軍務省に数ある士官控室の1つには、ささやかながら戦術シミュレーションの設備が整(ととの)っている。
シミュレーション・マシンを操作すると、宇宙戦艦のプラネタリウム形のスクリーンに窓が開いて映し出されるのと同じコンピューターが艦隊陣形を処理した画像が投影された。
第6次イゼルローン攻防戦の前哨戦。ラインハルト艦隊3000隻の艦隊運動の記録だ。
1戦ごとに、あらゆる戦術パターンを展開しながら、同盟軍を撃滅していく。
だが其の後の1戦で、見事に背面展開を完成させた瞬間、上、下、後の3方向から新手の敵が包囲してきた。
ヤン・ウェンリーの罠だ。
これでヤンの原案通りに1万隻の数が揃(そろ)えられていたら、歴史が変わっていただろう。
しかし同盟軍の司令部が出し惜しみしたか、包囲陣に兵力不足な薄い箇所を見付け出し、そこから突破脱出を果たした。
ここで艦隊の先鋒を疾風が、その相棒が殿(しんがり)を固めていた効果がハッキリと出た。
双璧が居なかったら『原作』通り、全3000隻中の800隻程度は失っていただろう。
そして、要塞攻防戦の本番である。
前哨戦での損害が少なかった分、つまり『原作』での2200隻よりも使えた兵数が大きかった事、
双璧の指揮能力での補正を加えれば実戦力としては更に大きかった事から、それだけラインハルトは戦力に余裕を持っていた。
この余力の分だけ、例えシミュレーションに画像が投影される戦術パターンでは『原作』通りに戦っていても、その分だけ成果は大きく多く、同時に其の分だけ損害は小さく少なく成っていた。
……そして、第3次ティアマト会戦である。
実の処、イゼルローンからオーディンまでは、8月20日に出発して9月26日に到着するだけの距離が在る。
12月10日に終了したイゼルローン攻防戦に参加していた宇宙艦隊をオーディンまで帰還させ、再編成して、翌年2月までにイゼルローンよりも同盟よりのティアマト星系まで送り込むのは時間的、距離的にギリギリだった。
よくも、攻防戦では少将だったラインハルトを中将に昇進させただけでは無く、中将相応の艦隊を与えて出征させられたものである。
実の処、ラインハルトはオーディンに戻らず、イゼルローンから直接にティアマトへと出撃していた。
ラインハルトだけでは無く、キルヒアイスも双璧も、だった。
そう、少将に昇進していた双璧がミューゼル中将艦隊の先鋒と殿を固めていた。
その結果だが『原作』通り、敵ホーランド艦隊が帝国軍をかき回す。
しかし、それを黙殺する様にラインハルト艦隊は後退した。
そして敵艦隊の陣形と艦隊運動が乱れ切って停止した瞬間、主砲斉射が叩き付けられた。
『原作』によれば、ラインハルトは2回の主砲連射で会戦全体を逆転している。
それが「ここ」では1回だった。
ラインハルト艦隊の視点からは右往左往していたホーランド艦隊と、疾風が先導し其の相棒が後ろから見守って完璧な艦隊運動で後退したラインハルト艦隊。
その結果、フリーズ状態に落ち込んだ瞬間のホーランド艦隊を側面に捕捉したラインハルト艦隊が其の側面方向に一斉回頭するなり、双璧を左右両翼にした横陣からの一斉射撃陣形に変化していた。
両翼の双璧からのクロス・ファイアーが、フリーズから再起動しようとする艦隊と其れをコントロールすべき旗艦との連携を断ち切った。
その後は、このスキに立ち直った帝国軍主力による追撃戦に移っていた。
……フェザーン経由で入手した情報によると、ホーランドは戦死をまぬがれたらしいが、軍法会議が待っているそうだ………。
……。
…俺はシミュレーション・マシンを落とすと、脳内でしか出来ない思案に移った。
こうして、双璧がラインハルトの役に立てば其れだけ、双璧やヒルダをラインハルトに近付けた俺も役に立った事に成る。
だが、やはり『原作』知識を持って居ればこそ「今」の時期的に気がかりな事が在った。
俺はキルヒアイス中佐と連絡を取った。無論、ミューゼル大将の副官として、である。
ブラウンシュヴァイク公爵家が皇帝と貴族と高級軍人を集めてパーティーを開催する。
こうした大掛かりな社交自体は隠しようも無い。
それに何時も程で無くとも、何度も開催されてはいる。
だが『原作』知識持ちには、どうしても引っかかっていた。
「中佐。やはり閣下も招待されたのか?」
招待されていた。それにフロイラインをエスコートする、と言う。
(…不味いな…)画面の向こう側のキルヒアイスにも内緒ながら、俺は心配していた。
何せ「悪趣味な柱」1本で助かるのだ。
ヒルダを連れている程度のイレギュラ―でも悪い方向へ転がるかも知れない。
しかし其れでは元も子も無くなる。
今度は俺は、男爵夫人を通じて多才なる准将に連絡を取った。
「メックリンガー准将。提督は公爵家でのパーティーの警護を命令されたそうですが?」
「それがどうしたかな?」
(…やっぱり、そうか…)これで更に可能性が高く成った。
「実は気に成るウワサを耳にしたのです」他人には、そう言う事にした。
「クロプシュトック侯爵を知っていますか?」
流石に知らなかった様だ。
「提督が知らなくても無理も無いでしょう。
フリードリヒ4世陛下の即位以前に別の皇帝候補を支持してしまい、以来、貴族社会の日陰者に甘んじて来ました。
それが今回のパーティーに出席するために、公爵家に這いつくばる様にして取り入ったらしいのです。
どれ程の屈辱を耐え忍んだ事でしょう。
公爵などは勝利者の気分に浸っているそうですが、もしも、侯爵がパーティーの途中で、会場に何か忘れ物でもして帰ったりしたら……
何と言っても、折角(せっかく)私が取り入ったミューゼル大将も出席されるのですから」
通信画面の向こう側では、口ひげをひねっていた………。
……。
…その時、3月21日。公爵邸の庭のド真ん中で爆発し、ケガ人は出なかった。
そこまでは問題は無かったのだが、むしろ問題は双璧が討伐軍に連れて行かれてしまった事だ。
実の処、ローエングラム元帥府を開設する以前のラインハルト艦隊は出征ごとの臨時編成と言ってよい。
前回も、こうした意味で双璧は配属されたのだ。
引き留めて独占するだけの権限は大将では未だ無い。
そうするためには、後もう2階級は昇進せざるを得なかった。
そして、実は其の事だけが問題では無かった。
俺だけが知っていた。この後で「面倒事」に成る事を………。
……。
…宮廷でこそ失脚したものの、侯爵領に相応しく有人惑星を有した恒星系そのものを私領として確保していた。
その惑星からミューゼル大将を指名してロイエンタール少将からの超光速通信が飛び込んで来た。
討伐軍の勝報から半日も経過しないうちに。
その事を、俺の様なモブ士官が知る事が出来たのは以下の経過による。
ロイエンタール少将からの通信は、直接には先ず軍務省に入り、軍用宇宙船ドックの中の戦艦ブリュンヒルトを呼び出してもらったからだ。
大将に昇進してもラインハルトの処遇は、出征ごとに臨時編成される艦隊の指揮官であり、会議の時にだけ呼び出される立場だった。
そのため会議が無い時には、もっぱら大将への昇進に伴って与えられた専用旗艦に乗っている事が多い。
そして俺は「侯爵領が陥落した」との報告が入った夕刻、理由を作ってブリュンヒルトを訪問していた。
案の定だった。
当然ながら、ラインハルトには今更ミッターマイヤーを見捨てる積もりも無い。
先ずは双璧の代弁者として軍務省に乗り込み、騒ぎを大きくする役目を了承していた。
「帰還途上での死亡は謀殺とみなす」と広言するのである。
当然の様に、ラインハルトを乗せてキルヒアイスが運転する地上車を追走して、俺もブリュンヒルトから軍務省に戻った。
ラインハルトに付いて勝ち組に成りたかったら、ここでの敵前逃亡は論外だった。
それに「勝算」はあるのだし………。
……。
…5月2日。クロプシュトック侯爵領から討伐軍が帰還した。
この晩、ラインハルトの下宿でロイエンタールを迎えたのは、ラインハルトとキルヒアイスに加えて俺、そしてラインハルトは通信画面にヒルダを呼び出していた。
この時点で『原作』以上に話しと騒ぎは大きく成っていた。
何と言っても、当事者たちが侯爵領に未だ居る間にラインハルトが動き出していたのだ。
事を大きくする方向で。
それにラインハルトは、この件でも何の秘密も無く伯爵令嬢と連絡を取っていた。
確かに今回に限っては事が大きく、と言うよりは表沙汰に成るほど勝算が大きい。
いくら貴族たちの無理無茶が通る体制とは言え、今回ばかりは明らかに向こう側に非と恥が在るのだから。
その意味では、ワザワザ拷問係を雇ってまで疾風をただ痛めつけようとしたなど、悪趣味を満足させる引き換えにラインハルトの武器を増やしていっていた訳だ。
もっとも『原作』ではラインハルトが介入している事を「その」時、初めて知ったのだろうが。
結局「この」拷問係騒動(?)などはスルーされたまま、疾風は生還して来た。
何と言っても、公爵もフレーゲル男爵らの取り巻きも、とっくにラインハルトが事を大きく表沙汰にしていた帝都に戻って来てしまったのだから、基本的には手遅れだったのだ。
……生還した疾風が相棒と連れ立ってラインハルトに礼を言うために訪問していた頃。
俺は次の「事件」に備えて暗躍していた。
全く「今月」は事が多い。討伐軍の帰還が5月2日。そして次の「事件」が直接にラインハルトたちへと襲い来るのは同月17日だった。