その時、後のラインハルト・フォン・ローエングラム(当時は旧姓ミューゼル)は孤独だった。
軍務に限らず私生活までも共にしてきた赤毛の友人は、両親の元で精霊降臨祭を過ごすべく、実家に1泊していた。
そう成ると、意外と趣味人でも無い「天才少年」は時間の使い方に困惑する。
1人、対戦相手もいないチェスを指したりしていた。
その退屈を破る着信音に呼び出されると、画面の向こう側に姉の友人の1人が現れた。
挨拶。前フリ的な雑談。それから本題らしきものが始まった。
「グリンメルスハウゼン子爵に招待されているそうね」
この場合、いくら天才でも「ヤー」以外には返答しようも無い。
「でもね」何故か戦場でも感じた事の無い危険信号を感じた気分がする。
こうした公式の席ではレディをエスコートするのが公式だ、と言われて年齢相応の感情が態度と表情に出て仕舞った。
「あらあら。私を連れて行って、と言ってる訳では無いのよ。
でもね、ジークに面白い事を言われたそうね。恋をするのも暇つぶしの方法とか」
いよいよ困惑する「天才少年」に追撃が仕掛けられる。
「心配しなくても、ケーキを相手に恋愛をする積もりはないそうね。
アンネローゼのケーキは大好物なのに」
何が言いたい?
「確かに可愛い娘だけれど、中身は賢い娘よ。
男なら貴方の参謀ぐらい務まるわ。
少将よりも、もっと出世してからもね」
初めて微(かす)かながら好奇心を刺激された。
……リンベルク・シュトラーゼは帝都オーデインの中心市街を循環する環状道路だった。
皇宮と其れを取り巻く貴族の邸宅群を其の外側から守る様に囲っている。
これは例えでは無く、この大通りは環状の内側を守る武装憲兵の出動路として整備されており、その兵舎は環状道路に沿って多角形に配置され、正門を大通りに直通させていた。
しかし、環状道路の直ぐ外側には普通の人々の普通の生活が存在し、大通りからホンの1区画だけ外側では、元大佐の未亡人が若手士官を下宿させたりしている。
その下宿の前に、むしろ内側を走っていそうな地上車が迎えに来ていた。
通常、男爵夫人とかを乗せていそうな運転手と屋根の付いた車とは対極に位置しているが、しかしマグダレーナ・フォン・ヴェストパーレと言った明朗活発な淑女ならば、むしろ、こうした車を自ら操縦している方が似合うかも知れない。
通常、こうした車は実質的に2人乗りだが、この車は何故か一応ながら後部座席を有していた。
その後部座席に若い2人を乗せて、男爵夫人は子爵邸まで地上車を走らせた。
……ラインハルトが、こうしたパーティーの類をこれほど楽しんだのは、もしかしたら今回が初めてだったかも知れない。
ジークフリード・キルヒアイス以外で初めて完璧に会話が通じた、その意味では最愛の姉ですら子供のまま甘えるだけだったラインハルトにとっては、ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフは2人目の話し相手だった。そんな話し相手が隣に居れば、退屈する理由も無い。
無論、友とだけ共有している秘密を今日出会ったばかりの名門貴族の令嬢に気付かれる程ウカツな積もりも無いが、これまでの、ただ出席しているだけで誰も会話する相手すら居なかったパーティーがウソの様にラインハルトは楽しんでいた。
楽しんだ結果としてラインハルトは、実際に飲んだ酒量以上に心地よく酔った。
伯爵邸から迎えに来た車にヒルダを引き渡した後は、1人テクテクと夜道を歩いて帰宅したが、主観的には丁度いい酔いざましだった。
実の処「いけすかない相手」の1人の筈であるリューネブルク少将も招待されていた事も忘れ、まして夫人の介抱のために退場した事などには気付かない程だった。
今1人、去年の憲兵本部に出向させられていた時期に記録と名前だけは注目していた、とある人物が会場を警備していた事にも気付いていない。
その人物と直接に面識を持つのは、グリンメルスハウゼン大将の使者としてイゼルローンまで訪問して来た時だった。
結局、この日のラインハルトは1人との出会いだけに終わった、とも言えるだろう。
そして、この見た目だけなら小さなエピソードは、ローエングラム王朝の「正史」に残る事に成る………。
……。
…イゼルローン要塞の陥落後、ローエングラム元帥府。
「……覇業を成就されるには、さまざまな異なるタイプの人材が必要でしょう。AにはAに向いた話、BにはBにふさわしい任務、というものがあると思いますが」
………。
「結構、キルヒアイス提督だけを腹心と頼んで、あなたの狭い道をお征きなさい」
………。
「……光には影がしたがう……しかしお若いローエングラム伯爵にはまだご理解いただけぬか」
「オーベルシュタイン大佐」若い金の獅子が数秒間の沈黙を破った。
「私にはキルヒアイス以外の協力者も居る。
卿が私に売り込んで来た様な分野の事でも恐らくは好い相談相手であり、その知謀は1個艦隊に勝る」
「ほう?」
初めて、この冷徹な義眼の大佐も意表を突かれた様だ。
「それでも手駒には不足しませぬかな。貴方が手に入れようとしている物は恐らく大きい。
駒はより多くおそろえになったほうがよろしいかと存じます。たとえ汚れた駒でも……」
「誤解して欲しくは無いな。大佐」
ラインハルトは断言した。
「私は私の望むものを盗みたいのではない。奪いたいのだ」
……ウルリッヒ・ケスラーは3年の任期を待たずして、辺境星区から呼び戻された。
ローエングラム元帥府を開設して人事権をある程度まで取得出来た事に加えてイゼルローン陥落と言う突発事態の成り行きから、当時の上位者だった3長官に貸しを売った形に成った結果である。
ラインハルト自身とキルヒアイスたちが軍事力を用いて攻勢に出ている其の背中や足下を防御させる、その面を含めて相談役としては信任している。
非公式の相談役から元帥府出仕の文官待遇とする際には、彼女が伯爵令嬢である事が遺憾ながらも役に立ったのが帝国の現体制だったが、その相談役とも協議した結果、やはり実行に当たる実務者としてケスラーを呼び戻して元帥府に所属させた上で、その元帥府から憲兵本部に出向させる形式とする、と結論付けられた。
そのケスラーとヒルダの人事、そして件の参謀志願の策謀家が、せめて要塞陥落の泥をかぶる犠牲者からは救出した処で、とりあえず3長官3人分の貸しは買い戻された形に成った。
とは言え、すでにヒルダとケスラーに其の方面の防御を期待していて、今更あれほど効き目の有り過ぎそうな劇薬を抱え込むかは別な話だった。
それに3長官との貸し借りも、どうせ今だけの積もりだと心底では想っていた。
時間の問題、と言うのが本音だった………。
……。
…ケスラー憲兵総監は忙(いそが)しい。
憲兵総監と帝都防衛司令官の兼任に加えて、結局のところ帝国宰相ローエングラム公爵(当時)は社会秩序維持局を廃止してしまい、その管轄していた秘密警察の任務まで憲兵隊に引き継がれていた。
ケスラーの有能さと真摯さが任務の重さには耐えられても、身体は1人分しか無い。
防衛司令官としての任務対象が惑星オーディンから惑星フェザーンに移転した機会に、自分の権限の見直しを部下への適当な委譲も含めて検討せざるを得なかった。
それでもケスラー自身の責任で最終チェックするべき微妙な問題だらけなのが、こうした任務だった。
そうした問題の1つが、とある通信の監視である。
帝都フェザーン駐在の高等弁務官と恒星系1つだけの自治共和国、および現状では惑星エル・ファシルの衛星に成っているイゼルローンとの。
この自治共和国との停戦から帝国と相互の国家承認に至る条件の1つとして皇帝本人が持ち出したのが、初代弁務官の直接指名だった。
それだけに「この」通信の傍受には、皇帝の名誉と言う微妙な問題が付随していた。
しかし、皇帝から指名されてフェザーンに駐在している「奇蹟の魔術師」には、ケスラーですら解釈に困惑させられていた。
傍受されているのを承知でワザと振る舞っているのか?それとも本当に鈍感なのか……
そんな忙しい「大佐さん」を心配する年下の恋人を、カイザーリンは友人として心配していた。
ただし、何処か暖かく。
実のところ彼女自身も、トンデモなく貧乏性の恋人を選択して仕舞った事は自覚していたのだから。