来たのだ。最大限の警戒をするべきだし、事によったら激しい戦いになる。

 しかし魔族は戦意を見せず、幼子の治療を要求するだけ。魔族を知るハイターは魔族の言葉をそのまま信じる事など出来はしない。

 にも関わらずフェルンの治療をしたのは、この魔族から一切の死臭がしなかったからだ。

 正確な年齢がわからなくとも、ある程度の長きを生きた魔族と推測出来る。これまで一度も人を殺した事がないとは思えないしあり得ない。

 だが、少なくとも今から辿れる短い過去においては、誰も手に掛けてないと信じられた。

 

「話は終わったか?」

「はい。ハイター様、わたしを治療してくださってとてもありがとうございます」

 

 フェルンは深々と頭を下げた。

 

「帰るぞ。坊主、今日生き延びた事が治療の代価だ」

「待ちなさい!」

 

 ハイターに何か考えがあった訳では無い。ただ、フェルンをこのままリュグナーと行かせる訳にはいかない。

 僧侶でなくとも、いつか殺されるために魔族の傍に子供を置く事など認められないだろう。

 

「確かにあなたから死臭はしません。ですが、ずっとそうであると約束出来ますか?」

「魔族と交わした約束が守られると思うのか?」

「思いませんね。魔族は人を欺くために言葉を覚えたと言われています。魔族との約束は無意味の代名詞でしょう」

「わかってる事を何故聞いた? それが老いか?」

「体は大分動かなくなりましたが耄碌はしてないつもりです。ですから、定期的にフェルンを連れてここを訪れてください」

 

 リュグナーは鼻白んだ。全く考慮に値しない。意味がない上に面倒なだけの提案に頷くとでも思っているのか。

 魔族は老いないが人間は老いる。老いがこのような妄言を吐かせるのだろう。哀れとは思わない。何の興味も関心もない。

 答えずにドアを開けようとした。続く言葉に足が止まった。

 

「もちろん只でとは言いません。危険な魔族がいるなら然るべきところへ報告しなければなりません。遠からず討伐隊が組まれるでしょう」

「移動すれば済む事だ」

「そうですね」

 

 ハイターは、魔族が定住するとは思っていない。空を飛んで何処かに行かれたらお仕舞いだ。

 これはただの時間稼ぎ。リュグナーを引き留めるに足る何かを必死に探す。

 だが、魔族が望むものをハイターは一つも知らない。魔族は人類を殺す。それだけが人類が持つ魔族への共通認識。

 ふと、リュグナーを見上げるフェルンが目に入った。幼いと言って良い子供だ。飢えてはいないようだが、隠れ潜む魔族と居ては満足な食事が取れるとは思えない。

 

「ですから、食糧を提供しましょう。これでも現役時代はそこそこの地位にありました。貯えはたっぷりあります。だからこんな辺鄙な場所に隠棲出来るわけですが。如何です?」

 

 足を止めたリュグナーが振り向いた。

 フェルンは「ごはん。おいしいごはん」と小さく呟く。表情を見せない顔だが、心なしか目が輝いてるように見えた。

 

 ハイターは若かりし頃、勇者一行と魔王を倒す旅に出た。

 様々な魔族を見た。罪悪感なく人を殺す魔族を見た。残忍な魔族を見た。言葉で惑わす狡猾な魔族を見た。強靭な魔族を見た。

 例外中の例外と言えるが、人を殺さない魔族がいると聞いた。その魔族は人間を主として長く仕えたとか。それがどんな結末を迎えたか、ハイターは朧気に聞いている。しかし、

 

「リュグナー様。ハイター様から食糧を分けて頂ければごはんがもっとおいしくなります」

「……そうだな」

 

 しかし、餌付けされる魔族は初めて見た。

 

「定期的とはどの程度だ? 年に一度か?」

「保存食なら兎も角、食糧はそんなに長く持ちません。最低でも月に一度。フェルンを連れて訪問してください」

「月に一度、か。……わかった」

 

 リュグナーは魔族である。人間との約束など歯牙にも掛けない。同時に数多の書物から得た理性と思考力を持っている。

 奪えばその時は糧を得ても次はないとわかっている。ハイターの条件を飲めば、継続的に得られると理解出来る。

 魔族の誇りを捨てて久しいリュグナーは、ハイターの提案を受け取った。

 

「甘いお菓子も用意しておきますよ」

「おかし……」

 

 フェルンの目がはっきりと輝いた。魔族に見入られてもやはり幼い子供である。甘味の誘惑には抗えないようだ。

 

 

 

 話がまとまり、リュグナーとフェルンはハイターに見送られ夜の空を舞った。

 行きは止血する関係もあって荷物のようにフェルンを抱えたリュグナーだったが、同じように持つとフェルンが不満を訴えた。落ちそうだし、腹部が圧迫されて苦しいらしい。

 仕方なく腕に座らせ、自身の首に掴まらせた。

 

「リュグナー様はどうしてわたしをハイター様のところに連れて行ったんですか?」

「あそこに住んでるのを知っていたからだ。向こうは私の存在に気付いていなかったようだがな」

「……そうですか」

 

 フェルンが聞きたかったのは少し違うこと。

 連れて行った理由ではなく、自分を治療した理由である。どんな理由であれ、リュグナーが自分の治療を求めたのは確かな事実だった。

 上空から真っ暗な森に落とされないよう、リュグナーの首にしっかり腕を回して力を込めた。

 

「あ」

「なんだ?」

「すぐに帰らないで少し待っていれば、ハイター様が食糧を用意してくれたかも知れません」

「……今更戻れるか」

「そうですね」

 

 リュグナーが応えるまで少しの間があった。

 それがフェルンにはおかしかった。

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