後年。と言っても何年も後では無く、赤子が幼児に成る程度の後年。
憲兵本部特命室長ハンス・ゲオルグ・ザルツ中将が憲兵総監ケスラー元帥から割り振られた仕事の1つが、帝都フェザーンに駐留する高等弁務官を「不」定期に訪問する事だった………。
……。
…その結果ザルツ視点では、あらためて確認出来た。
この時「ヤン不正規隊」で何が起きていたかを。
『原作』には6月7日にイゼルローン回廊の「旧」同盟側出口周辺から帰還を発表して、惑星フェザーン到着が7月1日とも記述されている。
エル・ファシル星系からの時間的距離は50歩100歩だろうし、これは大艦隊の記述だ。
単独航行する独立商船は、もっと早い筈だった。
したがって、11月10日時点でフェザーン回廊から同盟側へ入っていた「親不孝」号は、計算上12月が来る前に到着可能だろう。
そしてヤンの思考を追走してみたユリアンは、11月10日の帝国軍侵攻を確認した以上、ヤンがエル・ファシルを目指すと結論した。
こうして「親不孝」号は「ヤン不正規隊」と数日の時間差で、エル・ファシルに到着することに成る。
……そのユリアンの「帰宅」を、ヤンは当たり前の様に迎えた。
そして以前の様にユリアンと対話しながら、発動しかけていた作戦の整理と確認をした。
実の処、すでに作戦は始まっている。
何ともヤンは、当然ながら文民政府の承諾は得た上だったが「ヤン不正規隊」の実数を偽装していた。
現状、ヤンと共に有人惑星エル・ファシルのマスコミの前に出現しているのは、戦艦ヒューベリオン以下、惑星ハイネセンを「家出」した時点での最初の「不正規隊」だけだ。
その後、エル・ファシル星系まで其れなりに右往左往しながら移動してくる間に合流した艦隊は、戦艦ユリシーズを旗艦とするメルカッツの指揮下「同盟側の灯台」星域方面へと行動を開始していた。
だが、作戦実行のタイミングは帝国軍の動きを見切り、読み切った瞬間だ。
したがってエル・ファシルからヤンの急使が追い付ける様に、余裕を持ってメルカッツは行動している。
そして、帝国軍が探知出来ない空間に潜んでいた。
「だけど、こうした作戦は本来、こちらの希望する位置に後方支援の拠点を移動させる事の出来るハードウェアを持っていて成り立つものだよ」
そこに移動要塞イゼルローンの価値を、ヤンは認めていたのだが。
現状、キャゼルヌやフィッシャーには実務面での負担をかけているし、実際にはエル・ファシル星域から離れられる距離にも限界が在る。
それだけ「同盟側の灯台」星域への進発は早めなければ成らないし、帝国軍の動きに対する見切りや読み切りも深く考えなければ成らない。
「それに其れだけ余計に「辺境回廊」から迂回して来る、帝国軍の別働隊の目も誤魔化(ごまか)さないと成らなくなるしね。
そこで、ちょっとした小細工をバクダッシュに試させる積もりだ」
こうした対話はヤンにとって作戦の確認でもあると同時に、ユリアンにとっては帰るべき処に帰った事の確認でもあった。
この後、ヤンはボリス・コーネフとも面談している。
その結果「親不孝」号はトンボ返りの様にメルカッツ艦隊までユリアンたちを送り届ける事に成る。
……この辺りまで聞いて、後日のザルツは想ったものだ。
ザルツが「前世」で生活していた社会での普通の会社ならば、役所や銀行へ届けてあるハンコなんぞは、社長と経理課長しか手に触れられない様に成っていて普通だろう。
そう言った何かを「管理」する場合のヤンたるや、公務では副官をしていたフレデリカの、私生活ではユリアン任せである。
当然に“それ”を直接に管理していたのはフレデリカだった………。
……。
…帝国軍の主力は集結しつつあった。
惑星ウルヴァシーやランテマリオ星系にも近い空間である。
同盟軍との最後の戦いが近付いていた。
……その後方「同盟側の灯台」星系では、今日も遠征軍の後方支援に勤(いそ)しんでいた。
その最中、奇妙以前に意味不明な超光速通信が飛び込んで来た。
フザケた文章どころか意味のある単語にすら成っていない、数字と同盟語アルファベットの羅列(られつ)そんな通信が複数受信された途端(とたん)に、想定外の事が起きた。
……敵へと明け渡す場合に奪還を期して仕掛けて置くキー・ワード、とか以前の話、重要施設ならば当然のセキュリティと言うものである。
要塞メイン・システムの最も深い部分へのアクセスには、要塞司令官の本人確認のみならず、最低でも複数の士官の承認を必要とした。
ヤンの部下ではあるが、直属上官である宇宙艦隊司令長官を通じてシビリアン代表である国防委員会が承認した6人中の4人が、高度に暗号化された承認暗号を入力する設定に成っていた。
その暗号は、あえて無意味にしてある数字とアルファベットの羅列であり、当然に本人が暗証して置く事すら不可能である。
確認者それぞれの責任で保管しているコンピューター・メモリーに記憶させて置く事に成っていた。
この時、ヤンから「不正規隊」を預(あず)かっていたメルカッツの旗艦ユリシーズには、ヤンからフレデリカの保管していたメモリーを預かったユリアンが同乗しており、必要にして十分な4人も「不正規隊」に同行していた。
……ザルツだけが知っていた『原作』で“この”手段が選択されなかったのは、簡単といえば簡単な理由からだった。
問題の6人中にフィッシャー、ムライ、パトリチェフの3人が居たからである。
余談ながら、残る3人はキャゼルヌ、シェーンコップ、アッテンボローだった。
フレデリカが入っていない理由は、委員会に取り次いだのがビュコックならば想像可能である………。
……。
…超光速通信で、5通りの文字と数字の羅列が受信された瞬間、帝国軍には想定外の事が起きた。
イゼルローン要塞の全機能は、戦艦ユリシーズの艦上からユリアン・ミンツが操作可能に成っていた。
直ちにユリアンは、最優先の操作を実行した。
要塞内の生命反応がある限りの全区画、ただし病院ないしは何らかの医療機器が作動中の区画、要塞全体の環境浄化システムを兼ねているため植物を枯らす事の出来ない森林公園などは、その内部から他の区画へ移動出来ないよう閉鎖した上で、閉鎖区画を除いた全区画の環境維持システムを、タンク・ベッドのシステムと同様に書き換えたのである。
数分後、イゼルローンの「冬眠」状態を確認した上で今度は、要塞にエンジンを取り付けた技術者から預かって来た、自動航行システムを入力した。
移動要塞イゼルローンは、内部からは操作されないまま、戦艦ユリシーズの艦上からユリアン・ミンツに誘導されるままに、ワープして行った。
そこは「同盟側の灯台」星系からはエル・ファシル星系の方向へと数回のワープ程度の距離だけ離れた、しかし、その程度に離れれば帝国軍からは探知困難な何も無い空間、補給拠点の方から近付いてこなければ何時までも艦隊が待機もして居られない、無価値な筈の空間だった。
しかし数日以内に帝国軍の救助隊が、その何も無いはずの空間からの救難信号に呼び寄せられる事に成る。
そして未だ「冬眠」から目覚め切れない戦友を満載した救命艇を救助するのだが………。
……。
…単体の移動要塞は、艦隊フォーメーションを組んでのワープよりも速い。
その速度でイゼルローン要塞がエル・ファシル星系に移動して来ると、惑星エル・ファシルの衛星軌道に落ち着いた。
星系に到着してから衛星軌道に落ち着くまでには、惑星エル・ファシルの地表上で待機していたヤンたちもイゼルローンに「帰宅」していた。
この時のヤンの目的は「1つの星系でも好いから民主共和主義の自治政体を確保する」事であり、懐(なつ)かしい「我が家」でもあるイゼルローンも感傷は別ながら、目的のために選ぶ手段に過ぎない。
とりあえず「その」1つの星系の候補をエル・ファシルとしたならば、有人惑星エル・ファシルの民間人を護る事が戦略レベルでの目標だった。
その戦略レベルでの目標を達成するための戦術として選択した。
イゼルローンを動かす事が出来るならばエル・ファシルを守る位置に動かす事で、戦略的目標に「難攻」と言う戦術的価値を一致させたのである。
……ザルツ特命室長は、前回のキー・ワード発見の時に警告していた。
「相手はヤン・ウェンリーです。
考え過ぎと言う事は在り得ません。
発見した小細工が囮の可能性すら在り得ます」
「これが責任逃れだったら、何処かの元議長みたいな保身術だな」
とは、酒の上の冗談ながら評論された。あくまでも冗句である。
結局、ザルツの責任は其の程度ものと認識されていた。
決定者である皇帝からして、ヤン・ウェンリーと騙(だま)し合いが出来る程の謀略家だとは評価していなかったのである。
その皇帝ラインハルトがイゼルローンに起こった事を知る事に成るのは、自由惑星同盟の旗を立てた敵に対してならば、最後の会戦を戦った後の事だった。