蝶は羽ばたいた(銀河英雄伝説)   作:高島智明

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第41章 フェザーン大本営

新帝国暦1年8月8日。皇帝ラインハルトの決断が布告された。

惑星フェザーンへの皇帝大本営の移転である。

 

9月17日。ラインハルトは宇宙戦艦ブリュンヒルトで惑星オーディンを出立した。

「旧」王朝以来の皇宮の住人だったのは、6月22日の戴冠式から「この」日までの短い月日に過ぎず、そして『原作』通りならば、ふたたび戻らぬ旅立ちだった。

 

オーディンからフェザーンへの軍事力の移転と集中は、年内の予定とされた。

それは自由惑星同盟への再度の、そして恐らくは最終的な出兵の準備を意味していた………。

 

……。

 

…これに先立つ8月30日。先発してミッターマイヤー宇宙艦隊司令長官が進発していた。

 

その宇宙艦隊に便乗しながらザルツ中将は、どうしても疑惑を捨てられなかった。

騒乱を起こしたのが憂国騎士団と地球教団だけに、そしてトリューニヒトの「目的」を知っていただけに、当人は惑星オーディンで「置いてけ堀」に成っていた「元」同盟元首が関与していた、あるいは黒幕本人では無いのかと。

大体「キュンメル事件」での密告のタイミングすら計算の上だろう。

もしも、実際よりも速かったら「あの」時点では本拠地が壊滅していなかった地球教団から、本物(?)の裏切りをうたがわれただろう。

逆に遅かったら、密告そのものが無意味だった。

そのギリギリのタイミングを計算しての密告だったろう。

だが、ザルツと言う名前も知らない「後出しジャンケン」だけが計算に無かっただけだ。

 

そのため、今回の密告で帝国側に取り入る機会そのものは空振りだったものの、皇帝暗殺に関与した証拠は、地球教団オーディン支部の死に遅れに自白剤を使用しても入手出来なかった。

出来る事なら今回、惑星ハイネセンで起きた騒乱への関与を罪として断罪してやりたい処だが、同盟は未だ、名目上までも帝国に征服された訳では無く、ザルツには高等弁務官を通じて同盟に勧告するだけの権限も無かった。

元々、保身に関する限りは天才と言うよりも“妖怪”と言うべきトリューニヒトである。

ケスラー憲兵総監をしても、惑星オーディンからフェザーン回廊越しに、惑星ハイネセンでの事件の責任を問う事は困難だった。

それに、もしもザルツが皇帝に直訴できて、弁務官から同盟政府に勧告してもらっても、現状の同盟当局に黒幕まで確定出来るだけの捜査能力が残っていただろうか?

 

そのため、せいぜい次善の予定を立てるしか無かった。

『原作』通りならば、これから陰謀の舞台は惑星オーディンを離れて惑星ハイネセンと惑星フェザーンに成るだろう。

そのフェザーンで少しでも早く、対テロリズムの準備をするしか無かった。

同時に上官のケスラーを納得させられそうな出張の理由も。

何せケスラー上級大将は、防衛司令官として(今だ名目上の)帝都を離れられないのだから………。

 

……。

 

…同盟当局の統制能力は、首都星を離れた星域でも弱体化し始めていた。

 

元々「自由な惑星の同盟」の体制は地方自治を建前としている。

内政面の視点から見れば有人惑星なり恒星系なりの自治権限が大きい。

だからと言って、1つの自治体が国家からの離脱を宣言しても制止出来なかった、と言うのは明らかに国家として弱統制化していた。

 

フェザーン回廊を中心とする皇帝ラインハルトの新帝国構想からすれば、辺境と成っていくであろう、今ひとつの回廊の近く「エル・ファシル」と呼ばれる星系である。

宣言の日付は8月13日。8月8日の皇帝の布告はエル・ファシルにも届いていただろう。

ニュースだけなら超光速で届く時代である。

 

……その同盟政府は、少なくとも公務を停止してはいなかった。

 

状況最悪の国家と言う大荷物を背負ったまま、背中から降(お)ろす事の出来なくなった同盟元首ジョアン・レベロは、それでも尚、努力を続けていたのである。

旧来の友人であるホアン・ルイの見舞いと助言をすら振り払い、孤高の公務を続けるレベロに、例えば宇宙艦隊総参謀長などは、尚も付き合い続けていた。

「ランテマリオ星域会戦」を含めた「バーミリオン・キャンペーン」の後、燃え尽(つ)きる様に老将が退くと、後任の司令長官を何とかする余力すら国家そのものには不足していた様だったが、その不在を、外見は「パン屋の2代目」にしか見えない総参謀長が支え続けていたのである………。

 

……。

 

…新帝国暦1年の10月が始まる頃には、皇帝ラインハルトは惑星フェザーンの地表上に接収した大本営に移っていた。

 

そして後続の到着と、フェザーン回廊周辺への軍事力の集中を待っていた。

「神々の黄昏」作戦に匹敵する軍事行動の準備だけでも、数ヶ月を必要として当然だった。

ただ今回は、最初からフェザーンを拠点に出来ることだけが違っていたのである。

結局の処、帝国軍あるいは皇帝ラインハルトを11月までフェザーンに留めさせたのは後方支援と実務の問題だったろう。

元々、8月8日に皇帝の決断が形と成った時点では、年内までにフェザーンへと軍事力を集中させる予定だったのだ。

それが11月10日付で黒色槍騎兵を先発させているのだから、むしろ予定は繰り上げられていたのである。

 

ただラインハルト自身が「バーラトの和約」に自ら署名し、皇帝として発効させて置きながら、降って沸いた様な機会に飛び付くが如く再侵攻する事に対して、むしろ美意識的に躊躇(ためら)ってはいた。

しかし同時に、ラインハルトは生き急いでいた。

そして其のラインハルトに全ての選択権が委(ゆだ)ねられていた。

 

……黒色槍騎兵を先発させた同日。

 

皇帝ラインハルトは同盟市民に向かって宣告した。

すでに「バーラトの和約」は同盟政府の統制能力において実効力を消失している。

新たなる秩序は新たなる行動と実力によってのみ回復される。と。

 

やはり「生き急ぎ、宇宙を奪う事を急ぐラインハルト」と言う根幹が、変更されてはいなかった………。

 

……。

 

…この宣告を受けて同盟側で起こった事は、とても纏(まと)めては言い切れなかった。

 

様々(さまざま)の悲劇や喜劇(と言うには深刻過ぎる事態だけに尚さら冷笑的とも言える人間劇)その他が、様々に繰り広げられたのだ。

その中でも後年には伝説化さえされたのが、宇宙艦隊総司令部を訪問した老元帥をめぐる小劇だった。

 

帰還した司令長官と副官と総参謀長を出演者とした小劇は、当事者の1人でもある副官が証言者と成った事も手伝って、広く長く伝えられた。

その副官が証言する処では、早くも「この」小劇が演じられたのは、皇帝ラインハルトの宣告から数日後の頃である。

百戦錬磨の老元帥には、この帝国の軍事力集中と移動が何を意味するかは分かっていた。

そして同盟元首からは、8月に皇帝が表明した頃から復帰要請を受けてはいた。

要請内容が「ヤンを帝国に売ろうとしたら、反撃され逃亡されたから討伐せよ」などといった、自分は兎も角(ともかく)「旧」トリューニヒト派閥の様な政略理由でも無い限り、将兵が聞きそうも無い命令なんかでは少なくとも無かった。

戦う相手は帝国軍であり、無抵抗であれば其のまま自由惑星同盟と言う国家は滅亡するだろう。

だが、勝ち目の無い戦いである事も百戦錬磨には分かってしまう。

自分の戦死は恐れない。しかし其れでも迷う時間は其れなりに必要だった。

 

最終的には、皇帝ラインハルトの出征を切っ掛けに老元帥は心を決めた。

 

……その後、それが何時だったかの公式記録は既(すで)に破棄されている某日。

 

今度は老元帥が、とある退役軍人を呼び出した。

その人物は「未だ軍服の方が似合っていた」背広姿で総司令部を訪問したが、彼と迎えた老元帥の間で、どの様な密談が交されたか、についても公式には記録されていない。

ユリアン・ミンツ編集「ヤン・ウェンリー=メモリアル」その他の証言も、歯切れの悪い回想しか残していない。

そのため、後世の歴史家には想像の楽しみを残す結果に成った………。

 

……。

 

…先発隊の黒色槍騎兵を先行させた後から、帝国軍の主力部隊も順次フェザーンを進発して行った。

 

帝国側の宇宙艦隊司令長官ミッターマイヤー元帥が、主力軍を先導していた。

そのミッターマイヤー艦隊に続行してレンネンカンプ艦隊、ケンプ艦隊、アイゼナッハ艦隊と続き、これら先行する各艦隊の後ろを固め、さらに後方の皇帝本軍との連携を確保するのはロイエンタール艦隊である。

今回、統帥本部総長ながら皇帝の参謀長はマリーンドルフ幕僚総監に任せ、総長に任じられる以前からの艦隊を率いて艦列全体の有機的結合に任じていた。

 

そして皇帝本軍の前衛は軍務尚書ながらキルヒアイス元帥の艦隊が、後衛はミュラー艦隊が固めていた。

 

逆にファーレンハイト艦隊は、いったん帝国側へと迂回して「元」イゼルローン回廊「和約」の付帯事項によって「辺境回廊」と呼ばれる事で同意されていた、もう1つの回廊を通過し、帝国軍が「和約」後あらためて拠点を設置していたヴァンフリート4=2付近に待機、以後の命令を待つ事に成っていた。

フェザーン回廊を主要な進撃路とする事は変わらずとも、両面作戦が可能ならば、自ら戦略上の選択肢を捨てるまでも無かった。

それでも、惑星オーディン周辺に待機しているワーレンあるいはメックリンガー艦隊を呼び寄せるよりは、時間的距離としても早かった。

 

……ミュラー艦隊を最後に遠征軍が飛び立った後の惑星フェザーンの地表上。

 

ザルツ中将が動き回り始めていた。

フェザーンの留守防衛司令官を拝命した大将にしてみれば、鬱陶(うっとう)しく無くも無かったが、しかしザルツ情報の有益さには直ぐに納得する事に成る。




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