「先ずはイゼルローン回廊に兵を動かす。
我々以外には、特にフェザーンの黒狐には『やはり自分で煽り立てた国内の軍事力を持て余して、結局は同盟にぶつけた』とでも、誤解してもらおう。
キルヒアイス上級大将!」
「はっ!」
「3個艦隊ほども指揮して、イゼルローンを落とそうとしている、と見せかけろ。
分かっている。
要塞を守っているのがヤン・ウェンリーにしてやられた間抜けたちであれば、お前なら落とせるだろう。
だが、当のペテン師が今のイゼルローンには居るのだからな。
それに恐らくヤンは、私がフェザーン回廊を突破した時点でイゼルローンを放棄して、私に本土決戦を挑(いど)もうとするだろう。
そのヤンを追って、私との間に挟撃するのだ」
「承知しました」
「そうしてイゼルローンに目を引き付けて置いて、黒狐が自分の誤解に、そして私が件の陰謀を暴露した時点で間違いなく宣戦布告していた事に気が付く時間を与えず、電撃的にフェザーンを落とすのだ。
ミッターマイヤー上級大将!ロイエンタール上級大将!」
「「はっ!」」
「フェザーン方面へは快速が要求される」
そうなれば第1陣は疾風をおいて他に無く、それに遅れない事を要求されれば第2陣は双璧の相棒をおいて他に無い。
「他の各提督にも、同盟領への侵攻段階で従軍してもらう。
当然、私も陣頭に立つ。作戦名は…」
誰もが聞き逃すまいとした。
「神々の黄昏」
沈黙が感嘆に取って替わられた。
ここまでの基本戦略が主将から示された時点で、すでに惑星オーディンの暦は9月も半ばを過ぎていた。
宇宙艦隊だけでも10数万隻おおざっぱならば兵員2000万以上の軍勢を、最終的には同盟首都まで遠征させる大事業なのだ。
事前準備だけでも数ヶ月がかりに成って当然だった。
しかし、その“大”事業の準備も、帝国国内の熱気の中で着実に進行していた。
旧体制関係者以外の帝国人には分かっていたのだ。
これは自分たちを旧体制から解放した、その解放者の戦いなのだと………。
……。
…そのころ同盟側では、ヤンたちは何をしていたのか。
ユリアン・ミンツ編集「ヤン・ウェンリー=メモリアル」その他によると、それは同盟議長が「市民諸君」を安心させてから数日以内、フェザーンへの駐在武官赴任が通信されて来る前日だった、とされる。
ヤンは超光速通信の相手に記憶が無かった。
いや直属上官のビュコックに対してでは無い。
その上官が通信画面の中央を譲(ゆず)っている、軍服姿では無い人物が思い出せなかった。
……経験豊かなビュコックにして、意外な訪問相手には咄嗟(とっさ)に相手の訪問目的を思い付かなかった。
いや、宇宙艦隊司令長官のオフィスを国防委員が訪問する事そのものが在り得ない筈も無い。
だがビュコックが自覚する処では、前年のクーデター騒ぎの結果として病気続きの統合作戦本部長が引退しそうなため、近く「代行」が取れそうな本部長代行などとは異なり、政略的にトリューニヒト派閥へと入った記憶は無い。
そしてビュコックの様な非トリューニヒト派閥の軍人や、例えばホワン・ルイとかジョアン・レベロとかの野党政治家などが評する限り、ウォルター・アイランズ国防委員とは定評のある人物だった。
後年のルドルフ大帝が銀河連邦首相と国家元首を兼任した先例のため、同盟憲章は最高評議会における2つ以上の兼職を厳禁している。
当時の国防委員長にトリューニヒト自身では無くネグロポンティが就任していたのは、その理由に過ぎなかった。
しかし「トリューニヒト委員長、ネグロポンティ委員長代理」と言うのがビュコックとかホアンとかレベロとかの認識であり、アイランズに至っては「その」代理が派閥なり親分なりの何かスキャンダルをかぶった場合に首をすげ替えるための待機要員、と認識していた。
……その筈のアイランズ委員が、トリューニヒト派閥でも無い司令長官を訪問していた。
「提督。私は3流の政治業者に成り下がっているかも知れないが、これでも政治家を志(こころざ)した若い日も在ったのだ」
何時もならば胡散臭(うさんくさ)く聞こえそうなセリフだったが
「国防関係を専門としようとしたのも、関連予算の大きさだけで決めた積もりは無かった。
少なくとも「あの」頃は」
そんな“若い日”を思い出すように成ったのは、最近のトリューニヒト派閥内部の雰囲気(ふんいき)らしかった。
「確かに私は、委員長に成りたくて“彼”の私宅を密かに訪問したりした。
夜間に高価な品を持参したりもした」
だが現状では国防委員の1人でしか無い。
「おそらくネグロポンティ氏に何か失態でも無い限りは。
だが、それだけ大きな利権に近くない事で、かえって素直に見える事も在ったのだろう」
いや、と首を振る。
「現委員長のアラなり弱点なりを探す目で見たせいかも知れないな。
どちらにせよ、今の委員長は議長の楽観論に調子を合わせているだけだ」
要は「その」楽観論を信じ切れない不安が生じ始めたらしい。
「そこで提督。専門家の率直な意見を聴きたい」
いかにも率直そうに、ビュコックへと相対した。
「今回だけは、以前から私たちのグループと顔見知りの軍人では、今の不安を宥(なだ)められるだけだろう」
ここまで聞き上手に振る舞っていた提督も、ここで返答した。
「そう言う事でしたら、もっと適任者が居りますが」
「ヤン・ウェンリー提督か…」
「確かに、議長閣下とかへの愛想は好ろしくないですがな」
「いや…。………。…実は…私たちのグループと言うよりも、“彼”に取り入ろうとする取り巻きの中から「ヤン軍閥」の危険を語る声が出始めているらしい。
そこで将官クラスの幹部よりは引き抜き易く、しかしヤン提督の私的な感情からは手放したくないだろう「秘蔵っ子」とかを引き抜いてみる事で、政権への従順度を見積もろうとしているらしい。
流石に付いて行きかねた。
いや、私だって現職の国防委員長だったら、利権を手放したくなさに賛成しただろう。
ただ現状は委員の1人に過ぎなかっただけだ」
「それは…それは」ビュコックは驚くよりも、むしろ呆(あき)れた。
「だから、流石にヤン提督には聞き辛(づら)い。だが今の同盟最高の名将は彼だろう。
その名将は、私に率直な意見をしてくれるだろうか」
……ビュコックは先ず、この通信がシビリアンそれも国防委員の権限で使用される秘密通信である事を告げた。
軍人同士たとえば宇宙艦隊司令部と前線の要塞が通信するだけよりは、ずっと強固な秘密保持が留意されている。
それが民主共和政体のシビリアン・コントロールと言う建前だった。
「この際、わしも便乗させてもらう。
つまりは帝国側が耳をすませている事を気にせず貴官の意見を聴いてみたかった」
「では、率直に言わせて頂きます」
その前に、司令長官が言う通りの秘密通信である事を副官に確認させた。
他には紅茶を入れに来たままの「秘蔵っ子」が同室していたが、画面の両側で誰も咎(とが)めなかった。
と言うよりも、翌日の別な通信の件を隠していたから首都側としては何も言えなかった、とは翌日に分かった事である。
「結論から言います。
ローエングラム公爵はフェザーン回廊を武力突破して同盟領へと侵攻して来ます」
シビリアンの政治家は絶句し、上官は次の様に反応した。
「ハッキリと言い切るの」
「断言しているのは公爵です。7月7日の演説は其の宣言に他なりません」
ここでアイランズ委員が口をきけるようになった。
「ローエングラム公爵の考えている事が、本当に予測出来るのかね…誤解しないでくれたまえ。
提督を疑っているのでは無い」
「今さら自慢にも成りませんが、去年のクーデターをローエングラム侯爵が仕掛けて来るだろう、と私は予測しました」
アイランズの隣ではビュコックが頷(うなず)いていた。
「そこで私は司令長官に警告すると同時に、鎮圧命令を事前に出してもらいました」
数瞬だけ沈黙してから委員は続けようとした。
「それで、今回の提督に対策は在るかな」
「私は前線司令官の1人に過ぎません。
責任逃れでは無く、それ以上の勝手な振る舞いを許さないのが民主国家の軍の筈です」
この言葉に先刻よりも大きく頷くと、司令長官は自分からも質問した。
「全ての責任は司令部が、いや、このビュコックがとる。
最善と信じる方策を――と言ったら、貴官はどうする」
ヤンは、もう一度だけ秘密通信である事を副官に確認させてから、返答した。
「イゼルローン要塞を放棄します」
アイランズは秒針が何度か動く間、絶句してから確認した。
「……済まんが、私は何か聞き違いをしなかっただろうか?」
「イゼルローン要塞を放棄します」
今度は説明が要求された。
無論ヤンは、シビリアンであるアイランズでも理解出来る様に解説した。
「分かった…もしも…その件で提督の立場が悪くなる様ならば、ビュコック提督だけでは無く私も出来る限り提督を弁護しよう」
そう言われて、ヤンも素直に頭を下げた。感謝してから、こんな事を言い出す。
「実は、もう1つ可能性が無くも在りません。
しかし、こちらは可能かどうか不確かです」
「『奇蹟の魔術師』をしても不確かな事が在るのかね?」
「いくらでも在ります。それに、これは戦略戦術と言うよりも科学技術と実務の問題ですから」
そしてヤンは、時期的には首都星に帰り着いているだろう、とある訪問者の件を話題にした。
その前に、またも秘密通信である事を確認しなければならなかったが………。
……。
…キルヒアイス上級大将はイゼルローン方面の副将として、ケンプとレンネンカンプの両大将を指名された。
やはり今年の初頭、ケンプ艦隊の偵察隊がイゼルローン回廊でヤン艦隊に追い返された事、そして今回が「その後」初めての出征である事、また科学技術総監の失脚で潰(つぶ)れた出征に指名される可能性が在った事なども考慮はされたらしい。
ただ、ケンプの副将として出征する可能性がミュラー大将にも在ったのだが「この」時の人選は、あくまでも副将として、だった。
だから同格者中で最年少のミュラーが候補として考えられたのだが、今回は年令ならば遥(はる)かに年少のキルヒアイスを方面軍司令官として同格の副将が2人と言う形に成る。
そのためでも無いだろうが、同格者中で最年長のレンネンカンプが選ばれた。
なおミュラー大将は、ローエングラム元帥が双璧に続いてフェザーン方面の第3陣として自ら出陣する際、その後衛として第4陣を命令された。
キルヒアイスの視点からは、ようやっと自分の居ない戦場でラインハルトの背中を守らせる同志を見付けた気分だった。
そのキルヒアイス上級大将とケンプ、レンネンカンプ両大将の3個艦隊が、イゼルローン方面へと出征した時をもって「神々の黄昏」作戦は開始される事となる。