蝶は羽ばたいた(銀河英雄伝説)   作:高島智明

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第36章 両雄激突

「撃て!」ラインハルトとヤンの命令には、意味が在る程の時間差は無かっただろう。

最も狭い意味での「バーミリオン星域会戦」の開始である。

 

だが後世の歴史家の多くが知っている通り、ラインハルトとヤンが互いに相手の奇策を探り合いながら戦い始めた結果、開始直後には乱戦の形に成りかけた。

 

無論、ラインハルトもヤンも無秩序な殺し合いなど不本意に他ならない。

ある意味では暗黙の諒解の下に双方が乱戦の収拾に努めた(つと)めたため、会戦は次の段階へと進む。

別な意味では、双方が其々(それぞれ)に予定していた通りの戦いへと………。

 

……。

 

…ひとまずイゼルローン要塞に戻って体勢を立て直したヤン艦隊は、再び出撃するなり速攻に転じた。

 

敵旗艦ブリュンヒルトを目標に突破するのが、最初からの目的でもある。

これに対してラインハルトも、用意していた迎撃戦法を実施した。

 

「現世」でのハンス・ゲオルグ・ザルツは「前世」で『原作』を読んでいた時「バーミリオン会戦」でラインハルトが実行した戦術を以下の様に解釈して、1人「シャッフル・ゲート」とか命名してみた事が在った。

 

先ずは、横陣を前後に並べた縦深陣を左右に2つ用意する。

この陣形の例えが「シャッフル」だ。

ラインハルト自身の旗艦ブリュンヒルトは、左右の縦深陣の間の回廊に位置する。

そして戦況を直視しながら、ヤン艦隊の攻撃がブリュンヒルトに届く前に、左右の横陣を「門」を閉ざす様にスライドさせ、その内側の片端同士を接続させてヤンの行く手をさえぎる。

“ここ”を突破されても最初から1つの横陣だった中央を突破されたのでは実は無い。

2つの横陣の其々(それぞれ)片端を突破されただけだから損耗は極小で済む。

元の2つの横陣に戻り、左右から後方に回り込んで位置に付き直すだけだ。

むしろ、強行突破を試みたヤン艦隊の方が消耗するだろう。

後は繰り返すだけである。反転した各提督の艦隊がヤンを包囲するまで。

 

……その筈だった。だがラインハルトは困惑していた。

 

「シャッフル・ゲート」に対して何度かの突破を試みた後、ヤンはイゼルローンに戻って仕舞った。

 

確かにイゼルローンの中に引き篭(こ)もられては、各提督の艦隊が反転して来てもヤン艦隊を殲滅は出来ないだろう。

だが、それでは同盟が戦争に敗北してヤン艦隊とイゼルローンが残るだけだ。

このバーミリオン星域からは、もう次の星系の惑星と言って好い同盟首都を直撃されれば、会戦どころか戦争そのものに敗北する。

それに元のイゼルローン回廊なら兎も角(ともかく)「雷神の鎚」で封鎖出来るほど狭い戦場では無い。

その積もりに成れば、何処からでも迂回が可能なのだ。

そして其れがイヤならば、ラインハルト・フォン・ローエングラムと言う個人を倒すしか無い。

そんな事はヤンも分かっているからこそ、ラインハルトを挑発してまで決戦を挑んで来たのでは無かったのか?

 

確かに、この時のラインハルトは困惑していた。

その困惑の理由をラインハルトが戦術家として求めていた方向性によるもの、とする説も根強い。

「ラインハルト・フォン・ローエングラムの用兵は先制攻撃をもって、ヤン・ウェンリーの用兵は柔軟防御をもって、それぞれの特長とする」

「戦略家としては人間の限界をきわめていたが、戦術家としての志向は、攻撃にかたむいた」

と言った評価も存在する。

困惑していた真の理由は、彼自身が満足出来なかったからだ。

ヤンをイゼルローンに引き篭もらせたまま、ヤンの背後の権力者を降伏させるだけの勝利には。

 

そして戦術家としてのヤン・ウェンリーの真の恐ろしさは、敵の心理に完全に付け込む事が出来る事だった………。

 

……。

 

…ラインハルトは戦略的にでは無く、心理的な不満を少しずつ感じ始めていた。

 

ヤンをイゼルローンの中に残したまま同盟の権力者を降伏させるだけでは無く、ヤン艦隊をイゼルローンの外に引きずり出して殲滅し、同盟を軍事的にも再起不能に追い込みたいと言う欲求に内面から突付(つつ)かれていた。

そして其れを諌(いさ)める事の出来るヒルダもキルヒアイスも、少なくともブリュンヒルトの艦内には居なかった。

ついにラインハルトは「シャッフル・ゲート」の陣形を保ったまま、ヤンが出撃して来るのを待ちきれなく成った。

イゼルローンの中でラインハルトを黙殺するフリすらしている様に沈黙しているヤンを、引きずり出したく成ってしまったのだ。

 

「ヤンをこのバーミリオンに誘い出すために戦略レベルで仕掛けた誘いを、戦術レベルでも試してみる」

旗艦ブリュンヒルトを残して艦隊戦力の大部分をラインハルトは動かした。

「雷神の鎚」の射程外に沿って時計回りに迂回させてみたのだ。

だが其の迂回部隊がイゼルローンの後方、と言うよりはバーラト星系方面へと殆(ほとんど)迂回しそうに成っても、イゼルローンの流体装甲には外側から見える様な変化は起こらない。

「こんな見え透いた挑発に、ヤン・ウェンリーが乗る筈も無いか」

戦略レベルでの挑発に乗って、バーミリオン星域までヤンが遣って来たのは、他に選択が無かったからだ。

自分で仕掛けて置いて、むしろ冷笑すらしたく成ったラインハルトだった。

 

「もうよかろう」

ラインハルトが迂回部隊を反転させて呼び戻そうとした時、ほとんど其れと同時に、ヤン艦隊がイゼルローンから出現した。

そのままブリュンヒルトを目指して直進して来る。

「そうか。ヤンも待っていたのか。

私がヤンを誘うために分散させた戦力が、最大限に私から離れる瞬間を」

もはや競争だろう。

ヤンの手がラインハルトに届くのが早いか。反転させた艦隊が戻って来るのが早いか。

 

「だが1つ、計算に無い事が在ったな。未知の技術情報が」

宇宙戦艦ブリュンヒルトはコストすら無視した、実験艦的ですらあるコンセプトで建造されている。

旗艦級戦艦の中でも更に大型艦ながら相当の高速戦艦でも在った。

ただ旗艦として艦隊と行動を共にしていたため、これまでは個艦としての最高速度を発揮する機会には恵まれなかっただけだった。

だが今は、流石に単艦では無い程度の少数しか従えていない。

ブリュンヒルト本来の高速での後退が可能だった。

片やヤン艦隊は、この期に及んだからだろう、情報通りならば全力出撃としか見えない規模で進撃していた。

当然ながら艦隊フォーメーションとしての速度には限界がある。

それでも、その限界速度での突進を強行していた。

 

しかし容易には、ブリュンヒルトとの距離は縮まらない。

その間に今度は反時計回りに「雷神の鎚」を迂回した帝国軍艦隊が、ヤン艦隊の側面に到着しようとしていた。

 

その帝国軍艦隊の横からの砲撃と突進を受けて、ヤン艦隊の艦列は凹型に湾曲して見えた。

だが次の瞬間

「大質量物!急速接近」

その報告が意味する事を理解出来ない様な愚将が、中級指揮官にしてもラインハルトに其れも直属艦隊に抜擢される筈も無い。

そう今のイゼルローンは動くのである。

それもランテマリオへの転進で実証した様に、フォーメーションを組んだ艦隊よりも速く。

その速度差の分だけ時間差を付けて始動を遅らせた。

その時間差と「動かざることイゼルローンの如し」と言う従来の常識との両方が、彼らを錯覚させていた。

「敵に接近しろ!「雷神の鎚」を撃たれる前に、味方撃ちを恐れて撃てなく成るまで近接するんだ!!」

だが其れは、凹型に湾曲した艦列ならぬ半包囲陣の中に自分から飛び込む事を意味していた。

そして半包囲陣に残る開口部にも、今や移動要塞が急速接近して来ようとしていた。

ヤン艦隊の副将フィッシャーが名人芸の艦隊フォーメーションを発揮して、ヤンの戦術は完璧かつ急速に実現化されていく。

スクリーンに映し出されるコンピューター処理された陣形としても、見事に再現されていた。

シュタインメッツ艦隊が落とされた時と同様な落とし穴に、ローエングラム直属艦隊の大部分は飛び込んでいたのである。

 

「してやられたか……」

ラインハルトには始めて経験する敗北感だった。

「おれはここまでしかこれない男だったのか?

姉上…フロイライン…キルヒアイス…いや、キルヒアイスはまだ戦っている筈だ」

自分1人の戦いでは無い事を思い出し、自らを叱咤(しった)しようと試みる。

「おれはまだ負けられない!」

 

……その時、ブリュンヒルトのセンサーが新しい反応をとらえた。

 

「後方より別の艦隊」

その艦隊はブリュンヒルトの後方から左右をすり抜け、ヤン艦隊との間に立ち塞(ふさ)がった。

「ミュラー艦隊です。ミュラー艦隊が来援しました――助かった!」

 

……「奇蹟の魔術師」は予言者でも千里眼でも無かった。

 

ミュラーが表向きの任務である、補給基地への攻撃を放置したまま反転した事など知る筈も無い。まして転生者の暗躍など。

 

そのミュラーは苦悶していた。

脳内では「偶然とは言え空恐ろしい」シミュレーションが繰り返されていた。

あの時「仮想ヤン」だった双璧は、包囲陣内から脱出する味方を救出しようと突入した瞬間に、すさまじい攻撃を仕掛けて来た。

そしてミュラー自身も護るべき旗艦も危機に落ち入ったのだ。

目前ではシミュレーションの設定以上の激しさで、包囲陣内の味方は殲滅されつつある。

その味方と後方の護るべき主将とを天秤に乗せて、ミュラーは決断を迫られていた。

そしてミュラーは、味方の命を天秤に乗せた事の忘却を終生、自分に許さなかった。

この時のミュラーは人によっては、古代インドの魔神にして軍神アスラに例えられた、とも言われる………。

 

……。

 

…結果としてミュラーの決断は、むしろバーミリオン星域の外側で貴重な時間を稼(かせ)いだ事に成る。

 

しかしヤンの包囲殲滅も、すさまじい。

イゼルローン要塞が包囲陣に参加している効果は、浮遊砲台などによる直接の攻撃力だけでは無い。

消耗戦に成った時こそ真の強みを発揮した。

ミサイルやビーム・エネルギーの残り少なくなった艦は補給を受け、反撃を受けて損傷した艦は修復を受けて復帰して来た。

帝国軍などは急ごしらえのウルヴァシー基地まで下がっても期待出来ない、本格的な後方支援をその場で受けられる。

後方まで下がる航行能力を失っていて退鑑命令が出そうな損傷艦までが、しぶとく包囲陣に復帰して来るのだ。

そうして結集された攻撃力が、包囲陣内の帝国軍を必要にして十分まで漸減した段階で、本来の標的である敵旗艦へと向けられた。

 

……そのヤン艦隊が最後に結集した猛攻撃の前に「鉄壁ミュラー」がアスラと成って立ち塞がった。

 

その激突の最中、急転が起こる。同盟首都からの停戦命令がヤン艦隊に届けられた。

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