当時のラインハルトは帝国軍最高司令官ローエングラム元帥であると同時に、帝国宰相ローエングラム公爵でもあった。
そのため「神々の黄昏」作戦に置いても相応数の文官を旗艦ブリュンヒルトに同乗させて来た。
流石にバーミリオンの激戦場までは連れて行くまでも無い。
惑星ウルヴァシーの基地に残していた。
その文官たちを特命室長ザルツ少将は、適当な巡航艦に乗せて惑星ハイネセンまで引率して行った。
「バーラトの和約」とも呼ばれる事に成る条約の、事務レベルでの交渉と作成に従事させるためである………。
……。
…5月25日。ラインハルト・フォン・ローエングラムとヨブ・トリューニヒトが「バーラトの和約」に署名した。
その直前「和約」の細部と付帯条件が煮詰(につ)められていた頃、ラインハルトらと同道して首都星に帰還する成り行きに成った後、辞表を提出したまま官舎で引越しの準備をしていた筈の同盟軍人が呼び出された。
この時のラインハルトが自分自身で会見しなかったのは、単純に「和約」成立の直前で時間に追われていたから、らしい。
だが、いずれ時間を気にせずに会いたい、との希望をもらしたとも伝えられる。
そのラインハルトの代理としてヤン・ウェンリーに会見したキルヒアイスは、煮詰められつつあった「和約」の細部と付帯条件に関係した、実務レベルの交渉を持ち出した。
「バーラトの和約」第5条による軍備制限に先行して、イゼルローン要塞の返還が要求された。
これに対してヤンは、同盟政府に丸投げしようと試みた。
「それでは、そちらの政府と我々帝国軍が“あの”要塞をどう扱(あつか)おうとも提督は関知しない、と言う事でしょうか?」
「出来る筈も無いでしょう」
結果からすれば白々しい、とすら言えるが、好人物のキルヒアイスですら言及はしなかった。
そう言うゲームをしている同士である事は、今さら確認するまでも無い。
続いて第6条である。
反帝国活動は今後、同盟の国内法によっても禁止されるが「和約」以前の帝国から同盟への亡命者の罪を問う、問わないは別の問題であるとの声明が、ラインハルトの名をもって「和約」とは別に発表される予定だった。
その声明の予定を告げた上でキルヒアイスはヤンに問うた。
「メルカッツ提督は戦死なされたのですか?」
今度こそヤンは困惑した。
メルカッツや副官のシュナイダー、さらにはイゼルローンの移動要塞化を実現した技術者などが「バーミリオン星域会戦」後に行方不明と成っており、書類上は戦死した事に成っている。
「あの時点で、メルカッツ提督たちに対して帝国側からの復讐を恐れた事まで、ローエングラム閣下は追及される積もりは持っておられません」
ヤンは頷(うなず)くしか無い。
「それに、そんな復讐を望んでもおられませんでした」
ラインハルトとヤンとの直接会見でも、復讐者と成るのは帝国内部の旧体制に対してのみだ、と断言されている。
「ですから、今ただちに出頭されれば、このまま同盟領内に留まる事も黙認されるでしょう」
これが幼帝誘拐でも成功していたら、同盟領内に成立した亡命政権の弾圧を大義名分にでも出兵して来ていたならば、間違いなく亡命政権に参加させられていただろうメルカッツを、免罪する訳にもいかなかっただろう。
だが「先帝」と誘拐未遂犯は、帝都皇宮でローエングラム陣営の憲兵総監に監視されている。
「当然ですが「和約」と同盟側の国内法が成立した後の、反帝国活動は見逃せません。
今なら間に合います」
ヤンの内心としては、停戦命令に従った時の方がよほど気も楽だった。
……この前後のラインハルトは、自分でヤンに会えなかったほど多忙だった。
例えば「和約」第2条によって割譲される「同盟側の灯台」星系、ヴァンフリート星系そしてガンダルヴァ星系の実効支配について、あるいは第7条によって駐在させる高等弁務官について、判断と決定はラインハルトだけが許されていた。
当然ながら、ヒルダやキルヒアイスの助言を受けてはいる。
例えば高等弁務官の人事では、ロイエンタール、レンネンカンプと言う2つの案に対してヒルダが反対意見を提出した。
ロイエンタールにはミッターマイヤー、キルヒアイスとともに3長官に任ずる、と言う名分が存在した。
片やレンネンカンプの場合、かつての上官を使い捨てにするが如き発言をしかけたラインハルトがキルヒアイスにも諌(いさ)められていた。
「では、貴女は誰が適任と考えるのかな?」
逆に問われたヒルダは具体的な人名をあげる代わりに、選考理由の方を述べた。
「この任務は単なる武人の任務と異なり、文官や専門家の補佐や助言を受ける事に成ります。
そうした任務である事を心得、むしろ補佐する文官たちを使いこなせる提督を当てるべきです。
逆に自分を補佐させる文官を推挙させてみれば、ご判断の参考に成るかもしれません」
成程と言うべきか、そんな文官の心当たりなど無い事をむしろ自慢すらしそうな提督も居たが、迷わず1人の文官の名をあげた者も居た。
コルネリアス・ルッツ提督がユリウス・エルスハイマーと言う実務官僚の名を出したのである。
この実務官僚はルッツの妹の夫に当たる。
その点を突っ込まれる事は当然だが、ルッツは悪びれなかった。
「身内なればこそ、彼の事は知り抜いております。
いずれの提督が大任をたまわりましょうとも、彼ならば補佐の任をまっとうするでしょう」
この言を「好し」としてラインハルトは、高等弁務官と補佐者の人事を決断した。
続いて惑星ウルヴァシーの基地司令官には、カール・ロベルト・シュタインメッツを指名した。
実の処、ヤン・ウェンリーとイゼルローンによる「災難」そして「ランテマリオ」での消耗はシュタインメッツ艦隊が甚(はなは)だしい。
逆に再建を急がせる理由をつくるためにも、あえて旧(?)敵国近くでの駐留任務を与えたとも解釈出来た。
片や結果としてルッツ艦隊の犠牲は比較すれば少なく済んでいたのだから、少なくとも高等弁務官と言う、決して軽くは無いが艦隊戦力が必須とも言い切れない任務が、艦隊を失った提督の落ち着き先などには成らずに済んだのである。
とは言え、専用旗艦である戦艦スキールニルその他を除く艦隊の大部分は、副司令官らに預(あず)けられて帝国本土に凱旋する。
犠牲を受け持った艦隊の再建のため、艦や兵が引き抜かれる事は避けられないだろう。
これらは、1つ2つの例に過ぎない。
ラインハルトだけが判断と決定の資格を持っている事は幾(いく)らでも存在した。
その中には不快な事も含まれていた。例えばトリューニヒトの仕官とか。
そしてラインハルトには帰還を急ぐべき理由も存在した。
「バーラトの和約」は皇帝の名をもって有効化される。
その皇帝が誰であるかを明確にするためには帰還すべきだった………。
……。
…こうして、ルッツやシュタインメッツそしてシュタインメッツ艦隊の穴埋めに各艦隊から引き抜かれた艦や兵を残して、帝国軍は凱旋した。
その帰還途中の戦艦ブリュンヒルトに、1つの報告が届けられた。
やはりメルカッツは生きていた。
そしてラインハルトは、キルヒアイスを通じてヤンに約束した通りに、同盟領内での身柄の安全を保障した。
当然ながら監視の目は離さない、と言う条件付きだが。
だが、ともすればメルカッツどころかヤン・ウェンリーの事すら忘れそうに成る程、帰還途中でもラインハルトは多忙だった。
帝国宰相が何ヶ月も帝都を留守にしていたのである。
しかもローエングラム宰相の主導による劇的な内政改革が進行中だった。
これだけでも、ラインハルトを待っている仕事は大量だった。
しかもラインハルトは、儀式としても大仕事を準備させていたのである………。
……。
…今日で「バーラトの和約」署名から、丁度(ちょうど)1ヶ月が過ぎていた。
すでに宰相ローエングラム公爵では無く、皇帝ラインハルトを最高行政官とする新体制で日常業務が動き出している。
そんな帝都の憲兵本部でも、ザルツ新中将が特命室長としての活動を再開しようとしていた。
この勝手な再投稿も、何とか折り返しまで来ることが出来ました。
読者の皆様には感謝いたします。
何とか完結まではもっていきたいです。