広い書斎で断続的にペンが走る音がする。窓の外は暗く、ランプの明かりが白い美貌をぼんやり照らす。
ふと、フリーレンが窓の外を眺めれば雨が降っていた。翌朝の二人は雨に濡れて来るのだろうか。フェルンはすっぽりと外套を被されるだろうが、リュグナーは濡れるだろう。あの魔族はそういう事に頓着しない。魔族は体が丈夫なのだ。
顔を上げたタイミングで書斎のドアが鳴った。この時間帯にノックするのは家主だけだ。自分の家なのに断ってから入ったきたハイターが、フリーレンを労った。
「そろそろ休んではどうですか? 書いたものがまた分からなくなりますよ?」
「……そういう事は言っちゃダメって教わらなかった?」
フリーレンは書き物の途中で寝てしまい、自分が書いた紙面に涎を垂らして判読不能にした事が何度かあった。
「忘れました。年を取って良いことの一つが恥を恐れなくなった事ですね」
「カウント1。ハイターが相手でもまだ有効だからね?」
フリーレンを年寄り扱いすると貯まるカウントである。3つ貯まるとフリーレンは泣き喚くのだ。三日三晩に渡って。
泣かれては敵わないとハイターは直ぐ様謝罪したが、フリーレンは受け入れなかった。これでもハイターの十倍以上生きている。
七十年前と変わらないフリーレンに、ハイターは柔らかく笑った。皺が深くなり、七十年をフリーレンに再認識させた。
「そんな事言いに来たわけじゃないでしょ? フェルンのこと?」
不老のエルフであるため、フリーレンは物事の捉え方が人間とは違う。しかし、目下最大の懸念はハイターと共通していた。
「ええ。僧侶の私では魔法使いの魔法は勝手がわからないのです。優れた素質を持つのはわかるのですが、フリーレンから見てどうですか?」
「月一でも間に合ったかもね」
「……それは大したものですね」
「うん」
月に一度魔法を習うだけでは、五年が五十年になっても一人前にはなれないとフリーレンは突き放した。その結果、フェルンは二日に一度ハイターの家に通うことになった。
それが月に一度でも五年で足りたとするなら、フリーレンの見込みの十倍の速度で成長している事になる。
「凄く気に入らないけどリュグナーの影響だね。フェルンは魔法を覚える前に徹底的に魔力制御だけを自分に叩き込んだ。鉄は熱い内に打てって言うのはその通りみたいだ。私が魔法を覚える前なんてもう忘れちゃったけど、始めに魔力制御を覚えるのがこんなに有効だったなんて思わなかったよ」
「リュグナーに届きますか?」
「そろそろ一人前の魔法使いって言ってもいいけど、リュグナーを真正面から破るなら後十年。最低でも七年」
「真正面からでなければ?」
「五十年経っても無理」
「そこまでですか?」
ハイターが初めてリュグナーに会った時、老いた自分でも何とか追い返せると思った。フリーレンの話もそれを裏付け、リュグナーの魔力はハイターの最盛期の半分以下と推定したと聞かされた。
フリーレンの予測の十倍の早さで成長し、早くも一人前を名乗れそうなフェルンが五十年の研鑽を重ねても届かないとは考えにくい。
フリーレンは心底嫌そうに溜息を吐いた。
「リュグナーは私と正面から当たって逃げおおせた。その後一撃当てて来たよ。私は魔力障壁で無事だったけど、あれが出来ない魔法使いは死んだんじゃないかな。強いんじゃなくて巧い。知恵を付けた魔族があんなに厄介だなんて思わなかったよ。今のリュグナーが魔王に入れ知恵してたら私たちは倒せなかった」
魔族は強靭な種族だ。自分たちの魔法に強い自負がある。それが驕りとなって、他種族を見下す傾向がある。しかしリュグナーによって驕りが削ぎ落とされ知恵を付けたらどうなるか。魔族の脅威が数倍に跳ね上がるとは想像に難くない。
只でさえ人類は魔族の脅威を克服出来ていない。リュグナーの存在はそこに大きな一石を投じる可能性がある。
リュグナーを知れば知るほど、早く殺した方が良い様に思える。同様に、知れば知るほどリュグナーが人類を殺すとも思えなくなる。そこを後者へ大きく傾けるのがフェルンの存在だ。
だとしても、リュグナーが他の大魔族に取り込まれたら意味がない。魔族は魔力量を絶対視するため、より強大な魔力を持つ魔族に隷属するのが魔族の性質である。魔王はそうして魔族を束ねた。そうすると、やはりリュグナーは一刻も早く殺した方が良い。
「フリーレンの思うようにはなりませんよ」
「なんで?」
フリーレンの懸念はハイターにもあった。フリーレンほどにリュグナーを脅威と思ったわけではないが、他の魔族に取り込まれる可能性は考えた事がある。
「大魔族が近付いて来たらリュグナーは距離を取るでしょう。同族であろうと仲間意識がないのは魔族らしいですね。それと、おそらく、ですが……」
「なに?」
勿体ぶったわけではないが、ハイターは言葉を区切った。リュグナーと初めて会った時のことを思い出している。
「リュグナーは他の魔族を手に掛けています。自分が得た知識を伝えるつもりはないとみました」
あの日、リュグナーは左手が落ちたフェルンを連れてきた。切断面は非常に鋭く、事故で出来る傷ではない。刃物だとしたら、それこそ勇者の域にある技がいる。とすれば魔法。リュグナーではない。人類の魔法使いだとしたら、リュグナーに死臭がなかったのは不自然。必ずや敵を排除したと思われるからだ。とすると、他の魔族による魔法との結論が得られた。
リュグナーにもフェルンにも直接確認はしていない。しかし、それ以外にないと思われた。
「魔族を殺す魔族か。それも聞いた事ないね。魔族同士じゃありふれてるのかも知れないけど。リュグナーの事はいいよ。それよりフェルンのこと。私が聞いても同じことしか言わない。ハイターには?」
ハイターは無言で首を左右に振る。
フェルンをリュグナーから引き離そうと思っても、「リュグナーを殺すのは自分。リュグナーが殺すのも自分」と言って譲らない。ハイターが初めて会った日から今日までずっとそうなのだ。ハイターは言葉の無力を痛感していたが、フリーレンは楽観していた。
「その内わかるし、フェルンも薄々気付いてるはずだよ。ヒンメルはわかってた。ハイターだってそうでしょ?」
ヒンメルはフリーレンたちを率いた勇者である。ハイターの幼馴染でもあった。今はもういない。ヒンメルはフリーレンの時間が自分たちとは違うことを知って尚、フリーレンとの再会を待ち望んでいた。
「それはそうですが……」
「だったら大丈夫だよ。心配ばかりしてると寿命が縮むよ? 聖典には健やかに生きよってあったんでしょ? 余計なこと考えてないでさっさと寝たら? 明日も二人が朝から来るんだし」
「その言葉をそっくりそのままお返ししますよ」
書斎の机で寝落ちしたフリーレンを、翌朝早くに訪れたリュグナーが摘まんで放り出す事が何度となくあった。一触即発の事態に陥ったためハイターが仲介し、以降はベッドに移動させるよう頼んだ経緯がある。フリーレンには苦い過去であったようで、嫌そうに顔を歪ませた。
欠伸をしながら書斎を後にするフリーレンを見送り、ハイターはランプの灯を消す。暗がりの中で、自分の懸念はフリーレンに伝わっているだろうかと考えた。
フェルンが一人前の魔法使いとなるのは喜ばしい。魔族であるのにリュグナーから危険を感じた事がないのも驚かされる。魔族に適切な教育を施せばいつか共存出来るかも知れないと思わされたが、そこがまず不可能だ。魔族に横のつながりはなく、どこで生まれるかもわからない。かつてヒンメルたちと旅をしていた時、魔族の少女に会った事を思い出す。少女魔族は罪を重ねてヒンメルが処断したが、もしも目を離さず教育をしていたらと思ってしまう。魔王を倒す旅の途中であった自分たちには不可能だったのだが。
問題は、フェルンがリュグナーから離れない事にある。フリーレンはヒンメルと自分の名を挙げたが、魔王を倒す決意を秘めた勇者と、ただの少女を同列に並べてよいものではない。
確かにいつかはわかる。わかった時にフェルンがどう受け止めるかが問題だ。
ハイターは自分の手の皺に目を落とす。その時に自分がいられれば良いが、時間がない事はハイターが一番よく自覚していた。
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幼い頃は太陽が昇る前に起きるのが辛かった。それから何年も経って成長し、朝が早い生活に適応した。体質的に朝に強いのもある。
今やフェルンは眠い目を擦ることなく、うつらうつらと船を漕ぐこともなく、覚醒した意識でリュグナーに抱き上げられハイターの家までを連れられる。
この世で最も安全な場所に心が安らぎ、間近にある整った顔に見入ることもあり、妙な高揚を覚えることもあった。それも隔日となれば習慣だ。どんな事であれ慣れるものである。早起きが苦にならなくなったのと同じだ。朝焼けに輝く森を見下ろす余裕が、フェルンには出来た。
暗い空に藍色が滲み、東の空が赤く染まったと思ったら黄金の光が森を照らす。いつ見ても神秘的で美しい光景だ。
曇りの日は仕方ない。雨の日だと申し訳なく思う。
自分は頭からつま先まで外套に包まれるのに、リュグナーは雨に打たれる。リュグナーも外套を被ったらと言ってはみたが、邪魔だの一言で跳ね除けられる。
自分だけ雨に濡れない事に、フェルンは的外れな罪悪感を抱いた。心が温かくなる事もあった。リュグナーの態度も表情も全く変わらないのだけれど。
それが最近になって、気恥ずかしくなってきた。
「いつも私を抱き上げるのはリュグナー様の腕が疲れるのではないでしょうか?」
「何を言っている? お前が倍の重さになっても何の問題もない」
「私はそんなに重くなりません」
「ならば何が問題だ?」
今でこそフェルンを抱き上げて行き来するだけだが、月一でハイターからの食糧提供を受けていた頃は今のフェルンの倍以上の重さを吊るしたり背負ったりしたものだった。魔族は人類より膂力がある事もあって、全く問題ではない。
「リュグナー様に私を背負っていただいてもよろしいでしょうか? そうしたらリュグナー様の腕が……」
「背負う? 落ちんだろうな?」
抱き上げるならリュグナーの手でフェルンを保持出来るが、背負うとなればフェルンが自身の腕の力で捕まらなければならない。落ちるのではとリュグナーは危惧したが、一方のフェルンは背負う案の致命的な欠陥に気が付いた。
女子の成長期は男子より早い。フェルンは未だ少女であるけれど、幼かった頃に比べて随分と背が伸びた。フリーレンの背丈を超えたのはいつだったか。これから成人するまで極端に伸びる事はもうないと思われる。
体の線も変わってきた。そこかしこが女らしい丸みを帯びてきた。こちらは身長と違って成長が続くようだ。
それをリュグナーに背負われてしまったら、そんなところを押し付けることになる。絶対に出来なかった。
「……これまでと同じようにお願いします」
フェルンの声は消え入るようだった。
今の提案が何だったのかと疑問に思うリュグナーであるが、一瞬後には忘れる小さな疑問だ。
フェルンが小さかった頃は荷物のように抱え持ってから持ち直した。背が伸びてから同じようにすると不安定である。
まずはフェルンの前に片膝立ちとなって、立てた膝の上にフェルンを座らせる。フェルンが尻をつけないよう中腰で震えるのが、リュグナーには不思議だった。
そうしたら背中に手を添えて体を支え、揃えた膝裏に腕を差し込み立ち上がる。そこでフェルンが首に掴まれば更に安定するのだが、最近のフェルンはしなくなった。腕に座らせた頃は縋りつくように掴んだものだったが。
横抱きにされたフェルンは体の前で両腕をたたみ、なるたけリュグナーの体に触れないよう身じろぎする。
睨むほどではないが、不快そうな視線が下りてきた。
「しっかり掴め。落ちる」
「……はい。申し訳ありません」
フェルンはおずおずとリュグナーの首に腕を回した。リュグナーはフェルンを抱え直して、フェルンの体がリュグナーの胸に触れる。
フェルンはこっそりリュグナーの顔を伺うけれど、魔族の鉄面皮は変わらない。独り相撲が恥ずかしくなって視線を彷徨わせた。
飛行中にうっかりフェルンを落として死なせでもしたらフリーレンが乗り込んでくる。住処を知られているため、石の家に残した未読の数百冊は諦めざるを得ない。ハイターの蔵書もまだ半分以上が残っている。
人間は死に急ぐものと思ったが、こんな事で死なれるのは大変不本意である。
「あ! あそこが魔法の練習をしているところでございます」
夜明け前の明るくなりつつある時間。森は深い青の中で眠っているが、開けた地形は良く見える。
フェルンが指し示したのは、切り立った崖に挟まれた渓谷である。
興味を引かれたリュグナーは一方の崖に降り立った。ハイターの家に着く時間が少し遅れるだろうが、ここからなら歩いてでも行ける距離。それに、どうせあのエルフはまだ惰眠を貪っている。
「こちらに来たのは初めてでございます。この一番岩を向こう側から貫くのがフリーレン様から出された課題でした」
偶然転がって来たのだろう。ゴツゴツとした岩肌の上に大きな岩が一つだけ立っていた。
岩には無数の穴が穿たれている。穴の大きさは指が入る程度の小さなものから拳大まで様々だ。幾つかの穴は表から裏まで貫通している。
対岸まではかなりの距離がある。人の脚で飛び越えられるものではない。この距離を挟んで岩を穿てるなら、一人前の魔法使いとして良い様に思えた。
結論として、自分を殺すにはまだ遠いとリュグナーは判断した。
岩を穿つ程度では魔法で生成した血の盾を貫けない。貫くか、或いは盾で防げなかったとしても、拳大の穴なら自身の魔法で復元出来る。
但し、射程を考えると不利である。一般攻撃魔法は長距離魔法に属し、リュグナーの魔法は射程が短い。遠隔操作出来るのは大きな利点だが、事前の準備がいる。
ここのように遮蔽物がない場所も不利だ。防戦一方になりかねない。
フリーレンと森の中で遭遇した時、彼女を攻撃したのは紛れもなく殺傷するためだ。フェルンはそこへ近付こうとしている。有意に殺すには、攻撃者の能力がいるのだろうか。
「私を殺す技を磨いているわけだな」
「……その通りでございます」
リュグナーにとっては単なる事実確認。何年も前からフェルンが言い張って来た事だ。なのにフェルンは即答出来なかった。
そこにどんな考えがあるのかリュグナーは知らない。わかっているのは、寄り道のせいで到着時間が遅れている事。ここからは歩いて行ける距離だが、目の前に深い渓谷がある。魔族の脚力なら飛び越えられても、フェルンでは無理だ。
リュグナーは一々抱き上げて飛行する労を惜しんだ。
「来い」
「えっ?」
フェルンには何が起きたかわからなかった。ただ、リュグナーに腕を掴まれ強く引かれた。それから全身が包まれる。抱き締められたとわかったのはたっぷり三十秒は経った後。その時にはもうリュグナーの腕から解放されていた。
呆然と周囲を見回せば崖の向こうに一番岩が見える。途中で感じた浮遊感らしきものは、どうやら抱き締められたまま渓谷を飛び越えたらしかった。
フェルンはその場で膝を突いた。
「どうした? ここからは歩くぞ」
「リュグナー様の……」
「なんだ?」
「……いいえ、何でもありません。ハイター様の家まで向かいましょう。フリーレン様が起きているかも知れません」
「あのエルフが起きてるものか」
ところがフリーレンは起床済みだった。月に一度、いや三か月に一度あるかないかの快挙である。
ハイターとフェルンはちゃんと起きたフリーレンを褒めそやし、それをリュグナーは醒めた目で見ていた。自分たちの到着が遅れたのを「寝坊した?」と言ってくるフリーレンが鬱陶しかった。
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その夜、フェルンは中々寝付けなかった。何度も寝返りを打ち、枕に顔を埋める。静かな夜なのに心臓の鼓動がやたらとうるさい。
魔法の使い方がやや変則的ながらもフリーレンから一人前であると認められた。フリーレンが解読中の魔導書はもう少し時間が掛かるようだ。一つ目の時間との勝負は、一先ずフェルンに軍配が上がった。尤も、リュグナーを止めるほどの力を得たかと云ったら否である。フリーレンは後十年掛かると言っていた。気を緩めず研鑽を続けなければならない。
尤も、気持ちが高ぶって眠れないのはそれ以外が原因である。リュグナーに抱き締められたからだ。
リュグナーにそんな意図はない。全くない。おそらくないとフェルンはわかっている。渓谷を飛び越えるために手間が掛からない方法を選んだだけのはずだ。そうに決まっている。リュグナーがそんな事を考えるわけがないとわかっているのに、気を抜くと思い出してる自分がいた。思い出している事を自覚すると顔が熱くなった。
日中ならフリーレンからの教えでそんな余裕はないのだけれど、夜になって石の家の自室に戻ると余裕しかない。
これが明日の夜であれば翌朝のために早く眠らなければと思えるが、明日は自習の日である。稀にフリーレンが顔を出すこともあったが、十日前に来たばかりだ。一度来ると、最低でも二か月は空ける。
つまり今夜のフェルンは、少しだけ夜更かしする余裕があった。余裕があるからこそ何度となく思い返してしまう。無意識に思い出す事があれば、意識的に思い出すこともあった。
力強くて広い胸だった。抱き上げられるのはいつもの事でも、正面から抱き締められるのは初めてだったのだ。
ベッドの中で悶々とし続ける。一向に眠気が訪れず、これは頭を冷やした方が良いと判断した。ベッドから降りてドアを開けた。
左に行けば外。一般攻撃魔法を習熟しつつあるフェルンは、今更夜の森を恐れない。
右に行けば奥の部屋。ドアの隙間から明かりが漏れている。吸い寄せられるように近付いた。
静かにドアを開ければ、ランプの小さな明かりを頼りに、リュグナーがいつもの椅子に座っていつものように本のページを捲っていた。
フェルンが読書中にじっと見られれば気になってしまうが、リュグナーは直接的な邪魔をしなければ何も言わない。幼い頃は、読書するリュグナーの隣で魔導書を広げ、わからない事を拙い言葉で尋ねたものだった。
「リュグナー様はどうして本をお読みになるのですか?」
思わず聞いていた。何年も何年も見続けた光景であり、リュグナーが本を読むのはそう云うものだと思っていた。けれど、石の家の蔵書を片端から読み漁り、ハイターの家でも蔵書を読み漁るのは、今更ながら異常に思えた。
魔族なら本を読むより魔法の研鑽をするのが普通であるらしく、魔族でなくとも魔法を使うなら魔導書以外を乱読することはない。
それをリュグナーは何年も続けている。おそらく、フェルンが知るずっと前から。
「何かわかる事があるのでしょうか?」
リュグナーからの答えはなく、フェルンは続けて尋ねた。答えはないが、ページを捲る手は止まった。
フェルンが何かを問いかけても、リュグナーが興味を抱かない事ならば素っ気ない言葉しか返ってこない。何も返ってこない時だってある。
今夜もそれだと思って、フェルンが部屋に戻ろうとしたところで低い声が答えた。
「何がわかるかわかっていれば、誰がこんなものを読むか」
吐き捨てるような言葉だった。恨みと憎悪が練り込まれ、フェルンの足を竦ませた。
が、リュグナーに害意がないのはわかっている。フェルンは心を奮い立たせて言葉を繋げた。
「本当はお読みになりたくないのですか?」
「当たり前だ。お前も魔法を覚えたならわかるだろう? こんなものを読むより魔法の研鑽をした方が遥かにいい」
「でしたら……」
だったら何故読むのか。そう聞こうと思って、同じことを既に聞いていた事を思い出した。
ややあって、ページを捲る音が再開した。
突然、フェルンはわけもわからず苦しくなった。悲しくもあり、切なくもあった。目の前の魔族が哀れに思えて仕方なかった。
リュグナーはずっと苦しんできたのだ。それを苦しみとは思わず苦しみ続けている。きっと、フェルンが知るずっと前から。
「何だ?」
「……お邪魔でしょうか?」
「好きにしろ」
「はい。好きにさせていただきます」
フェルンは、椅子に座るリュグナーの背に、そっと抱き着いた。
何年も一緒に暮らしているけれど、自分からリュグナーに触れたのは初めてかも知れない。
リュグナーにとっては不本意でとても的外れな考えなのかも知れないけれど、フェルンは母の仇のこの魔族を、守ってあげたくなった。苦しむ必要はないと教えたかった。
フェルンの言葉はまだ拙く、どう伝えればいいかわからない。代わりに体が勝手に動いた。
リュグナーは拒否しなかった。
フェルンが自覚したその夜、ハイターが倒れた。
次回タイトル回収回
9日の19時までに十話が出来るだろうか
明日は丸一日拘束されるわけじゃないはずだから大丈夫と思いたい