フェルンは待てなかった   作:dolph

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成長

 フリーレンがハイターから見せられた魔導書は絵を使った暗号で記されていた。多数の魔導書に触れてきたフリーレンは、解読に五年は掛かると踏んだ。

 魔導書が本当に賢者エーヴィヒのものであるかどうか。ハイターが言ったように死者の復活や不死の魔法が記されているか否か。どちらであろうとフリーレンは構わない。魔法の収集はフリーレンが生涯を捧げるものであるし、解読に五年や十年掛かってもエルフであるフリーレンにとっては大した時間ではない。腰を据えて解読に挑んだ。

 

 もう一方のハイターからの頼み事は最初から暗雲が立ち込めた。

 フリーレンがフェルンを弟子にするのは、魔導書を解読する間だけと期限を付けたのは双方が納得するところ。魔法の行使に必要な杖はハイターが用意した。フリーレンがハイターの家を訪れた日にフェルンへ贈るつもりだったらしい。

 問題は修業の場所である。

 フリーレンが起居するのはハイターの家。フェルンが暮らすのはハイターの家より更に深い森の奥。ならば弟子となるフェルンがフリーレンに合わせてハイターの家で暮らすのが一番良い。ハイターも望むところだ。しかし、フェルンが難色を示した。

 

「わたしがハイター様のところで暮らしたら誰がリュグナー様のご飯を作るのでしょうか?」

「虫でも食べさせておけば?」

 

 当のリュグナーは愕然と目を見開いた。

 

「エルフは虫を食べるのか?」

「お前の事だよ。私は虫なんて食べない」

「そうか……」

 

 安堵したようなリュグナーの顔に、フリーレンは眉根を寄せた。

 リュグナーは間違いなく魔族だが、魔族らしくない。冗談と軽口を理解しないのが魔族らしいと言えば魔族らしい。

 

「私が魔族のところに行くのは絶対嫌だよ」

 

 フリーレンの拒絶にリュグナーは顔すら上げない。視線は開いた書物に落としたまま。

 自分が話をややこしくしているのに決定権がないと思っているフェルンは、思わしげにリュグナーを見詰めるだけ。

 フリーレンはどうでもいい。流れでフェルンに魔法を教える事になったが、魔導書を解読する方が優先される。

 

 エルフと魔族に話をまとめろと言っても無駄である。フェルンなら善良で常識を備えていると期待出来るがあらゆる問題の根源でもある。ハイターがまとめるしかない。

 晩年と言って良いのにどうしてこうも面倒事が降りかかるのか。ハイターは女神に慈悲を乞うた。応えはなかった。

 

「これまでと同じように通えば良いでしょう。例の事からここから遠くないところにいると思っていましたが?」

 

 フリーレンには例の事が何を指しているかわからない、興味もない。その時のフェルンは気を失っていた。その通りであると認めるリュグナーは首を捻った。

 

「これまでと同じなら月に一度か?」

「それじゃ五年が五十年になっても無理だね」

 

 フリーレンがバッサリ断ち切る。フェルンの素質が優れているのはフリーレンも認めるところだが、月に一度の教えでどうにかなるほど魔法は甘くない。

 ハイターは軽く笑って頭を左右に振った。

 

「頻度を増やせば良いのです。毎日はリュグナーもフェルンも大変でしょうから二日に一度。空いた日はフェルンが自習すれば丁度良いと思いますよ?」

「私が送り迎えするのか? 一体何の冗談だ」

 

 リュグナーがハイターのところを訪れるのは食糧の提供を受けるためであって、フェルンのためではない。それを一日置きとは面倒が過ぎる。珍しく渋面を作った。フェルンが消沈しているのが目に入っているが、それを気に掛けないから魔族なのだ。

 

「リュグナーにも利点がある提案です。通って貰っていますが、二年で十冊も読めていないでしょう? ここにある本は私の死後に返却しなければならないものがほとんどです。今の頻度ですと大半が読めないままになってしまいますよ?」

「……チッ」

 

 リュグナーに連れられたフェルンは、ハイターの家を訪れると家事や雑事の手伝いに勤しむ。その間、リュグナーはハイターの蔵書を読んでいた。日が昇る前から落ちるまでずっと読み続けていても、月に一度では遅々として進まない。そして、ハイターの蔵書は千に届く。

 ハイターの死後に奪えば良いと思い、石の家に積まれた本を優先してきたが、然るべきところに返却されるならそうはいかない。奪って捜査隊でも組まれたら面倒だ。

 

「フェルンにご飯作らせるならそのくらい当然でしょ」

「……」

 

 エルフの正論によって逃げ道を塞がれた。

 フェルンが作る食事は自分が煮る麦より美味しいのだ。遥かに、と付け加えていいほどに。

 

 

 

 日が落ちると、リュグナーとフェルンの二人は森の更に奥へ帰っていく。

 飛行魔法を使えないフェルンはリュグナーの腕に抱き上げられ、広い胸に手を添えた。

 

「フリーレン様、明日からよろしくお願いいたします」

 

 平坦に聞こえて、フェルンの声には熱が籠もった。

 

「……うん」

 

 明日から? と驚くリュグナーは誰にも気付かれない。

 リュグナーは言葉なく宙に浮き、暗い森の向こうに姿を消した。

 夜空を眺めていたフリーレンが呟いた。

 

「ハイター、あれは良くないよ。どうにかしたら?」

「フリーレンがどうにかしてくれませんか?」

「そのうち嫌でもわかるよ」

「……そうですね」

 

 わかった時が手遅れでないことを、ハイターは祈る事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 毎日が同じ事の繰り返しでどこか空虚だったフェルンの日常が、地に足がついたものとなった。

 今までも魔法の訓練はしていたが、魔法の行使ではなく魔力を増加させ制御する事だけだった。フェルンなりに魔力の増加を感じてもリュグナーやハイターには程遠い。魔力の制御は比較にもならない。リュグナーの魔力運用が塩を一粒単位で加減出来ているとしたら、フェルンは匙どころかカップを一杯分ずつしか加減出来ないようなものである。

 それがフリーレンに師事しハイターに杖を贈って貰った事で、明確な道が出来た上に上達が目に見えるようになった。

 フリーレンに学んでいるのは基本である一般攻撃魔法である。杖がなければそよ風を起こす程度だったが、杖を用いれば確かな魔法となった。上達するに連れて射程が伸び、威力も増す。

 時に伸び悩む事があっても、フリーレンが導いてくれる。教えてくれない時は相応の理由があってフェルンが気付くのを待ってる時だ。気付きさえ得られれば飛躍的に伸びた。フリーレン達から見ればほんの僅かな伸びだろうが、フェルンにとっては飛躍と言って過言ではなかった。

 

 フェルンは、起きてる間はもちろん、夢の中でも魔法に打ち込む。一日で魔法を考えていない事の方が少ないくらいだ。

 フリーレンから教えを受けられるのは魔導書を解読するまでと期限を切られているのもあったが、魔法が上達すれば上達するほどリュグナーに近付いている実感があった。いつかは届くとフリーレンも保証してくれた。

 いつの日かリュグナーを殺せる力を得たらどうするのか。それはまだ考えていない。母の仇を、と思う事は少なくなった。

 

 あの日から何年も経った。今でも克明に覚えている。リュグナーは母の心臓を抉り、喰らったのだ。間違いなく夢ではない。

 それ以外にも、そこに至るまでを思い出すようになった。その時は悪夢の只中に落とされたようで現実感がなかったが、落ち着いた今なら思い出せる。

 父が死に、母は泣き叫ぶ自分を連れて逃げてくれた。火の粉から庇ってくれた。転ぶ自分を抱き上げてくれた。瓦礫で足を切って、血を流しながら走っていた。遠くから飛んできた礫で背中を打たれていた。

 死を与えたのは間違いなくリュグナーだ。しかし、リュグナーがいなくても長くは持たなかったと思う。血を流し過ぎていて、きっと夜明けを迎えられなかった。

 どうしてそんな事を考えてしまうのかわからない。リュグナーが母を殺したのは事実なのに、まるでリュグナーは悪くなかったと弁解するようで。

 

 恐ろしい魔族だったのがいつしか庇護者になり、いつか対等な力を手に入れたらどうなるのか。フェルンは答えを出さなかった。

 答えがあろうとなかろうと、リュグナーが次に殺す人間は自分なのだ。その自分がリュグナーを抑えられればリュグナーは誰も殺せなくなる。それだけは確かな事実である。

 

「リュグナー様、今日はフリーレン様から長距離魔法に必要な要素を習いました」

「そうか」

 

 フェルンがハイターの家に行く時は、リュグナーに抱き上げられて連れて行ってもらう。朝早いどころか太陽が顔を出さない暗い時間で、フェルンがうつらうつらと船を漕ぐ事はよくあった。帰る時は一日の疲れがあっても意識ははっきりしている。

 リュグナーに横抱きにされて奇妙な高揚を覚えたり、動悸がしたり、時に安らぎを感じることすらあったが、寂しくもあった。

 

『今日はハイター様に花の名前を教えて頂きました』

『それが何だ?』

 

 と、リュグナーの応えは素っ気ないものばかり。会話らしい会話が続いたことがない。話しかけても相手にされないとすぐに学んだ。ハイターと楽しく話した後なので余計に寂しく感じたものだった。

 

「それで?」

「はい。魔法使いに必須な要素が三つあって、それを――」

 

 しかし、魔法の事なら返事がある。

 リュグナーは自分の事を魔族を名乗れぬ落伍者と言っていたが、魔法への執着が強いのは変わらない。魔法の事なら話を聞いてもらえる。リュグナーと話が出来るのが嬉しかった。

 

「フリーレンからゾルトラークを学んでいるのはわかった。だが飛行魔法は学ばないのか? 魔族の魔法だったが、これもフリーレンが解析したはずだ」

「フリーレン様は幾つも手を出すのは良くないと言っておりました。それに飛行魔法を覚えてもリュグナー様を倒せません。それと……」

「なんだ?」

「いいえ、何でもありません」

 

 勿体ぶった言葉にリュグナーは眉間に皺を作ったきりで、重ねては問わなかった。

 フェルンは自分に突き立てる刃を研いでいるわけだが、止めろとは言わず好きにさせている。いつか届くかも知れない。届かないかも知れない。刃を向けるかどうかもわからない。実際に向けられたら反撃するだろう。

 その時に己は何を思うのか。殺したくなるのか。それともこれまでそうだったように、何も思わず反撃するだけなのか。数多の書物を読み漁っても、自分の事すらわからないでいる。

 

 

 

 リュグナーに拾われた時は肩より短かったフェルンの髪が、今やリュグナーより長くなった。真っすぐ下ろしてばかりだが、編み込むことも稀にある。

 

「リュグナーは昨日と今日のフェルンに違いがあるのがわかりますか?」

「人間の成長が早いのはわかる。だが、たったの一日で何が変わる?」

 

 ハイターは無言で首を振った。

 

 

 

「魔法ばっかりじゃなくて魔族の事も教えておくよ。まだ必要ないけど大魔族の名前と魔法は全部教えるから。魔族も色々だけど、例外なく嘘吐きだ。魔族は人を欺くために言葉を覚えたって言うくらいだからね」

「はい、リュグナー様は嘘吐きです。わかりきった嘘を吐いたのを聞いた事があります」

 

 フリーレンがフェルンを見る目は胡乱だった。本当にわかっているのかと聞きたくなるが、フェルンの目は真剣である。

 

 

 

 フェルンがリュグナーに連れられてハイターの家に行く日はフリーレンから魔法を学ぶ。行かない日は石の家で自習する。フリーレンから学んだことを振り返り、リュグナーの魔力制御を見て自分の至らない点を再確認し、部屋の掃除をしたりご飯を作ったり。

 ハイターの家に行く日はいつも夜明け前なので、フェルンの朝は早くなった。

 朝起きて顔を洗ったら、日課の水汲みに行く。一度に汲める量は、幼かった頃に比べて大分増えた。

 水を汲んだら冷たい川の水に手を浸し、心を静めて魔力を意識し、

 

「こんなところにいたんだ。結構近いね」

 

 静めた心を現世に戻せば、川面に浮かぶフリーレンがいた。

 

「フリーレン様? どうしてこちらに? 魔導書の解読はよろしいのですか?」

「気分転換。フェルンが暮らしてるところも気になったしね」

 

 フリーレンはそう言って、フェルンの隣に降り立った。このままリュグナーとフェルンの家まで一緒に行くつもりらしい。

 フェルンとしては歓迎するが、リュグナーはどうだろうか。それにフリーレン自身が「魔族のところに行くのは絶対嫌」と言っていた。気が変わったのか、それともフリーレンなりにリュグナーを認めているのか。フリーレンがリュグナーを知った日から今日まで、リュグナーが一度も死臭をまとった事がないのは事実だった。

 

「……廃墟の一歩手前だね」

 

 石の家を見たフリーレンは開口一番にそう言った。

 森の木々に囲まれている事もあって石壁は苔むしている。窓はフェルンが頑張って磨いても曇りが取りきれない。ドアだけは毎日開け閉めされているので、そこだけが生きているように見えた。

 

「でも壁が厚いので中は大丈夫です。お掃除もちゃんとしているから綺麗です」

「リュグナーが掃除なんてするわけないよね。フェルンがしてるの?」

「はい」

「うわ、かび臭い。こんなところに住んでたら病気になるよ?」

「……大丈夫です」

 

 中に入るなり、フリーレンが呻く。

 フリーレンの言葉通り、フェルンは熱を出して寝込んだ事がある。正直に答えたら追撃されるだけと思って何も言わなかった。

 

「リュグナーがいるだけなら放っておくけどフェルンも住んでるところだからね」

「わあ……」

 

 フリーレンが幾つか魔法を行使して、家の中の湿気を追い出し窓ガラスの曇りを取る。とっておきのカビを消滅させる魔法まで使った。

 フェルンは存在を知ってるだけの民間魔法だ。戦闘には全く役に立たない魔法であるが、魔法の収集こそがフリーレンが生涯を捧げるものである。中にはどこで使えばいいのかさっぱりわからない魔法もあるが、魔法であれば何でも良いのがフリーレンである。

 

「で、リュグナーは?」

「……奥で読書をしています」

 

 寝ていなければ、瞑想するか読書をするかがリュグナーの日常だ。

 リュグナーの読書を邪魔したくないフェルンだが、フリーレンの求めを断れない。奥の部屋に案内すれば、幾つもの本棚に囲まれた真ん中で、リュグナーが椅子に座って本を開いていた。フリーレンは、ほんのちょっとだけ敗北感を覚えた。

 本は全て本棚に収まり綺麗に整理されている。魔導書を解読中のフリーレンは、本棚から抜き出した本を床に積んだままにしている事が多く、フェルンやハイターに片付けられていた。

 自分は魔導書を解読中で忙しいからと誰にともなく言い訳をして、フリーレンはリュグナーに近付いた。

 リュグナーの魔力が僅かに高まるのをフェルンは気付いたが、フリーレンは何も気にせず問いかけた。

 

「魔族が何で本を読むの?」

 

 リュグナーは少しだけ本から顔を上げ、フリーレンの顔を見た。次いでフェルンの顔を見てから再び手元に視線を落とす。無言で自身の固有魔法を行使した。

 リュグナーの固有魔法は血を操る魔法。但し、赤い刃はフリーレンに向かわず、フリーレンも構えなかった。自在に伸びる固形化した血は本棚から一冊の本を抜き出し、フリーレンに向けて投げつけた。

 この魔法があるからリュグナーは本を片付けられるのだ。フリーレンは自らをそう慰めた。

 

「これは……魔導書? ふーん、魔法は載ってないけど魔力制御について書いてあるね。これを応用すれば魔力を制限しても揺らぎが抑えられる」

 

 魔力を制限して顕現する魔力量を抑えても、魔力の揺らぎを隠しきれない。その揺らぎから相手が魔力を制限しているか否かを探ることが出来る。それを抑えられるならば、魔力の完璧な隠蔽が不可能ではなくなる。

 魔導書の内容はフリーレンにとって大半が既知のものであったが、初学者から熟練者にまで有用なものであると認められた。

 

「私がここを見付けて初めて読んだ本がそれだ。他に有用な魔導書がないか探していたらこの様だ」

「あったの?」

「ない」

「餌に釣られて罠に引っかかったわけか」

「だろうな」

 

 リュグナーの声も顔も苦々しい。更なる力を求めて魔導書を探していたら、余計な知識を身に着け余計な疑問を抱くようになった。魔族として非常に忸怩たる思いであるが、抜け出せない。抜け出す術はないかと探せば一層の深みにはまった。

 

「それで人を殺さなくなったんならいいんじゃない?」

「殺さないではない。殺していないだけだ」

「その時は私が殺すよ?」

「リュグナー様が殺すのも、リュグナー様を殺すのも私です」

「いつか出来るようになるよ」

「ふん」

 

 リュグナーは鼻で笑って取り合わない。

 フェルンは相変わらず矛盾した事を真面目に言っている。

 フリーレンは何度も繰り返したやり取りに両手を上げた。

 

 フリーレンが知る限り、魔族が人類への殺人衝動を抑えきれなくて凶行に至った例はない。魔族はいつだって意味もなく人類を殺す。そこに意味を求めるようになったリュグナーはフェルンを殺すだろうか。

 極限まで飢えるか、或いはフェルンがリュグナーを殺そうとするか。そのどちらかであれば十分あり得る。現状では、そのどちらも考えにくい。

 フェルンのためにも今がずっと続けばよいと思う。

 同時にいつまでも続くものではないと知っている。続かないから勇者は死に、ハイターは老いた。

 まだ子供のフェルンがわからないのは当然だ。

 遠からずハイターが教える事だろう。日ごとに衰えるハイターを見て、フェルンも薄々は悟っているはずなのだ。

 その時にフェルンの手を引いて上げられれば良いが、自分には荷が重いとフリーレンは自覚していた。




十話進捗41字
九話で消耗したので本日は休養日に
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