その日、国務尚書リヒテンラーデ侯爵は皇帝フリードリヒ4世の「ご意見」を伺(うかが)いたかった。
もう既(すで)に、主君であり執政者である筈の相手を、執務室などでも無くバラ園に探す事にも慣れていた。
現状「首相」が悩まされている案件の1つが「新ティアマト星域会戦」の後始末である。
戦役には勝利し、叛乱軍には大損害をくれてやって追い返した。
だが大勝利したからこそ、ローエングラム伯爵に悩まされていた。
伯爵は自分の手柄よりも部下たちの武勲を主張している。
もっとも彼自身は既に帝国元帥だから軍での階級としては、もう昇進させようが無いが、その代わりかどうか知らないが、元帥は腹心でもある最大の殊勲者を、大将を飛び越えて上級大将に昇進させるよう要求していた。
元帥府に出仕する中将たちの中でも最も若く、中将に昇進したのも他より遅かったのも黙殺して。
それに値するだけの武勲を立てているから始末が悪い。
追い抜かれる他の中将たちにしても、元帥府に招いた時点で中将だった2人には大将への昇進を、元帥府に招いた時点で少将から抜擢した残り5人の中将には、本来は大将以上への礼遇である専用旗艦を与えるよう要求していた。
繰り返すが、それだけの武勲を立てているから始末が悪い。
国務尚書が恐れているのは、ローエングラム元帥府が帝国軍内部の派閥として、これ以上に肥大する事だ。
自分の腹心である財務尚書ゲルラッハ子爵などは
「たかが成り上がり者ひとり、いつでも料理できます。
吾々に必要なうちは、奴の才能を役立てようではありませんか」
などと楽観的だが、国務尚書は悲観を捨て切れなかった。
「叛乱軍が死滅したとき、あの金髪の小僧も倒れる」
その時「ルビコンを渡る」最初からの予定だった、とまでは断定出来なかったとしても………。
……。
…そんな「首相」の言を背中で聞きつつ、皇帝はバラの手入れを続けていた。
やがて侯爵が沈黙すると、バラに顔を向けたまま侯爵に語りかけるとも無く、独り言を言うとも無く語り始めた。
…ラインハルト・フォン・ローエングラムか…
あれは予よりは、余程マシな皇帝に成るであろう。
驚くには当たるまい。
予は先帝の御子ながら、本来なら忌避されて来た筈の敗軍皇帝の名すら付けられていた不肖の子だ。
そんな予が誰からも期待されないまま、皇帝の何たるかも教えられないままに、ただ放蕩に任せていた頃だったな。あの娘を見たのは……
そうだ。あの娘だ。
今のアンネローゼに好く似た、美しい以上に優しい娘。
だがあの娘には、例えばシュザンナが絡(から)め取られた様な「蜘蛛の巣」は相応しく無かった。
まして「あの」頃の予には、今の権力すら無かった。それは兄か弟のものになると思われていた。
そんな予が、どれ程あの娘に癒(いや)されたか、いや救われたか、予の様な無能者であっても老いただけで付く知恵ぐらい付いた今ならば、尚さら分かる。
そんな「あの」娘に相応しかったのは、彼女が彼女のまま老いていく事だった。
そして、アンネローゼの様な優しい彼女に似た孫娘やローエングラムの様な生意気な孫息子に恵まれる事こそ、彼女には相応しい。
もっとも、あのミューゼルの様な娘婿だけは、彼女には勿体(もったい)無かろうがな。
今度は何に驚いておる?リヒテンラーデ。
予は耄碌(もうろく)しておるのかも知れぬ。
戯言(ざれごと)で、そなたをからかっておるのかも知れぬ。
まあ戯言でも無かったら、この帝国は生き返るかも分からぬがな。
ただ、アンネローゼが清らかだった事に、何時か1人位は驚くかも知れぬが………。
……。
…やがて、老いた皇帝はバラから離れた。
「予は少しばかり疲れた。休ませてもらおう」
そう言って柔らかな椅子に身を沈めた皇帝の日向ボッコに付き合っているうちに、侯爵は自分の方が疲れている事に気付いた。
何と言っても、身体的にも疲れる年令ではあり、そして精神的にも疲れていた。
…そして侯爵が、昼寝をしていた自分に気が付いた時…
皇帝は眠っていた………。
……。
…ローエングラム元帥府
「あと5年、否、2年長く生きていれば、犯した罪悪にふさわしい死にざまをさせてやったのに」
無論、キルヒアイスと2人切りの時で無ければ言葉にも出さない。
「ラインハルト様、今後の方針ですが」
「そうだな…フロイラインを呼んでくれ。やはり相談しなければな。
それからケスラーとザルツに、更に情報を集めるよう伝えろ」
「はい。ラインハルト様」
だがヒルダには何かが不安だった。
皇帝が死ねば君主政である以上、何らかの政変が起こる。
それに対処する政略策謀や戦略を協議している筈だった。それで間違いは無い。
だが、ヒルダにはラインハルトの何処かで手応えに違和感が在った。
引っかかるというよりは、何かが引っかから「ない」のだ。
これが何処の誰かだったら、元々そんな疑問すら持たなかっただろう。
ローエングラム伯爵を覇者にする事だけを目的とする以外、何を切り捨てても冷然としていただろう。
だが、そうするにはヒルダは、ラインハルトと言う1人の青年その人に近付き過ぎていた。
……その日の元帥府からは退出後、ローエングラム伯爵邸。
「元帥閣下…私などでは、いえキルヒアイス提督で無ければ明かす事の出来ない秘密が在る事は今さら承知するまでも在りません。ですが…」
ヒルダは自分が引き返し不能点に近付きつつある事を自覚していた。
この線を越えたら、あの誠実なる父を、マリーンドルフ伯爵家それは伯爵領の領民まで含めるかも知れない全部を巻き込むであろう。
そして、巻き込んだ上で引き返せなくなる。。
だが、これは伯爵家のための政略としても正しい筈だ。
しかし、自分の背中を押しているのが理性だけでも無い事もヒルダは自覚していた。
「…目的のためにこそ手段は選ぶべきなのです。それでは閣下の目的は何なのでしょうか?」
「それがどうした?」
ヒルダは令嬢らしからないかも知れない例え話をした。
ボクシングですら、10秒間だけ敵が立ち上がらなければ勝利と言うルールが前提で無かったら、勝者すらいない殴り合いを続けるだけだろう。
「それで?」
今度こそ、例え話では済まない
次の言葉こそ、最後である事は分かっていた。
「閣下は何のために勝とうとされているのですか?その前に…“誰の”ために戦っておいでなのですか」
3人切りの同席者だったキルヒアイスは、おそらくヒルダに対しては初めてだろう、銃の位置を確認した。
「閣下!私がゴールデンバウム王朝代々の伯爵家の跡取りだと言う事は、ご心配に及びません。
これはマリーンドルフ伯爵家の政略としても、正しい選択だと確信しております」
そして、ヒルダにしては非理性的ながら、その言葉以上の何かを伝えたいとの感情を込めてラインハルトの瞳を正視した。
……ラインハルトは沈黙を破った。
「フロイライン。いや、ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ」
ラインハルトも先刻のヒルダに負けず、真剣に瞳を正視した。
「貴女を「3人目」と認めよう。そうだ。飛び立ちたければ、何時かは大地を蹴り付けなけばならなかったのだ」
そして、ラインハルトは自分の内部に閉じ込めていたものを吐き出した。
ラインハルトの目的は何だったのか?
彼の目的は、少なくとも最初は姉を取り戻すためだった。
取り戻すべき敵が皇帝ならば、皇帝に勝てるだけの力が欲しかった。
だから力を手に入れるために戦い、勝って来た。
だが、皇帝は死んだ。
そして姉は後宮では無用の存在と成った。おそらく姉は、遠からず解放されて来るだろう。
では、ラインハルトの目的は達成されたのか?
しかし、もうラインハルトの戦いは、姉1人のための戦いでも無くなっている。
皇帝の死で始まるであろう政変と権力闘争の中で、戦わなければ其れこそ姉を護る事も出来ないだろう。
「あらためて聞こう。フロイライン」
ラインハルトも、もう笑ってはいない。
「私は“誰”と戦い、その誰かから“何”を奪った時、勝利者と成るのだ?」
「ローエングラム元帥閣下には打倒すべき敵がいます。それは」
そしてヒルダは、伯爵令嬢としては危険すぎるかも知れない、しかしラインハルトには貴重な言葉を発した。
「ゴールデンバウム王朝です」
甘い男女の会話では無かった。だが、ラインハルトとヒルダは少なくとも共犯者には成っていた………。
……。
…その日、伯爵令嬢は初めて門限を破った。
そして、キルヒアイスは2度目の朝帰りをした。
両親の居る実家で過ごした事と、ビアホールの閉店まで店内にいた事を同じくカウントするならば2度目だが。
……皇帝のまま死んだ男の弔いは、帝国が滅びていない限り大葬で執り行われる。
そして「先帝」の寵妃「だった」グリューネワルト伯爵夫人が後宮から暇を戴いて、ローエングラム伯爵邸に身を寄せたのは、大葬の翌日だった。
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