ラインハルト・フォン・ローエングラムあるいは皇帝ラインハルト1世は、ローエングラム王朝の「正史」ならば「大帝」とも呼ばれるだけの業績は残していただろう。
だが、皇帝当人がゴールデンバウム王朝のルドルフ大帝をタブーとしたため、この尊称は忌避された。
そんなラインハルト1世を評価した同時代人の証言で最も公正とされるのは、ユリアン・ミンツ編集による「ヤン・ウェンリー=メモリアル」だと言うのが通説である。
この「メモリアル」でも明記されているが、ヤン自身は自分を軍人では無く歴史家と規定していた。
実際、後半生において何冊かの歴史書を残しているが、それらは全て著作時点で1世紀以上過去の歴史を論じたものであり、同時代については息子であるユリアンに断片的なメモリアルの破片として残し、息子が編集するに任せた。
それは、自分が歴史の観察者では無く当事者に成って仕舞った自覚ゆえであり、少なくとも軍人としてのヤン自身を自賛する精神とは遠かった、からだとされる。
但しユリアンの評価は、ことヤンに関係する限り、懸命に公正さを保とうと努力している痕跡は認められるものの根幹的に全面肯定である事も通説である。
しかし、ヤン以外の同時代人、特に或(あ)る意味ではヤン最大の好敵手とも言えるラインハルト1世に対しては、ユリアンを通した好敵手ヤンの評価が、もっとも公正とされている。
このヤン=ユリアン父子によるラインハルト1世評価に対して、しばしば持ち出される比較対照でもある、やはり同時代人の批評としてはパウル・フォン・オーベルシュタインによるものが、やはり通例とされている………。
……。
…オーベルシュタインは爵位を持つ貴族の子に生まれたがために、光コンピューターの義眼を与えられて生き延びた。
そして、例えばキュンメル男爵などとは異なり、義眼を使用している限り幼年学校を卒業し軍務に就く事に障害は無かった。
だが貴族の子弟を、平民出身の士官学校卒業生よりも早く昇進させるシステムとしての意味も持っていた幼年学校である。
そして晴眼皇帝によって空文化されていたとは言え「排除法」はルドルフ大帝が定めたがゆえに廃法とは成っていなかった。
そんな彼が多感な思春期である筈の年代を、やはり血気さかんな年代の貴族の息子である事だけは同じ者たちに囲まれて送った事が、彼の人間性と人格の形成に何処まで影響したか、後世の歴史家たちは、ある程度までなら追跡可能である。
退役時に中将に昇進して現役を去ったオーベルシュタイン退役中将は、その後の数年間を学芸省の顧問として出仕した。
当時の同省では「ゴールデンバウム王朝全史」の編纂が進行し続けており、旧王朝に対して独自の批評と史観を持つ彼も参加させる事は、史書の多面性と言う観点からは期待されたのだ。
そうした痕跡を正式に刊行された「全史」から探す事は、後世の歴史家としては中々の知的刺激を期待出来るとされる。
それを探す事が楽しみに成ったのは、結局「全史」は学者であると同時に、やはりローエングラム王朝に仕える立場の者たちによって記述編集されたものだからだ。
ラインハルト1世はルドルフ大帝になど成りたくは無かった、それが「全史」に影響していた、とされている。
結局のところオーベルシュタイン退役中将は、数年後には学芸省も去ったが、この間に旧王朝が隠蔽(いんぺい)隠匿(いんとく)し続けて来た数々の秘密資料を記憶し、後に個人の責任で何作かの著述を残した。
そしてルドルフ大帝以下、ゴールデンバウム王朝の諸皇帝と取り巻きの貴族たちを、自らの言葉と倫理によって断罪したのである。
そんなオーベルシュタインの鋭過ぎるペンに対しては、獅子皇帝ラインハルト1世ですら、完璧なるNo.1、理想的な専制君主、弱さなど無い完全な皇帝には届かなかったらしい。
もっとも後世の歴史家の中には、そうした1世評価をオーベルシュタイン自身の経歴と結びつける反論も無い事も無い。
オーベルシュタインが自ら1世の元に自分を売り込みに行った時、すでに其の位置は後のカイザーリンに先取されていた。
「だから」と言った反論に更に反論する歴史家たちが、しばしば引き合いにするのが、件の黄金像だったりする。
「ローエングラム王朝の存続するかぎり、皇帝の像を没後10年以内に、しかも等身大をこえて建設してはならない」
とはラインハルト1世の勅命である。
だが像の材質と台座については言及しなかったため、等身大の黄金像を造った事が在った。
しかも、かつて旧同盟に存在したアーレ・ハイネセンの巨像よりも高い記念塔の頂上に設置する計画だった。
ローエングラム王朝も既(すで)にラインハルト5世の時代である。
流石に、この時は自治共和国から指摘された。
この巨像を破壊させたのはラインハルト1世だが、同時に命令してハイネセン自身の墓所や他の記念物は逆に保護させている。
「ハイネセンが真に同盟人の敬慕に値する男なら、予の処置を是とするだろう。
巨大な像など、まともな人間に耐えられるものではない」
とは、その時の1世の言だと伝えられている。
流石に5世は記念塔の計画を中止し、黄金像は「獅子の泉」のプライベート・エリア内に安置されたと伝えられる。
要はオーベルシュタイン個人を貶めてまで、ラインハルト1世への批評を封じようとするのは、黄金像の件で1世の真意を曲げた行為まがいだ、とでも言いたいのだろうか。
流石に、そこまで言明するのは自分の品格が下がると、大抵の歴史家は考える様だが………。
……。
…何れにせよ、ラインハルト1世を公正に評価しようと試みる歴史家ならば無視は困難である。
ヤン=ユリアン父子とオーベルシュタイン、それぞれが評価した中間の何処かに落とし処を探すのが、通例と成っている。
こうして後世に知己を得たとは言え、生前のオーベルシュタイン自身は不遇だったろうか?それは結局の処、本人しか分からない。
只これだけは史実である。退役中将オーベルシュタインは、老人性の病気で死んだ。
今更ながら「ザルツ」とは「塩」を意味します。
丁度シュー皮の隠し味の如く、これからあれこれと暗躍していくことになります。