窓からは柔らかい春の光が差し込み、室内を暖かく照らしている。なのに場の空気は冷え切っていた。
ハイターの家で、四者がテーブルを囲んでいた。
一人は当然家主のハイター。その両隣がフリーレンとフェルン。フェルンとハイターの間にリュグナーが座る。
フリーレンとリュグナーが向き合う形になるが、フリーレンの隣に魔族を座らせるわけにはいかない。必然的にこの並びとなった。
「で?」
フリーレンの言葉は短い。ハイターに向けられた言葉であるが、視線は正面から動かない。いつでも攻防に移れるよう、右手は杖を離さなかった。
対するリュグナーも視線は険しい。フリーレンの魔法で貫かれた左腕は自身の固有魔法の応用で復元した。魔力を隠したまま緻密に運用し、次の瞬間にもフリーレンを貫けるようあちらこちらへ自身の血を忍ばせている。
ハイターが重い声で口を開いた。
「そうですね。どこから説明したものやら……」
「魔族は殺す。それだけでしょ?」
「それをしていいのはわたしだけです」
「無理だって言ったよね?」
「いつかは無理ではなくなります」
「今は無理だよ」
「今のことは話していません」
「私は今の事を話してる」
完全に平行線であった。平行とはどこまで行っても交わらないから平行と呼ぶ。どちらも少女に見えて、実年齢は百倍の開きがある二人に任せてはいつまで経っても話がまとまらない。
何度目かの溜息を吐いたハイターは、リュグナーに水を向けた。
「リュグナーから何かありますか?」
フリーレンは微動だにせずリュグナーを睨んでいる。対するリュグナーもまた、目を逸らさない。沈黙の間、室内の空気は張り詰め、窓の外を吹く風の音だけが耳に届く。フェルンは息を詰め、ハイターは静かに茶を啜った。
リュグナーはフリーレンをじっと見据えたまま、復元した左腕を撫でた。
「八十年は前か。全く同じ魔法をお前から受けた事がある」
「覚えてないね。覚える価値がない有象無象まで覚えてられない」
「だろうな」
あからさまな侮辱に頬を膨らませたのはフェルンだけで、とうのリュグナーはあっさり認めた。
「魔法は努力と研鑽を積み重ねてこそ意味がある。それをお前は人を殺す魔法であったゾルトラークを容易く解析し、魔族を殺す魔法に昇華させた」
「そんな事もあったね」
「そこには積み重ねの美しさがない。お前は私が嫌いな天才だ。と、思っていた」
身に覚えのない一方的な恨み節。フリーレンは鼻で笑おうと思ったが、続きがあるらしい。
「フリーレン。お前は何年生きた?」
「千年」
簡潔な答えに、リュグナーはしばし瞑目した。リュグナーが生きた時間の倍の倍はある。
「それだけの時間を魔法に捧げたのなら魔法の知識も解析方法も十分な蓄積があるのだろう。それらを使えばゾルトラークが解析されたのも頷ける。あれは努力と研鑽を積み重ねた結果だったのだな」
「……まあね」
遠回しであったが、リュグナーの言葉はフリーレンの業績を美しいと称えた事に他ならない。魔族に称えられるとは思ってもみなかったフリーレンは言葉に詰まり、フェルンはやはり頬を膨らませた。ハイターだけが柔らかく微笑んでいる。
フリーレンはまじまじとリュグナーを見た。頭部から生えた一対の捻じれた角。巧妙に隠しているが、そこかしこに散らばるリュグナーの魔力。どう見ても魔族であるが、フリーレンの知る魔族からはかけ離れている。
「魔族なのに魔力を隠してるのは何で? そんな卑怯な真似を魔族がしてるのは初めて見た」
人間の魔法使いであっても、魔力を隠すのは好まれない。そんな技術を磨くくらいなら、魔力量を増す努力を重ねた方が有効だ。まして魔族は魔力に対して絶対とも言える自負がある。一時的に魔力の隠蔽をする事があっても、隠し続けるのは卑怯者の所業として蛇蝎の如く嫌われる。
それをリュグナーは続けている。魔法の威力からリュグナーの魔力量のおおよその目安を付けたフリーレンであるが、本当はどの程度なのかはわからない。自分より大分下との確信が、この場での同席を許していた。
「戦力を隠すのは兵法において基本中の基本だろう? 誇りと命を天秤に掛けた。後者に傾いただけだ。最早私は魔族を名乗れぬ落伍者だろう」
「だろうね。お前は魔族の落ちこぼれもいいところだ」
「ふん」
それはリュグナー自身が大いに認めるところである。
魔族との対話で楽しい時間を求めても無駄だ。フリーレンは湿った目をリュグナーに向け、冷めたお茶に手を伸ばした。フリーレンの利き手は右手だった。
「自己紹介が終わったようですね。フリーレンも感じている通り、リュグナーから死臭はしません。知り合って二年になりますが、リュグナーから死臭を感じた事は一度もありませんでしたよ」
「ハイター……。二年も何やってたの?」
「はっはっは。この年になって非常に得難い経験をしていました。リュグナーとは月に一度会う関係です。私はリュグナーから死臭がない事を確認し、その対価に食糧を提供しています。フリーレン、どうです? 弟子を取ってみませんか? フェルンに魔法使いとしての素質があるのを感じているでしょう?」
「「え?」」
少女二人が異口同音に声を上げ、顔を見合わせた。リュグナーの視線は隣の少女へもほんの一瞬注がれた。
フリーレンは旅する魔法使いだ。ハイターの所に長居をするつもりはない。見習い魔法使いはすぐに実戦へと連れられる。フリーレンに幼い少女を死地へ送る趣味はない。すぐに断ろうとして、ハイターから二の矢があった。
「フリーレンには他に頼みたいこともあります。賢者エーヴィヒの墓所から出土した魔導書が私の手元にあります。その解読をお願いしたいのです」
「魔導書……」
フリーレンの表情は変わらない。それでも、ハイターには目の色が変わったのがわかった。フリーレンが魔法に強い思いがあるのを、ハイターはよく知っていた。
「フリーレンにはたくさんの借りがあります。同じくらいの貸しもあるでしょう。私が死ぬ前に清算出来ればフリーレンの心も軽くなると思いますよ?」
「……生臭坊主、いつか罰があるよ」
フリーレンは千年以上生きるエルフの魔法使いだ。魔法の腕は人間の魔法使いの追随を許さない。しかし、魔法が関わらない駆け引きとなれば別である。
面倒に魅力的な提案を抱き合わせて、自身の寿命と情を絡めて押し付ける老獪な手腕には、わかっていても抗えない。
「リュグナーもそれで構いませんか?」
「好きにしろ」
「フェルンもいいですね? リュグナーの元で魔力制御は覚えられても、人間の魔法までは無理です。魔法を学ぶならフリーレン以上の師はいません」
「リュグナーを殺せるようになるまでだね。それまでは付き合ってられないけど」
「リュグナー様……」
椅子に座ってもなお頭の高さが低いフェルンは、顔色が少し悪い。声は掠れて、上目遣いでリュグナーを見た。フリーレンからリュグナーを庇うために言ってしまった言葉をリュグナーがどう受け止めたのか。今になって怖くなった。
「好きにしろと言った」
「っ!!」
フェルンの顔がカッと熱くなり、次第に蒼褪めて、またもゆっくりと紅潮してきた。
いつだって素っ気ないリュグナーの言葉に頭に来て、見放されたように思って怖くなり、とても重要なことに気が付いた。
リュグナーが次に殺す人間は自分である。その自分がリュグナーに抗える力を手に入れられれば、リュグナーは誰も殺せなくなる。自分はリュグナーに殺されずにリュグナーの傍に居続けることが出来る。自分はそのために生まれたとすら思えた。
椅子から降りて、恭しくフリーレンに頭を下げた。
「フリーレン様、よろしくお願いいたします」
「魔導書の解読が終わるまでは面倒を見るよ。それにリュグナーを野放しに出来ない。もしも死臭をさせたらフェルンの前に私が殺す」
「その時は姿を消すと想像出来ないのか? 魔法の蓄積は素晴らしいが、それ以外を考える能力は低いようだな」
「魔法を忘れてそれ以外ばかりを考えてる魔族に言われたくないね」
リュグナーとフリーレンは向き合って座っている。鋭い視線で睨み合い、剣呑な気配を漂わせた。しかし、どちらからも魔法を使う気配はなかった。
どうなる事かと思ったが、話がまとまった事にハイターは深く安堵した。
リュグナーとフリーレンが会ったら衝突は必至。避けられなかったわけだが、致命的な事態には至らなかった。それ以上に、フェルンの先行きに道が出来たのが喜ばしい。
フェルンはリュグナーの庇護下にあっても、いつか殺すために置いているとリュグナーから聞かされた。自分が生きている内なら大丈夫かも知れない。二年間の積み重ねが、リュグナーへの危うい信頼を築いている。
しかし老い先短い自分が死んだ後はどうなるか。ハイターは既に晩年であり、後五年は生きないと悟っていた。
それもフェルンがフリーレンと弟子となったことで憂いが晴れた。フリーレンならフェルンを託せる。フリーレンなら、きっとフェルンを導いてくれるに違いない。
「魔導書は後で見せてもらうよ。ごたごたしたけどハイターにお土産がある。墓に供える酒を買ってきちゃった。一杯やる?」
「酒はもうやめたんです。私はもう年ですから。一杯やるならリュグナーとどうですか? フェルンにはまだ飲ませられません」
「え゛」
フリーレンの目が、毛虫を目撃した乙女の目になった。一方のリュグナーは否定も肯定もしない。フリーレンから視線を外し、誰に言うでもなくこう言った。
「ほぼ全ての魔族は自身の固有魔法を生涯かけて磨き抜く。そのような性質があるせいか、一つの事に拘る魔族は多い。酒の味を知った大魔族が古い酒を収集している可能性もあるだろうな」
「その話は七十年前に聞きたかったです」
「……生臭坊主。女神様に見放されても知らないよ?」
「はっはっは。実感する毎日ですよ」
酒の話はフェルンにはわからない。父が飲んでいた記憶が薄っすらと残っている。
わからない話なのに、酒の話をする三人がとても楽しく思えた。