普通名詞の固有名詞化あるいは其の逆は、歴史上いくつかの例が存在する。
皇帝(カイザー)と言う称号も、1人のローマ人の名に由来する。
彼の名が「皇帝」を意味する称号と成ったのは「サイは投げられた!」と宣言して「ルビコン」と言う名の小川を越えたからだ。
その彼が決断の切っ掛けとしたのが、ローマ元老院との政略的交渉の決裂だった。
その時、通信機の当直だった士官は、占領直後での初めての配置に慣れてはいなかった。
したがって、その専用回線が一方的に受信して一方的に記録した事自体には直接に干渉出来なかったが、それでも直ちに上官には報告して指示をあおいだ。
この時に使用されたのは帝都の軍務省から要塞司令部への直通回線であり専用に割り振られた周波数だった。
当然ながら「賊軍」に占拠されてからは開店休業状態だった其の回線と周波数が突然に使用され、そして送信者は、一方的に受信機に記録させた。
当直士官や報告を受けた直属上官は、受信記録の「頭」部分を再生しただけで、それを更に上へと送った。
送信者は帝都の元帥府で留守を預(あず)かっている、元帥閣下の相談役だった………。
……。
…9月9日。ガイエスブルク要塞では戦勝式典が開催されていた同日の帝都オーディン。
帝国宰相リヒテンラーデ公爵は、何人かの面会者との約束を取り付けた。
宰相にして公爵であっても、官僚や自邸の使用人の様に呼び付ければ好い相手ばかりとは限らない。
また、そうした相手でも無ければ政略の意味も無い。
それに“今日”までは「賊軍」が生き残っている間は「金髪の小僧」の力が必要だった。
しかし“今日”からは……
「伯爵。弟御には気の毒な事をした。だが、もう其れも終わる」
公爵は帝都に残されていた貴族の1人を呼び出し、当主として弟を説得するよう依頼した。
その依頼の結果、ミュッケンベルガー伯爵は次弟を元帥府に訪問していた。
宇宙艦隊司令長官を副司令長官に譲った処で「帝国元帥」は終身職である。
降格される様な下手をしない限り。
したがって元帥府まで閉鎖はしていない。
実の処、ローエングラム元帥が新しい艦隊司令官を抜擢したため押し上げられた元司令などを、ミュッケンベルガー元帥府で引き取ったりしていた。
伯爵が弟を訪問したのは其の元帥府である。
「では、兄上」
「そうだ。宰相閣下は、お前を司令長官に復帰させてくださる御積もりだ」
「しかし、現状の長官は」
「お前だけでは無い。軍務尚書も統帥本部総長も、だ。しょせん最高司令官などと恐れ多い」
「兄上。窓の外を御覧下さい」元帥から兄伯爵への返答は、少しばかり斜めにも聞こえた。
「窓の外が、どうしたのだ?」
そう言って、弟の見せようとしているものを見た伯爵は、絶句した。
現在の帝都はローエングラム最高司令官の命令を受けたケスラー憲兵中将の制圧下だった。
「折角(せっかく)賊軍を討伐したのに、また新しい内乱を始める事に成りかねません。
しかも今度は、ミュッケンベルガー家も当事者です」
「だがな、あの生意気な成り上がり者に…」
「そもそも、賊軍を討伐した功績こそあれ、何の罪を問う御積もりなのでしょうか」
伯爵は、弟元帥から逆に質問されて答えられなかった。
「兄上。宰相閣下に言質を取られてはおりますまいな」
だが宰相の方は「罪を問う」準備を始めていた。
2人の高級官僚を執務室に呼んだのである。
典礼尚書と社会秩序維持局長官を同席させたのだった。
「尚書。本来、貴族の階級に在る者の罪を問うのは典礼省の職務だ。
だが、これは帝国の安寧(あんねい)に関わる事」
宰相は同席者の間で視線を往復させた。
「ここは黙って見守っていて欲しい」
「どの家門の何方(どなた)の事ですかな。それによって我が省の対応も異なりますが」
「カール“フォン”ブラッケそしてオイゲン“フォン”リヒターじゃ」
「ああ、自分からフォンの名乗りを捨てた貴族の面汚しです。
典礼省としては関知する処では在りません」
「では、社会秩序維持局が2人を取り調べようと身柄を確保しようと関知せぬ。と」
「いっさい関知いたしませぬ」
……典礼尚書からの言質を取った維持局長官は、直ちに部下たちに命令を下した。
だが同じ夜の間に、ローエングラム元帥府の留守を預かる伯爵令嬢にも報告が届けられた。
ラインハルトとヒルダは、ブラッケとリヒターに「再建計画」立案を依頼した時点で“この”事が宰相に関係しても危険に成り得る事を予想していた。
そのため、ケスラーが憲兵本部に出向して以降に何とか確保していた信頼出来る部下の憲兵に、2人を尾行させていたのである。
その憲兵たちが、自分たち以外の尾行者に気付いた。
そして、流石にケスラーが見込んだ部下たちだけあって「正体」が社会秩序維持局である事も報告出来た。
同時にケスラーは宰相が「前」宇宙艦隊司令長官の兄である伯爵家の当主に「前」軍務尚書から「前」統帥本部総長、そして典礼尚書と社会秩序維持局長官は2人同席させて次々に呼び出していた事もヒルダに報告出来た。
ここに至ってヒルダは、ガイエスブルク陥落で使用可能に成ったばかりの、おそらくは1回切りなら大ムジナの不意を突ける緊急通信を送ったのだ………。
……。
…ヒルダからの緊急通信は、以下の様に結ばれていた。
「可能な限り早く帝都に御帰りください。
1歩遅れた方が処刑場の羊と成るでしょう。
先手を取るだけの事、何ら躊躇(ためら)う必要は御座いません」
……ラインハルトは、この通信記録を兵士たちに対して放送した。
無論、帝都まで受信可能な超光速通信など使用していない。
要塞内部の有線放送で必要にして十分だった。
そしてラインハルト自身は戦艦ブリュンヒルトの艦上から、兵士たちへの放送を続けた。
「兵士諸君。
卿らは、卿ら自身を解放するため、驕(おご)れる貴族と戦って来た。
だが、その解放を政策として定着させるための立案を任せていた2人が、まさに「その」立案を罪として問われたのだ。
これで明らかだ。
しょせん帝国宰相リヒテンラーデ公爵も、卿らと卿らの家族、友人たちを解放する積もりなど無い。
賊軍と同様、ただ卿らに寄生する欲望を争っていただけに過ぎなかったのだ。
卿らに残った最後の敵を倒す。
そして卿ら自身の力で、卿らと卿らの家族、友人たちを解放するのだ。
続け!」
宇宙戦艦ブリュンヒルトは其のままガイエスブルクから発進した。
姉妹艦バルバロッサが了解して続く。
そして惑星オーディンへの航路に向けてブリュンヒルトを加速させながら、其の艦上からラインハルトは命令を下し続けた。
「ミッターマイヤー!ロイエンタール!艦隊をまとめ、私を追え。
メックリンガーはガイエスブルクを守備せよ。
他の提督たちも私に続け。
ミュラー中将のみは他の艦隊の進発を見届けた後、最後に進発。
遅れるであろう各艦を収容しつつ続行せよ。
脱落を恐れるな。最終的にオーディンに到着すれば好い。
急げ!!」
ラインハルトの選択は、電撃戦だった………。
……。
…帝国宰相リヒテンラーデ公爵は、宇宙艦隊とは異なる武器での戦いを準備していた。
予定通りに。
ガイエスブルクからの時間的距離が20日間と設定されている。
予定では「金髪の小僧」が其れだけの距離をノコノコ凱旋して来た瞬間に、帝国軍3長官を幼帝の名をもって復職させる。
それで前代未聞の「最高司令官」も消え失せる。
「小僧」には其の理由とするだけの罪が在る。
貴族階級の裏切り者でもある共和主義者どもの共犯者と言う罪が。
その罪をもって「小僧」に罰を与えれば、宰相だけが勝利者として残るのだ。
だが1週間、早過ぎた。
ローエングラム元帥の艦隊は、20日間と設定された距離を14日間で走破した。
……その夜、ついに宰相は社会秩序維持局長官に命令した。
本来の官僚機構としてなら頭越しに成る、内務尚書の言質も取ってある。
その上で長官に命令したのだ。
「今宵(こよい)のうちに件の2人を逮捕せよ。
そしてローエングラムの帰還までに証言を用意するのだ」
だがまさしく、惑星オーディンの標準時間で同じ夜、宇宙戦艦ブリュンヒルトが大気圏に突入していた。