蝶は羽ばたいた(銀河英雄伝説)   作:高島智明

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第48章 風は辺境へと

「旧」同盟首都ハイネセンから「元」イゼルローン回廊こと「辺境回廊」までの時間的距離は、フェザーン回廊よりも遠い。

まして帝国軍は、なまじ大軍のために全艦隊が同時に進発する事が実際問題として困難だった。

先ずは先発の黒色槍騎兵とファーレンハイト艦隊に続いてミッターマイヤー艦隊が進発した。

そして順次、各艦隊が進発して行く。

その順序は、ほぼ前年「マル・アデッタ」へと進軍した順番に習っていた。

そして皇帝ラインハルトの本軍も、惑星ハイネセンを後にした。

 

その頃、帝国本土からも「辺境回廊」を通過してメックリンガー艦隊が侵攻していた。

だが、何事も無くヴァンフリート4=2を経由して皇帝本軍に合流する。

極論すればヤンの戦略的目標が、有人惑星エル・ファシルを防衛する事にまで単純化されていて、その戦術的手段としてイゼルローン要塞が惑星エル・ファシルの衛星軌道に移動させられている以上、もはやイゼルローン回廊ですら無い「辺境回廊」は、ヤンの戦略からも価値を失っていた。

イゼルローン回廊の中で前後から挟撃される危険さえなければ、元々大差のある敵兵数が1個艦隊増えるだけだったのだ。

 

戦略家としてのラインハルトに、空振りに類する感覚が無い事も無い。

2つの回廊と「旧」同盟と帝国2つの首都星、その間をめぐる史上最長の遠征路に沿って大艦隊を行動させながら、結局は、たった1つの星域に全軍を集結させての戦術的行動に単純化されてしまう。

だがラインハルトは、その単純化が自分とヤンと言う当代の戦略家同士の駆け引きの結果である事には別の側面で快を覚え、その次の戦術的課題を彼らしく期待もしていた………。

 

……。

 

…そのエル・ファシル星域への途上にある皇帝の旗艦に、超光速通信が届けられた。

 

特命室長ザルツ中将は、先ず直属上官である惑星オーディンの憲兵総監に通信を入れて了解を得てから、総旗艦ブリュンヒルトに通信した。

 

先ず皇帝は、爆弾テロの被害を極小に止めたザルツを賞してから、新たなる報告を聞いた。

「テロリストたちはヤン・ウェンリーの暗殺をも目論んでいる可能性が御座います」

「ほう?予の最大の敵手を」

「彼らの狙いはローエングラム王朝の建設する新秩序を妨害する事であり、ヤンの味方などでは在りません。

そしてヤンの目的が、皇帝陛下に対します条件闘争である事を恐れています。

ヤンが只、陛下と戦う事や民主共和政に殉教する事を目的としているのならば「マル・アデッタ」で出撃して来たでしょう。

しかし老元帥を死なせてまでも尚、エル・ファシルを拠点に抵抗し続けている以上、民主共和主義を生き延びさせる事がヤンの目的では無いでしょうか?

そしてヤンが生き延びて、恐れ多くも陛下との何らかの合意に到達した場合、宇宙に残る陛下の御敵が自分たちだけに成る事をテロリストどもは恐れているのでは。

それに対して、陛下との談判を前に例えヤンが暗殺されたとしても、今更ヤンの部下たちが抵抗を捨てる事も出来ますまい。

武力をもって帝国に抵抗する勢力は残る事に成ります。

それが彼らの、暗い思惑なのでは無いでしょうか?」

 

ザルツの報告を聞いたラインハルトは、流石に自分の考えを確認しようとするそぶりを見せた。

同時に反問して見せる。

「この通信をテロリストどもに聞かれる危険を、卿は考えなかったか?」

「聞いてヤンの暗殺をためらった場合、恐れ多くも皇帝陛下の不利益には成らないと愚考いたしました」

「その様だな」ラインハルトは、いかにも彼らしい笑い方をした。

 

その笑い顔が消える前に、ザルツが申し出ていた。

「出来得る事ならば、フェザーンを離れてエル・ファシルへと赴(おもむ)きたいと存じます」

「卿が?」

「皇帝陛下の大艦隊よりも駆逐艦の1隻程度ならば身軽でもあり、惑星ハイネセンよりも惑星フェザーンの方がエル・ファシル星域に近いのです。

小官の愚考いたす限りならば、何とか間に合うでしょう」

ラインハルトは「よきにはからえ」的な態度を示した。

 

……この頃すでに、帝国軍の先発隊はエル・ファシル星域に接近しつつある。

 

黒色槍騎兵とファーレンハイト艦隊の2個艦隊だが、続いてミッターマイヤー艦隊が到着した。

そのミッターマイヤー到着から数日前に、ビッテンフェルト名義の降伏勧告がイゼルローンに送られたが、これに対してヤン曰く「これが上品で穏健だというわけかい」な返答が通信され、続いてメルカッツの名を「悪用」したワナが仕掛けられた。

しかし、これらの通信に前後して直属上官でもある司令長官が到着したため、戦意満々の黒色槍騎兵も命令されるまま、エル・ファシル星域の外周まで下がって皇帝本軍を待たなければ成らなかった。

ヤン最初の各個撃破策は、結果として空振りに終わった。

 

司令長官からの報告に皇帝は、ライオンの大笑で受けた………。

 

……。

 

…新帝国暦2年4月末

 

エル・ファシル星域には帝国軍の各艦隊がミッターマイヤー艦隊の後からも順次到着し、惑星ウルヴァシーから進発して来たシュタインメッツ艦隊そして「辺境回廊」を抜けて来たメックリンガー艦隊も合流した。

これら各艦隊の後から艦列を固めるロイエンタール艦隊に続いて皇帝本軍も到着し、陣容は揃(そろ)った。

 

だが、その大軍と天才ラインハルト以下の名将たちをもってしても持て余していた。

移動要塞イゼルローンが有人惑星エル・ファシルの衛星に成っている。

1つだけの有人惑星の民間人を護ると言う戦略レベルでの課題と「難攻」の要塞の持つ戦術レベルでの能力が、単純化すらされて合致していた。

ここまで戦略も戦術も単純化されて仕舞うと、例え天才と名将たちが大軍をもって押し寄せても、それだけで直ちに解決する問題でも無くなって来る。

 

そして膠着(こうちゃく)状態がヤンに不利な訳でも無い。

 

この時の帝国軍に正確な実数までが入手出来ている筈も無いが、同盟瓦解(がかい)後の残存戦力でしか無い「ヤン不正規隊」を養うには、有人惑星1つの生産力とイゼルローン要塞の後方支援能力で、少なくとも当面は足りるだろう。

片や帝国軍は、大軍だけに後方支援への負担は大きい。

その行動線は長大であり、後方支援の拠点は直近でヴァンフリート4=2、もっとも充実した後方支援能力を提供出来る拠点は遠くフェザーンである。

 

無論ラインハルトほどの戦略家が、短期間で撤収する準備しかして来ないほど無能な筈も無いが、この負担の軽重にヤンが付け込まない、と楽観するほど愚(おろ)かでも無い。

そしてザルツの警告した暗殺者たちが恐れる様に、ヤンの目的がラインハルトの打倒では無く妥協であるならば、膠着したまま戦わずして談判に成功すれば、完全にヤンの狙い通りだろう。

だが、それでは戦略家としてのラインハルト以前に、彼の中の黄金獅子が許さなかった………。

 

……。

 

…新帝国暦2年5月上旬

 

特命室長ザルツ中将の徴用した駆逐艦が惑星フェザーンから急行していた時、すでにエル・ファシル星域では帝国軍と「ヤン不正規隊」との何度かの駆け引きと、少なくとも1回の小競り合いが交されていた。

 

だが未だ艦隊決戦レベルの全面衝突は起こっていない。

後年、ユリアン・ミンツ編集「ヤン・ウェンリー=メモリアル」の語る処に曰く

「私が根性悪く穴にひそんでいるものだから、カイザーといえども戦場をほしいままに設定するわけにはいかないのさ」

だった。

 

……ザルツが徴用した駆逐艦の艦名をエルムラントⅡと言った。

 

当時のミューゼル少佐が艦長を、キルヒアイス中尉が副長をつとめた艦であり、後の皇帝ラインハルトが初めて、小なりとも独立した戦闘単位を指揮した艦だった。

ローエングラム王朝の下では記念艦と成っても好い艦歴だが、当時の帝国軍は軍拡の極に在るとも言える。

宇宙艦隊の「働き者」である駆逐艦を、性能上からも耐用年数の上からも実戦に耐えられる間に現役から外(はず)す余裕は少なく、そもそも当の皇帝が好むまい。

しかし、そうした経歴を持つ艦である事を全く無視も出来なかった。

例えば皇帝や其の友人の後任と言う事に成る艦長や副長の人事とか、艦体や機関の整備とかに、どうしても意が働いていた。

 

そうした意が働いた結果だろう。

4月22日にフェザーンを出発したザルツは、5月5日にはエル・ファシル星域まで到達出来た。

当然ながら、こんな艦を憲兵本部での職域もアヤしい中将ごときが徴発出来たのも、用件が「皇帝陛下に直接お目にかかりに行く」と言うものだったからだった。

そして、こうした用件だと触れ回った事は、艦長以下のモチベーションにも無関係では無かっただろう。

 

……こうしてエル・ファシルに到着したザルツだったが、主君の方はザルツどころでは無かった。

 

「根性悪く穴にひそんでいる」好敵手と、決戦をしたがっていたのだ。




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