それが何時だったかの公式記録は既(すで)に破棄されている某日。
今度は老元帥が、とある退役軍人を呼び出した。
その人物は「まだ軍服の方が似合っていた」背広姿で総司令部を訪問したが、彼と迎えた老元帥の間で、どの様な密談が交されたか、についても公式には記録されていない。
ユリアン・ミンツ編集「ヤン・ウェンリー=メモリアル」その他の証言も、歯切れの悪い回想しか残していない。
そのため、後世の歴史家には想像の楽しみを残す結果に成った。
少なくとも2つの事は確かである。
1つは、ヤンは以下の様な構想を語った、と言う事だった。
7月の騒乱以降、ヤンは自由惑星同盟と言う国家の滅亡を避ける事は困難だろう、と予測していた。
と言うよりも、ヤンほどの戦略家であれば予測せざるを得なかっただろう。
そして歴史家としてのヤンは、皇帝ラインハルトが少なくとも予測可能な近未来までは善政を実施するだろう、とも予測していた。
おそらくは、トリューニヒト政権時代の同盟よりも結果として民衆には公正な施政を。
しかしラインハルトが名君だからこそ、彼ただ1人に全人類をゆだねる事の危険を、ヤンは思わざるを得ない。
ヤンの父が「民衆が楽をしたがったからルドルフが出現した」と教えた事を、ヤンも忘れてはいなかった。
辺境でも好い。1つ切りの星系でも好い。
民主共和主義の苗を温存する温室が必要なのだ。
自由惑星同盟も、ほとんど惑星ハイネセンだけの惑星国家から始まった様に。
何時の日か、ローエングラム王朝が名君ならざる様に成った時のために、その時の子孫たちに選択肢を残すべきなのだ。
「多数の凡人が試行錯誤しながら、例え急速で無くても次善であっても、少しでも好い途(みち)を探す」
と言う選択肢を、名君や天才に全てを賭ける政体の他にも。
それがヤンの構想だった。
「それは大変じゃの」
もう1つの伝説は、そう老元帥が指摘した事である。
少し考察すれば理解出来る事だ。
あの皇帝ラインハルトが其の天才と、銀河統一の野望と、ローエングラム改革で充実活性化した国力を持って押し寄せて来る。
これに抵抗して例え1つの星系だけでも、自治と内部での帝国とは異なる政体を認めさせる、それよりは国家の滅亡に義理を立てて玉砕する方が、余ほど簡単だろう。
「じゃから年寄りには、楽をさせてもらうぞ」
そう言って老元帥は、用意していた辞令を突き付けた。
「退役元帥ヤン・ウェンリーを「イゼルローン要塞司令官・兼・要塞駐留艦隊司令官」に再任する」
これに対してヤンがどう答えたか、には様々(さまざま)な伝説が残る。
ただし、こうした伝説を語る者の中で少なくない者が、ヤンを英雄扱いしている。
流石に「バーミリオン・キャンペーン」の1つの局面でもある「ランテマリオ星域会戦」に、宇宙艦隊司令長官としてビュコックが参加しているためだろう、ヤンの退役時の肩書と「リップシュタット」当時のラインハルトの肩書を混同する者までは少なかったが。
ユリアンが「メモリアル」でアイマイにしていたのは「給料」がどうとか、と言った問題発言だったから、と言う説も存在はしているが………。
……。
…繰り返すが、この会見が何時だった、と言う公式記録は存在しない。
ビュコックもヤンも帝国軍の目を誤魔化(ごまか)して事を運ばなければ成らなかったからでもある。
ルッツの預(あず)かる弁務官府と其の警備戦力も、シュタインメッツのウルヴァシー駐留艦隊も健在だった。
いや、同盟側の治安維持能力の惨状を名目に、独自の自衛体勢に入っている。
そしてヤンもビュコックも、ルッツやシュタインメッツを過小評価などしていなかった。
したがって彼らの出発の日は、公式記録には残されていない。
「バーラトの和約」の条文によれば、同盟軍は宇宙戦艦や母艦を保有しない建前に成っていた。
無論、条約に署名した瞬間に全ての戦艦や母艦が消失する筈も無い。
実際に実物の艦を処理するまでは、それなりの時間と手間を要した。
まして同盟と言う国家自体が弱体化している上、帝国側からの間接的にしろ制限下に置かれている現状では、帝国軍としても、ある程度までは納得せざるを得なかった。
片や、同盟軍の宇宙艦艇は帝国軍の様に惑星上への離着能力を持っておらず、そうした艦艇や宇宙艦隊への後方支援の能力を持った拠点を、同盟軍は「バーミリオン・キャンペーン」当時で国内84ヶ所に設置していた。
結果として「処分待ち」名目の艦が、あちらこちらで帝国軍も何分の幾(いく)らかは黙認の下、こうした拠点に放置されていた。
そうした拠点のうち、惑星ハイネセンが在るバーラト星系に比較的近く位置していた拠点の1つから、ヒッソリと言うよりもコッソリと、とある時とある戦艦が出航して行った。
宇宙戦艦ヒューベリオン。
その艦名のみならず艦型までも「奇蹟の魔術師」と結び付けられて、帝国軍にもよく知られている筈の艦。
知られているからこそ、ヤンの「退役」とともに優先的に処分される筈だった。
そのヒューベリオンが数十隻と言う、この時代の艦隊規模からすれば少数とすら言えない数のみ従えて、惑星ハイネセンとは逆の航路へと向かった。
戦艦ヒューベリオンの個性とも言える「円卓」には何時の間に手配したか、宇宙艦隊総参謀長が呼び集めていた面々が並んでいた。
その中の1人キャゼルヌ曰く「家出息子の集団」
記号としての自称は必要だからと言う理由で、間もなくヤンが選ぶ事に成る名称では「ヤン不正規隊」の面々である。
キャゼルヌ…フィッシャー…ムライ…パトリチェフ…アッテンボロー…シェーンコップそしてメルカッツにシュナイダー。
ヤン夫人も副官席に居る。
さらにはスーン・スールがビュコックからの使者の様に加わっていて「円卓」以外の同乗者としても、シェーンコップの引率している「薔薇の騎士」やポプラン引率する空戦隊が同乗している。
そのポプラン空戦隊の中に、遠からずユリアン・ミンツと出会う少女が同乗している事まではヤンも知らない。
そのヤン自身は「これでユリアンが地球から戻って来ていたら」と、どうしても未練が残っていた。
「家出」と言う言い方は間違いでも無かった。
ヤンは老元帥から、今1つの文書を渡されていた。
「全責任は宇宙艦隊司令長官がとる。貴官の判断によって最善と信じる行動をとられたし」
ここまでなら、以前にも受け取っていたものと同様である。
しかし今回は、書類に成っていて続きが在った。
「民主共和主義の理念のために最善と決断した行動に関係しても、自由惑星同盟政府に対する責任は司令長官がとる」
シビリアン・コントロールを建前とする国家の軍隊で、制服軍人から軍人への命令としては法的に微妙な感じもするが、形式は整っていた。
ムライなどは「形式も度がすぎる」とのツッコミを入れた時「パン屋の2代目」は「むろんジョーク」などとボケていたが………。
……。
…このヤンの行動は「戦争の天才」をしても違和感を持たせるものだった。
行動自体がコソコソと帝国軍ばかりか、一般の同盟軍の目からすら隠れようとでもするかの様だった事もあるが、純粋に軍事的な戦略としてみても、支離滅裂としか評価出来ない。
名将ぞろいだからこそ帝国軍を困惑させていた。
解答らしきものを提示したのはヒルダである。
「バーミリオン」直後のヤン・ウェンリーが「一時」メルカッツらを潜伏させる際に依頼した「動くシャーウッドの森」それがヤンとビュコックの同意する処では無いのか、と見なしたのだった。
「そうして後顧(こうこ)の憂(うれ)いを無くして置いて、心置きなく戦う積もりか。ならば」
ラインハルトは、いかにも彼らしい言葉を発した。
「挑戦を受けざるが非礼だ」
当然ながらラインハルトが、美意識だけで戦略を選択する筈も無い。
ラインハルトもヤンも極めて正統的な戦略家であり、今の帝国軍ならば戦略レベルでの正攻法こそ最も正統な戦略である事を知っていた。
そしてラインハルトは、その通りに実行しつつあった。
さらには前年の「バーミリオン・キャンペーン」に対する反省も、流石に在った。
ヤンに対する戦術レベルでの勝利と、敵首都を落とす戦略レベルでの戦争そのものの勝利とで本末転倒した結果、あと半歩でヤンに逆転勝利される処だったのだから。
したがって今回は、正面から首都星ハイネセンに迫り、今度こそ同盟と言う国家を名実ともに征服する事を優先する。
ヤンが暗躍しようが、その始末は「その」後からだ。
1つには、ヤンとともに「家出」した数が、余りにも少数過ぎた事にもよった。
当然ながら、少数過ぎること自体に情報操作をうたがいもしたが「ヤン不正規隊」に限らず、同盟軍の残存兵数に関係しての正確な情報を入手しようとすればする程、支離滅裂な結果に成っていた。
同盟軍の軍政軍令が、本当に支離滅裂に成っていた結果でもあったが「パン屋の2代目」は、その上に悪ノリもしていた。
悪意を持って確信犯的に。
ラインハルトが戦略レベルで正攻法を選択した理由の1つは、こうした情報の支離滅裂にも在った。
老元帥と「パン屋の2代目」は、こうして支離滅裂に成っていた同盟軍の残存戦力を、支離滅裂に各自「ヤン不正規隊」を追う様に仕向けた。
帝国軍が圧倒しながら押し寄せる中で、結局は「ヤン不正規隊」に最大限の残存戦力を合流させられる方策だと、そう見定めていた。
……そうして支離滅裂に「ヤン不正規隊」を追う中には、フェザーン船籍の独立商船も居た。
皇帝ラインハルトがフェザーン大本営から宣言し黒色槍騎兵が先発した時「親不孝」号は、フェザーン回廊から同盟側へと入った直後だった。
その黒色槍騎兵が更に先行させた偵察隊から逃げ出して、帝国軍の進路から外(はず)れているだけでは無く、名も無く何も無い星系と星系の間の空間に逃げ込むと、さて支離滅裂な情報の中から「ヤン不正規隊」の「家出」先を探さなければ成らなかった。
そしてユリアンは、ヤンの思考を追走する事で「帰宅」先を探そうとしていた。